第25話 エロスの唇
◆◆◆◆◆◆リュート目線
俺は、その時間の授業の内容が全く理解できなかった。
フィボナッチ数列だとか、因数分解だとか、なんか適当な文字が羅列する世界にたった一人取り残された難民。
流されていく人々を横目に見ながら溜息をつく。
「リュート」
横にいたのは、俺の頰を平手で叩いたカノンだった。
もじもじしながら、彼女はエータを見つめる。
「おっけい、頑張れよ」
何か察したのか、ゆっくりと何も言わずに立ち上がったエータは、そそくさと教室を出て行った。
そしてこの教室の中にはカノンと俺の二人きり。
「やっと二人きりになれたね」
「あ、おん……」
俺とカノンは時が止まったように見つめ合ってしまう。
でも、俺はもうカノンから逃げない。
「カノン……えっと、その……」
先ほど叩かれた女性を前に萎びてしまう俺。
何かを言おうとするが、上手く口から出てこない。
グダグダと時間を浪費していると、彼女の指がゆっくりと俺の唇に触れた。
「唇……ソースついてるわよ?」
「……カノン。えっと……」
「ダメ! 謝らないで!」
「カノン……」
あぁ、ダメだ。
こうやって俺は犬みたいに手懐けられてしまう。
入学式からずっとこの調子が続いているような気がする。
ここは、やはり一回、一回だけ。
一回だけ、カノンに聞いてみたいことがある。
「カノン!!」
「なぁにぃ〜?」
にこりと笑うと、美しい白い歯を見せながら頭を揺らす。
ぴょんと跳ねると、カノンは俺の横に寄って顔を見上げる。
俺は口を開いてカノンに問いかけようとした。
『本当に俺が好きなのか?』
その言葉を脳内から取り出した。
言おう、言おうと喉から音を出そうとした。
しかし、俺のターンは来ない。
「ほら、リュート、目を瞑ってごらん?」
「……なっ」
そう言われると、急に俺は顔を赤くして頷く。
俺は下を向くと、赤くなる顔を見せないように、出来るだけ前髪で目まで隠す。
それを予期していたように、予め下から覗き込んでいたカノン。
「ふふ、取ってあげるから、顔をこっちに向けて?」
「……おう」
俺はゆっくりと唇を突き出す。
「……目、瞑ってよ……」
「うん」
少しだけ、シャンプーの甘い香りがする。
髪の毛が前髪と絡まる。
そして、少しだけ液体が弾ける音がした。
表面のザラザラとした感触。
その柔らかい触手のような肉が唇一帯についたソースを絡め取る。
尻をできるだけ後ろに突き出して、カノンの腹にブツが当たらないように操作をする。
なんとも情けない姿だが、建設されたばかりのビルを女の子に当てるのは流石の俺でも気が引けたのだ。
「……まだ、目を開けちゃダメ」
「……」
ぺろっと唇を舐め終わると、カノンはふふっと笑う。
「……何硬くなってんのよ。私のベロってそんなに気持ちいいの?」
彼女は、口の中でソースを転がしながら味を確かめている。
「なぁに? 私の事、可愛いなとか思った?」
「……うるせぇなぁ。思っちゃダメなのか?」
俺はペロリと舌なめずりをしてカノンの味を確かめる。
なんと、なんと美味たる事か。
そしてカノンはふふっと笑うと、上目遣いで俺に攻撃してきた。
「図星、ね。
カノンはまたも笑うと、クルクルと目の前を回転する。
誰もいない空間で二人きり。
テルとベルも保健室で寝かせたから居ない。
そっか、二人きりなのか。
「……ねぇ、リュート。お願いがあるんだけど、いい?」
「……なんだよ、改まって」
カノンは少し照れながら、露出した腕を手のひらでスリスリと擦る。
むず痒(がゆ)くてたまらないのだろうか。
「私のさ、唇のソース、取ってくれない?」
ドキッとして、俺の顔が歪む。
あの時の平手が影響してか、俺はカノンの体に触れることに抵抗を感じていた。
「……怒ってねぇのかよ? アレ」
「私が悪かったわ。とっさに出ちゃったよ、手が。えっと……キスかと、思っちゃたのよ」
カノンは、
流れ込んできたカノンの感情。
強い感情だからこそ伝わる不思議な力だ。
「……キスくらいで叩いちゃダメ……か」
俺はカノンの頭をぽん、と叩く。
「しゃがめるか?」
「うん」
俺とカノンはゆっくりとしゃがみこんで、机の下に隠れる。
外から見られているのは承知の上だ。
こんな姿、写真にでも取られたら顔から火が吹くだけじゃ済まない。
「……いいわよ、好きにしなさいよ」
「……ほんと、カノンって可愛くねぇな」
「なによっ! そんなこと思ってないんでしょ! わかるわよ!」
「別に? どっちだろうね」
俺はカノンの額に手を当てる。
「熱いね。熱、あるんじゃない?」
「……そんなこと……ない」
俺の目をまともに見れないカノンは、顔を真っ赤にしながら合図を待つ。
震えている、カノンは欲しがっているのだ。
だって、こんなにもカノンの唇は準備万端じゃないか。
「嘘、可愛いって、カノンは」
「……知ってる。ねぇ、次の授業始まるわよ?」
俺は、そんなこと御構い無しに、カノンの目を見つめる。
カノンは、俺の眼差しに惹かれたように目をトロンとさせた。
二人の空間に結界が張られたように時が止まっていく。
ここは、俺とカノンだけの空間なのだ。
そして、予鈴がなる。
重なった唇からは、とてつもなく不愉快な音が鳴る中、予鈴がそれをかき消す。
べちゃべちゃ。
ぬちゃぬちゃ。
舌に絡まるカノンの舌は、どこか切なげに、そして
ん……。
んんっ……。
予鈴が鳴り終わっても続く長い長い接触行動は止まることを知らず、それから何分も、何分も舌を絡みつかせていた。
そして、俺の長い舌がカノンの中から取り出される頃、俺たちは酸欠になってお互い顔色が白くなる。
「……唇に、ソースがついてたのに、なんで舌を入れてくるの?」
「……我慢できなかった。あの時のディープキス……すげぇ気持ちよかった」
「……うん、そうね」
俺たちはそのまま見つめ合うと、たまらずクスクスと笑う。
「ねぇ、リュート。2回目のキスの味はどうだった?」
「んーとね、特性ソースの味かな」
「は? バカじゃない! そういうことじゃなくて!」
カノンの右手がゆっくりと上がるが、多分叩かれないだろうとガードはしない。
俺はカノンが今、どんなことを考えてるのかが手に取るようにわかる。
それは、貫かれた心臓の中に流れ込んでくるからだ、カノンの意識が。
「嘘だよ、女の子の甘い味がする」
「んなぁ……ちょっ、はぁぁぁふぅ……!」
カノンは口を抑えると、オロオロと周りを見渡したり目を泳がせたりする。
俺はやっぱりこの子が好きなんだ。
カノンの顔を見てるだけでも幸せになる気がする。
これはきっと恋だ、そう確信した。
◆◆◆◆◆◆カノン目線
ほんと……なによこれ!!
リュート……! リュートぉ……!!
今すぐにでも抱きつきたい気持ちを抑えつつ、すでにぐっしょりしたパンツをできるだけ食い込ませながら、リュートの目を見つめる。
リュートはふふっと笑いながら私の頭を撫でた。
暖かい手が私の頭の上に乗ってる、それだけで私の心が満たされていく感じがする。
リュートは私に利用されようとしてくれてる、馬鹿真面目で優しいヤツ。
みんなを悲しませないために常に笑顔で。
本当は、私たちみたいな日常を破壊するような分子なんて帰ってしまえばいいと思ってるのに、口に出さない。
なのに、なんでこんなに私に笑いかけてくれるんだろう。
ほんとに、私、どうしようもなくなってる。
リュートを連れて帰るわけにもいかないのに、リュートと一緒にいられないのに。
なぜ、こんなにリュートのことが好きなの?
神様、残酷過ぎます。
絶対に幸せになれないことはわかっているのに、こんなにも優しくなる感情を私に持たせるなんて……。
彼とは、一度きりのエッチの関係で終わりなの。
妊娠して帰るの。
なのに。
なのに……!!
「うわぁぁぁぁぁぁん!!!!!!」
私の目からは、大粒の涙が流れていく。
その涙は、すぐに心の中に流れ込んで、洪水になって私の血液を搔き撫でた。
全身に好きになってしまった後悔と、どうしようもない
「……大丈夫だって、カノン」
リュートは床に
「大丈夫だ、カノンが元の世界に帰るまで、その間だけ一緒にいよう」
「……いいのぉ?」
「あぁ……」
「……優しいね、リュート」
「あぁ……」
「……ねぇ、リュート。もう一回、キスして?」
「あぁ……」
私は、ゆっくりと唇をリュートの前に運ぶと、もう一度お互いに汚い音を出しながら唾液を流し込み合う。
好きだよ、好きなんだよ、リュート。
どうしようもないくらい!
リュート!
リュート!
リュート!
私、もう我慢できない!
リュートぉ!
私、あなたの事が好き!
ここで私は気づいた。
出会って初めて、本心でリュートとエッチをしたいと思っていた事を。
◆◆◆◆◆◆リュート目線
俺は知っている。
この時は長くは続かない。
タイムリミットがあるのだ。
それまでに、カノンと一度だけ生エッチをしなければならない。
そして、彼女は平和を望む自分の故郷へ帰っていくのだ。
でも……。
カノンのいる次元を捨てれば、彼女はここにずっといてくれるんじゃないか?
いきり勃つ俺のブツが、グリグリとカノンの腹に触れる。
しかし、俺は決心したのだ。
絶対に譲らない。
絶対に触れさせない。
そうすれば、カノンは元の世界に帰らずに済むんだ。
カノンが大好きだ、カノンが大好きだ、どこにもいない、彼女が大好きだ。
ならば、我慢しなければならない。
しかし、カノンの舌はもう我慢できないと俺の口の中に押し込んでくる。
はあはあとカノンの肺の空気が直接肺に流れ込んでくる。
だがしかし、好きだからこそ、愛しているからこそ、大事にしなければならない。
元の世界には帰らせない。
……俺は、カノンとはセックスをしない。
第2章に続く。
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