東美濃の国人たちの懐柔と内政の始まり
阿寺城と馬籠城で互いに睨み合っている中、わしは占領した土地の安撫に努めていた。
軍勢の一部を分け、占領地の村々を巡回させ、新しい支配者について伝えさせているのだ。
民にとっては、支配者が代わろうと大して構わないのだろうが、民たちに舐められたら、後々の災いになるので、しっかりと統治しなければならない。
苗木の地を奪取したので、苗木から下流の国人たちに、当家に従う様に使者を出した。
彼等は、松尾小笠原方に付いていたものの、木曽川上流で生活するため、こっそりと兼山とも取引している。
苗木遠山氏がいなくなり、わしが新しい支配者になったことを知ると、木曽川上流域の国人たちは直ぐ様駆け付けて、臣従を誓った。
こうして、兼山から苗木までの木曽川流域を支配下に治めることが出来たのであった。
苗木遠山氏の領地は、思っていたより広く、苗木一帯から東白川村の南まで領有していた様だ。
苗木より北の東白川村を治めるのは、白川村から東白川村を治める安江氏と言う国人であり、白川村北部に野原城と言う城を築いている。
安江氏は元々は加賀の国人だった様だが、同じく加賀国人の加藤氏を祖とする遠山氏を頼って、美濃へ土着したらしい。
そのため、東白川村の南に位置する苗木遠山に従っていた様だ。
なので、わしは野原城の安江氏にも、苗木を支配下に治めたので、従うように使者を出した。
木曽川上流一帯を支配下においたため、兼山から続々と物資や人員が運ばれてくる。
到着した大工たちに、高森山砦の強化を命じる。苗木城の設計図はあるのだが、まだ石垣を作る技術が無いため、取り敢えずは高森山砦をそのまま使用する。
高森山は岩山であり、苗木城を築くのは現状難しいので、時間がかかるだろう。
大永4年(1524年)3月に、松尾小笠原家の当主である小笠原定基が家臣の高柴景長に命じて神明神社を建立させている。
そのため、神宮から兼山に滞在している神宮の神官を呼び寄せ、苗木の神明社の管理をどうするか話し合った。
神宮の意向を確認しないと分からないが、出来ることなら神官を派遣して管理したいらしい。
奴隷たちも続々と運ばれており、東美濃開発の作業員として配置されていく。
新たな支配地は、木曽川や阿木川が流れており、田畑を作るのに適している。
木曽川と阿木川の治水工事をさせ、その後に灌漑や田畑を作るつもりだ。
また、田畑に適さない土地では、養蚕場や栗畑を作らせる。
21世紀で東美濃の名産として栗があるからな。
牧場に適した高地があるので、山羊を連れてきて牧場を作るのも良いかもしれない。
涼しくて羊を育てるのも適しているため、羊を手に入れたいな。
土地は沢山あるので、蕎麦などを栽培してみるか。久々に蕎麦を食べたくなってきた。醤油も生産しているので、蕎麦や饂飩を作るのも良いだろう。
志摩で藻塩を作っているので、かん水を作れるので、ラーメンを作るのも良いかもしれないな。当家では牛を定期的に食べているので、牛骨ラーメンを作るのも良いかもしれないな。
苗木領内だとトパーズ鉱山があるので、トパーズも採掘したいが、現在の日本では需要が低そうなので、海外と交流して価値が出るようになってから採掘を始めるた方が良いかもしれない。
東美濃の良い土地を手に入れたので、出来ることが増えてしまい、やりたいことだらけになってしまった。
本来なら、東美濃は人口が少ないので、開発が進まないのだろうが、当家は関東から安い価格で奴隷を調達しているので、奴隷の労働力で開発を進めることが出来る。
関東の商人たちが琉球の交易品を購入するついでに奴隷を売りに来るので、最近は奴隷の在庫もだぶつき始めていたが、東美濃を手に入れたことで、不足することだろう。
木曽氏の軍勢に備えて阿寺城に滞在しているが、東美濃開発を遅らせる訳にはいかないので、どんどん開発していこう。
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