ご近所さんが異世界から引っ越してきて三年経った

八百十三

ご近所さんが異世界から引っ越してきて三年経った

 どこかの異世界から地球に、異世界人がやってくるということが、さして珍しくもないようになった時代。

 地球は居住先としても旅行先としてもいい環境なようで、今や人間以外の種族が普通にそこら辺を歩いているようになった。

 私、結川ゆいかわ 美菜乃みなのが住んでいる東京都杉並区も、気が付いた頃には普通に街中に獣人やら有翼人やらが暮らしていて、街の風景に溶け込んでいる。

 通っている大学にも異世界出身の学生が意外といて、そういう異世界人の中に仲のいい友達も出来て、ファンタジーが日常になってきているなーと思いながら我が家のドアを開ける。


「ただいまー」

「あら、おかえりー」


 家のリビングから母の声が聞こえてくる。

 ローファーを脱ごうとして、私は玄関に母のものと違うサンダルが一足、きちんと揃えられていることに気が付いた。

 木製で革製のストラップがつけられたそれは、どう見ても人間の足に合う造りを・・・・・・・・・・していない・・・・・。獣人用か、竜人用である。

 しかして、ローファーを脱いで家の中に入った私がリビングを覗くと。


「あら美菜乃ちゃん、おかえりなさい。お邪魔しているわ」


 斜向かいの家に住む猫獣人一家のバッハさんちのお母さん、クラウディアさんが私ににっこり微笑んできた。

 テーブルの上にティーカップとカステラがあるところを見るに、母と二人で茶を飲みつつ話していたらしい。

 見るからに育ちの良いセレブキャットといった出で立ちのクラウディアさんが、一般的な日本人のうちの母と一緒にリビングでお茶している光景にも、最近ようやく違和感を感じなくなってきた。


「クラウディアさん、こんにちは」

「美菜乃、上着と鞄置いたらこっちいらっしゃい、クラウディアさんが美菜乃にも話があるって」

「私に?」


 母に声をかけられてきょとんとする私に、にこにこしながら頷くクラウディアさん。何ぞやと思いながら一度部屋に戻って鞄やら上着やらを放り投げると、とんぼ返りでリビングに降りた。

 テーブルの上には既に私の分と思しきカステラと紅茶がセッティングされ、ティーカップから湯気が立っている。手際がいい。

 私がそっと頭を下げて席に着くと、クラウディアさんが短い毛で覆われた両手を合わせて、私の方に身体を向けつつ口を開いた。


「先程昌子まさこさんにもお話ししたんだけど、今度の土曜日に私の家でご近所さんを集めてパーティーを開くの。

 時間の都合が合うようなら、是非美菜乃ちゃんもいらしてね」

「パーティーですか?なんでまた……また何か祝い事があったんですか?」


 クラウディアさんの言葉に私は首を傾げた。特段にパーティーを開くような理由が見つからなかったからだ。

 アトラール皇国の恒例行事という謝肉祭は春先にやったし、先月には長男のエーミールさんが仕事で成功して、アメリカへの栄転が決まったお祝いをしていた。

 今度はなんだ、と思っていると、クラウディアさんがテーブルをぽんぽんと叩いた。


「ホラ、私たちが日本に亡命して今月でちょうど3年が経ったでしょう?そのお祝いをしたいの。

 町内の皆さんも本当によくしてくださるし、夫も子供たちもすっかり町に馴染んで元気にしてくれているし、そろそろお礼をしなければと思っていたのよ」

「なるほど……でも大変じゃないですか?こないだもパーティーしてたのに」


 心配そうに眉をひそめる私だったが、クラウディアさんは自信ありげに胸を叩いた。


「大丈夫よ、パーティーには皆慣れているし、お祝い事は何回やってもいいものですもの。また腕を振るって美味しい料理を作るから、期待していて頂戴ね」

「はい……ありがとうございます」

「お願いしますねクラウディアさん、楽しみだわー」


 とてもにこやかな笑顔でクラウディアさんにお礼を言いつつカステラを食べる母の隣で、私は土曜日の予定がどうだったか、スマホをつぶさにチェックしているのだった。




 そして迎えた土曜日。

 まだ新築感のあるバッハさんちの広々としたリビングルームには大きなテーブルが用意され、パーティーの準備が行われていた。

 バッハさんちはお父さんのアントンさん、次男のゲアハルトとクラウディアさんが中心となって料理や飲み物の準備をして、まだ小学生の三男のアンドレアス君と長女のマグダレーナちゃんもお手伝いに動いている。

 特に予定が無く暇をしていた私も、何となしにパーティーの手伝いをしていた。

 瓶ビールのケースを階下から運んできたゲアハルトが、じゃがいもを切る私の背中に声をかける。


「美菜乃、わざわざ昼間から手伝いに来てくれるなんて、バッハ家の嫁になる決心でも付いたの?」


 その言葉に、私は思わず包丁を取り落としそうになった。いくら恋人になって2年以上経ったとはいえ、言って良いことと悪いことがあるだろう、こいつは。


「んなわけないでしょ、馬鹿!暇だし近くだから手伝いに来ただけよ!」

「ごめんなさいね美菜乃ちゃん、ゲアハルトったら相変わらず貴女にベタ惚れなんだから」


 私の隣ではクラウディアさんが苦笑しながら鶏の丸焼きを手際よく仕込んでいる。

 クラウディアさんの作る鶏の丸焼きはバッハ家のパーティーでの定番だが、お店で食べるものと遜色がないくらい絶品だ。冷めても美味しいので、よく余ったほぐし身をサンドイッチの具にさせてもらっている。

 切ったじゃがいもをオーブンの天板に載せられた丸鶏の周りに並べながら、私は口を尖らせる。


「まったく、大学生になってもゲアハルトは相変わらず私と結婚する気マンマンなんですから」

「いいじゃない、美菜乃ちゃんみたいな子があの子のお嫁さんになってくれるなら、私も安心だわ」

「どういう意味ですか、それー」


 鶏肉にオリーブオイルを塗るクラウディアさんの言葉に不満げな表情を見せながら、私はオーブンの蓋をそうっと開く。

 熱されたオーブンの中に、丸鶏とじゃがいもがゆっくり飲み込まれていった。




 丸鶏も焼き上がり、各種オードブルも準備が終わり、飲み物もしっかり冷えた夕方には、バッハ家のリビングは人でごった返していた。

 町内会長の関根さんをはじめ、婦人会の野田さん一家に秋川さん一家、ゲアハルトが留学生だった頃にホストファミリーをしていた青木さんご夫婦も見えている。

 手伝いで先んじてお邪魔していた私と両親、それにバッハさん一家も含めると、やはりというかなかなかに狭苦しくなる。

 総勢17人。一家族が主催するパーティーとしてはかなりの規模だろう。バッハさん一家の人望が伺える。


 既にある程度お酒が入り、談笑しているアントンさんと関根さん、野田さんと青木さんのご主人は心底から楽しそうだ。

 関根さんなど、一家が日本に移住してきたときは「けったいな見た目をした連中」なんて言って憚らなかったのに、今ではすっかりアントンさんの飲み友達の一人になっている。

 他方ではクラウディアさんを中心に、私の母、野田さんの奥さん、秋川さんの奥さんが未成年者に飲ませるためのフルーツソーダを準備していた。

 私の母や青木さんは元からゲアハルトと親しかったからいいとして、野田さんや秋川さんも「いかにもお高くとまった奥様」とクラウディアさんを敬遠していたのに、すっかり打ち解けて町内の婦人会にも受け入れている。

 アンドレアス君とマグダレーナちゃんも移住当初は学校でいじめられたそうだが、今では地元の子供たちの人気者だ。

 それもこれも、バッハさん一家が変にかしこまらず、萎縮もせず、驕ることもなく地元に溶け込もうと努力した成果だろう。

 そう思うと、私はなんだかちょっとだけ嬉しかった。


 そして既にビールを飲み交わしている男性衆はそのままに、私たちのグラスにも出来立てのフルーツソーダが注がれる。

 全員に飲み物が行き渡ったところで、アントンさんがビールが新たに注がれたグラスを手にリビングルームの真ん中、テレビの前に立った。

 既にクリーム色の毛皮の下は赤らんでいるのが見える。私の隣でゲアハルトがくすりと笑った。


「えー……それではそろそろ、ちゃんと挨拶といたしましょうか。

 皆様、本日はお忙しい中、バッハ家の杉並区移住3周年記念パーティーにお集まりくださいまして、誠にありがとうございます。

 私は若い頃から、都心の喧騒を離れた土地に家を構え、家族で慎ましく幸せに暮らしながら、地域の皆さんと温かい絆を結ぶことが、かねてよりの夢でありました。

 皇国軍部のクーデターという不運な事件により、祖国で叶えることはなりませんでしたが、こうして世界を跨いだ先、杉並のこの地で、夢を叶えることが出来ました。

 今後も私達一家、余所者ということでご迷惑やご面倒をおかけすることもあるかと思いますが、何卒、温かい目で成長を見守っていただければ幸いです」


 アントンさんの挨拶に、沸き起こる拍手。

 その中で私はちょんと、隣に立つゲアハルトの腕をつついて耳打ちした。


「ゲアハルト、アントンさんさ、あの様子だとアトラール皇国が落ち着いても帰るつもりなさそうだね?」

「当然でしょ?うちは皆日本に根を下ろすつもりだよ。兄さんはアメリカ行っちゃったけど……ボクは日本にいたいな、美菜乃もいるし」


 にこりと笑って私に耳打ちするゲアハルト。その言葉に私の顔がさぁっと赤くなった。ずるい。

 そんな私の心境など気に留められることもなく、アントンさんがグラスを高く掲げた。


「えーでは、町内の皆様のご多幸とご健勝を記念いたしまして……乾杯!!」

「「乾杯!!」」


 チャキチャキと、グラスがぶつかる音がリビングルームに響く。

 来年や再来年も、こうしてバッハさんが移住してきた日を祝えたらいいな。そう私は思うのだった。

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