馬路玄蕃たちの帰還報告と高砂国命名

 馬路玄蕃や川俣十郎たちを載せたジャンク船が鳥羽に到着したとの報せを受け、わしは重臣たちとともに鳥羽へと向かった。


 鳥羽城の広間には、今回のアチェへ交易に行った馬路玄蕃、川俣十郎、神代勝利、九鬼宮内大輔たちが待っていた。

 馬路玄蕃はずっと琉球に語学留学していたので、久々に会ったが、顔付きは以前より力強さを感じる。大役をこなしたことで、自信を深めたのだろう。

 馬路玄蕃に労いの言葉をかけ、南蛮の状況などの報告を受ける。

 南蛮の町や日本では見られない品々などの話を、重臣たちは興味深そうに聞いていた。

 ポルトガル人たちがブルネイなどで見掛けられる様になったことも報告を受け、航路上に海賊が多いなど、引き続き交易する上で船を増やす必要が有りそうだ。


 アチェでは、胡椒などの香辛料や生薬を大量に買い付けることが出来たらしく、帰路には香木や象牙、作物の苗なども沢山手に入れたとのことである。

 オスマン帝国の金貨や銀貨も持ち帰って来てくれた。

 アチェとの商家とも伝手を作ることが出来た様で、ヨーロッパでしか手に入らない物は、取り寄せてもらっているらしい。

 乳が多く出る山羊と言うのは、分からなかったらしく、取り敢えず大型の山羊の番を複数買ってきたそうだ。

 その他に南瓜、西瓜、玉蜀黍、蔓茘枝(ゴーヤ)などの様々な野菜の種、砂糖黍や各種の椰子などの苗を持ち帰ってきている。

 山羊や植物の種・苗の内で無事なものの半数とインドセンダンの苗の全数は、台湾に送っている。

 日本国内で大規模に栽培しても目立ってしまうので、台湾で積極的に栽培したい。

 日本では当面の間、志摩で細々と栽培するつもりだ。



 台湾の拠点からも報告が有り、日本語をそれなりに話せる様になった現地住民に色々話を聞くと、彼等は噶瑪蘭(クヴァラン)族と言うらしい。

 そのため、拠点の湊を東湊と呼んでいたが、噶瑪蘭(クヴァラン)湊と呼ぶことにした。

 現地人から台湾島を呼称する言葉を得ることが出来なかったので、高雄地域が「タカサグン」と呼ばれていた話を元に、明では台湾を「タカサグン」と言うらしいと適当な理由を付けて「高砂」と名付けることにする。


 馬路玄蕃や川俣十郎たちは、暫く伊勢湾近辺で休暇を取った後、琉球と高砂へ戻ることになる。

 南蛮へ行ったことについては箝口令を敷いているが、どれだけ守られるかは疑問である。

 南蛮交易に絡みたいと言われると厄介極まりない。

 南蛮で手に入れた交易品の流通も難しい問題なので、弾正忠と津島を巻き込んだ方が良さそうだ。


 馬路玄蕃たちが戻るのに合わせて、急ぎ足であったが、教育訓練を終えた薩摩武士たちを高砂に派遣することになる。

 山田式部少輔は高砂国奉行として、高砂の植民及び征服をしてもらう。

 高砂国奉行任命に当たり、国奉行を創設したため、美濃国奉行と志摩国奉行も置くことにするが、美濃国奉行は家宰の黒田下野守が担当し、志摩国奉行は志摩の奉行をしていた平井宮内卿が引き続き担当する。

 また、平井宮内卿の軍の役職が多過ぎて、呼び方に困ると言うことで、軍の上位役職を占めていることから「軍務総管」の称号を与えた。

 軍の人材が増えて、成長すれば平井宮内卿に集中している役職を他の者に分けるつもりだ。

 家宰と軍務総管は当家でも最高位の役職であり、親任官と言う地位にすることにした。

 平井宮内卿の場合、親補職の役職を総嘗めしているので、軍務総管で無くても、親任官だけどな。

 勅任官や奏任官などの言葉は使えないので、国奉行は一等高等官としている。

 高等官は一等から九等まで有り、それ以下の官吏は判任官とする。


 馬路玄蕃たちの報告を聞き終え、高砂国の命名や、高砂国への進出に合わせて新規役職の創設などを行ったので、話し合いを終えた我々は、帰還の宴へ突入するのであった。

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