各地の情勢と戦の気運

 新たな年を迎えたことで、各地では戦の気運が高まっていた。


 昨年、関東管領上杉憲寛は長野氏を従え安中氏を包囲したが、九月二十二日に西氏と小幡氏が上杉憲政を擁立し、上杉憲寛に対して謀叛を起こした。

 この謀叛に対し、上杉憲寛は長野氏とともに、安中城から程田へ後退した。

 関東では関東管領の座を巡る争いが始まっていた。

 同様に、古河公方家でも、古河公方の足利高基が嫡男晴氏と対立し始めており、不穏な気配が漂っている。

 本年に入り、北條と扇谷上杉氏の間にも、戦の気運が高まっているそうで、当面の間は、関東の情勢は荒れそうであった。



 薩摩の島津氏においては、昨年から島津日新斎が各地頭への調略を始めたところ、薩州家の島津実久もまた島津日新斎への対応を取っていた。


 大永7年(1527年)に日新斎方の伊集院一宇治城、日置城を攻略していた。

 昨年、その内の日置城を、日置郡山田を治める山田式部少輔有親に与え、自身に与することに成功する。


 そして、本年の二月に、日新斎方の日置南郷城主・桑波田栄景を寝返らせることにも成功していた。

 日置南郷城は伊作家の本拠地である伊作城に近く、桑波田栄景は以前より、寝返りの誘いを受けていた。

 伊作家が勢威を取り戻し始めたことに、危機感を覚えた実久は、伊作城を落城させた暁には、桑波田栄景に伊作の地を与えることを条件に出したのだった。

 以前より伊作家に仕えることに不満を抱いており、力を取り戻し始めたとは言え、現状は薩州方が優勢であったことから、自身の立場を最も高く売れる機会と捉え、薩州方に寝返ったのだった。


 島津家の国人領主たちもまた、薩州家方に付くべきか、伊作家に付くべきか迷っていた。

 元々、伊作家方の本田薫親、樺山善久、島津運久、島津秀久、阿多忠雄、肝付兼演は、伊作家方に付いている。

 日向南部の領主である豊州家島津忠朝、北郷忠相、新納忠勝は当面の間は日和見することに決めた。

 両家から誘いを受けており、現状では薩州家が優勢なものの、伊作家方の持つ中央の書状や食料から、どちらに付くか決めかねていたのである。

 豊州家・北郷氏と新納氏の対立は深く、双方が別の陣営に分かれることは目に見えていた。

 正義が伊作家と取引を始めたことで、島津の情勢は史実より早く変化している。



 美濃においても、頼芸方と頼武方の対立が徐々に現れ始め、田植えが終わった頃に、本格的な戦が始まると思われる。

 正義もまた、戦に備えて志摩から将兵を呼ぶとともに、雑賀衆や根来衆の傭兵を呼び集めることにした。

 また、木曽川流域の情報を集めるため、木ノ下城を治める舅の織田信定や美濃坂倉に刀工で、馬路宮内の弟である坂倉正利と連絡を密に取るのであった。

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