馬路宮内からの報告
蟹江では、雑賀の湊衆に平井宮内卿を乗せて帰ってもらった。志摩攻略について交渉をしてきてもらうためだ。弾正忠とも話したが、志摩攻めの関係者で一度集まる必要があるな。
美濃に戻り、馬路宮内から報告を受ける。土佐一条家、薩摩の島津家はともに、協力的で、今後とも交易を行ってくれるとのことだ。
特に、島津家は穀物を喜んでくれたらしく、高値で買ってくれ、琉球渡海朱印状も発行してくれたようで良かった。
馬路宮内が受け取ってきた島津貴久殿と島津日新斎殿の書状を読むと、島津貴久の文は無難な礼状であった。
しかし、島津日新斎からの文は踏み込んだもので、感謝の言葉とともに、今後とも交易で穀物が欲しいこと、馬路宮内から不要な武士と民については譲ってくれると書いてあった。
琉球のせいでバレてしまった南蛮との交易についても触れており、薩摩が安定したら、島津も絡ませてくれと書いてある。面倒なことになってしまったが、足利家や細川家にバレると厄介なので、飲むしかなさそうだ。
琉球王からの書状を読むが、交易は是非とも行いたいことが書いてあった。御丁寧に、日本から購入したい物まで書いてある。
書状には、船を売却することと通訳を雇うことは現状は難しいので、船は倭冦かポルトガルの船を退治して奪って欲しいと書いてあった。通訳は琉球の役人や商人で分かる者が教えることは出来るので、ウチの家臣に滞在して学んで欲しいとのことである。
琉球王は御丁寧に、南蛮の情勢まで教えてくれている。
マラッカはポルトガルに侵略されて滅んでしまったらしい。そのため、琉球の交易に支障が出ている上に、ポルトガル人が現れて迷惑しているそうだ。
ウチに倭冦やポルトガルを押し付けようとするのは止めてもらいたい。
馬路宮内に正頼がいない理由を聞くと、書状に書いてあった通り、琉球で南蛮の通訳を雇うのは難しいそうので、該当する人材が現れるのを待ちながら、学ぶのが良いのではないかという提案を受けたので、少しでも早く学ばせるため、正頼を置いてきたそうだ。
馬路宮内の判断は素晴らしい。馬路宮内と正頼には、西国と琉球方面の外交を担当して貰うので、馬路宮内には薩摩や琉球に定期的に行ってもらうことを伝えた。
その際、正頼にはアラビア語を話したり、書けたりするようになって欲しいと伝言するよう頼む。アラビア語の話者や読み書きが出来る者を雇えれば望ましいのだが。まぁ、アチェに行ければ何とかなるか。
マレー語かアチェ語が話せなければ厳しいだろうが、琉球はマラッカまで行っていたそうだから、マレー語が出来るものはいるだろう。シャム語やタガログ語は優先度は低いかな。
また、馬路宮内が神代勝利という侍を連れてきたのだが、なかなかの腕前ということで、しばらく置いて欲しいとの報告を受けた。
馬路宮内としては、当家に仕官して欲しいようだが、決めるのは神代勝利次第なので、本人が希望するなら登用しよう。取り敢えず、大島甚六に預けることにした。
徐々に、南蛮への道が拓けているので、問題は船を手に入れることだが、雑賀の湊衆とともに、倭冦とポルトガル人を退治しに行くしかないのだろうか?
膝にタマとカイゼルを乗せながら、シャム猫も飼いたいなぁと思うのであった。
馬路宮内と平手五郎左衛門の琉球訪問は、日本の外交史に残ることとなる。
当時、日本側では両家が公表しなかったこともあり、大きく知られるのは南蛮との交易が本格化した頃であった。
しかし、琉球側では美濃と尾張からわざわざ来たということで、記録に残されており、定期的に交易や訪問があったことは、琉球の対日外交の窓口が事実上変わったことを意味していた。
また、その後の南蛮への進出の第一歩として、大きな足跡を残したのであった。
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