第8話 マウス・トゥ・×××


 リュートはブルブルと震えている。

 割と本当にどうでもいい話を続けていたせいか、だんだんリュートの体が動かなくなっていく。


 ……え、リュート、痙攣してない?


 ぷらぷらと足が垂れていくのを確認した化け物が急にリュートを吐き出す。


「ちょっと! なにやってるのベルちゃん!」


 テルは真横にいた黒い塊のベルに話しかける。

 ベルは、黒々とした物体に大きな口が一つあるぬいぐるみ大の化け物のことのようだ。

 この世のものではない、珍しいタイプの魔獣であるのは間違いない。


「ちょっとじゃないぜテル! こいつずっと咥えてりゃそりゃ窒息死するわボケ!」


 デロデロになったボロ雑巾のようなリュートは壊れたおもちゃのようにベルの口から落ちていたのは見えた。

 しかし、その後のリュートの姿は確認ができない。


 泣き出しそうなテルの顔が見える。

 プルプルと震えながら、リュートの方を見る。


「……え、ちょっと、嘘?」


 テルは顔を青くすると、下にいる私ですら異常に気づく。

 オロオロとするテルはベルの頰を両手で引っ張ると、縦へ横へと伸び縮みさせる。


「ねぇテル! もしかしてリュート倒れたの?! どうしたのよ!」


 私は大声で叫んで見るが、テルはオロオロとしたままリュートを眺めるだけだ。

 それもそのはず、テルはリュートを窒息死させるつもりはなかったし、処置の仕方も知らない。


「どうしようカノン! リュート君が息してないよ! だめだよ、リュート君が死んじゃう! うわぁぁん!」


 ベルをぐいぐい引っ張ってもリュートは息を吹き返さないことはわかっているくせに、その他に何ができるかなんて彼女にはわからないようだ。


「ほれみろ、テル! お前が早くズラからねぇからこういうことになるだろうが! 父上から調子に乗るなって何回言われたよボケ!」


「だってぇ、こんなに簡単に死んじゃうなんて思わないじゃぁん! びぃえええええ!」


 テルは倒れて息をしないリュートの前で泣きじゃくる。

 頰からこぼれた涙がリュートの頰を伝っても、愉快な物語のようには簡単に起きてはくれないというのに。


「もう! なにやってるの! 待って、私が処置してあげるから! とりあえず、私のところまでリュートを下ろしなさい!」


 私は精一杯声を張り上げてテルに聞かせても、テルは首をブンブン振ってなにもしようとしない。

 ツインテールが風になびかれてふわふわと浮かぶ。

 どうしようもない状況だからなのか、テルは現実逃避しだした!


「嫌だよ! カノン、リュート君を返したらすぐに逃げるでしょう! それだけは絶対に嫌だよ!」


「そんなこと言ってる場合じゃない! あんただって立派な女でしょ! 誰を大切にするかを優先しなさい!」


 私の叫び声が、路地裏にこだまする。

 しかし、月明かりの美しい空に響き渡ろうが、彼女の心には一切響かない。

 それどころか、舌を出しながら耳を塞ぐ。


「バカ! 本当に死ぬわよ!」


「嫌だ! 私のリュート君だもん!」


 そして、リュートを掲げあげようと、リュートに駆け寄る。


 平らな床に、吐き出した後のヨダレがびっしりとこべりついている。


「あっ!」


 テルの右足が宙に浮く。

 べとっとしたヨダレをテルは蹴り上げると、空中に瞬間浮いた。


「テル!!」


 ◆◆◆◆◆◆


 目の前に、美しい空が見えた。

 張り詰めたような空気の中、ふと俺は目覚めた。

 なんと綺麗な月だろうか。

 なにがあったかも思い出せずに、ただただ空を見る俺。

 なんだろう、騒がしくて眠れない。


 ふと、少女が目に入る。

 赤髪のツインテールの子だ。

 綺麗な月は、彼女の姿を捉えて見放さない。

 その光に頰を叩かれた少年は、しっかりと目を開ける。


 戻って……きたのか……?


 光が俺の目の中に強く入り込む。

 こんなに世界は明るかったのか!!

 天使が迎えに来たのだ、俺はそう思った。


 が、俺に闇が訪れる。

 暗闇の中、月明かりを透き通すカーテンが俺を包み込むと、優しい母親のことを思い出す。

 絡まっていく自分の意識と、硬い防御壁に覆われた皮膚の柔らかさを感じながら、徐々に潰れていく顔に幸せを感じる。

 そう、何十年も前、俺はここから出てきたのだ。


 にゅちゅっ!!


「ああぁん!!!!!!」


 死にかけていた俺の顔面に、何か温かくて柔らかいものが落ちて来た。

 ドロドロになった顔に、ゼロ距離で広がる針葉樹林が突き刺さる。


「うううううっ!!?!!?」


 俺の手が反射的に上がると、その柔らかな丸い塊を鷲掴みした、つもりだった。


「もうその手にはのらねぇぞ!」


 バッと顔の前にそれを持って見つめてみると、大きな口を持つ何かだった。

 ヨダレを垂らしながら、俺の顔を見つめる化け物。


 くぱぁ。


「いやぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」


 赤髪ツインテは立ち上がると、すぐに俺を蹴り上げる。


「ぐっはぁ!!」


「ちょっと! テル!」


 斜面を転がっているのか、風景が歪む歪む歪む歪む!!


「あだだだだだだだだ!!」


「もう! なにやってるのよ! テル!」


 落ちていく俺の体!

 ぐるぐると大回転しながら落下する俺の体は、急な突風が吹き荒れてゆっくりと下に降ろされた。


 カノンの叫び声だ、おそらく今のは魔法だろうな。


「変態! 変態よ!! 私の……舐めたわこいつ! もうっ本当に最低! 死んじゃえバカァ! もう帰る! びぃえええええ!」


 少女は、泣き喚きながら腕を振る。


「おい! テル! お前何しにきたのか思い出せ! あいつ連れて帰るんだろがボケ!」


「もういい! 帰る! 帰るの!」


 そう言ってテルは奥の方に降りていく。

 テルの姿が見えなくなると、化け物は一礼だけして去って行った。


「...なんなの、ほんと。大丈夫? リュート。あなた、もう少しで昇天してたわよ」


 鼻血を垂らしながら目を虚ろにする俺は、右手をゆっくり唇に持っていく。

 ドロドロになった上から伝わる温もり。

 柔らかさの上にも繊細な突起があったことを思い出す。

 真っ赤に膨らんだ花を前にして、俺はため息を吐きかけたのだ。

 なんて、汚らしくも綺麗な花だろう。


「……仕方ない……か。」


 カノンは俺を肩にからうと、路地から出ていく。

 柔らかいカノンの背中を感じつつも、だんだんと眠くなっていく。

 なんだ、カノンって結構優しいじゃん。

 あ、意識が遠のく……。


 ★★★★★★


「ねぇ、ベルちゃん。嫌われちゃったかな?」


「……別にいんじゃね? あいつから精液だけでもいただけりゃ後は自分でできるだろ?」


「うん……。でも、妊娠するならやっぱりちゃんとリュート君に愛してほしいな……」


「じゃ、頑張ろうな、俺たち」


 私は、二本の指にべっとりとしたヨダレをつける。

 その指をキスされた部分に持っていき、同じ感覚をもう一度味わおうとする。

 ヌルヌルと指が吸い込まれて、ヌルリと液体が溢れだす。

 足がピクリと動くと、声が漏れる。


 ひゃぁ……!

 はぁ……!


 何度も何度も擦ってみるけど、あの時のような快感を感じることができない。


「……やっぱり、リュート君の唇がいいなぁ。暖かくて、優しくて……」


 つづく。

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