クエスト08:《ロンギヌスの塔》地下五〇階層を目指せ


「おのれ暗黒騎士め! よりにもよって塔の地下に逃げ込むとは……!」

「もしや最下層の封印に気づいているのでは? あるいは《邪神》の方から、彼奴を引き寄せているのかも」

「理由などどうでも良いわ! 問題なのは、暗黒騎士が封鎖した下層にまで潜るようなことがあれば、『一〇年前』の再現になりかねないということだ! いや、それこそ最悪の事態だって考えられる!」

「最下層どころか、最上層の封印まで――」

「そ、そうなっては聖王国が、我らの国が滅びてしまうではないか! 我らの土地、我らの財産、我らの信徒……我らの所有物全てが失われる!」

「そうなる前に一刻も早く、あの穢れた暗黒騎士を始末せねば――」


 地上より高さにして約一〇〇メートルに位置する、《ロンギヌスの塔》の三十階層。

《光輝の間》などと呼ばれている大広間で、金のかかった装飾や調度品が醸し出す厳かな空気を、騒がしい議論の声で乱す壮年の男が三人。


 最高級の生地に純金の装飾が眩しい礼服は、《大司教》――教皇に次ぐ《聖剣教団》の最高権力者である証だ。政治面でも多大な発言力を持つ彼らこそ聖王国の実質的支配者であり、聖騎士を束ねる聖騎士長さえ、三人に絶対服従の手駒に過ぎない。


 この大広間は、信徒が彼らに謁見するための場。勿論、元からそう作られた部屋ではない。《ロンギヌスの塔》は古代文明が残した遺跡なのだから。


 後から入った教団の老人たちが、この部屋のある設備、そして……地上で暮らす下々の者たちを、豆粒かゴミのように見下ろすにはうってつけの高さを目当てにして、ここに居住スペースと謁見の場を設えたのだ。


「だから、話を聞いてくれって! なにかの間違いなんだよ!」

「あなたに発言の権利は認められておりません」

「黙って従いなさい。抵抗を続けるのであれば武力行使を行います」

「そんな横暴があるか! お前ら、それでも聖騎士……があ!?」


 扉の向こうから響く叫び声と殴打の音。

 音が止んで扉が開くと、瞳が光で塗り潰された聖騎士に左右から引きずられ、赤髪の聖騎士が大司教たちの前に突き出された。


「《洗礼》を受けていない背教者一名を連行しました」

「ふむ。地下に逃れた者どもを除けば、こいつ一人か」

「よもや、聖騎士の中から《洗礼》を受けつけない者が出るとはな」

「嘆かわしい。だから卑しい平民に、中隊長の地位など分不相応だと言ったのだ」

「だ、大司教様!」


 赤髪の聖騎士――ソウラは滅多打ちにされた体を押して跪く。

 ダメージを感じさせない、芯が通った姿勢。平民、それも孤児とは思えないほど作法に則った所作。いずれも本人の真面目で勤勉な人柄がよく表れていた。


 その毅然とした表情は大司教を前にして、必要以上に恐れることも媚びへつらうこともなく、自分の意志をしっかり持った強い目をしている。

 つまり……大司教の三人が最も忌み嫌う類の顔だった。


「聞いてください! タスクが聖騎士に危害を加えたという話ですが、異端認定はあまりにも話が性急に過ぎます。話に上がった聖騎士は元々、タスクに対し不当な誹謗中傷を喧伝するなどの問題行動を度々起こしていました。今回の件も、その聖騎士から仕掛けた可能性が高いのです。それにタスクはジョブこそ未だ《暗黒騎士》ですが、その活動は騎士としてむしろ模範的な――!?」

「黙れ。ワシらがいつ、貴様に発言を許可した?」


 だからソウラの懸命な訴えに対し、大司教の一人は彼の頭を踏みつけるという暴行で応じた。ソウラの顔が床に叩きつけられ、湿った音を立てて鼻血が飛ぶ。

 赤髪を毟るように掴み上げ、大司教が威圧的な低い声で言った。


「神託は下した。あの暗黒騎士は汚らわしい闇の下僕であり、滅ぼすべき邪悪である。貴様ら聖騎士は余計なことを考えるな。ワシらに意見するな。貴様は黙ってあのクズと、クズを庇い立てするゴミどもを片づければいいのだ」

「そんな言い分で、納得できるわけないでしょう! 俺たちは忠義を立てた騎士であっても、ただ言いなりになるだけの駒なんかじゃない――ぐぅ!」

「口答えをするな! 卑しい平民が! ……その反抗的な目はなんだ? まさか怒っているのではあるまいな? 反抗は悪戯に争いを招く愚行であり、怒りは人を暴力に駆り立てる邪悪そのもの。聖なる光を振るう騎士に、そのような悪しき感情は許されない。だから聖騎士は怒りなど抱いてはいけないのだ! なにを! されても! な!」


 嗜虐的な笑みに口元を歪め、大司教は何度もソウラに蹴りを入れる。


 ――確かに怒りとは負の感情であり、負の感情は心を闇に引きずり込む邪悪だというのが聖騎士の教えだ。しかし、ならば一方的な暴力に酔う大司教はなんだ? 理不尽を振りかざす大司教に罪がなく、それに憤る自分は悪だというのか?


 聖騎士の教えに背くまいとする使命感と、とても承服などできない感情とが、ソウラの中で激しくぶつかり合う。

 活路を求め視線を巡らしたソウラは、大司教たちの傍らに立つ女性へ呼びかけた。


「マリアンヌ聖騎士長! これが、これが王国と人々を守る聖剣教団の言葉だっていうんですか!? こんなのは服従を無理やり強要するだけの、ただの横暴だ! たとえ教団を纏める大司教が相手でも、間違いは間違いだと正すべきじゃないんですか!」

「…………」


 聖騎士長マリアンヌ。

 聖騎士の頂点、その双璧を成す一人で、ソウラが憧れた騎士の中の騎士。強大なマモノを倒して幾度も国を救い、吟遊詩人が綴った英雄譚は数知れず。まさに正義の使徒、希望の光を象徴する人物だ。


 聖騎士になってからも遠目から眺める機会しかなかったソウラは、間近からマリアンヌを直視するのはこれが初めてだった。


 このような横暴を見過ごすはずがない麗しの女騎士は、しかしなにも応えない。

 それどころかソウラに一瞥もくれず、そもそもどこを見ているのか眼差しは明後日の方向に。まるで彫像のごとき無反応で、ただその場に佇むばかりだった。

 大司教はソウラを蹴り飛ばすと、馴れ馴れしくマリアンヌの体に腕を回す。


「よしよし、マリアンヌはいい子だなあ。主に決して逆らわず、意見せず、どんな命令も忠実にこなし、身も心も全てを主に捧げる。騎士とはそうでなくてはなあ」


 粘つくような笑みを浮かべ、マリアンヌの肢体に手を這わす大司教。酒場の酔っ払いが紳士に思えるほどに下卑た、劣情塗れの手つきだ。

 これにもマリアンヌは全く反応を見せない。嫌悪もなければ嬌声一つ上げない無表情は、人形でなければ死体と見紛うほどに虚ろな顔だった。


「……っ」


 ソウラは、言葉では到底表現できないおぞましさで身を震わす。


『これ』は一体なんなのだ。目の前の暴虐に眉一つ動かさず、体を這いずり回る悪意になんの抵抗も見せない。これが聖騎士の頂点? 聖なる光で邪悪を祓う剣? 人々をあらゆる絶望から守る者? 違う。絶対に違う。これではただの壊れた玩具ではないか。


 いや、なによりも……欠けてはいけないナニカが欠落した、人をヒト足らしめる大切なモノが奪われた、ガラス玉よりも空虚な目。


 ――こんな目を、ヒトにさせていいはずがない!

 憤りが燃えるソウラの瞳に、大司教たちは汚物を見るような嫌悪で顔を歪めた。


「おお、汚らわしい。なんという醜悪な負の感情か。やはり卑しい平民ごときが聖騎士に選ばれたのは、なにかの間違いであったな」

「一〇年前、それと五年前にも見た覚えがある目だ。《洗礼》を受けつけなかったことといい、いつ薄汚い闇の力に手を染めることか。早々に処分するべきでは?」


 五年前、という言葉がソウラの脳裏に引っかかる。

 何故か頭に浮かぶタスクの顔と……もう一人の女性は、誰?

 頭がズキズキと痛み出すソウラに構うことなく、事態は動く。


「待て。聞けばこいつ、穢れた暗黒騎士と幼馴染の間柄らしいではないか。ならば『鎧』の実験台には丁度よかろう。その手で忌まわしい異端を討ち、反抗の罪を償うがいい」


 三人の中で一番厳格そうな顔の大司教が、玉座のごとき豪奢な椅子よりもさらに後方……大広間の半分を占める巨大な装置へ手をかざした。


 ――彼らが冠する《大司教》は《ジョブ》ではない。単なる名目上の役職であり、地位であり、異能や恩恵といった力を一切持たないお飾りの称号だ。


 教団を管理し、聖騎士を従え、聖王国を支配する大司教の力は、その身でなくこの巨大装置に宿っている。《ロンギヌスの塔》に元々存在した、古代文明の技術。本来の用途も製造目的も不明だが、使用方法とその効果さえわかっていれば問題などない。


 巨大装置……十字架の左右には翼、頂点には頭部とも目玉ともつかない二重円を足したような、異様な形状のオブジェクトが輝き始める。

 頂点の二重円に光が集束していき、住民や聖騎士たちの目に浮かんだのと同じ紋様が描かれた。目を閉じようと瞼を貫通する光度の輝きが、ソウラに照射される。


「う、うわああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁ!」


 なにか得体の知れない、巨大な眼が覗き込んでくる錯覚を最後に。

 ソウラの意識は『漂白』された。









 悲鳴を聞いた。

 誰かの悲鳴を聞いた。

 どこにも届くことなく虚空に消える、救われない誰かの悲鳴を聞いた。


 悲しみで胸が痛み、痛みは怒りに変わって叫びを上げる。

 この声を聞き逃すなと。その涙を取り零すなと。

 そして、それを指差し嘲笑う悪意を決して赦すなと。


 俺は全身を迸る憤怒に突き動かされるまま、声なき呼びかけに手を伸ばし――


「オーイ……いい加減、どいてくれないかねえ?」

「うおっ!? わ、悪い、ガリウス!」


 ガリウスを下敷きにしていることに気づいて、慌てて飛び起きた。


「それと、その、私たちのことも」

「そ、そろそろ離してもらえると」

「助かるんだけど、ナ」

「のわああああああああ!?」


 しかも鎖が解けていなかったもんだから、フラムたちとも密着したまま。

 俺は身を転がして三人から離れつつ、土下座の体勢に移行する。動揺のあまり三者三様の感触を反芻する間もなく、ホッとするやら勿体ないやらだ。


「スマン。アーツの勢いで振り落とさないようギチギチに締めてただけで、他意は一切ないんだよ。いや本当」

「いえ、お気になさらず。緊急時でしたし、タスクが下心で馴れ馴れしく女性に触れるような輩でないことは、重々承知していますから」

「ニッニッニ。タスクは二人きりの野営で、無防備に寝ているオイラに手出しする素振りも見せないお人好しのヘタレだからナ。その辺の心配はいらないサ」

「まあ、下心があった方がこの二人には好都合だったかもしれないけどね? 私? 私は別にどうでもいいわよ。あんたに下心があろうとなかろうと、私とあんたの関係にはなんの支障もないもの」


 なんでもないように、三人は俺を信用してくれるようだ。天使かな?

 ただ、三人とも心なしか顔が赤いような……これは照れてるのと怒ってるの、どっちだろうか。恋愛経験なんてないから見分けがつかないヨォ。


 内心では軽蔑されてやしないか、とビビる俺。それをガリウスが呆れ顔で見ていたが、気を取り直したように立ち上がって辺りを見回す。


「しっかし、ここって塔の地下にあるダンジョンだよな? 噂話には聞いていたけどよ、なんでまたこんなところに逃げ込んだんだ?」


 そう。俺は新アーツで地面を掘り進め、《ロンギヌスの塔》の地下迷宮に進入したのだ。鍛練のため、ほぼ毎日のように潜っている場所なので、ここは地下七階層辺りだろうと現在地の見当も大体つく。


 ちなみに突き破った壁は、ダンジョンが持つ自動修復機能で既に塞がっていた。こいつがあるからマモノが肉体の媒介にいくら使っても、壁や床が穴だらけにならないのだ。


「確かに、マモノが発生するここに洗脳された住民は入ってこれないでしょうが……」

「自分たちから、逃げ場のない袋小路に飛び込んだようにしか見えないわよねえ?」

「フラム、だったカ? なーんか『私は全部わかってますけど』みたいな顔してるけど、わかってるなら是非ともオイラたちにご教授願いたいんだけどナ?」

「ええ、いいですとも。――このダンジョンの下層に潜れば、聖王国の外に転移する手段があるのよ」


 若干トゲがあるニボシの問いかけに、フラムは余裕の笑みであっさりと答えた。

 しかしその内容は、ニボシたちを仰天させるには十分すぎる代物で。


「転移って、遠い場所に一瞬で移動できるっていうアレか!?」

「魔法などのスキルとしても転移は存在すると聞きますが、習得条件も不明で都市伝説の類に近い話です。しかし、なるほど。この塔も元は古代文明の遺跡。転移装置があってもなんら不思議ではありませんね」

「オイラも遺跡で転移技術に関する記述はアレコレ見つけているけど、現存で稼働している装置なんて初耳だゾ! タスク、本当に転移装置がこの下にあるのカ!?」

「あ、ああ。まあ、そんな感じで」


 色めき立つ皆に、俺は表情が引きつらないよう必死に平静を装った。

 ……確かにフラムの言う通り、国外への転移こそが俺の用意できる逃走経路だ。

 ただし、それは転移装置ではない。


 何故かまた当然のようにフラムが知っている様子なのは、もう諦めるとして。今はまだ、ガリウスたちに対して詳細を明かすのは憚れた。『あいつ』の正体を知ったら絶対に揉めそうだし、あいつは絶対正体なんて隠す気ないだろうしなあ……。

 早くもニボシがなにか勘付いたように怪訝な視線を向けてくるが、黙秘だ黙秘。


「あー。そういうわけで、俺たちが国外へ逃れるにはダンジョンを潜る必要がある。具体的には地下五〇階層辺りまでだ。……正直いらない心配のような気もするが、一応訊いとくぞ。皆、戦闘はできるか?」

「任せとけ! なにを隠そう、俺もかつては冒険者として魔獣相手に大暴れした身だ! 色々あって引退したが、腕は鈍っちゃいないぜ!」

「私も冒険者としては長らく活動停止状態でしたが、鍛練は怠っていません。足手纏いにはならないと自負します」

「オイラの腕前については語るまでもないよナ? 存分に頼ってくれヨ」

「私の戦闘力については、まあお披露目を期待してなさいとだけ言っとくわ。少なくとも戦えないってことはありえませんから」


 なんともまあ皆、頼もしい限りの返事だ。

 フラムは少し言葉を濁しているが、不思議とこいつに対しては一番心配していない。


 自分でも説明できない、この謎の信頼感はどこから来るのやら。これでも警戒はしているつもりなんだが、今のところフラムに不審な動きは見られない。妙に俺や俺の周りについて知っていて怪しさ満点だが。


 その謎だらけで怪しいフラムさんが、こんなことを言い出す。


「それはそうと。私たち、タスク以外とはお互いに初対面だし、自己紹介の必要があるんじゃない? ま、私はあんたたちのことを知ってるけど」


 ……ん? なんだろう。なにもおかしな提案じゃないのに、空気が重い。

 ガリウスを除く女性陣の間で、視線がバチバチと火花を散らしているような?


「では、私から。私はアスティ。冒険者ギルドの食堂で働いていました。しかしジョブは《魔法剣士》、剣による近接戦闘を中心に魔法もある程度は扱えます。――タスクとは食堂の店員と常連客で、手料理を振る舞ったことがある仲です」

「オイラはニボシ。古代文明の遺跡探索が主目的の冒険者だヨ。ジョブは《盗賊》、戦闘スタイルとしては後衛だけど、得意分野はアイテム作成だナ。色々と取り揃えているから、ご入用があればお安くしとくゾ。――タスクとはよく二人きりのパーティーを組んで、あちこちを一緒に旅した仲だヨ」

「俺はガリウス。元冒険者で、今はしがない鍛冶屋だ。ジョブも《鍛冶師》だが、長年冒険者をやってたんで腕の方は保証するぜ。タスクはうちの常連客で――いや、別にお前らみたく含むところは一切ないからな!? 俺もタスクも普通に女が好きだから! どうぞ、お前らで存分に乳繰り合ってくれ!」

「乳繰り合うとか言うな!? ああもう、出発だ出発!」


 これ以上妙な空気になる前にと、俺は下層に続く階段目指して歩き出す。

 フラムたちもなんだかんだノリが良いことに、「おー!」と右手を掲げて続いた。


 ――そういえば俺、こんな冒険者らしいパーティーでダンジョン攻略に挑むの、もしかして初めてなんじゃないか?

 不謹慎とは思いつつも、少しワクワクと胸を躍らせる自分がいた。





「……で、お前の自己紹介はないのカ?」

「私はフラム。タスクと同じ闇の力の使い手よ。タスクとは、そうね。出会った翌朝に同じベッドで、裸の私と一緒に目覚めた程度の仲かしら?」

「「「!?」」」

「待って! 頼むから俺に弁解の余地をくれ!」


 結論から言えば、フラムの素性を含む説明と説得に費やすこと小一時間。

 マモノとか聖騎士の追手とか全く関係なしに、俺の世間体が死ぬところだった……。


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