後編 斬れぬもの
後編 斬れぬもの
勘兵衛と朱音が逃避行してから一月ほどが過ぎている。今、ふたりは街道沿いの宿場町で足止めを受けていた。それと言うのも街道は先日来続いた雨による増水で渡れなくなっており、多くの旅人が宿場町に足止めされているのである。
この予期せぬ出来事に、勘兵衛と朱音も途方に暮れている。
「弱った。わし一人の食い
現にふたりは乗って来た馬を金に換え、その蓄えを取り崩しながら川止めが許されるのを待っていた。
朱音も宿をでるとなにか仕事がないかと町を散策もしてみたが、男装とはいえ女の身、力仕事は断られ、かといって女の仕事などしたことのないお姫様育ちであるから、こちらも途方にくれ、町をブラブラするより他はなかった。
その朱音が声を掛けた人物がいた。
「もしかして
そう声を掛けられたのは、この町の商人
最初、昭六は思い出せない風でいたが、成長し男装しているとはいえ、かつての殿様の姫君との再会にとても驚いた様子を見せた。
「如何なさいました? このような所で、今頃は何処かの御家中に嫁がれたとばかり思っておりましたのに」
朱音はことのあらましを昭六に話して聞かせた。
「それはそれは、大変な目にお遭いになって、この川止めでさぞかし困まっておいででしょう」
其処へ日雇い仕事帰りの勘兵衛と出くわした。
「こちらが、その、わたくしの夫、勘兵衛殿です」
ぎこちない朱音の紹介に昭六もなにか察したのか、お辞儀をすると、すぐに話を切りだした。
「勘兵衛様は見るからに、ご立派で誠実そうなお方、私は朱音様のお父上様にお世話になった者でもあり、つきましてはいかがでしょう、私が金子を工面いたしますから、朱音様のご親戚まで参られ事情をお話になられては」
見ず知らずの者にそう言われても勘兵衛に踏ん切りがつく筈もなく。いったん宿に戻り一晩、朱音と相談することにした。
その晩、朱音は昭六の出した条件を飲みましょうと、勘兵衛を説得した。
「昭六はあまり評判が良くなく、父上に領内を出された者ですが、商売人としては堅い男です。わたし達の窮状を黙って見ていられなかったのでしょう。渡りに船です。頼みましょう」
朱音の話も最もではあるし、勘兵衛も他人の厚意に甘えるのも二人の暮らし向きを考えると、これからは必要なのかもしれないと思い承諾した。
気がかりなのは、昭六の出した条件だった。証文を交わし朱音を預かる。期日までに金を返せば利息さえも取らない。ただし、約束が果たせなかったなら朱音を奉公に出す。との破格の条件だ。勘兵衛は明日にでも解放される川止めを新たに買った馬で抜け、親戚の家から金を借り朱音のもとへと帰る。その条件さえ満たせば、二人して親戚の家へたどり着けるのだから願ってもない話である。
次の日ふたりは昭六と証文を交わし、勘兵衛は宿屋で延びた分の宿代を払い、馬を借りて川を越え、朱音の親戚の屋敷を目指した。馬を一日駆けて着いた屋敷で朱音の手紙を読んだ親戚は、勘兵衛を手厚く迎え、ゆっくりするようにと勧めたのだが、朱音が待っているからと、次の日の朝には急いで宿場へ向け取って返した。
ところが川の渡しも見えようかという頃、勘兵衛は怪しい山賊どもに襲われる。
「馬と金子が目当てか!? ワシの様な武士を狙うのだ、覚悟はあるのだな!」
勘兵衛の鋭い言葉にも臆することなく山賊たちは襲い掛かってきた。山賊共は意外と手強く。勘兵衛でさえも苦労した末に何とか打ち倒した。
「大方、侍崩れであろう、金に目が眩み命を失うとは哀れなことよ」
勘兵衛は亡骸となった山賊共を、落ちぶれた己の身と重ね不憫に思った。
関所にたどり着いた勘兵衛は、川役人に山賊の件を伝えるが、一つ大きな過ちを犯したことに気付いた。それは川を渡るには夕刻までに関所を通過しなければならなかったのだが、山賊に手間取った為、時刻に間に合わなかったのだ。その為、勘兵衛は川役人と共に関所で一晩を明かすことになってしまった。
翌朝、関所が空くと急いで宿場に戻り、直ちに昭六を尋ね借りた金を返した。しかし、昭六は朱音を返せないという。どうした事かと尋ねる勘兵衛に昭六が言う。
「私はよいのです。しかし私の取引先の金を貸してくれた女郎屋が一時なりとも過ぎたならば、女は違約金として貰い受けると申します」
確かに証文には、間に合わなければ女を貰い受けると書いてある。
ならばと勘兵衛は女郎屋へ直談判に出掛けた。すると女郎屋の主人は「どんな事情があろうと関係ない。出る所に出てもこちらは痛くも痒くもない。一度うちの物になったのだから、貸した金と同額では返せぬ」と言うのだ。そして用心棒のヤクザが追い返そうとするのだが、勘兵衛は、侍崩れのヤクザを、子供の手を捻る様に捌いて投げ捨てた。
其処へ、表の騒動を聞きつけた朱音が店から
「勘兵衛殿! 遅いではありませぬか!」
それに対し勘兵衛は「すまぬ! 邪魔が入た。面目ない」と平謝りするしかない。こうして二人は難なく女郎屋を後にすると、宿屋に預けていた荷物を受けとり、旅支度をはじめた。
しかしそこへ、領内を管轄する役人達が、女郎屋と昭六の訴えにより二人を捕縛しに現れる。二人にとってこの程度の役人であればものの一時で片付けられるのだが、流石にお尋ね者となっては、親戚への迷惑になるだろうと、大人しく捕まったのだった。それには事情を説明すれば役人もわかってくれると言う目算もあったからである。
そして評定の時。勘兵衛と朱音は罪に問われるのは不当であると訴え。昭六と女郎屋は証文どおり、朱音を渡すようにと訴えた。
昭六が訴える。
「私はご夫婦に親切で金子をお貸ししたのです。利子さえも頂いておらぬのにこの仕打ちは非道ございます」
そして女郎屋も訴える。
「私も人助けになるからと、日頃付き合いのある昭六さんにお貸ししたまで、約束が守れなかったのであれば違約金を貰って当たり前でございます」
ここで関所の役人が呼ばれる。
「確かに勘兵衛殿の言われるとおり、武装した他所者が斬られておりました。賊共が反撃にあい斬られたものと判断いたしました」
奉行は「この様な事情ゆえ、一日程待ってやってはどうかと」和解を勧めるが、昭六と女郎屋は頑として聞こうとしない。
「ご覧の通り私共は欲や金が惜しくて訴えているのではございません。商売人として曲げられぬ道理を求めているのでございます。何かわたくしどもが間違っておりましょうか?」
奉行も証文があり、何の落ち度のない商人の訴えを退けることは出来ず。かと言って、同じ武士の夫婦を引き裂くのも心苦しい。この堅物の商人共にどう折れてもらうか苦慮していた。
その様子を見るにつけ、心苦しく思ったのか朱音が訴える。
「わかりました。女郎屋に参りましょう。わたくしも武家の生まれ、夫の名を汚してまで生きとうはございません。この場で離縁していただき、お勤めを果した暁には自ら命を絶つ覚悟にございます」
それに勘兵衛も訴える。
「ならば私が腹を切りましょう。祝言を挙げてはおらぬとは言え、我妻を女郎にしたとあってはおめおめ生きてはおられませぬ。それで朱音の身だけは許してもらえないものでしょうか」
二人の覚悟に奉行が昭六と女郎屋に問うた。
「この二人の心意気に免じ許す気はないか?」
それに対し昭六、女郎屋共に「それは仕方のないことでございます。道理を曲げては私どもこそ生きてはいけませぬ」と言った。
侍に対し、そうまで言うか。この者共、捨て置けぬ、武士を愚弄して只で済むと思うな。そう思ったのか、先程まで柔和であった奉行の顔がみるみる閻魔の如き形相へと変った。
そこへ朱音が口を挿む。
「お二方の仰ることはごもっとも! 道理が曲げられたものなら侍と同様、
「ならば、どうなされる?」そう問うた奉行に、朱音は昭六と女郎屋に向け言い放った。
「世の道理は通しましょう。しかし、わたくしは武家の者。わたくし、からだに未練はございませんゆえ。さぁ、何処なりと連れて行かれるがよい! ただし! わたくしの心は旦那様だけのもの。からだは売っても心までは売ってはおらぬ。故に心は置いてゆかれよ、よいな?」
朱音の言葉を聞き奉行は、「なる程、これぞ道理」と感心した。
奉行は二人の
「よいか、心は勘兵衛殿に返すのだ! 出来るものなら連れてゆくが良い。できるか? できまい! 夫婦といえば一心同体、それをそなたたちは引き裂こうとしたのだぞ!」
その裁定を聞き、昭六、女郎屋共に目を丸くし頭かぶりを振るしかなかった。
奉行はなおも続ける。
「これぞまことの夫婦というもの。二人の祝いに貸した金を祝い金とせよ!」
奉行は勘兵衛へ向きなおり、言う。
「柔と剛、勘兵衛殿、そこもとはなんと良い嫁を娶めとられたか。羨ましゅうござる」
その言葉に恐縮し恥ずかしげに頭を掻く勘兵衛に朱音は、一矢報いたかのような晴れ晴れとした微笑みを向けた。
「如何な剛の者、勘兵衛殿でも道理は斬れませなんだか、しかし朱音は見事斬りましたぞ!」
こうして勘兵衛と朱音は、苦楽を共にする人生の旅路を歩みはじめたのだった。
逃避行 後編 斬れぬもの〈了〉
逃避行 宮埼 亀雄 @miyazaki3
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