「今日の魔王への献上品は」【我が魔王は、】
我が魔王は、今日も機嫌が悪い。
放課後を告げるチャイムが鳴ると同時に教室を去り、魔王のいる校舎裏にやってきた私に向かって目を細めながら言った。
「遅かったじゃねぇか」
校舎の壁に背中をつけて、しゃがんでいる男子生徒が一人。…うちの高校の中で最も名前が知れ渡っている、最凶ヤンキー男である。噂によると喧嘩で負けなしとかいう話を聞いたりもする。そのため、口内の不良男子に慕われているようだが本人はあまりつるんで行動するのは好きじゃないらしく、孤高の一匹狼としても有名だった。
そんな最凶ヤンキーがなぜ私を待っているのかと言うと……
「例のモノは買ってきたのかよ」
近づく私の動きに合わせて腰を上げる彼に、私は学校への通学路の途中にあるスーパーのロゴが入ったビニール袋をグイッと差し出した。
「ほら」
なるべく表情筋を動かさないようにしてそれを渡す。魔王は袋の中を漁って更にカラフルな色合いの袋を取り出す。袋にはチョコレート菓子のロゴがでかでかと記入されていて、右下に「大容量ファミリーパック」と書かれていた。
それを見た瞬間、彼は「うわ」とあからさまに顔をしかめる。
「これ、何人で食うんだよ。お前は孫のお菓子を買いに来たばあさんか」
魔王が顔をしかめた拍子に唇も曲がり、咥えられていた白い棒が揺れる。それが視界の端に映った瞬間、私の眉も酷くゆがむ。
「あんたそれ……」
脳裏に浮かんだのは、明らかに高校生が咥えていていいものではない。私の視線に気づいた矢内は「あぁ、これか」と白い棒を指さした。
そしてにやりと笑うと、それを一気に口の中にいれた。飲み込まれた白い棒を目にし私が口をパクパクしていると、矢内はしたり顔で私へ手に持っていた箱を投げてよこした。
両手を大きく動かし、それをキャッチすると手のひらで踊っていたのは『ココアシガレット』と書かれた箱だった。
「俺がそんなヘマするわけないだろ」
矢内は自慢げに笑って見せる。
「あんた、本当はバカでしょ」
ため息交じりに漏らす私に構わず、魔王はお菓子の袋を豪快に開けた。
「ありがとよ」
一言だけのお礼を言うと、奴は500円玉を私に投げてよこした。
「お駄賃だ」
確か私は「甘いもん買って来いよ」とパシられたように記憶しているが、最近のパシリはお駄賃が出るのだろうか。
…それとも、こいつの感覚がずれているのだろうか。
500円玉を手にしたまま固まっている私に、学内最凶の魔王は個包装のチョコを投げてよこした。
「それも」
端的な言葉。…なので私も「ありがと」と簡単にお礼を言ってチョコレートを口にする。
口内で溶けたチョコは甘く、冷えた身体がほんのり温まった。
目の前の矢内は再び壁を背もたれにしゃがみ込むと、宙を見上げながらチョコを口にしていく。
変わり者の最凶魔王視線の先を、一緒に追いかけながら。見上げた空は赤く染まっていた。
* * *
私と魔王の出会いは1ヶ月前だった。彼は悪い意味で有名人なので、私の方は一方的に同い年の彼の存在を知っていたが、もちろん面識はなかった。
私は彼と真逆で、学校内でも目立たない空気のような存在だと自分では思っている。昔は習い事もしていたが、高校に入ってからは放課後はバイトに忙しく学校には授業のためだけに来ているようなものだった。
そんな存在感を消して学校生活を送っていた私は、1ヶ月前にヘマをした。授業が長引いてしまいバイトの時間が迫っていたので、急いで校門へ向かって走っているといかにも、といった風貌の不良男子にぶつかってしまったのだ。
ドンッ、と尻もちをついた私と不良。不良の周りには仲間達がいて、私は慌てて立ち上がると彼に手を差し出した。
「すみません! …大丈夫ですか?」
格好悪く地面に腰を置いたままの不良は一瞬恥じらうように顔をしかめた後、私の手を振り払い自ら立ち上がった。
「うるせぇ。…てめぇ、ふざけんじゃねぇぞ。謝れよ」
「え、いや。謝りましたけど…」
咄嗟に反論してしまう。
「うっせ! もっかい謝れって言ってんだよ! 土下座しろ!!」
大声を出し、馬鹿みたいに威嚇をしてくる。面倒だし、バイトにも遅れそうだから、とりあえず言うとおりにするか。と手持ちバックを地面に落とした、その瞬間――
「っはぁ゛――」
目の前にいたはずの男が、再び地面に倒れていた。今度は顔面から。
周りの不良共と同時に、男が先ほどまで立っていた場所に視線をやると、そこには『孤高の一匹狼』の異名を持つ、我が魔王がいた。
勿論、当時は彼とも初対面で(これ、今日のバイト遅刻かな……)と内心は絶望していたが魔王は倒れた男に向かって言い捨てた。
「力だけ無駄にある男がこぞって、女を威嚇してんじゃねぇよ」
彼はそれだけ言い捨てると、カバンを右手に持ち直しスタスタと校門へ向かっていった。
呆気に取られている私たちを残して。
彼の姿がすっかり見えなくなるまで、その姿を見送ると私はハッとカバンにつけた時計を確認し、未だ茫然とする不良たちを残してバイトへ急いだのだった。
その後、彼を探し出しお礼にお菓子のファミリーパックを手渡してから、私は彼の『パシリ』という名目で一緒に校舎裏で空を見上げるようになる、謎の関係が始まってしまった。
* * *
その日はいつにも増して風が冷たかった。
もはや習慣になってしまっていた、魔王への献上品のファミリーパックを手に校舎裏に行くと彼の姿はなかった。
「ありゃ。めずらしい」
そんな日もあるのか、と驚いたが渡せない物はしょうがないので。私は手の袋をカバンにしまうとバイトの時間もあったので校門へ歩みを進める。
歩いていると、北風に乗って僅かに怒声が聞こえる。いつも魔王がたむろしている場所から離れた…光の差し込まない陰湿な雰囲気で有名な校舎裏の方からだ。あまりよくないうわさを聞かない場所からの不穏な音に、つい私は足を向けてしまう。
足を忍ばせながら、影からそこを覗き見ると…そこには柄の悪い数十人にも及ぶ不良たちと、彼らの囲む円の中心でケガを負いながらも立っている魔王の姿が見えた。
「――っ!?」
あまりの驚きに息をのむ。血がにじむ顔を抑えながらも、男たちに立ち向かう魔王の目の前には、いつの日か私がぶつかった不良男がいた。
「学内最凶の魔王とやらも大したことないなぁ?」
ケラケラと笑って言うそいつの手には、鉄製のバットが握られていた。相対する魔王はケガを負いながらも、僅かに笑った。
「そんな大したことない相手に、こんだけの人数集めといてまだ倒せてないくせに、よくそんな大口が叩いて恥ずかしくないな」
はっ、と笑ってのける魔王の挑発が効いたらしく、バットを持った不良男は右手を大きく振りかぶった。
「てめぇ…! 舐めてんじゃねぇぞ……!!」
私がその場面を見ていられるのは、その瞬間までだった。
「――っが、ぁ゛……!」
目の前には地面に倒れ込んでいる、不良男の姿があった。そばには先ほどまで振りかざしていた鉄バットも転がっている。
「お、まえ……!」
私の後ろには、左手を抑えたまま目を見開いている、我が魔王。
彼に背を向けて立つ私は両手で校舎の影に落ちていた掃きホウキを持っていた。
「黙ってて」
短く彼の言葉を制すると、彼の横から殴りかかってきていた男の胴を思いっきり叩く。
「ぐっ――」
二人目が倒れたのを皮切りに、次々と不良たちは襲い掛かってくる。相手が私だろうとお構いなしだ。
…それが正しい。勝負では恐れを見せた方が、負ける。
一人ひとりの動きを目で確認しながら、的確に一人ずつのしていく。
その場にいた半数近くを無傷でダウンさせた頃合いで、不良の一人が逃げ出した。それを合図に残っていた数人も蜘蛛の子を散らすように逃げていく。
そして、その場には私と魔王だけが残されたのだった。
魔王は左手をかばったまま、ようやく地面に腰を下ろすと私を見上げて笑った。
「は、お前そんなに強かったのかよ。ウケる」
私は少し傷んでしまったホウキを地面に置くと、彼の隣に腰かける。
「まぁ…ちっちゃい時に剣道を少しね」
「はは、そりゃ俺にも物怖じしないはずだ」
言って、彼の顔を改めてみると僅かに血がにじんでいた。
「――あんた、それ……!」
魔王は言われた箇所を指でぬぐい血を取ると「あぁ」と笑った。
「これくらい大したことない」
そう言って、ははっと笑った。
「…あんたこそ。…っ、あんたこそ! 私を助けなきゃこんなことにならなかったのに…!」
流れる血に、どうすることもできない私は両手をぎゅっと握りしめる。
私は、自分の身を守れるように強くなったのに、なんで私なんかを守ってこいつが傷ついているのか。きっと、あの男はこの前の私の件で報復をしに来たのだ。
1ヶ月あまりの短い時間だったけれど、それでも空気のように過ごしていた学校生活でこの魔王との時間は私にとって、割と居心地のよい時間だったのに。
隣に座り込んでいる魔王は、相変わらず飄々とした調子で笑った顔のまま、ポケットからぐしゃぐしゃのココアシガレットの箱を取り出すと、白い棒を口に含んで目を細めた。
「男が好きな女を守って何が悪りぃってんだ」
魔王の言葉に耳を疑い、バッと彼の方を見る。
「今なんて」
「だから、俺はお前に惚れてんだよ。ずっと前からさ」
言って箱を私の方に差し出す。箱越しに視線が合うと、いつもの顔で笑う。
「知らなかっただろ?」
その顔から視線を逸らせないまま、私は彼の隣にへたり込んでしまう。
「最悪だわ」
「最凶って言えよ」
赤く染まった夕焼けが僅かに木々の隙間から除く様子を横目に。
我が魔王の、今まで見たことのない顔に私はすべてを奪われてしまったのだった。
-END-
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