「通勤電車の時が止まる」【DVD/暗闇/あんぱん】

 思い出は時として残酷で、時としてとても優しい。

 昔好きだった人を憎みたくなるのも思い出だし、また好きになってしまうのも思い出のせいなのだろう。

 昔とんでもなく好きな男の子がいた。その人を好きで、恋人同士になったこともある。

 結局その人と別れてしまったわけだが。それからは私の心には、重く深い暗闇が雲がかかったかのように暗い影を落としているのだった。


 社会人になって、自分が世間的に大人になってしまった訳だが、それでも学生時代のあの恋心はずっと消えずに残ってしまっている。

 こうして、スーツを着て会社に通っている今でも、同じ街だしうっかり会ってしまえないかと思う日ばかりだ。

「まぁ、そんなにうまくいかないんだけどね」

 そう皮肉交じりに笑い、地元の駅へとヒールを鳴らしながら歩みを進める。

 そんな私に、後ろから声をかける者がいた。

「あれ、先輩じゃないですか~」

 振り返ると、黒髪ショートカットの良く似合う女の子がいた。

 その姿を見た瞬間、私はドキッとした。

「沙耶ちゃん……」

 声をかけてきた彼女は、学生時代に付き合っていた彼の――妹だった。

「お久しぶりです!」

 そう屈託なく笑う彼女だが、私の顔はつい引きつってしまう。

 まさか、彼に会いたいと思っている時に、彼女に会うなんて。偶然にしては大分が悪い。

 彼女は彼の妹で、学生時代にチアリーディング部に入っていて、そして私の後輩でもあった。

「お久しぶり。今日は学校?」

 確か二つ下の彼女はまだ学生のはずだ。大学に通っているのは聞いていたが、どこの大学かとかは知らない。

「そうです!」

 そう言ってニコニコと私の隣に並ぶ、沙耶。私は、あれっと思い直して彼女に聞く。

「沙耶って、大学どこなの」

 私が尋ねると、沙耶は「あぁ言ってませんでしたっけ」と言って、ある駅の名前を出した。

「そこ、私の職場の最寄駅だ」

 私が驚いて言うと、彼女は「知ってますよ」と呟いた。

 なんで、と私が聞くより前に沙耶は話題を変えた。

「先輩はもうチアやらないんですか?」

 唐突なその問いに、私はうーんと唸った。

「もうチアって歳じゃないしなー。ダンスとかも時間がなくて」

 それは本心だった。けれど、本当はちょっと違う。もう私は踊れない。

「嘘ですね。お兄ちゃんと別れたから、じゃないんですか」

 いきなり突き刺すように言われた言葉。私は驚いて彼女を見る。

「そんなこと――」

 ない、とは言い切れなかった。彼と別れた時から、私は踊っていない。

「まぁ、違うならいいんですけど。ほら、先輩。早く電車乗らないと仕事遅れちゃいますよ」

 彼女に手を引かれて、改札を抜ける。

 ひかれるまま改札を抜けて、電車を待つ


 電車に乗ると案外空いていて無事二人並んで座ることができた。

 電車に座ると、沙耶は私に一枚のDVDを渡してきた。

「さっきはちょっと失礼なことを言いすぎました。ごめんなさい。これ、先輩の最後のチアのDVDです。先輩追いコン来なかったから渡せなかったんで…」

 そう言って、渡されたDVD。要らないとは言えず、黙って受け取る。

 私にDVDを渡した後、更にカバンをがざごそとし出して、そのかばんの中からあんぱんを取り出す。

「沙耶、まさかそれここで食べるつもりじゃないでしょうね?」

 私が聞くと、沙耶は「え?」ときょとんとした表情で私を見た。

「そのつもりですけど…?」

 私はそんな彼女に深いため息を吐くと、その手の中のあんぱんを取り上げた。

「ちょ、何をするんですか! お腹ペコペコなのにぃ!」

 恨めしそうに私をみつめる沙耶だが、私は譲らない。

「電車の中で食べもの食べるなんて何考えてるのよ…」

「だってぇ、あんぱんなら臭いもしないし…」

「そう言う問題じゃないでしょ」

 あんぱんを手に抱えたまま膝の上に置いて、沙耶にとられないようにしていると、あきらめたのか沙耶はぷくぅと頬を膨らませる。

 そして、正面を向く沙耶。私は沙耶の視線を追うように同じく正面を向く。見える窓からは景色が勢いよく流れていき、色のついたその景色がライン状に残像を残していく。

 そんな景色をぼぉっと眺めていると、沙耶がふと呟くように言った。

「私、チアしている先輩が大好きでした」

 それは独り言のように、小さかったがしっかりと私の耳に入ってくる。

「応援している時の先輩は本当に楽しそうで、輝いていました。そんな先輩が私は好きでした」

 今度はハッキリと好きだと言われる。

「多分、それは兄よりもずっと」

 そう言って、沙耶は私の事をまっすぐに見ている。

「好きなんです、私。先輩の事がずっと」

 朝の通勤電車。周りに沢山の人がいるのに。私と沙耶の周りだけ切り取られて、そこだけが世界のすべてのように錯覚した。

「女同士だし、先輩がまだ兄のこと好きでも。それでも私、きっと先輩の事忘れないと思います」

 そこまではっきりと、こんなに熱い視線を向けられたことは今までの人生なかっただろう。

 あの彼にでさえ。

「だから。先輩、私と付き合いましょう」

 彼女のそんな言葉から、視線から逃れることが私には出来ず、次の瞬間にはコクリと一つ頷いていたのだ。

 朝の電車内で、久しぶりに会った、好きだった人の妹である後輩と、同性カップルになってしまった時の話である。


 思い出とは時として残酷で、時として優しい。

 そして過去の恋愛は、もしかしたら新しい恋をすることで、塗り替えることができるのかもしれない。

 そして人生は何が起きるか分からない。

 だから、人生は面白いし、恋愛はいつまでもしたいし、思い出は大切にしたい。

 そう思えたのも、きっと彼女に出会えたから、だろう。


-END-

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