木曽三川河口域と雑賀の情勢

 昨年の終わりに、馬路玄蕃たちは高砂国に戻ってきた訳であるが、日本へ戻り報告するのは年が明けてからと指示をしていた。

 しかし、兼山から志摩国へ向かうのが困難な状態になっている。


 わしは、志摩国へ赴き、馬路玄蕃の報告を受けようと思ったものの、市江島を支配する服部氏が津島に入ろうとする船に過剰な関銭を要求するなどしているため、物流が滞っている状態だ。

 関銭を払わない船や織田方の船を襲ったりもしている。

 しかも、服部氏は織田弾正忠家に対して敵対的姿勢を露にしており、蟹江湊をも攻撃していた。

 服部氏による蟹江襲撃は、織田弾正忠家の軍勢と蟹江湊に駐屯する佐治水軍によって撃退されている。

 当家も服部氏による被害を受けており、津島へ向けた船が高い関銭を要求されたり、襲撃されたりしていた。

 そして、服部氏による蟹江湊襲撃の際には、当家の海軍も蟹江防衛に加わっていたため、当家と服部氏は交戦状態に至っている。

 服部氏は長島一向一揆に属しているため、長島一向一揆勢とも交戦状態になっていると言う認識で良いだろう。


 津島湊が事実上封鎖されてしまったため、周辺住民や商人の反発が激しく、願証寺も事態を深刻に捉え、服部氏を説得しようとしたものの、無駄足に終わった様だ。

 実淳が奪った長島城でも、周辺を通行しようとしている船から過剰な関銭を要求したり、襲撃が行われたりしているそうだ。

 桑名の町も現在は実淳派に支配されている様で、門徒で無い商人などは差別されている様で、門徒の商人が幅を効かせているらしい。



 当家の琉球交易に大きく関わっている雑賀の湊衆の船も、服部氏に蟹江近郊で襲われたと聞いている。

 湊衆は撃退に成功したものの、実淳と敵対する雑賀御坊に属する門徒であるため、敵として認識されている様だ。

 湊衆から聞いた話では、雑賀御坊の様子もおかしいらしい。

 雑賀御坊は紀伊守護である畠山氏の後援する称徳寺実誓が実権を握ったものの、富田教行寺実誓や名塩教行寺賢勝も実誓を補佐する形で収まったそうだ。

 しかし、畿内で弾圧されている本願寺派の門徒たちは雑賀御坊に逃れているらしく、日に日にその数を増やしているらしい。

 増えた門徒の生活を支えることになったのが雑賀衆な訳であるが、雑賀衆には非門徒の者も多く、雑賀に門徒が流れてくるのを快く思っていない様だ。

 増えた門徒と非門徒の軋轢が増しているらしく、畿内から逃れた門徒たちは非門徒の支配地域に侵入して、盗みや暴行を加えたり、門徒への改宗を迫ったりするなどの争いが多発しているらしい。

 雑賀御坊たち門徒と非門徒の雑賀衆の板挟みになっているのが、雑賀衆の纏め役である雑賀孫一重意である。

 雑賀御坊たち門徒からは、生活支援を求められ、非門徒の雑賀衆からは、門徒たちの暴走への苦情が集まっているそうだ。

 門徒たちへの生活支援は、雑賀衆の中で最も稼いでいる湊衆に多くの負担を強いられているそうで、同じ門徒であるため、支援するのは仕方ないにしても、湊衆の中では不満が高まっているらしい。

 また、畿内から流れてきている門徒の中には手癖の悪い者もそれなりにいるらしく、湊衆の領域に入って盗みや強盗をする者がそれなりにいるそうだ。

 そう言った不満は、雑賀孫一に訴えているそうだが、雑賀孫一が雑賀御坊に訴えても改善の兆しは見えないらしい。

 雑賀衆も大変なことになっている様だ。琉球交易に支障が出ないと良いのだが。



 兼山から木曽川を利用して津島や蟹江に運んでいた流通経路は事実上使えなくなったため、犬山から蟹江の陸路を活用することになりそうだ。

 そのため、運べる荷の量が制限されたり、通過する領地や関所が増えて関銭を多く払うことになり、輸送コストが増すことになってしまう。

 馬路玄蕃たちには、オスマン帝国から持ち帰った物は志摩国に置き、当人たちだけで兼山に来てもらうしかないだろう。

 雑賀の情勢も悪化している様だし、当家の交易にも暗雲が漂っているな。

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