山田式部少輔有親⑩鶏籠での統治と軍備など諸々
◇山田式部少輔有親
日ノ本におられる殿から書状にて、高砂国北部の凱達格蘭(ケタガラン)族が住んでいた地域を鶏籠(ケーラン)と名付けたと知らせを受けた。
鶏籠近くの島は社寮島だそうだ。
噶瑪蘭湊は高砂国で初めて神明社が出来たことから、神明湊へと改名されている。
鶏籠を獲得してから、高砂国統治の本拠地を鶏籠に移して、高砂国の開発をしている。
鶏籠一帯は良港であるため、湊町として開発していた。
鶏籠には、たまに倭寇の船が現れるが、その度に捕まえている。
これまでに、数隻の明船と倭寇の俘虜を手に入れた。
凱達格蘭族が治めていると思っていたのだろうか、今まで通り寄港地として使おうとした様だが、残念なことに今は西村家の領地である。
捕らえた倭寇は、頭目格は琉球へ送り、下端は十四日蔵で閉じ込めた後、奴碑として扱っていた。
川俣十郎殿たちも、鶏籠を拠点にしたことで、倭寇やポルトガル船を捕まえてくる頻度が増えている。
倭寇は狩り過ぎると、警戒する様になるらしく、最近はポルトガル船を狙うことの方が多い様だ。
ポルトガル人たちは十四日倉に入れた後、一応は奴碑として扱っている。
殿からの指示があり、ポルトガル人から西洋の航海術を学ぶように命ぜられたため、ポルトガル人の航海士や船長たちは少し良い扱いをしていた。
ポルトガル語を話せる明人も同じ様に優遇している。
海軍の者たちは、手に入れたポルトガル船を使い、訓練しながら航海術を学んでいた。
また、殿から高砂国において大砲や火縄銃の研究や訓練をする様にとの命を受けていたので、火薬を管理する御倉衆の者たちが研究をしている。
大砲はポルトガル人たちに取り扱いを説明させ、何度か撃ったことで、取り扱いを分かる様になってきた。
倭寇奴碑が特に技術など持ち合わせていないのに対し、ポルトガル人は我々が持っていない知識や技術を有している。
しかし、ポルトガル人たちは調子に乗りやすいのか、奴等の取り扱いは中々難しい。
技術を有していないポルトガル奴碑は、倭寇奴碑や罪人奴碑と近い扱いになるので、その様を見せ付けたら、自分たちが有用であることを見せるべく、必死になり始めたがな。
船大工たちも造船所を建て終え、ポルトガル船を解体して、ポルトガル船の研究をしている。
殿からポルトガル船の良いところと明船の良いところを合わせた船を作れと命ぜられているので、ポルトガル船と明船の両方に乗った海軍の者から話を聞いたりしている様だ。
帆柱が多いことや、大砲を取り扱うことを考えると、ポルトガル船の方が良い様だが、明船の方が安定しており、速さを出せるらしい。
ただ、明船は大きくなると、上に建て増す様な形になるため、荷卸が大変な様だ。
また、明船は船底が部屋で分けられており、何処かで穴が空いても、そこを塞げば沈む可能性が低いらしい。
海軍としては、海戦を考えると、ポルトガル船を基本にして、明船の良いところを取り入れた船を作って欲しいと言う結論に至った様である。
この結果や船の案は、殿の元へ届けられ、殿からも意見を頂くそうだ。
俺は、高砂国の戦力を高めるため、高砂国の諸部族から兵になる者を集めることにした。
高砂軍の主力である薩摩武士も、広大な高砂国を治めるための数が足りているとは、到底言えない。
薩摩武士の次に戦力となる泰雅(タイヤル)族の兵たちを含めても足りないため、部族から余裕のある者たちを差し出させたのだ。
泰雅族には一通りの訓練を施していたため、薩摩武士と泰雅族で諸部族を訓練していく。
泰雅族たちを訓練する様に教えたところ、挫けてしまう者が出てしまったので、訓練のやり方を変えたりしている。
泰雅族はやはり、高砂国において精強な部族なのだろう。
高砂国の諸部族たちを訓練している間に気付いたのだが、日ノ本から送られた薩摩武士たちに対して、諸部族たちは殿のことを分かっていない様なのだ。
これは、薩摩や琉球から送られた奴碑たちにも言えることで、殿がいることは知っている様だが、自分たちの主は高砂国奉行である俺だと思っているらしい。
これは、俺にとって危ないことだと気付く。
薩摩では危うく腹を切らされるところだったのだ。
俺は大恩のある殿に逆らうつもりは無いし、高砂国を我が物にするつもりもない。
薩摩では、島津日新斎殿が勢力を拡大している様であるし、島津日新斎に仕えることを良しとせず、殿に仕えて高砂国に送られてくる薩摩武士も増えることだろう。
その薩摩武士たちが、必ずしも俺のように心から殿への忠誠を誓っているとは言えない。
今後、増える人たちのことも考え、何か対策を練らねばならないと思った。
まずは、軍において殿への忠誠を抱く様に教育することにした。
殿への忠誠を抱く様な文言を考え、唱和させる機会を持たせる。
それでも、あまり効果が出たとは言えない。
そもそも、殿を観たことが無いのだ。観たことの無い方に忠誠を抱かせるにはと考えたところで、観せれば良いことに気付く。
その時に思い付いたのが仏像であった。
仏だって、唐土から伝来した時は、誰も知らなかったはず。
仏像を観たことで、仏の姿を知り、崇める様になったはずだ。
仏像の様に殿の木像を作ろうと思い至った俺は、大工に殿の木像を作ってもらった。
そして、殿の木像を観せながら、殿について語り、忠誠を抱かせる様に仕向けたところ、文言だけの時より効果が出る様になる。
高砂国の奴碑たちにも同様にして、殿を知らしめ、自分たちの主が誰だか知る様にさせた。
やはり、仏像と同様で、姿形を模した木像があれば、分かりやすいのだろう。
ただ、殿の木像を徐々に欲しがる者が増えているそうで、諸部族の中には集落に持ち帰り、神の様に祀っている者も現れたそうだ。
これも、高砂国を統治するために仕方ないことだろう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます