川俣十郎のオスマン帝国での思い出と帰還

◇川俣十郎


 オスマン帝国を訪れた俺たちは、大いに驚かされることとなった。

 埃及(エジプト)のカイロの繁栄やピラミッドなどの巨大な建築物、ナイル川と言う巨大な川は、日ノ本中を探したところで、同じ様な物は存在しないだろう。


 帝都イスタンブールへと着いたところ、その姿に圧倒される。巨大な都に繁栄する町並みは、京を遥かに凌いでいた。

 湊も南蛮にあるどの湊より栄えていて大きい。

 俺たちは、オスマン帝国の役人に連れられ、外交使節の泊まる宿へと案内される。

 オスマン帝国に到着してから、宿の豪華さに驚かされてきたが、イスタンブールの宿は格別に贅を凝らされたものであった。


 イスタンブールに着いてから、馬路玄蕃殿たちは、皇帝との謁見のための準備に追われている。

 玄蕃殿は、俺の従兄弟であるが、今では異国との外交を担っており、忙しい身だ。

 戦ばかりしている俺とは、随分立場が変わってしまった。

 従兄弟としても、同じ主を戴く者としても、玄蕃殿の護衛を勤めねばなるまい。


 玄蕃殿が皇帝と謁見する日取りが決まり、皇帝の御所へと参内したのだが、控えの間では無く、謁見の間へと通されてしまった。

 玄蕃殿や文官たちとは違い、言葉が分からないので、周りの文官たちと同じ動きをする。

 皇帝とのやり取りは、玄蕃殿がしていたが、皇帝に対して物怖じせずに堂々と受け答えする姿には、従兄弟として驚かされた。

 皇帝との謁見も問題なく終わった様だ。


 その後も、玄蕃殿はオスマン帝国の皇帝や皇子に召し出されたり、オスマン帝国の公家衆に招かれて、日ノ本の話をさせられていた。

 護衛として同行していたが、招かれてたオスマン帝国の建物は、どれも豪華な物で、日ノ本の建物では、どれも見劣りする様な気がする。

 イスタンブールにいる間は、オスマン帝国の役人や護衛に案内され、イスタンブールの様々な場所を訪れることになったが、そのどれもが、素晴らしい物ばかりであった。

 日ノ本から来た皆が土産を買いたがっていたが、銭をどうするか悩んでいたところ、オスマン帝国の役人たちが立て替えてくれる。

 玄蕃殿の話では、日ノ本から持ち込んだ交易品を皇帝が全て買い取ってくださったそうで、皇帝からの褒美などを含めて、オスマン帝国の銭がかなりあるそうだ。

 その銭は役人たちが管理してくれているらしい。

 当家の文官や護衛の者たちは、市や商家にて様々な土産を買うこととなった。

 こうして、都のイスタンブールを巡るだけで、オスマン帝国と言う国は、とてつもない大国なのだと実感させられた。

 噂に聞く明国とどちらが大国なのだろうか?


 オスマン帝国からの支援を取り付けた玄蕃殿は、オスマン帝国側の準備が整ったという事で、出立することとなった。

 玄蕃殿は、皇帝へ辞去の挨拶を行うため参内する。

 皇帝への挨拶を終え、日ノ本に送られてくるリュステムと言う役人とお付きの者たちとともに、埃及(エジプト)へ向かうこととなった。

 埃及までの道中は、リュステムと言う役人が玄蕃殿と頻りに話をしていた。

 玄蕃殿にどんな話をしているのか聞いたところ、これから向かう日ノ本について、色々と尋ねられているそうだ。


 イスタンブールから埃及へ到着し、ナイル川を上ってカイロへと到着する。

 カイロでは再びピラミッドや国府の豪華な建物を目にすることになった。

 そして、我等の船が停泊する湊へと到着する。湊にて待っていた、九鬼宮内大輔殿に話を聞くと、彼等も湊町の役人に歓待されていた様で、湊町を観て回ったり、市で土産を買っていた様だ。

 湊には、皇帝からの返礼の品々が大量に用意されており、玄蕃殿が買い付けた交易品を含めるとかなりの量になっていた。それらを我等の船に積み込む。

 リュステムと言う役人たちや当家に派遣される技術者たちは、ポルトガルから奪ったキャラック船より大きな船を用意しており、それに乗って日ノ本へ向かう様だ。


 こうして、我々は埃及を出発し、まずはアチェ王国へと向かった。

 アチェ王国の都であるクタラジャに着くと、玄蕃殿はアチェ王へ挨拶に赴いた。

 これまで世話になった礼やアチェ王国の外交使節とイスタンブールまで同行させて貰った礼をした様だ。

 一緒にイスタンブールへ赴いたアチェ王国の使者たちは、我々より先に帰国していた。

 玄蕃殿から後で聞いた話では、アチェ王はクタラジャで用意した拠点はそのまま使って良いと言ってくれたらしく、これからも交易を続けて欲しいと言ってくれたそうだ。

 言葉の分かる文官数名と東天竺屋の者たちを残し、アチェ王国を出発する。


 その後、ブルネイや麻里魯(マニラ)を経由し、高砂国の鶏籠湊へと到着する。

 高砂国の鶏籠湊へ着いた我々は、湊にいた役人を通じて高砂国奉行の山田式部少輔殿へ連絡してもらうとともに、「十四日屋敷」へと向かうこととなった。

 「十四日屋敷」は、異国からやってきた客人や当家の家臣たちを十四日間滞在させる屋敷で、玄蕃殿はリュステムに十四日間、屋敷から出られないこととその理由を説明していた。

 リュステムたちは、異国から持ち込まれた病を防ぐ目的であることや、異国の人間が罹らなくても、違う土地の者は持ち込まれた病に罹ってしまうことなどを説明すると、興味深そうに話を聞いていた。

 異国の植物の種を持ち込ませない様に、靴を洗わせるのも忘れない。

 当家の船やオスマン帝国の船を臨検し、違法な品や虫、動物など無いかも調べさせる。オスマン帝国の船の臨検には、リュステムたちも不快感を示していたが、虫や動物を持ち込ませないためと言うことで、彼等に立会いしてもらいながら実施した。

 変な虫やら鼠が紛れていたそうで、速やかに退治された様だ。

 当家で要望していた作物の苗や家畜は、役人たちに引き渡され、それぞれの場所に運ばれていた。


 オスマン帝国に赴いていた我々も、共に十四日屋敷に滞在し、玄蕃殿がリュステムたちに今後について説明する。

 日ノ本でオスマン帝国の存在を知っている者は殆どいないため、身分を隠して入ってもらう必要があること。

 オスマン帝国の船で日ノ本へ行く訳にはいかないので、当家の船に乗り換えてもらうことなどである。

 また、オスマン帝国の役人として活動してもらうなら、高砂国を中心にして欲しいなど様々な要望を出した。

 それに対して、リュステムは皇帝から殿の日ノ本での立場が弱いことを聞いており、皇帝から出来る限りの要望は聞く様に指示されたそうだ。

 取り敢えず、鶏籠に活動するための屋敷を用意して欲しいことや、オスマン帝国から来た者たちのための回教の寺を用意して欲しいと言われる。

 梅毒の検査は、当家の医師に男根を診られるのは嫌だそうで、オスマン帝国から派遣された医師が梅毒の確認をすることとなった。


 十四日屋敷にいた我々は、役人を介して山田式部少輔殿と連絡を取り、オスマン帝国の役人たちのための屋敷と回教の寺の用意を頼む。

 また、山田式部少輔殿への報告の書状や日ノ本の殿へ宛てた報告の書状を渡す。高砂国奉行である山田式部少輔殿から殿へと送ってくださるだろう。

 リュステムたちから、日ノ本でも活動するための屋敷と回教の寺が欲しいそうなので、準備をしてもらわなくてはならない。


 こうして、高砂国に戻ってきた俺たちは、十四日屋敷にてリュステムたちオスマン人たちと過ごすこととなった。

 日ノ本へ戻る時期は、殿からの指示を待つことになるだろう。

 もうすぐ年が明けることから、早くても来年になることは間違いなさそうだ。

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