倭寇狩りの帰還
琉球に派遣している馬路正頼から以前に、そろそろ野分の季節が近付いているので、交易船を出すのが難しくなると言う連絡が来たので、一時的に船を引き上げさせることにした。
その船が、鳥羽に到着したとの連絡が入る。
わしは、鳥羽湊に向かい、その船を観に行くことにした。
以前、湊衆の大型の和船を観て大きいと思ったが、いざジャンク船を観てみると、それよりも大きく、遠洋航海に向いた船の様に思える。
倭寇狩りで、ジャンク船は四隻手に入った様で、志摩海軍と雑賀湊衆で二隻ずつに分けることになった。
鹵獲品も両者で、それぞれ均等に配分する。
帰って来た、楠木十郎、神代勝利、九鬼宮内大輔たちに話を聞いてみると、倭寇狩りは思ったより大変だった様である。
此方も雑賀衆の大型船二隻しか無かったので、数隻で航海する船は攻撃出来ず、一隻で航海する船を狙ったそうだ。
明の官船に倭寇と間違われて追い掛けられたこともあったとかで、様々な苦労があったことを伺える。
九鬼宮内大輔から、ジャンク船を二隻手に入れたことで、今後の倭寇狩りは、志摩海軍単独でやった方が良いのではないかと、進言された。
海戦の死傷者も、志摩海軍の海兵ばかりで、それで分け前を半分渡さなければいけないのが、納得し難いらしい。
雑賀の湊衆も、派遣した大型船の損傷が思ったより激しかった様で、ジャンク船を二隻手に入れたことに満足したのか、次回の倭寇狩りには消極的な様である。
それについては、後日、雑賀湊衆の頭領と話し合うことにしよう。
ジャンク船二隻の内、一隻は志摩海軍の訓練に使うことにし、もう一隻は、志摩の船大工たちに預けることにした。
船大工たちに預けたジャンク船は、損傷は大きく無いが、志摩の船大工に同じものを作らせるためにも、研究させる必要があるからな。
雑賀の湊衆が二隻で満足したのも、実物があれば自分たちで作れると思っているからだろう。
志摩の船大工たちには、ジャンク船を作れるようになるとともに、その改良版を作れるようになって欲しい。
そのため、船大工たちに、ジャンク船を研究し、同様の物を作る様に指示をした。
帰って来た船は、馬路正頼からの書状を持ってきており、琉球側からの提案で、手に入れた船で、呂宋かアチェに行ってみないかという話が出ているらしい。
琉球側の船も同行すると言うことで、この提案は前向きに考えたいと思っている。
楠木十郎や神代勝利は、次回の倭寇狩りにも乗り気である。
九鬼宮内大輔は琉球でジャンク船の操船や明の航海術を習ってきた様で、引き続き学びたいことと、もっと船を手に入れたいことから、野分後に再び倭寇狩りに行くことを進言してきた。
元々、野分の時期が終わったら、再び倭寇狩りに行ってもらう予定だったので、彼らの積極的な姿勢は実にありがたい。
今回の倭寇狩りで得た船は二隻であったが、我々が得たものは少なくない。
我々が大きな海へ出るため、大きな一歩を踏み出したと言えるだろう。
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