「積もった恋文は懸け橋になりて」【争い/手紙/歌】
――紅に染まる夕暮れ背に受けて、貴方は我の瞳に映り。
幼い私が遊ぶその庭には、赤く夕焼けが差していた。
手鞠を叩いて歌を口ずさむ私の元に、彼の人が声をかけてくれたのが全ての始まりだった。
「そこの君は」
その声は、空気に溶けることなく鋭くその場に響く。
慌てて声の主を振り返ると、そこには同じくらいの齢であろう少年が立っていた。
「は、はい! なんでしょう!」
おそらく自分よりも位が高いであろう、気品に溢れたその彼の人の姿に、私は目を奪われた。
本来ならば、もっとかしこまった言葉を選ばなければいけなかったのだろう、と気づいた時にはもう言葉は取り返せない場所にあった。
彼の人は、私の慌てふためいた様子にふふ、と笑むと足元にいつの間にか転がってしまっていた手鞠を拾い上げてくれたのだった。
「君は名を何というのだ」
私が暮らしている地域のしきたりでは、姓でなく名を問われるという事は、それは婚姻に向けたやり取りの開始を意味するものだった。
人生で初めて、名を問われた私は声を震わせつつ口を開く。
「私(わたくし)の名前は――」
***
「桜花(おうか)?」
庭にかかる橋を、静かに渡ってきたその少女は黒く艶やかな髪を携えて、私の顔を覗き込む。
顔をかしげる際に、その美しい黒髪が緩やかに肩から落ちていく。
「白梅(しらうめ)……何でここに?」
彼女は私の幼馴染だ。
同じ敷地内で姉妹のように育った。
白い肌に艶やかな黒髪という、女子(おなご)であれば誰もが羨むような容姿を持った白梅。
容姿に似合った優美な所作は、周りの者達を惹きつけ魅了する。
対して私は、お世辞にも美しいとは言えず、平凡から脱せない人並み月並みな容姿。そしてどこか落ち着きがなく、周りからは愚鈍な奴だと思われているだろう。
彼女はそんな私にとって憧れであり、同時に羨望の対象でもあった。
普段、白梅から私にわざわざ声をかけてくることは、滅多にない。
だから、どうしたのだろうか、と私は頭をかしげていたのだ。
彼女は一拍、二拍と間をおいてゆったりとそれに応えた。
「私(わたくし)も、ようやくあのお方と文を交わす約束を頂きました」
白梅は僅かに眉を上げて見せた。
彼女の言っている『あのお方』は、私が幼少の頃をより想い続けている彼の人だと、察しが付く。
私が彼の人と文を交わす事になった時の、白梅の悔しそうな表情を思い出す。
この人は、私が自分より優位である要素を限りなく削りたいのだと思う。
白梅が本当に彼の人に好意を持っているのかは分からない。
だが、彼女が彼の人を本気で射止めようと思ったのなら、きっと私は敵うはずはないだろう。
そう思ってしまうだけの歴史が、私と彼女の間にはあった。
だから、私は白梅にぐうの音(おと)も返せずに、尻尾を巻くようにその場を後にしてしまった。
***
『桜の君。椿が土に落ち、寒さも和らいできた頃だがいかがお過ごしだろうか。もうすぐ雪も解ければ、春がやってくるだろう。その時が今から楽しみで仕方ない』
「春光さま、雪解けの時期、私(わたくし)はいつも心が浮足立ってしまいます。春が近づいてくると、柔らかで心地の良い香りが漂ってくる気がしてとても好きです」
『文をありがとう。春の香りは、我も分かる気がする。この季節になると桜の君に会った日を今でも思い出すのだ。いつか君を迎える準備が出来る日まで、どうか健やかに過ごしておくれ』
***
何度も交わして来た、彼の人との文。
白梅との争い事を、彼の人との間に入れたくなど無かった。
私と彼の人との間だけで、完結させたい想いだった。
返事をしたためようと取った筆だったが、彼女から送られた宣戦布告を思い出し、その手は止まってしまう。
私が今さら彼の人に何かを言って何になるのだろうか。
ここはそっと、白梅に恋路を譲り潔く身を引いた方が良いのではないだろうか。
その方が、傷つかずに済むのではないだろうか。
そんな事を考えていたら、筆を持つ手が異様に重くなってしまい、続きを書けなくなってしまった。
***
私は彼の人に出会った瞬間に、恋に落ちた。
その優しげな眼差しや、穏やかな言葉使い。
まだ幼子だった頃に何度も会っていた彼の人、しかし年齢を重ねると、彼の人は遠くに引っ越してしまった。
どうやら幼少期のみ近くの住まいに居ただけだったようだ。
それから、彼の人は私に文を書くと約束してくれた。
現に、これまで何通も、何十通も文のやり取りを交わしてくれたのだった。
もう一月(ひとつき)もの間、彼の人への返事を綴れていない。
毎日文を書くために、机に向かうのだったが、中々言葉が筆に乗らず、結局書きかけの紙を屑入れに投げる日々が続いていた。
気分転換をしよう、と背を伸ばした時に私の部屋に母上がやって来た。
「桜花、大変よ」
母上は、少しだけ慌てた様子で私の名前を呼んだ。
「小野春光さまが、いらっしゃったわ」
それは、私が想いを寄せる彼の人の名前。
まさか、そんな、まさか――。
「春光さまは、今どちらに」
気が動転して、言葉が上手く出ない。
「まだ、敷地内に入ってこられたばかりです」
母上がそう告げる。
それを聞いた瞬間、私の身体は動きを止めた。
敷地内に入ってきたばかり、という事はもしかしたら白梅に用がある可能性もあるのではないか?
そう思った瞬間、私はその場から逃げるように駆けだしてしまった。
***
母上が呼び止めるのも聞かず、庭の一角にやって来た私。
そこは、私が辛い事や悲しい事にあうと、つい逃げて来てしまう場所だった。
母上と折り合いがつかず、喧嘩をしてしまった時。
白梅と比較されて、友人たちに貶された時。
川が流れ、橋がかけられた庭の端。
そこは私だけの大切な場所で、他の誰にも見つからない場所だった。
彼の人が、白梅に求婚の申し出をしに来たのだったら、どうしよう。
いくら文のやり取りを重ねていたとしても、所詮はそれだけの関係なのかもしれない。
あの美しい白梅に、彼の人を取られてしまうかもしれない。
色々な感情が頭を巡って息が出来なくなってくる。
その瞬間。
「あぁ、ここに居たのか」
頭上から降ってくる声があった。
それは、声変りをし随分と低くなったが聞き違えるはずのない、彼の人の優しい声だった。
「あ……春光さま」
彼の人は「桜の君」と私の名前を呼んだ。
「随分と探したのだぞ」
「申し訳ありません……。でも、なぜここを」
私が彼の人に尋ねると、くっくっと彼は笑って見せた。
「貴女がいつも文で言っていただろう」
彼はとても優しく微笑んだ。
「悲しいことがあると、川の良く見える一角に潜むのだと」
そう言って、彼の人は私に手をかけた。
「手紙の返事が中々なかったのでな。心配になって迎えに来てしまった」
そうして、彼の人は私に問いかけた。
「嫌だっただろうか?」
心の底から不安げな様子で、私に問いかける彼に、私は大きく首を振った。
「そんなわけありません!」
自分で思ったよりも大きく出てしまった声に口を押える。
それに彼の人は、再びくくく、と笑ってみせた。
「貴女のそういう所が非常に愛らしい」
そう言って、彼は私の手を取った。
「どうか、我と夫婦になってはくれまいか」
それは迷うごと無き、求婚の言葉。
私なんかで良いのだろうかと悩み。言葉に詰まっていたが、彼の人はその様子を見てにやりと笑った。
「まぁ、断らせるつもりもないがな」
そう、私の手に口づけを落とした。
「10年越しの我の想いは重いぞ、覚悟しろよ」
「わ、私なんかで良ければ」
慌てて、彼に頷いて見せると満足そうな笑顔が返ってくる。
「うむ、我の人生をかけて、貴女を幸せにしよう」
私はそんな情熱的な言葉が恥ずかしく、下を向きながらも「私(わたくし)も、同じ気持ちでごさいます」と頷いたのだった。
***
その後、改めて彼の人から求婚の恋文が届いた。
色々と、こちらが恥ずかしくなる言葉たちが並べられた最後に、ある短歌が添えられていて。
私はその手紙を、あの世まで持って行こうと決めたのだった。
――いつぞやの想いは募り文となり、いつか我らの懸け橋になりて。
-終-
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