日本陸軍式基本教練

 兼山の西村家も徐々に人が増えている。

 今いる2000の兵も、あくまでは養父西村新九郎より与えられた兵であり、いずれは養父に返さなければならない。

 そのため、徐々に兵を集めている。取り敢えず、中井戸村で農地を持てない次男以下の男たちで希望する者を数名雇った。


 取り敢えず、大島甚六と数名の兵たちに日本陸軍の基本教練を主に教える。

 何だこれは?と甚六たちは困惑していたが、基本教練は複雑な動作を誰にでも習得が可能なように動作が要素化され、部隊の動作の単純化・合理化が図られているものである。

 そのため、分隊、小隊、中隊、大隊などの部隊でもこの基本教練に従って行進することが可能となる。

 16世紀にオランダ総督のマウリッツ公によって初めて体系化され、新兵教育で導入され、21世紀においても軍事教育の基礎となっている。

 厳正な規律及び強固な団結を養うのに必要不可欠なのだ。


 そんな訳で、日本陸軍の基本教練をベースにして教える。

 まだ銃が日本に入ってきてないので、槍に置き換えてたり、敬礼はローマ式敬礼である。

 ローマ式敬礼といえば、第二次世界大戦においてナチスやファシストのイメージが強いが、元々は古代ローマで使われていた敬礼である。

 そもそも、日本陸軍で採用されていた西洋式の敬礼は、西洋の甲冑のバイザーを上げて顔を見せる動作が元となっている説が有力である。しかし、この時代の日本人に西洋の甲冑のバイザーがと言っても話が通じる訳ではない。

 ならば、千年以上前に大陸の遥か西の大帝国で使用されてたと説明したほうが良い。というか、面倒だったので、基本教練全部ローマでやってたことにして説明した。

 甚六たちも、遠くの大帝国がやってたのならと渋々やってくれている。


 養父西村新九郎から預けられた兵たちは珍妙なことやってると嗤っているが、彼らにはそんな習慣が無いのだから仕方ない。

 肝心なのは、西村庄五郎のところの兵は基本教練をやらないといけないことを定着させることである。

 そのために、まず何も知らない農民のほうが、武士や傭兵である足軽より都合が良いのだ。

 基本教練が定着すれば、ウチで雇われても良いという武士やら足軽も現れるだろう。基本教練をやる気がない兵を雇っても金の無駄だからな。

 領主生活も始まったばかりなので、急いで兵を集める必要もない。


 甚六たちには、基本教練をやったあとは、駆け足で体力を付けさせ、筋トレや柔軟をさせて身体作りをさせる。数ヶ月後には見違えた姿になるはずだ。


 甚六は士官待遇なので、そのうち戦術教育やらもしないといけないと思っている。

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