第7話 雅の実験

 そして、一日の授業が過ぎていって放課後になった。

 陽菜と雅が待ってましたとばかりに一日の授業の疲れなんて何も感じさせない元気な足取りと興奮した顔をして華凛の席へとやってきた。


「さあ、行きますわよ。華凛さん」

「わたし達の約束の場所へ。今こそ辿り着く時」

「うん、行こうか。陽菜ちゃん、雅ちゃん」


 今までは何となく参加し続けていた悪魔研究会の活動だったけど、ただの人間でなく悪魔だとバレた今となってはもう二度と離さないぞといったより一層の気迫を二人から感じる華凛だった。

 それが嫌というわけではないけれど。ちょっと違う感じに見られるのはこそばゆい気分だ。

 華凛は今まで通りの付き合いを続けたいと思いつつ、二人について廊下を歩いて部室へと向かった。

 歩き慣れた道順を辿って辿り着く。

 部屋に入ろうと扉の前まで来たところで雅が待ったを掛けてきた。


「待って。華凛ちゃんには最後に入ってきて欲しいの」

「何で?」

「試したいことがあるの」

「?」


 雅の顔を見つめても彼女の考えは読めない。

 悪魔の力を使えば聞き出すことは可能だろうが、華凛にはこの仲の良い友達を相手に悪魔の力を使ってまで聞き出すつもりはない。陽菜が肩をすくめて言ってきた。


「雅ちゃんには何か考えがおありのようですわね。ここは素直に言う事を聞きましょう」

「うん」


 別に断る理由は無い。素直に賛同する。雅は少し嬉しそうな顔をして促した。


「じゃあ、陽菜ちゃんからどうぞ」

「オッケー、お先に」


 雅に言われるままに陽菜が扉をくぐる。部屋に入って振り返り、彼女は二人を待った。何も特別な事は無いようだ。

 学校では悪魔の力を使わない、人間の華凛はそう判断する。陽菜がいつもの明るい顔をして誘ってくる。


「さあ、カモンですわ」

「うん、次はわたし」


 続いて雅が扉をくぐる。部屋に入ってから振り返り、二人の視線が華凛を見つめてきた。


「さあ、次はいよいよ華凛ちゃんの番だよ」

「うん」

「何が起こるんですの?」

「それは見てのお楽しみ」


 雅の考えを陽菜も知らないようだ。ただ何かを期待しているのは分かる。

 華凛は覚悟を決めた。


「よーし」


 だが、覚悟を決めてもやはり華凛はちょっと躊躇してしまう。

 雅は何を考えているのだろうか。彼女の顔を見ても魔術と悪魔を信奉する彼女が何を企んでいるのかは分からない。だが、理由もなくこんなことをするわけがないのは、いくらのんびりしていると思われがちな華凛でも推察することが出来ていた。

 雅は何かを期待するかのようなわくわくとした夜空の星のような眼差しを向けているだけで、別に悪い事を企んでいるわけではないようだ。

 華凛は今度こそ覚悟を決めた。


「じゃあ、入るよ。右足から」


 二人の期待の視線を感じながら、華凛は右足を前に出す。そして部屋の敷居をまたいだ。

 さらに左足を前に出して体も前に出したところで、


「わぷっ」


 いきなり何かが上から降ってきた。それは華凛の頭に柔らかくポフンと当たり、カランと床に転がった。

 その正体を突き止めるよりも早く、雅が興奮の声を上げていた。


「おお、発動した」

「何さっきの」

「これは黒板消しですわね」


 陽菜が床に落ちた物を拾い上げて見た。彼女が手に持つそれを華凛も見る。確かにそれはただの黒板消しのように見えた。

 ただ分からなかった。雅がなぜこんなことをするのかが。


「何でこんないたずらを、雅ちゃん」

「これはいたずらなんかじゃないんだよ。これもただの黒板消しなんかじゃない」

「え?」

「何ですって?」


 トリックの種を見破ろうとするかのようにマジマジとそれを見つめる陽菜。華凛も隣に並んでマジマジとそれを見るが、やっぱりただの黒板消しにしか見えなかった。

 雅はじっと見つめる陽菜の手からただの黒板消しにしか見えないそれを取り上げると、自慢げな笑みを口元に浮かべ、胸を張ってドヤ顔をして言ってきた。


「正体を教えよう。これは悪魔探知機なのさ!」

「悪魔探知機!」

「え!?」

「悪魔探知機だと言ったの。説明するから見ててね」


 言われた通り、見ることにする華凛と陽菜。

 日頃はおとなしい雅だが、自分の分野になると積極的な人だった。

 雅は部屋にある椅子を一つ運んできて扉の傍に置くと、その椅子の上にうんしょと乗って背伸びをして、再び扉の上の桟のところに黒板消しをセットした。扉を閉めて挟んで準備完了。

 そこまでなら陽菜と華凛は驚かなかっただろう。いたずら好きの子供がいれば、どこにでもあるありふれた学校の光景だ。だが、その黒板消しが……


「開けるから。見ててね。はい」

「!! おおっ」

「凄いですわね。どうなってますの」


 雅が扉を開いても落ちなかったので驚いた。まるで手品のようだ。

 二人の驚いた顔を見て満足の笑みを浮かべる雅。だが、まだ彼女の手品は終わりでは無かった。

 雅は黒板消しを慎重に指先でツンツンと突いて入口の上の桟の中央へと移動させた。

 それでも落ちない。不思議な物だ。種も分からないので華凛は口を開けて見上げるしかない。

 それで準備が出来たようだ。雅は完了を確認する満足の頷きをして椅子から飛び降りて二人の前に立った。華凛は早速興奮しながら訊ねる。マジシャンにタネを訊ねるかのように。


「あの黒板消し、何で落ちて来ないの?」

「それは魔術の段取りを踏んでいるからよ。あの黒板消しは悪魔が下を通った時に落ちてくるの。そういう運命を与えているの」

「運命を与えている!? 悪魔が通ったら落ちてくる?」


 華凛は悪魔ではあったが魔術を学んでいるわけでは無かったので、雅の語っている意味はよく分からなかった。

 じっと目を凝らして見上げてみても、人間の目にはその運命らしきものは見えない。雅はただ神秘的な術師のように仄かな笑みを浮かべて佇んでいる。

 陽菜の顔を見ても答えは伺えない。華凛より雅との付き合いの長い彼女にも、魔術というものの深淵はよく分からないようだ。

 雅は神秘的に言う。予言を告げる魔女のように。


「再び悪魔がここを通った時、これは落ちてくるでしょう。それが彼の者の運命」

「またわたしが通った時にこれが落ちてくるの?」

「その通り。それが彼の者の運命なればこそ。運命は避けられない」

「じゃあ、もう分かったからこれは外しておくね」

「ドアが閉まらないので外しておきましょう」


 華凛はもう一発これを食らいたくは無かったし、真面目で几帳面な陽菜はドアをちゃんと閉めたかった。

 二人の意見は一致した。

 雅は静かな視線を少し驚かせて、高みにある物に挑もうとする二人の姿を見つめた。


「あなた達は運命を力でねじ伏せようと言うの?」

「え? もしかしてやったらいけない事だった」

「バチが当たるといいますの? だったら考えてしまいますわね」

「ううん、大丈夫。人の力は運命を変えられる。過去に何度も人は運命に挑んで克服してきた。でも……」

「じゃあ、このまま外していいんだよね。運命とかよく分からないけど。よいしょっと」


 華凛は椅子に乗って背伸びして黒板消しまで手を伸ばそうとした。だが、その黒板消しは少女が手を触れる前に落ちてしまった。

 三人で床に転がった黒板消しを見つめた。雅がポツリと呟いた。


「運命はここまでのようだったみたい。魔力の楔から解き離れたのかな。運命を与えたわたしの魔力もまだ未熟」

「そっか」


 雅がどこまで本気なのか華凛には分からなかったが。雅はさっさと床から拾ったそれを部屋の前にある黒板のところに戻しに行った。

 華凛の見たところ、黒板消しにはテープのようなくっつく物は付いていなかった。何かが付いていたとしてももう雅がこっそりと気づかれないうちに外してしまったかもしれないが。

 結局これは魔術だったのか手品だったのか。確かめる術はもう無かった。雅は静かに黒板消しを黒板の所に置いた。

 沈黙の無室。陽菜が気を取り直すように手を打った。


「では、今日も活動を始めましょうか。我が悪魔研究会の」

「始まりの時間」

「うん」


 そして、放課後の学校で三人の悪魔研究会の活動が今日も始まるのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る