逃避行

宮埼 亀雄

前編 戦場に咲く華

戦場に咲く華



 ここはとある時、とある場所の戦場いくさばである。騎馬武者達が怒号の雄叫びと地響きを挙げ突進してゆく。ある者は眼前に迫る死に恐怖の表情を浮かべ血の気の無い顔で震えている。またある者は目から何物か放たんとする眼光で一点を凝視する。


 そして残るは、生者と屍ばかり。





 その光景を高台より眺める武者がひとり。


「やはり劣勢だな、如何に落ち延びるか思案している者ばかりであろう」


 男の名は鏑木勘兵衛、彼は言う。


「下克上の世、御家再興を願い今の殿に仕えたがそれもここまでか。そろそろわしも死に場所を探す頃合いではないか……」


 そんな戦況を見守る勘兵衛に、戦場の一角の異様な雰囲気に目がとまった。





 敵方の赤く一際目立つ鎧の若武者が、味方の雑兵を次々と鮮やかな手並みで倒してゆく。その手際のよさに、味方の者共は恐れおののき若武者を遠巻きにするより術が無かった。


 その為その一角だけ、戦線が膠着状態に陥っている。


 それも若武者は兵は倒すが命までは奪わない。それでは味方の負傷者は増すばかり、兵の士気は下がり救護の負担は増すばかりである。


 不味いな。





 早速、勘兵衛は若武者の許に馬を走らせ名乗りを上げる。


「我は客兵頭きゃくへいがしら鏑木勘兵衛かぶらぎかんべぇ! 御相手いたす!」


 しかし若武者は名乗らず勘兵衛を凝視し観察するばかりだ。若武者と見切ったのは確かに小柄で、しかし軽い身のこなしは必要最小限の武具しか装備していないからであろう。余程の自信家か、いや自分の特性を極限にまで延ばす目的だ。


 現に速い!


 不用意に槍を突き掛ける切っ先を若武者は携えた薙刀で弾くと、いとも簡単に雑兵を柄で弾き飛ばした。








 それを間近で見た雑兵どもは更に包囲を広げる。邪魔者が居なくなり、勘兵衛が突進した。


「参る!」


 勘兵衛と若武者は馬上からお互い長物ながものの範囲で距離をとり、やいばを交える。


 速い、この若武者に油断をすれば、すぐにでもわしの首は取られるだろう。若武者の鋭い切っ先が勘兵衛の鎧の傷を幾度も増やしてゆく。それだけ若武者の攻撃は鋭くそして正確なのだ。


 しかし勘兵衛はそれを凌ぐ、正確な攻撃ほど予測の付くものはない。薙刀の動きを見切り、勘兵衛は急所を外し鎧でその切っ先を捌いていった。





 速い! 速く正確ではあるが、軽い! 勘兵衛は槍の穂先で若武者の手っ甲を叩き薙刀を叩き落とした。


「あっ!!!」その痛みと驚きの入り混じった若武者の声に、勘兵衛もまた驚きを隠せなかった。


 こやつ、女か!?


 丸腰になり慌てて刀を抜く若武者、それを見て敵の御付の者が駆けつける。


 勘兵衛はそれを見届けると若武者に一礼をし馬の踵を返すと、静かにその場を後にした。


 その一部始終を観察していた味方の若武者が「勘兵衛殿お見事! 後はお任せを!」と赤い若武者へと馬を走らせる。


 急所を外しはしていたが数箇所に傷を負った勘兵衛は呟いた。


「愚かな……」


 そして若武者同士の戦いとなったのだが案の定、瞬く間に味方の若武者は刃の餌食となった。





 自陣に戻り、早急に手当てを受ける勘兵衛に、殿からの褒賞と数人の武士からの賛辞が送られたが「また生き延びてしまったか」勘兵衛の胸にはどう落延びるか、既にそれしかなかった。


 勘兵衛の幼名は菊千代、かつては守護大名の嫡男であったが、応仁の乱に起因する混乱により家は没落。


 若侍の頃から浪人として全国を渡り歩き、一国一城のあるじになる夢を見て戦場を駆け抜けてきた勘兵衛も、もう四十に手が届く程の年齢ともなると、夢と希望を追う日々に諦めを感じていた。





 夜に入り、押されていた勘兵衛の軍は密かに退却し始める。雇われ、仕官が目的の客兵は元より、主力の兵でさえそう判断をしたのだから敗走と言っていいだろう。


 それを見越した敵方も早々に追撃を始めている。


 やがて勘兵衛は落ち武者狩りに遭い捕らえられた。戦場から逃げ出した多くの落ち武者は敵方の追撃を逃れても土地の百姓の落ち武者狩りに遭う。これでは武士達にとって戦場で華々しく散る方が本望であろう。





 百姓達は勘兵衛を褒賞金目当てで敵方に引き渡した。それは勘兵衛を敵方も探していたからかもしれない。


 そして敵方の陣に引っ立てられた勘兵衛に、若侍姿の顔形の調った美しいおなごが話し掛けた。


「戦場ではお世話になりました、勘兵衛殿」


「ならば、そなたがあの時の」


「わたくし、朱音あかねと申します。先日はご無礼をいたしました」そう言い、頭を下げた。


「これは息災なご様子、よかった」


 そして朱音は縛り上げられた勘兵衛の前に畏まり膝を付くと問うた。


「ひとつわからぬ事がございます。伺ってもよろしいでしょうか?」





「なんでしょう?」


 訝しげな勘兵衛に朱音が続ける。


「何故、あの時わたくしを討たなかったのでございましょう? わたしが女だからですか?」


 その問いに勘兵衛は暫し間を置き答えた。


「いや、戦場いくさばにおいて老若男女は関係ない。皆、己の役割に徹するまで。がしかし、あの時既に戦況は決しており無駄死にだけは避けるべきであった。命あるならば、そなたはおなごゆえ子を産みつわものを育てられよ。そう思ったまで」





 その言葉に朱音の意外な言葉が返る。


「わたしは当に女を捨てました。今のあるじは我が父を討ち家を乗っ取った者。わたしは父殺しの側室となるか、家の為に男となるより他ないのです。ならばわたしは男になります」


「男が戦場いくさばで情けを受ける訳にはいかぬのです!」


 朱音はそう言うと勘兵衛に再度の勝負を挑んだ。


「主には貴方が勝ったなら命を助け召抱えるよう頼んでおります」


「この度は手加減なされませぬ様に!」


 そう強く念を押し朱音はさがった。





 九死に一生を得た上に、仕官まで得られるなど願っても無い事。普通の者であれば、小躍りして喜んだであろう。しかし残された勘兵衛には生への希望など微塵も無かった。


 それどころか、下克上げこくじょうの世といえど、なんとも哀れな話だ。戦に明け暮れ命を懸けて戦えど、女ひとり生かす事も叶わぬ世の中とは。そんな無力感に苛まれていた。





 そして勝負の時、勘兵衛と朱音が対峙し幾多の武将や武士が見守る中。軍の主が号令する。


 二人は武具を着けず太刀たちのみ、しかし朱音は西洋の剣レイピアを携えている。素早い朱音の流れるような動きに、その細身の剣は更なる切れを与えた。


 速い! 剣の特性もあるだろうか、以前にも増して朱音の正確さにも磨きが掛かる。今、朱音に勝る武士が果してこの場に居るであろうか?


 これ程のつわものに戦い敗れるならば武士の本懐であろう。勘兵衛は死を覚悟し、この場を用意してくれた朱音に心の中で感謝した。





 そして朱音の鋭い渾身の突きが放たれる。


 おぉぉぉ!!! 


 見守る者たちから感嘆の声が漏れた。


 朱音のしなやかに流れる動きから放たれた、鋭い切っ先が勘兵衛の左腕を捕らえ深く突き刺さった。そして、更に深く。


 いや、朱音が突いているのではない、勘兵衛が押しているのだ。朱音の剣を左腕に捕らえ、そのまま前へと押し出している。


 引いて抗おうとする朱音を逃さずそのまま真っ直ぐに。そのまま勘兵衛は急所を外し貫通したレイピアをそのままに朱音の腕を掴み捕らえた。


 勝負あり!





 勘兵衛の太刀が驚愕し目を剥く朱音の喉元に添えられる。

 

 そして狂気的な朱音の叫びが勘兵衛に向けられた。


「さぁ、殺しなされ!!!」


 しかし勘兵衛は太刀をその場に突き刺しレイピアを己の腕から抜くだけだ。


 不満げな朱美が叫ぶ。


「何故トドメをさされぬ! 女と思うて情けをかけたか!? わたくしは男! 戦いに敗れ情けを受けるなど耐えられませぬ!」


 そういうと、手にしたレイピアで喉を突こうとする。





「あいや待たれよ!」


 勘兵衛の太くしかし鋭い声が朱音を制した。


「わしは戦で幾人もの命を奪ってきた、彼らも命は惜しかったであろう。戦であれば命を奪いこそすれ、また味方の命を救う事にもなる。しかし既に戦は終わったのだ。ならば命を粗末にする事もなかろう」


 この二人の問答を呆然と眺めている者達に向け朱音が叫んだ。


「何を見て居る! 早う手当てを!」


 そして「殿、わたしの負けでございます。是非とも勘兵衛殿をお助けし、お召抱えください!」そう訴えた。





 それに対し主が答える。


「惜しいのぉ、確かに勘兵衛殿は勝った。しかし朱音はまだ生きておる。これを勝負と言えるかどうか」


「ならばわたくしが御役を返上いたします。代わりに勘兵衛殿をお引き立て下さりませ」と朱音はいう。


「いや、それも許さぬ。わぬしは先代殿の忘れ形見、失う訳には行かぬ」


「ならばどうしろと!?」困惑する朱音に主が言う。


「仮にも勘兵衛殿は客兵とは言え敵方の侍大将。ならば侍らしい最後を遂げさせてやるのが武士の情けと言うものではないか」





「それでは約束が違います!」そう訴える朱音に「約束などして居らぬわ! 朱音、それが戦国の世ぞ。わぬしのお父上も甘いお方であった。それで命を落とされたのだ」と、言い放った。


 それを膝に指を食い込ませながら聞くことしか、朱音に術はなかった。


 勘兵衛は手当てが終ると手枷てかせをされ、下げられた。





 その晩、おそく朱音は勘兵衛を訪ねた。


「勘兵衛殿の打ち首が明日に決まりました」


「そうか」飄々ひょうひょうと答える勘兵衛に朱音が訴える。


「私には生きろと仰ったのに何故、勘兵衛殿は平然と死を受け入れるのです?」


 少し俯きながら勘兵衛は答える。


「わしも、もういい歳だ。戦は飽きたが、かと言って人を生かす術も持たず、生ることもままならぬ歳となった」


 勘兵衛の返事に朱音は納得できないでいる。


「何故です? あなた様はわたくしを生かして下さったではありませんか!」


「若いそなたは生き残るべきであろう」





 朱音が短刀を構え、勘兵衛の縛られた縄に差し込み言う。


「ならば二人共に生きましょう!」その言葉に「何をなさる!」と、驚きの表情を浮かべる勘兵衛に朱音が迫った。


「あなた様はわたくしを二度ならず三度までも辱めるおつもりか? わたくしは勘兵衛殿の男気に惚れたのです。是非わたくしのあるじとなって頂きとうございます」


「いやしかし、わしにその様な甲斐性は……」


 朱音はその煮え切らない言葉を遮る。


「見たでしょう、あの男も何れは己が配下に討たれるに違いない。その役はわたくしが担うつもりでありましたが、今は違う。わたしは命が惜しうなりました。勘兵衛殿あなたの所為です! もし勘兵衛殿がわたくしを拒絶されるならば、わたくしは今夜にでも主を討ちまする。それがお嫌でしたら、なにとぞわたくしを生かしてくださいまし」





 そうこられては、流石の勘兵衛も折れるしかなかった。


「強情なお人だ」


 それ対し、凛とした面持ちの朱音に、女らしい柔らかい微笑が宿る。


「それだけが取り柄と、父も申しておりました」


 今の朱音からは先程までの殺気が消え失せ、大名の姫である本来の華やかな面持ちへと戻っていた。


「先代からの従者が手はずは整えております。さぁ、参りましょう」


 こうして月だけが見守る秋の夜に、二人の侍が馬を駆け新しい門出へ向け逃避行したのだった。



逃避行 前編 戦場に咲く華〈了〉

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