天文2年(1533年)

天文2年(1533年)の方針

天文2年(1533年)


 正月に養祖父と養父とともに土岐頼芸様の元へ新年の挨拶に向かったのだが、二人とも何だか様子がおかしかった。

 しかし、二人とも、わしに何も語ってはくれず、わしは稲葉山城にて豊太丸の相手をする。

 養祖父も体調があまり良くなさそうだった。体調が悪いのもあって、今年は色々起こすのかもしれない。

 養父は昨年に、明智光綱の妹の小見の方を正室に迎えている。

 兼山は明智家の領地である長山城に近く、交流があるため、わしとしては喜ばしい婚姻であった。

 織田信長の正室が生まれるしな。



 今年の方針は、主を東美濃攻略に置いている。

 来年には、松尾小笠原が本家の府中小笠原に敗れてしまうため、来年に攻めようとすると、東美濃の遠山氏の本家である岩村遠山がしゃしゃり出てくるだろう。

 養祖父の件もあるから、年の半ばになるだろうか?

 織田弾正忠の蹴鞠会にも招かれているので、その後がタイミングとして良いかもしれない。



 内政については、引き続き奴隷労働力を使っての開墾を行うとともに、農作業や工業の手伝いをさせ、生産力を上げることだろう。

 東美濃を攻略し、領地が増えたならば、そちらへ労働力を回さなければならない。

 東美濃を円滑に統治すべく、文官の数も増やしている。

 速やかな統治体制の確立も重要だな。


 工業については、引き続き火縄銃を生産しつつ、分業出来ないかどうか模索してもらう。

 鍛治師たちには弟子の数を増やしてもらい、鍛治師を増やすことも忘れてはならない。


 養蚕農家を増やし、絹の生産量を増やすことや海産物の生産の人員を増やし生産量を増やしたい。

 醤油の生産量を増やすことや真珠養殖を増やすことなど、いくら人がいても足りない状況だ。

 南蛮から取り寄せた農作物の作付面積も増やしたいしな。


 交易については、国内外ともに引き続き行い、直江津に拠点を得たならば、蝦夷地と交流を持ちたい。

 可能ならば、言葉の分かる蝦夷を雇いたいところだ。



 軍事については、主力を兼山に移し、戦の準備をさせている。

 奴隷たちの中からも志願者を募り、志願した奴隷に加え、足りない分も奴隷から抽出し、戦力を調えるつもりだ。

 志願した奴隷は解放年数が短くなるので、それなりの人数が集まっている。



 外交では、馬路玄蕃が外交使節として、オスマン帝国に赴く予定である。

 スレイマン1世への贈り物は、アチェへ送ったので、海軍の精鋭たちとともに向かわせるつもりだ。

 馬路玄蕃には、外交使節としての役目を問題なく果たしてくれるよう祈るばかりである。



 諜報関連では、忍衆を東美濃に集中させており、攻め落とすべき城に紛れ込ませることにも成功している。

 畿内や関東の情勢も不安定なので、不穏な地域の情報収集は怠ってはならないな。



 今年は勢力拡大の年になるので、忙しくなりそうである。

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