第36話 美風の涙

 華凛は縦横無尽に駆け巡る。力の大部分を封じられている事は今もなお変わりないはずだったが、不思議と体が動かせるようになってきていた。

 それは悪魔の力とはまた違う、何か別の力のように華凛には感じられた。

 ロボットの顔面を殴り後退させる。動きの良くなってきた恐るべき悪魔を前にしながらも太陽はまだ戦意を失いはしなかった。


「何なのだ、こいつは! いい加減にしろ!」


 ロケットランチャーを発射しても今の華凛にはもう当たらない。降り注ぐ嵐を全て回避して爆風の中から姿を現した。


「いい加減にするのはあなたの方だ!」

 

 攻撃をロボットのアームを立ててシールドで防ぐ。

 人間と悪魔。双方引かずに睨み合う。戦いは続いていった。




 あまり時間は掛けられない。校舎内の階段をダッシュで昇り切って陽菜は屋上の扉を全力で開け放った。

 屋上に吹く風。いつか亜矢の立っていた大きな装置の上にアマツ所長、いや天津美風は立っていた。

 金色の髪を靡かせて、天使の彼女は屋上にあった謎の装置を見下ろして呟く。


「機械はどこも壊れておらず正常なのに天の光エネルギーだけが消えている……機械があってもエネルギーが無ければ動くわけもないか。これはあなたの仕業ですね、陽菜!」


 天使の少女が強い視線で睨みつけてくる。さすがの陽菜も勢いに押されて後退してしまうところだった。だが、踏ん張る。

 これをやったのはおそらく華凛だ。前に亜矢と戦った時にこれを壊してしまって悪魔の力で直していた。

 それでこの機械だけが直って、悪魔の力と対を為す天の光エネルギーだけが消滅してしまったのだろう。

 あの時、こちらに気づかれることを恐れて天使の超常的な力でこちらを監視することをしなかった美風はその事に気づかなかった。

 陽菜は推測するが、その考えを丁寧に相手に教えてあげる事はしない。華凛はもう十分すぎるほどに頑張っている。敵の意識をあちらに向けさせることはしない。

 部長として友として、敵の一人ぐらいはこちらで引き受けると陽菜は戦う構えを取った。


「決着を付けますわよ、美風さん」

「望む所です。悪魔研究会などと言って調子に乗った、あなたという人間に身の程というものを教えてあげましょう!」


 天使の翼を広げて美風が飛びかかってくる。相手は本気だ。天使と人間、普通であるなら勝負にならないかもしれない。

 だが、陽菜は今まで華凛のやってきた悪魔の戦いを見てきた。それに対処する為に自分も訓練を行ってきた。陽菜は慌てず冷静に相手の力を見極める。

 美風の実力はおそらく亜矢と同程度。高レベルの天使というわけではないようだ。

 ならば今の陽菜ならば対処できる。突っ込んできた拳を無理せずに受け流していく。

 力の差は技量で埋める。何の訓練もしていない美風の拳はきちんとした講師に指導を受けた陽菜の技で受け流せる。

 無駄な勝負に美風はいつまでも付き合わなかった。攻撃を止めると翼ではばたいて後退し、一旦距離を取った。

 陽菜も今のうちに呼吸を整えた。訓練は受けてきたが実戦は違う。思った以上に精神をすり減らしていたのを今のうちに立て直した。

 他に誰も見る者のいない屋上で二人睨み合う。先に美風が動いた。


「さすがは陽菜、やりますね。だが!」


 美風が人差し指を向けてくる。その行動の示す意味に陽菜はすぐに気が付いた。それは陽菜自身は覚えていなかったが、体が覚えていた。

 自分の勘を疑う事をせず、陽菜はすぐにその指先の射線上から頭を避けるように深く身を沈め、一気に美風の元へと滑り込んだ。


「もう一度あなたには忘れてもらって……え!? この!」


 美風はすぐに指先を下に向けて陽菜の頭を狙おうとするが相手の速度が速すぎて追いつけない。

 一気に敵の足元まで接近した陽菜は起き上がって伸ばされたその腕に取りつくと体を回転させて捻り上げ、その勢いのままに彼女の体をひっくり返して屋上の床へと叩きつけた。


「ぐあっ!」


 ここからは絞め技に移行する。

 美風は逃げようとするが陽菜は逃がさない。いくら少しばかり力の強い天使だろうと戦いの素人の腕など陽菜の訓練した腕で抑えつけられる。


「ぐぐぐ、陽菜! あなたという人はどこまでも……!」

「美風さん! いい加減に観念なさい! あなたに勝ちはありませんわ!」

「調子に乗るなよ……」

「え!?」

「どこまでもみんなにチヤホヤされて、悪魔なんかに良い顔をして! あなたのような人は大嫌いだとわたしは言っているんですよ!」


 美風の天使の力が強まって陽菜の手が緩んだ。それは何も力で負けたからだけではない。

 陽菜はずっとみんなに褒められて認められて生きてきた。

 それがすぐ間近にいた人間から明確な敵意と憎しみをぶつけられて、さすがの陽菜も心にショックを受けたのだ。


「わたくしはそんなつもりでは……」


 それは一瞬の事だったが、美風が逃れるには十分な時間だった。


「この世から消えてなくなれ!!」


 光の力が爆発する。陽菜の体は弾かれて宙に舞い上がり、屋上のフェンスを越えた。

 その体は何階分も下にある校庭へと落ちていく。

 美風は屋上の端に駆け寄って遠ざかっていくその姿を見下ろした。


「ざまあ見ろ、陽菜! 誰にでも良い顔をするからそんな目に会うんですよ! ざまあ見ろ!」


 美風は屋上から高らかに笑いを上げる。そうしながら初めて話した時の事を思いだした。

 あの時、学級委員を押し付けられて授業で使う荷物を運んでいる途中、自分は鉛筆を落とした。


「あ」

「落としましたわよ」

「ありがとう」


 あいつはあの時から誰にでも良い顔をするいけ好かない奴だった。つい反射的に礼を言ってしまった自分を恥だと思った。

 誰にも好かれない自分なんて放っておけばいいのに、あいつは誰にでも良い顔をしなければ気が済まないたちなのだ。死んでしまえと思った。

 その願いが今叶う。自分が勝利者であいつが敗者だ。後数秒も経たないうちにあいつの体は地面に叩きつけられ、その命はこの世から消えるだろう。

 明日からはあの顔も悪魔研究会などというふざけた活動も見なくて済むかと思うと実に気分がせいせいした。


「…………」


 せいせいしたはずだったのに。


「陽菜ーーーーーーー!!」


 美風は気が付くと屋上から飛び出していた。憎んでいたはずの相手を助けようと手を伸ばすが、その手は届かずにすり抜けて。


「え……!?」


 美風は唖然としてしまう。陽菜が落ちていく。どうしようもなく遠い場所に。

 叫びに華凛が気が付いた。ロボットの攻撃に構わず一気に急旋回して飛翔して陽菜の体を空中でキャッチした。

 無理をし過ぎて体勢を制御しきれず、校庭を二人で抱き合ったまま転がってしまう。

 華凛の体に痛みが走るが、お蔭で陽菜を助けることが出来た。


「大丈夫?」

「ええ、おかげさまで」


 華凛の掛ける声に陽菜ははっきりと答えてくれた。

 和んでいる時間は無い。天使の翼を広げて美風がすぐ傍に降り立った。

 戦いの予感に華凛は向き直って警戒を強めるが、相手に攻撃の意思はなく美風はただ茫然とした顔をして呟いた。


「陽菜、あなたはどこまで悪魔を信頼しているのですか? わたしを苦しめる事まで計算づくで! 屋上から飛び降りてまで見せて! あなたという人は!」

「いえ、わたくしは何も計算していませんわ。ただ華凛ちゃんが助けてくれた。それだけです」

「なぜ悪魔なんて……この町に悪魔はいても天使の味方は誰もいないのに……陽菜ああああ!」


 美風は地面に頽れて泣いてしまった。それほどに陽菜を失いかけた事は彼女にとっても怖い事だったのだ。

 陽菜は幼子のように泣き崩れてしまった彼女をそっと優しく抱きしめた。


「心配を掛けてごめんなさい。でも、悪魔だとか関係ないんですのよ。華凛ちゃんは自分の意思でわたくし達の部屋を訪れた。あなたもそうすればよろしかったのですわ」

「陽菜あああああ!!」


 美風はただ泣きじゃくっている。その姿にもう天使のような力強い意思はなく、ただ友を思う弱い女の子の姿だけがあった。

 華凛は戦いの終わる予感を感じていた。

 遠く町を見やる。町の遠くで伸びている三本の柱が消滅していくのが見えた。

 美風の頭を撫でながら、陽菜も顔を上げてそちらを見やった。


「雅ちゃん達が上手くやったようですわね」

「うん、終わったんだ。何もかも」


 華凛の中に力が戻ってきた。戦いは終わったのだ。

 そんな喜びを踏み砕くように、太陽の操縦するロボットが地響きを上げて近づいてきた。

 その意思は今もなお強く……


 まだ終わっていない。華凛は再び意識を戦いへと戻すのだった。

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