第28話 行動を始める夜
その夜、誰もが想像したように陽菜は何もせずに次の日を迎えるつもりは無かった。
悪魔を倒す兵器など放っておけるわけがない。何らかの対策を行うか情報を得るか、可能ならば故障と見せかけて起動を遅らせることが必要だ。
父が研究所に入る時に打っていたパスワードは後ろから見ていてすぐに分かった。全部を覚える必要も無かった。
娘の誕生日をパスワードにするなんて覚えるには便利かもしれないが身内には甘すぎる。だが、今回は助かった。
「後は父の部屋でカードを手に入れれば……雅ちゃんと華凛ちゃんを誘ってきませんとね……」
陽菜だけでも研究所に入る事は可能だが、それより先の事を進めようとすれば二人の協力が必要になる。
雅はあれでいろんなマニア的な知識を知っているし、華凛には今回の作戦では使わないように言っていたが悪魔の力がある。
もしかしたら父の雇った見張りが外にいる可能性も考えたが、実の娘とその友達をそこまで警戒する親がいるとは考え過ぎのようだった。
廊下に人気は無い。三人ともまだ子供なんだし、静かな夜を過ごして欲しいのだろう。だが、そこに付け入らせてもらう。この三人で決行する。
「さて、鬼が出るか蛇が出るか。行きますわよ」
陽菜は自分を勇気づけるように静かな声で宣言し、ゆっくりと音を立てないようにドアを開けた。
光を纏って空を飛び、アマツ・エンジェル所長は屋敷の屋根へと着地した。
悪魔の力を探知するレーダーが順調に回っていることを確認し、金髪を風に靡かせる少女は下へと目を向ける。
「陽菜の部屋はあの辺りだったジェルね」
そして、屋根の縁まで歩いていった彼女はそこから恐れも知らず真っすぐに飛び降りた。別に自殺を図ったわけでも一番下まで飛び降りるわけでもない。
少女は光の翼を広げて途中の階で滞空する。そして、そこにあった廊下の窓の鍵を指パッチンしただけで自動的に開け、中へと侵入した。
暗い廊下の床へと着地する。さて、いつまでも光の力を発動していては目立ちすぎる。
見回りは必要無い、子供達に静かに休んでもらえるようにと太陽に薦めたのは何も相手を慮ってのことだけではない。自分が行動しやすいようにする為でもあった。
目的地までの防犯カメラはすでに手中にある。自分の力と権限があれば可能なことだ。
陽菜のプライベートな部屋の中まではさすがに何があるのか分からないが問題はないだろう。屋敷の部屋などどうせどこも変わらないはずだ。
力を完全に納めると光が消えて少女の髪も瞳も漆黒の黒となり、舞っていた長い髪も重力に従うように下に垂れた。
「人は不便ジェルね。髪も自由に出来ないとは」
少女はその長い髪をリボンで二つに結わえると人間である事を意識して静かな影のように歩みを開始した。その口元は不気味に笑う。
「さあ、陽菜さん。抜け目のないあなたの事ですから何かを企んでいるのでしょうが、今夜はおとなしくしていてくださいよ」
その向かう先は真っすぐに陽菜の部屋だった。
陽菜は僅かな電灯が照らす暗い廊下を左右見て、誰の姿も無い事を確認してから部屋を出た。
このまま雅と華凛と合流しよう。そう思って速足になろうとしたところを不意に背後から声を掛けられて立ち止まった。
「こんな遅い時間に陽菜さん、どこへ行かれるつもりなんですか?」
「!!」
誰もいないはずの廊下に不意に訪れた存在感。
陽菜は素早く振り返りながら距離を取って跳び下がった。
そこに影から現れたかのように立っていたのはここにはいないはずの人物。だが、全く予想外でもない人物だった。
「思ったより驚かないのですね。さすがと言わせてもらいましょうか」
「やはり、あなたが父を。どういうつもりなのか喋ってもらいますわよ」
「わたしには話すつもりはありません。大切な日の前なのであなたには静かにしてもらいますよ」
陽菜には護身術の心得がある。壮平や路地裏の悪魔との遭遇を経てまだ足りないと知ってさらに磨きを掛けてきた。
同年代の少女を相手に後れを取るつもりは無かった。だが、それでも言いしれない悪感を感じて警戒する。
「今日はジェルとは言いませんのね」
「明るい自分を演じた方が太陽さんの受けが良いですからね。これでも人間に好かれるように暮らすのは大変なのですよ」
少女が指を向けてくる。この距離なら何も届かない。飛び道具が来ても打ち落とせる。そう思ったのが陽菜の意識の最後だった。
風が吹き上がり、少女の黒かった瞳が青く輝いた。陽菜は力なく両腕を垂らし、その瞳は虚ろとなっていた。
相手が近づいてきて肩を叩かれても、もう何も反応できない。今の陽菜はただ人形のように立ち尽くすだけだった。
耳元に近づいてきた悪魔のような囁きが投げかけられる。
「陽菜さん、今日は友達を連れて遊びに来てくれてありがとうございました。今日はもういいですよ。あなたはここでわたしと会ったことなんて忘れて……」
少女はそこで少し考える素振りを見せたが、すぐに決めたのか言葉を続けた。
「忘れて、今日はどうかもうお休みになってください」
「はい、分かりましたわ。わたくしはここであなたと会ったことは忘れて、今日はもう休みますわ」
「誰が来ても今夜はもうドアを開けては駄目ですよ。危ないですからね」
「はい、分かりましたわ」
陽菜はフラフラとした足取りで部屋に入ると、鍵をしっかりと掛けてベッドで眠りに就いた。
見送って美風は不気味に笑った。
「これでいい。陽菜さえ押さえれば手下にはもう何も出来ないでしょう。ふあああ、わたしも休みませんと。明日は大切な日になりますからね」
少女は静かに立ち去り、そして、その場には誰もいなくなった。
月の綺麗な夜だった。やる気になって遅い時間まで伸びてしまったクラブ活動を終えて、亜矢は自宅のあるボロアパートの一室へと帰ってきた。
「ただいまー、なんて言っても何も返ってくるわけないか」
両親は絶賛お出かけ中。今はどこで何をやっているのやら知れない。兄は絶賛引きこもり中だった。
自分が真面目になったのはきっと反面教師連中が近くにいたせいだと思う。これで悪魔が悪く思われるのは甚だ心外だったが、自分から進んで波風を立てる必要は無い。
亜矢は自分が悪魔だと人間達に明かす事はせず、この力にも頼らないようにして生きてきた。
この力に頼ったら自分も兄と同じになるような気がして。
その兄だが家族としては邪険にするわけにもいかない。いつか心を改めてくれると信じて部屋に行って声を掛けることにする。
「お兄ちゃん、帰ったよ。今から晩ご飯作るからね」
だが、その日は様子が変だった。部屋から吹き込んでくるのは風だろうか。この家がボロいせいもあるが、何か異質な空気を感じた。
「入るよ」
一声掛けてからドアを開く。兄はいた。だが、その日は様子が変だった。いや、元に戻ったと言った方が正確だった。
「亜矢、帰ってきたのか」
「どうしたの、お兄ちゃん」
そこにはもう布団を被ってうずくまって震える兄はいなかった。ありし日の自信を取り戻した彼がいた。
壮平は怪しく微笑んで言った。
「情報屋に聞いたよ。あの悪魔の住処を見つけてそこまで行ってきたそうじゃないか」
「え……?」
突然言われても亜矢には何の事だか分からない。情報屋に行ったような気はするが悪魔の住処までは行っただろうか。記憶はおぼろげだった。
実はあの時、情報屋を出てから。亜矢は気づいていなかったが、悪魔の使い魔の追跡がついていた。強大な悪魔の報復を恐れて深追いまではして来なかったが、子供の悪魔のより詳しい情報は情報屋も欲していたのだ。
思いだそうとする亜矢の前で兄はさらに言葉を続けた。悪魔の瞳をして。
「僕の力ではどう頑張ってもあいつには勝てないだろう。だが、あいつを悔しがらせてやる事ぐらいは出来ると思うんだ。あの悪魔の大切な場所を壊してやったら、その時あいつはどんな顔をするんだろうな。楽しみだよ」
「お兄ちゃん……!」
そんな事をしては駄目だ。言いたかったが言葉にならなかった。亜矢は痛む頭を押さえて床に膝をついてしまった。
壮平は静かにそんな妹の姿を見下ろした。
「亜矢、真面目なお前は僕を止めるだろうが、あいつの顔色を変えてやらなきゃ僕はもう収まらないんだよ。あいつの巻き起こす恐怖を僕は毎晩夢に見るんだ。この苦しみはお前には分からないだろう」
「お兄ちゃん、だからって……」
「僕を止めるなよ。お前はここにいろ」
壮平はそう言い残し、悪魔の翼を広げて飛び立っていった。その方向を亜矢は知っていた。
「悪魔研究会……あの子達のいる町に……」
亜矢の記憶が戻ってきた。悪魔を蝕む邪悪な力を跳ねのけて役目を果たした雅からもらった人形のお守りが色を失っていく。
すぐにも後を追いかけたかったが今日はもう遅かった。補導されては元も子もない。悪魔の評判を落とすだけだ。
何事にも慎重な兄がすぐに行動を起こすこともないだろう。
今は向こうの町で知り合った子達を信じて。亜矢は朝になったらすぐに行動する事を決めた。
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