山田式部少輔有親②志摩での生活と高砂国派遣

◆山田式部少輔有親


 年が明け、俺を含めた薩摩の武士たちとその家族は、交易船に乗って志摩へ向かった。

 初めて観る大きな船に、子供だけでなく大人も驚いている。

 志摩に向かう武士たちは、山田の者だけで無く、伊作家に敗れて降伏したものの、伊作家に仕えるを良しとせず、西村家に仕えることを選択した者たちも含まれていた。

 その薩摩武士たちの大部分が元家臣であり、元領主であることから、志摩へ到着するまでは、俺が薩摩武士たちを率いることとなる。


 志摩の鳥羽湊に到着すると、軍奉行の平井宮内卿の使いの者が出迎えてくれた。

 平井宮内卿が志摩を統治しているそうで、軍の主力も志摩に移されているそうだ。

 我々の人数や家族のことは既に伝えられていたらしく、住居が用意されているとのことで、使いの者に案内される。

 案内された住居は軍が用いる家屋の様で、一つの建物に複数の家族が住むとのことだが、食事は軍で用意してくれるらしい。

 西村家では常備軍なるものを設けており、西村家に仕える武士の多くは常備軍に属するそうだ。

 常備軍の中も、陸軍と海軍に分かれているそうで、優秀な者だと両軍に属することになるらしい。

 また、武士でも文官働きが得意な者や希望する者は、文官に配されるらしく、希望者がいるかどうか問われた。

 薩摩の武士で文官働きが出来るものは、そんなに多いとは言えないが、当家にも年老いた一族や家臣もおるし、家中で文官働きをしていた者もおり、数名は文官に配されることになりそうだ。

 家族を家屋に入れ、落ち着いたところ、食事の時間になり、軍の食事の場へと赴く。

 軍とは食事の時間がずらされている様で、薩摩の者しかいなかった。

 一人一人に配られた食事を見ると、薩摩で我々が食べていた食事より質も量も多く、米はおかわりしても良いらしいので、我々は大いに驚かされた。

 薩摩の者たちは、恥ずかしながらも、大いに食べてしまったが、沢山食べることが出来て喜ぶ子供たちの姿を観ると、それだけで西村様に感謝の気持ちが湧いてくる。

 食に困らないだけでも、西村様に仕えられて良かったと思う。

 薩摩では、食料が足らないばかりに、食料を奪い合うのは当たり前であり、少しでも食料を多く得ようと、耕作地を奪い合っている。

 そんな中、島津日新斎は西村様から得た食料を味方の地頭に配り、日和見する地頭たちに配ることで味方に付けていた。

 腹が一杯になった薩摩の者たちは、気疲れしていたのか、早々に眠りに就く。

 明日、俺と一部の者は、鳥羽城にて平井宮内卿にお会いする予定だ。

 その後、日取りを合わせて、西村様にお会いするらしい。


 翌日、鳥羽城にて軍奉行の平井宮内卿にお会いし、西村家のことや常備軍について説明される。

 西村家での待遇についても説明され、事前に話された通り、薩摩武士の多くは、常備軍に配属されるそうだ。

 常備軍は基本的に戦に専念し、基本的には、政に関わらなくて良いらしい。

 俸禄は銭で支給されるそうで、西村家では知行地は与えられないそうだ。

 平井宮内卿は、土地を管理する必要が無いから、軍務に専念出来て良いと笑って言うが、確かに気候などに左右されず、土地のことに悩まずに済むことを思えば、軍務に専念出来て良いのだろう。

 公家出身の平井宮内卿は、軍術に長けていると自負しており、実戦で活かしたいと考えて西村様に仕えたそうで、軍務に専念出来ることを喜んでいる様だ。

 確かに、戦のことを考えるだけで、禄を貰えるのは、薩摩の武士に合っているかもしれない。

 俺たちは、半年の間、軍で練兵を受けるらしいが、その後はどうなるかは分からないと言われた。

 しかし、俺だけは元領主だからか、文官働きや統治の教えを受けなければならないらしい。


 数日後、西村様と鳥羽城でお会いすることとなった。

 西村さまから受けた説明は、殆どが平井宮内卿からお聞きしたことだが、半年の教えを終えた後は、琉球の西にある大きな島へ送られると言う話をされ、大層驚かされる。

 始めは、島流しか何かかと思ったが、西村様の話の続きを聞くと、その島に既に拠点を築いているらしい。

 しかし、その島には蛮族が住んでいるそうで、拠点を守るための兵が必要で、薩摩の武士たちは送られるそうだ。

 俺の役割は、薩摩の武士たちを率いることと、その地の奉行として治めることらしい。

 また、西村様は、その地に薩摩の口減らしされて売られた民を住まわせるつもりらしい。

 薩摩で売られた民を、西村様が買い、その地に移り住ませ、開拓をさせるそうだ。

 その者たちの管理も、俺の仕事になるそうで、薩摩の食料不足の深刻さを知る者としては、鉱山などで使い潰されることを考えると、未開の土地の開拓する役割を与えられる方がありがたく感じてしまう。

 また、西村様は、薩摩から売られた者たちが開拓を成功させたならば、普通の民と同じ暮らしが出来るようにすることを考えていると仰った。

 西村様の御優しさに触れ、俺は感激してしまう。

 薩摩を離れて、なお薩摩の民たちの役に立てるのだと思うと、武者震いしそうだ。

 俺は、西村様へ忠誠を誓うとともに、代表して薩摩武士たちの常備軍入りを了承したのだった。



 常備軍での練兵が終わりに近付いてきた頃、南蛮に交易に赴かれていた馬路玄蕃殿たちが戻られたとのことで、重臣たちは鳥羽城に集められ、俺も末席を汚させてもらうこととなった。

 馬路玄蕃殿が殿へ南蛮について報告し、殿は琉球の西にある大きな島を高砂国と呼ぶことを決められた。

 馬路玄蕃殿の報告は、高砂国の奉行になる俺には、大変興味深く、明国や南蛮に近いことから、倭寇やポルトガル人と戦うことがあるかもしれないことから、一言一句逃さずに聞いた。


 翌日、殿と重臣たちは志摩の無人島へ赴くこととなり、その地で火縄銃なる武器の説明を受けた。

 その火縄銃なる武器が撃たれるを観て、大いに驚かされることとなる。

 火縄銃から発せられる大きな音と、的や鎧への破壊力を目にし、重臣たちは意見を述べ合う。

 更に、殿から火縄銃の説明を受け、ポルトガル人の主な武器であることを知るとともに、日ノ本でまだ扱うわけにはいかないので、まずは高砂国で扱うことになると言われ、俺は思わず驚いた。

 しかし、ポルトガル人たちが、この武器で戦うことを考えると、我々も扱わない訳にはいかない。

 ポルトガル人を琉球や日ノ本に行かせてはならないのだ。

 高砂国の奉行は思っていた以上に大役であることを改めて知るとともに、そんなポルトガル人と戦えると思うと、武者震いしてくる。

 殿の説明を受けた我々は、実際に火縄銃を射撃するなどして、火縄銃への理解を深めたのであった。



 半年の練兵を終え、我々、薩摩武士は高砂軍として送られることとなり、俺は高砂軍司令官と高砂国奉行を拝命することとなった。

 常備軍の階級は、陸軍大尉と海軍大尉になっている。

 俺は、高砂軍だけでなく、大工や神宮の神官など諸々の技術者たちを率いて、高砂国へ向かうのだった。

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