「バレンタインユートピア」【ラッピング・ユートピア・ホワイトアウト】

 外は雪が降っていた。

 いや、降っているなんて生易しいものじゃない。

 1メートル先の様子さえも、見えない。視界が降りしきる雪で真っ白だ。

 あぁ、これが噂に聞いた『ホワイトアウト』ってやつか。

 なんて、私は冷たく冷えた身体よりも謎に冷静に冴えている脳みそで考えていた。

 私の住んでいる地域では、雪なんて降る事の方が珍しい。

 積もる程の大雪なんて数年に一回くらいの頻度でしか出会ったことがない。

 なんでこんな日に私は外にいるのだろう。

 朝のニュースで美人なお天気お姉さんが言っていたじゃないか。


『本日は、例年稀に見る大雪となるでしょう。お仕事などで外出される方は、お気をつけて。早めのご帰宅を推奨します』


 なんて、美人なお顔がより際立つ、真面目な表情でそんな風にいうものだから。

 怖いなぁ、なんてトーストをかじりながらのんきに思っていた自分を殴りたい。


 しかも、せっかくお姉さんが忠告をしていたというのに。私は仕事ではなく、娯楽のために外出をしていたのだ。

 いや、他人から見たら確かに娯楽だったが、私からしたらこれは戦争だった。

 そう、本日2月13日は近所の百貨店でチョコレートの催事イベントが行われていたのだ。

 イベント自体はまだしばらくやっているようだったが、2月とチョコレートいえば、みんな大好きで大嫌いな『バレンタインデー』だろう。

 それに間に合わせるためには今日、2月13日に買いに行く他無かったのだ。


 私には、付き合って3年が経とうとしている恋人がいた。

 彼の事が私は大好きで仕方なかったけれど、最近やけによそよそしいのだ。

 3年も付き合っていれば、確かに慣れとか飽きとかが出てくるのかもしれない。

 最近は私も彼が隣にいることがあまりにも自然で、付き合ったばかりの頃の気持ちが遠くに行ったような感覚はある。

 だが、だからこそ。隣にずっといて欲しいと思うのだ。

 だから、そんな現状を打破しようと、私はチョコレートを買いに行くと決めたのだ。

 それもとびっきり可愛くて、美味しくて、素敵な物を。

 実際、百貨店では求めていたものが買えた。赤いハートのチョコレートが中心に置かれた、シンプルだけど知名度の高いメーカーの今年の新作。

 お会計を済ませると、店員のお姉さんが「贈り物ですか?」と尋ねてくれたので「そうです」と照れながら答えた。

 お姉さんは「いいですね」とこちらも嬉しくなるような笑顔を見せて、「喜んでもらえると良いですね」と素敵なラッピングが施されたチョコを紙袋に入れて手渡してくれた。

 その言葉に背中を押された感覚がして、じんわりと心が温かくなる。

 そこから更に雑貨店でメッセージカードを買って、彼への想いを書き綴った。

 カフェでカードを書いている頃には外の雲行きが怪しくなっていたが、それでも私は溢れる想いを書かずにはいられなかった。

 そして、遂にカフェの店員さんから「すみません大雪で閉店します」と声を掛けられた時には、店内には店長と思しきおじさんスタッフと、客は私しかいなかった。

 慌てて外に出た時には、もう大雪が降りしきっており、地面にはうっすらと雪が積もりだしていた。


 近所の百貨店と言えど電車で一駅はかかる場所だったので、慌てて駅に向かったが電車は既に運休のお知らせだらけで、再開の見込みは立っていないらしい。

 歩いて帰れない距離ではないので、歩いて帰ろうか、と足を踏み出したのが最大の失敗だった。

 歩みを進めるうちに、雪は酷くなっていき1メートル先が見えないほどの、ホワイトアウト状態の中を風に逆らいながら、足を進めて行く。


いつか、彼と一緒に行ったスキー旅行を思い出した。

 そこでは今回と同じように雪が降っていて、柔らかい雪がスキー客などに踏み固められ、場内には数人の団体客が居て、どの人も皆楽しそうだった。

 けれど、その旅行で私は彼から離れた場所まで滑って行ってしまった事があった。

 その時も心細くて悲しくて、寂しくて。もう私は一人で死んでしまうんじゃないかと思った。

 大声で泣いて、目からこぼれる涙が端から凍っていく様子に恐怖を感じていると、遠くから私を呼ぶ声がした。


「ここにいる!」


 と私が大きい声で応えると、彼が滑って目の前にやって来た。

 そして、そんな私に彼は「大丈夫か」と抱きしめてくれたのだった。

 抱きしめてくれた彼の体温は感じられなかったけれど、それでも私の身体は内側から暖かくなっていくのを感じた。


 そんな事を思い出していると、どんどんと彼との思い出を思い出してしまう。

 初めて出会った時の事、お互いを気になりだし、夜遅くまで電話をした事。付き合い始めた時の幸せな感覚。初めてケンカした日の事。仲直りに美味しいご飯を食べた事。

 それらが走馬灯のように頭をよぎって、いよいよ私は死んでしまうんじゃないかと思った。

 そして最後に頭に浮かんだのは、温かい部屋で、二人でテレビを見ながらご飯を食べて、つまらない芸人のギャグに対して「おもしろくなーい」なんて2人して笑っている様子だった。

 そして、その時に私はこの何の変哲もない日常が私にとっての幸せな時間だったんだと思った。

 もしもそれが、実際に存在しなかった時間だったとしても、そこに私たちの思い出があるなら、それは幸せだったと思う。

 確か、こういう幸せな世界の事を『ユートピア』って言うんだったよね。


 そこまで思いを馳せたところで、私の身体は勢いよく抱きしめられた。

 何!? と思って抱きしめている人物を見ると、なんとそこには愛しい彼の姿があった。


「なんで、ここに……?」


 尋ねる私に、彼は言うのだった。


「君をストーカー容疑で逮捕する」


 そう言った彼はよく見つめると、厚く着込んだ警察のジャケットを羽織っており、もっとよく見ると、彼では無かった。


「え、っとどういう……?」


 意味が分からない私に対して、警察官は「君が家のまえでじっと部屋を見ている、と通報があったのでね」と、目の前の家を指さした。

 そこは一軒家で、表札には愛しい彼の苗字があった。


「君は3年前から、彼に付きまとっていたのだろう。相談を受けていたよ」

「そんな事ない――」


 私の言葉を警察官は遮って「話は温かい署でゆっくり聞こう」と言って、付近に停めてあったパトカーを指さした。

 私が一軒家の二階に視線をやるとそこには、大好きな彼の姿と、それに寄り添う女の姿が見えた。


***


 被疑者○○は被害者××に対し、執拗なストーカー行為を行っており、その期間は3年にも及んでいた。

 自宅に忍び込んだり、盗聴器を仕掛けていたりする形跡もある。

 被疑者は終始「彼と私は付き合っている」「彼が助けてくれる」「だって、彼は私を愛している」と、被害者と自身が交際していると思い込んでいる様子であった。


 被害者の要望もあり、被疑者を勾留することととし、行政との連携も視野に入れ対応を行っていく予定である。


 ××××年2月14日

 担当警察官:○○


-END-

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