「冬のアルタイルを見上げて」【つる草/牛飼い/万屋】
いつだって君は、俺の先を歩いていた。
初めて会った時も、付き合い始めたときも、別れの時ですら。
僕が君に勝てる要素など、一つも無かったのだ。
それでも君は、微笑みながら僕の頬に手を当て愛しいものを見るような目を向けた。
「貴方が好きよ」
こんな俺が、この世で一番尊い君に愛されているなんて信じられなかった。
今でも、信じられない。
きっとそれは永遠に。
***
「所長起きてくださいよ」
アイマスク代わりに顔面に被せていた週刊誌を取り上げられて、俺の視界は一気に眩しくなる。
「うおっ!?」
驚いた拍子に身体がずれ、絶妙なバランスで成り立っていた俺の昼寝スタイルが大きく崩れる。
慌て、俺を起こした張本人に視線を移す。
「なんだぁ? 健司じゃねぇか。今日は早いじゃねぇか」
「全然早くないですよ。時計見てください、時計。もう17時ですよ?」
言われた通りに時計に目をやると、確かにその盤面は17時を少し過ぎた頃指していた。
「今日は浮気調査に行くんでしょ? 早く起きないと尻尾掴めませんよ」
取り上げた週刊誌を丸めて、健司は俺の肩をポンポンと叩いてくる。
溜息をつきながら身体を起こすと、壁にかけていたジャケットを羽織る。
12月。クリスマスも近づいてきていて、浮ついた雰囲気が漂う街。
こんな時期に、薄手で外に出るのはかなりきつい。
俺は、この街で探偵をしている。
探偵なんてのは、ほぼ何でも請け負う万屋みたいなもので、ろくなもんじゃない。
だが、落ちこぼれの俺にはこんな選択肢しか選べなかったのだ。
「じゃあ、後は頼んだぞ」
バイトの健司に事務所を預け、俺は外に出ることにした。
***
外はやっぱり冷え込んでいて、着込んだジャケットをも突き抜ける冷たい風が刺さるようだった。
ぶるっと震え、コートを合わせる。
見上げた夜空には星が瞬いていて、それはまるでそこに別の街があるかのように思えるほどだった。
「それはちょっとロマンチスト過ぎるか」
苦笑いを浮かべて、ポケットに手を入れる。
ふいに、学生時代に付き合っていた彼女が言っていた事を思い出す。
『ほら見て、夏の大三角形』
彼女は夜空を指さしてこちらを振り向いた。
『おいおい、今は冬だぞ』
『知らないの? 冬でも夏の大三角形は見えるのよ』
言ってくすくすと笑いながら隣に並ぶ。
『あれがね、アルタイル。私が一番好きな星』
じっと空を見つめて呟くように言った。
『アルタイル?』
『ほら、七夕の織姫様と彦星様ってあるでしょ。あの彦星様の方だよ』
言われ、子ども時代に何かの授業で聞いた話を思い出す。
恋人の織姫との逢瀬に夢中になるあまり、本業の牛飼いをおろそかにし、織姫と離れ離れにされた彦星。
『あぁ、あれが』
呟き俺と彼女の会話は途切れた。
あれが彦星。
恋人と一年に一度しか会えない彦星。
あのアルタイルの傍で輝く夜空の星々が女だったなら。
彦星はよそ見をしてしまうのだろうか。
してしまうかもしれない。
男はみんな浮気性だ。
今日の依頼人の旦那もそうだ。
どんなに大切にすると誓った相手がいても、よそ見をしてしまう時がある。
「俺もそうか」
乾いた笑いを漏らす。
心当たりなんて腐るほどある。
男はみんな浮気性だ。
だけど――
「忘れなれない人もいるよな」
見上げた夜空に輝く星に語り掛けるように、呟くように吐いた言葉は白い息と共に宙に溶けた。
「俺はまだ忘れられないよ」
卒業したら結婚しようと誓った彼女。
しかしその誓いは果たされることはなかった。
卒業を控えた2月の頭に彼女は亡くなってしまった。
事故だった。
別れというのはゆっくりとやってくるものだと思っていたが、違った。
それは、気づかぬうちに傍にいて、心構えも出来ないまま、大切な人を奪っていってしまう。
真上に輝く満天の星空。
彼女は「空がきれいに見えるから」とこの季節を愛していた。
俺はそんな彼女の笑顔が好きだった。
人は死んだら星になる、なんて昔からよく言う話だ。
そんな事ねぇだろ、とずっと思っていた。
けれど今は、彼女が星になっていたらいいと思う。
そう願わずにはいられないのだ。
目の端に移った雑居ビルに伝う、つる草を見つめてしまう。
あのつる草のように、何かに巻き付いて空に向かえたなら、彼女にまた会えるだろうか。
会えたなら今度こそ。
今度こそ君に伝えようと思う。
僕も君を、誰よりも愛していたよ、と。
-END-
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