第10話「恋する男はコワイんだよっ?」
「なあ」
タカオが隣に座るシンゴへと声をかけた。
「ん?」
シンゴはぼんやりとした表情で自分の親友に顔を向けた。
彼らのいるその部屋は、ミューズ巡洋艦のゲストルームであった。
五十人くらいの人間が収容できそうな広さで、床から壁から、そして天井にいたるまで上品な琥珀色に包まれていた。それは絨毯のような素材でできていて、床には同じ色をしたソファが点在しており、半円形をしたそれは、ゆったりと座れるように絶妙なポイントで設置してあった。
今はシンゴとタカオ、そしてヨリにサヨにケイタが所在なげに座っていた。
「この船の修理、まだかなあ」
タカオもボーッとしてそう言った。
「うん…そうだね」
普段の彼らなら、好奇心まるだしで修理するところを見学させてもらっていただろう。
しかし、なぜか彼らはそんな気になれないでいた。
「ノアたち、遅いね」
ケイタがポツリと言った。
「ばかね。気をきかしてあげなさいよ」
サヨが隣に座る彼の脇腹をつついた。
「何をきかせるんだ?」
その言葉に興味をしめしたヨリが横から口を出す。
「ナオト博士のことよ」
「ナオト博士?」
ヨリはますます訳がわからないといった表情を見せた。
「あなたは知らないでしょうけど、有名なのよ、ナオト博士のこと」
「だから、なにがだよ!」
サヨのもったいつけた言い方に、ヨリはイライラして叫ぶ。
「博士はノアにぞっこんなのさ」
するとサヨの代わりにタカオが答えた。
「ぞっこん…? あのナオト博士が?」
とたんに驚きの顔を見せるヨリ。
「おっかしーだろ」
タカオは、あからさまにニヤニヤしながら言葉を続ける。
「三十過ぎのいい大人がさ、まだ成人もしてない小娘に惚れるんだからな」
「タカオ、気をつけろよ。ノアが聞いたら、お前ぶっ飛ばされるぞ」
シンゴが小声でささやく。
「それでなくともノアは、子供扱いされるのを極端に嫌ってるんだから」
「だーいじょーぶさあ。とーぶん帰ってこないよ」
タカオは手をヒラヒラさせてソファにふんぞりかえった。
「へぇー。そりゃ知らなかったな」
ヨリは意外といったふうにそう言うと、タカオにうなずいてみせた。そして、さらに好奇心まるだしで聞く。
「で、ノアも博士のこと好きなのか?」
「それがさあ…」
タカオはますますニヤニヤしながら身を乗り出す。
「今までぜったい近くに寄らなかったのに、今日みたいに誘いにのるってことは、まんざらでもないってことじゃないかな」
「僕はそうは思わないな」
それに対してシンゴが反対する。
「どうしてそう思うんだ?」
それを聞きつけてヨリは問いかけた。
「だってノアの理想の男は自分の父親であるケンイチ・ケレス総裁だ。ナオト博士なんてちっとも総裁の器って感じじゃないものな」
「あら、それは偏見ってものだわ」
するとサヨが反撃する。
「ナオト博士は立派な人だと思うわ。火星の探検センターでも彼は有能な人間だともっぱらの噂よ。私は知らなかったけれど、もうずいぶん前からのことらしいわ。あのボーッとしたところもそう見えるだけで、肝心な時にはキリッとしてて女性の間ではけっこうモテてるみたいよ」
「………」
シンゴは不服そうな顔をした。しかし、反論をするつもりはないらしい。
「ケレス総裁っていやあ……さ」
すると、タカオが重大なことでも告げるように声を落とした。
「知ってる?」
「なんだよ」
シンゴは不機嫌そうに眉間にしわを寄せながら言った。
そこへタカオのひとことが───
「夫人とうまくいってなかったみたいだよ」
「ええっ?!」
シンゴに限らず、そこに居合わせた者たちは全員、驚愕の声を上げた。
「うそつくなよっ!」
さらにシンゴは怒鳴った。
まるでタカオがそれを言いだした張本人のように物凄い目でにらみつける。胸ぐらでもつかみかねない形相だ。
「そんなこといったって…僕だってちょっと小耳にはさんだだけなんだから……」
タカオは非常にうろたえた。こんなにシンゴが怒るとは思わなかったらしい。
「どういうことなの。タカオ。説明してよ」
「う…ん…」
サヨの静かな口調がよかったのか、だんだん落ちついてきたタカオはポツリポツリと話しだした。
「地球を出発するちょっと前にさ、僕ちょっと調べ物があって探検センターへ寄ったんだよ。その時に職員の人が話してたのを偶然聞いちゃったんだ。ケレス総裁がほとんど家に寄りつかなかったのは、奥さんが浮気をしていたからだって……」
「うわきぃ?!」
みんなの素っ頓狂な声が上がる。
「そんなバカな!」
シンゴは本気で怒っている。
「サリナさんに限ってそんなことあるわけがないっ!」
「あ…でも待って…」
すると、サヨが何か思い出したらしく、考え込みながら言葉をつづけた。
「そういえば私、前にちょっと聞いたことがあるわ」
「なにをっ?!」
なかば狂乱状態でシンゴは叫んだ。険しい目つきでサヨをにらむ。
「え…ええ…」
サヨは言いにくそうにしていたが、それでも喋りはじめた。
「総裁の奥さまのサリナさんは学生のころ、地球の総統とステディな関係だったっていうのよ」
「フォレスト総統とだって?」
今度はシンゴだけでなく、みんなが叫ぶ。
「そんな話、聞いたことないぞ……」
シンゴは茫然として呟いた。
少なからずショックを受けたらしく、彼の声には力が感じられない。
「そりゃそうでしょうよ」
ふぬけになってしまったシンゴとは違ってサヨの声は案外しっかりとしていた。
「私だって、タカオがあんなこと言いださなきゃ忘れてたとこだもの。もちろんその話はデマだったらしいんだけど、少なくともサリナさんの方はフォレスト総統を憎からず想ってたらしいわよ。ただ総統の方がまったく知らんふりで、友人以上の態度を変えなかったみたいね。彼らの同期生のあいだでは当時、有名な話だったんですって。でもそのあとすぐに総裁が彼らのあいだに入ってきて、サリナさんはこれこそ本物の恋っていう感じで総裁に心奪われてしまった。ケレス総裁は、ああ見えてもかなりの情熱家で、あれよあれよというまにふたりはくっついちゃったのよね。それからというもの、まわりのみんなも以前のフォレスト総統とサリナさんのことなど忘れてしまったような感じになっちゃって、誰もそんな話しなくなっちゃったのよ」
「で、最近のケレス総裁の態度が、奥さんに対してあまりにも冷たいって囁かれるようになったんだ。これはどうやら奥さんの不義が原因で、清廉潔白な総裁には許すことができなかったってことじゃないか、と……」
サヨの弁舌を受けて、タカオがそうしめくくった。
「………」
みんなは黙り込んでしまった。
(サリナさんがそんなことするはずはない)
そんななか、シンゴは心で呟いた。
(とすると、考えたくはないが、総裁は自分の妻を信じられなくてサリナさんに冷たい態度を取ったということになる)
そしてさらに考え込む。
(もしかして…ノア……)
彼は、つい最近のノアの変な態度はこのことが原因ではなかったのかと思いはじめていた。
(ノアのことだ。あれだけ立派な人物だと自慢にしていた自分の父親が、大好きな母親を信じることのできなかった心のせまい男だと知ったら、それは落ち込むだろうな)
「それが本当だとしたら…」
内心の考えをおくびにも出さず、シンゴは言った。
「僕はとてもショックだよ。僕はノアのお母さんとはよく逢ったりしたけれど、本当に総裁を愛してらした。ぜったいにお芝居なんかじゃない。それは他人の僕だって信じられるものだった。それなのに、そんなサリナさんを総裁が信じてあげられなかったなんて…愛しているはずの妻を信じられないなんて…僕はなんだか総裁を誤解していたのかもしれない。すばらしい人だと尊敬していたけれど、軽蔑してしまいそうだよ」
かすかな憤りを漂わせて彼はそう言った。
「シンゴ。そりゃあんまりじゃないか」
ずっと黙ってみんなの会話を聞いていたヨリが、ここにきてついに口を開いた。
「頭がよくてお行儀がいい、優等生のお前だから無理もないかもしれないが、総裁のことをそこまで言っちゃひどいぜ」
「………」
ヨリのその言葉に、シンゴはムッとした表情を見せた。
「オレは愛だの恋だのと、そんなしちめんどくさいこたあ真っ平だが、本当に好きになったら総裁のようになっちまうかもしれない。だが、それはしかたのないことじゃないか。そういう性格なんだから理解してもらうしかないさ。それに恋愛のことは本人同士のことだぜ。他人がとやかくいったってどうにもなるもんじゃない。ましてやシンゴ。それだけで相手の全人格を否定してしまうなんて、そういうおまえの性格も問題ありなんじゃないのか?」
「なにぃ?」
あからさまに非難されて、シンゴは頭にきた。思わず立ち上がる。
しかし、ヨリはそんなシンゴの態度にも、まったく動じるふうでもなく言葉を続けた。
「おまえ……誰かを本気で好きになったことないだろ」
「う……」
言葉につまるシンゴ。ヨリの言葉が胸に突き刺さったようである。
「そういうヨリは誰か本気で好きになったことがあるのかい?」
これまた、ずっと黙って聞いていたケイタがヨリに聞く。彼の口調は、この場の状況にまったくふさわしくなく淡々としている。
タカオやサヨはさきほどから二人のやりとりをハラハラしながら見守っていた。
だが、そんな緊張した空気も、ケイタの落ちついた雰囲気でみるみるうちになごんでいくようだ。明らかにサヨたちの全身の力が抜けていくのがわかる。すると───
「あるよ」
あっさり告白するヨリ。
「!」
シンゴは驚きを隠せないようだ。目をまんまるくしている。
「オレは宇宙を渡り歩く空間人だ。空間人っていうのはいつでも全力投球なんだよ。宇宙空間は危険で満ちあふれている。いつ死んじまうかしれない。いま愛さなきゃ明日はないかもしれない。そう思ったら相手のことより何より、自分のたぎる気持ちをぶつけるしかないのさ。それで玉砕するこた考えない。だから荒くれ者と見られがちなんだが、オレら空間人ってけっこう古風なとこがあってさ。いったん契ると、もうそれが至上の愛だと思い込んじまうやつが多いんだ。いわゆる死が二人を分かつまでっていう心境さ」
「それって人類に対する離反じゃないか」
シンゴが抗議する。
「人類なんて関係ないね。空間人は空間人であって、もう連邦とは違う自治さ。オレらはオレらの信条ってーもんがある。それを地上のやつらにとやかく言われたくないね」
「至上の愛か……」
サヨがうっとりしてそう呟いた。
「いい響きだわ」
「そうかな?」
隣でポツリと呟くケイタ。
「………」
それをギロリとにらみつけるサヨ。
「つまりさ」
ヨリは続ける。
「総裁の気持ちもわかるってことさ。彼は愛しすぎたために相手の気持ちを独占したかったんだ。自分と出会う前に総統との間でなにかあったかもしれない。しかもどうやら彼女の方が熱をあげていたらしい。相手の男が取るに足らぬ男ならまだましだ。そんな男に自分が負けるはずがない。浮気なんてうそだと信じられる。だが、その男が自分の唯一みとめる親友だったら? それで心がゆれない男はかなりの自信過剰なやつだ」
ヨリはここでいったん言葉を切った。
だが、すぐに顔を輝かせながら続ける。
「でもオレはなんだかうれしいぜ。彼がそんな人間臭い人物でさ。オレが今まで伝え聞いてた総裁の人物像って、なんかロボットみたいに感情がなくって冷たいイメージだったからな。だから結婚しているって知った時はすぐには信じられなかった。本当に人を愛することなんかできるんだろうかってね。だけどサヨやタカオの話を聞いてたらすごく総裁が身近に感じられるよ」
ヨリは両手で前髪をなでつけるようにかきあげた。形のよい額があらわになる。
「だから死んでしまったのが残念だな。彼からもっと何か学べることがあったかもしれないと思うとね」
ヨリは残念そうな口ぶりではあったが、瞳はキラキラと輝いていた。
それに比べ、シンゴはあくまでも背中に暗いものを背負いながら力なく座った。
「僕は総裁がわからなくなった。人を愛する気持ちってどういうことなのか。自分も誰か愛する人ができたら総裁のようになってしまうのだろうか。わからない。でも……」
独り言のようにそう呟いていたシンゴは顔を上げた。
「でも、ヨリの言うことを聞いていたら、何だか僕も総裁がすごく親しみやすい人に思えてきたよ。以前だったらなんだか雲の上の特別な人で、同じ人間とは思えない尊敬するだけの人だったけど、今ならなんでも親しく相談ができそうだ」
そして彼は心持ち目をふせる。
「亡くなってしまってほんとに残念だよ」
彼のその言葉に全員がうなだれ、黙り込んでしまった。
「なにが残念なの?」
そんな時、彼らのうしろから元気のよいノアの声が上がった。
「ノア!」
いっせいに振り返るシンゴたち。
「遅くなってごめんなさい」
そこにはノアがニコニコして立っていた。
「あら。ナオト博士はどうしたの?」
サヨが立ち上がり、ノアに駆け寄りながらそう言った。
「ああ…」
ノアはほんのり頬を染めながら視線を泳がせた。
「彼は…いま大事な話があって……」
言いよどむノア。
(かれ…?)
シンゴはノアの言葉に眉をひそめる。さきほどまで背負っていた暗いものはいったいどこへいったやら。
(それになんだかノアの態度がちょっとおかしいぞ?)
どうやら、またしてもお節介心が頭をもたげてきたらしい。
「大事な話ってなんだよ、ノア」
ヨリはそんなシンゴの心の内など知るよしもなく、ゆっくりとノアに近づくと聞いた。
「うん…実はね…」
ノアは説明を始めた。
この惑星がゴードン星系の植民地で、ロンギュスという名の星であること。ここには、それを管理するガリー総督という人物がいてかつてアスラ艦隊を指揮していた提督であったこと、など。
「……ということで、どうやら彼はトップラスの謀略で提督の座を追われてしまったらしいのよ。ずいぶんと恨みをいだいているみたいよ。そこをナオト博士が言葉巧みに、あたしたちのトップラスに対する恨みと彼の恨みとを合致させ、ガリー総督にそれを信じ込ませたの。それで一緒にやつをはめてやろうということになったのよ」
「へえ。そりゃすごいな」
ヨリは驚いてヒューと口笛をふいた。
(ナオト博士が巧みに……?)
シンゴはさきほどからノアの口調に違和感を感じていた。
(いったいどういうことだ。さっきから彼女はことごとくナオト博士を賛辞するような言い方をしている。奇妙だ。まったくもって変だぞ)
彼はしきりに首をかしげる。
「博士はトップラスを呼び寄せる作戦を考えるために、ガリー総督のもとに残ったの。あたしはみんなにもこのことを伝えたくて、一足はやく帰ってきたってことなのよ」
「ノア。おめでとう!」
サヨがうれしそうにノアに抱きついた。
「これでお父さんの恨みがはらせるね」
「ええ。サヨ。ありがとう」
ノアとサヨはひしと抱き合った。それを見つめる仲間たち───だが、シンゴだけは複雑な目をノアに向けていた。
(いったい彼女に何があったのか……)
「なんだと?」
スクリーンに映し出されたトップラスは、思わず身を乗り出した。そのまま巨体をものともせずに立ち上がる。
「いま何と言った。ガリー総督」
彼はスクリーンに顔をつけんばかりに近づくと言った。
「だからさっきも言ったように」
ガリーは強張った笑いを浮かべた。彼としては精一杯の愛嬌を見せている。
「ケレス総裁はいなくなったが、地球の探検センターでは新しい総裁が就任したらしいぞ」
「ええいっ!」
トップラスは地団駄を踏んでいる。
「そんなことは私だってとっくに知っておるわ!」
彼はさらに画面に近づいた。今にも巨体がスクリーンから飛び出てきそうだ。
「そうではなくて!」
彼は吠える。
「本当なのか? その新総裁をきさまが捕まえたというのは!」
「ああ、そのとおりだ」
ガリーは一歩うしろにさがった。心持ち顔をそらしている。イヤなものを正面から見たくないとでもいいたげな様子だ。
「ナオト・パレス総裁というそうだ。彼は私が捕縛している」
「ううむ……」
トップラスはヨロヨロとさがると、ドッカリと椅子に座り込んだ。
「なんだってそんな奴が、その宙域をウロウロしておるのだ」
呟くようにそう言う。
「どうやら貴様を狙っていたらしいぞ」
「なに?」
ガリーの言葉に目をむくトップラス。
「この私を?」
「そうだ」
ガリーは無表情に徹して言葉をつづける。
「その男の言い分では、トップラス、貴様が奸計をめぐらせて地球人をおびき出し、卑怯にも抵抗しない彼らをレーザーで撃ったということらしいが……」
「む……」
トップラスの口がへの字に曲がる。そんな彼に構わず、ガリーはたたみかけた。
「よもや地球人の言うことが真実というのではあるまいな?」
「バカなっ!」
トップラスは慌てて叫んだ。
「貴様は、偉大なゴードン帝国の使徒であるこのトップラスを信じられぬというのか。地球人の言うことと私の言うこと、どちらが真実か、そんなことはわかりきったことではないか!」
「………」
一瞬、ガリーの瞳に炎が燃えさかったようだった。だが、それもほんのわずかなことでトップラスごときに気づかれるほどではない。
「もちろん…」
ガリーは微笑んだ。
それは、開けっ広げとは言えぬまでも、相手を安心させるにたりるものだった。
「我が偉大なるゴードン帝国の帝王様の名のもとに誓い合った兄弟の言うことを信じぬはずもない」
「そ…そうか…?」
トップラスは冷や汗をかいているようだ。
それを冷やかに見つめるガリー。
「そこで兄弟よ」
彼は微笑を顔に張りつけたまま、言葉をつづける。
「どうせ私はこの植民星を離れるわけにもいかぬ。だが捕虜をここに置いておくわけにもいくまい。貴殿にこの地球人を引き渡したいのだが、ここまで出向いてもらえぬか?」
「おお!」
トップラスは嬉しそうに叫んだ。
「それは…それはまことに殊勝であるぞ」
彼はガリーの申し出に目を輝かせている。
「貴公のことは本星に戻ってから帝王様に報告してやるぞ。地球の重要人物を捕獲したということで、必ずや帝王様からお言葉をいただくこと、間違いない。きっとすぐにでも本星に呼び戻されることだろう」
「………」
ガリーは仮面のように微笑みを浮かべたまま、じっとそれを聞いていた。
「が、しかし……」
するとトップラスの態度が一変した。
ガリーの微笑に何かを感じたのか、そのふくらんだ顔に狡猾そうな表情が浮かぶ。
「疑うわけではないが、本当に銀河連邦宇宙探検センター地球本部総裁ナオト・パレス本人が、そこにいるんだろうな?」
ガリーは表情を改めると、真面目な顔をスクリーンに映るトップラスに向けた。
「それはもちろん。疑うのなら、独房に入れてあるそいつを見せてやるぞ」
「ふむ…そうしてもらえればありがたい」
「承知した」
ガリーは横に控えていたホルダーに目配せする。
「………」
ホルダーは小さくうなずくと、手もとのデスクのスイッチを入れた。
とたんに、ガリーの目の前にあるスクリーンの画面が二つに割れた。右側にトップラスの姿が、そして左側に別室にいるナオトの姿が映しだされる。
「おお…」
トップラス側のスクリーンにも同じように右側にガリーの姿が、そして左側にはナオトの姿が映っているはずである。
「確かにナオト・パレスのようだな」
トップラスはのぞきこむように身をのりだした。
ナオトは壁に張りつけられていた。両手首と両足首には枷がはめられており、さらに足首の枷からは太い鎖が伸びていた。
鎖のはしには丸い鉄球が重りのようについていて、無造作に転がっている。
姿はボロボロだ。白いジャンプスーツはビリビリに裂け、きちんとセットしてあった髪もぐしゃぐしゃになっている。顔はわずかに下を向いていたが、首をかしげているような感じなので顔がわからないほどではない。
今は目を閉じており、その端正な顔は無残にも傷やら腫れなどで、どうやらずいぶん殴られたらしいことがわかる。
ところどころ裂けた衣服の間から肌も見えるが、それもムチでうたれたように血がにじみミミズ腫れになっており、見ていて非常に痛ましい。
それは明らかに拷問されたあとである。
「う…ううう……」
痛みからか、ナオトが呻いて身じろぐ。
そのために、彼の傷ついた顔がよりいっそうあらわになった。
額からは玉のような汗が流れている。乱れた前髪はその汗のためにじっとりと濡れ、妙な色っぽさを感じさせている。
「こ、これは……」
画面を食い入るように見つめるトップラスは、思わずゴクリと唾を飲み込んだ。
「あっ……」
思わず小さく叫ぶ。
トップラスの見つめていた画面が、とたんにもとの画面に戻ったからだ。
「むう……」
彼は残念そうな表情を浮かべて、スクリーンに映るガリーを見つめた。
「これで信じていただけたかな」
心なしかガリーの顔に得意そうな表情が浮かんだ。
「よかろう……」
咳払いをしながら、トップラスはふんぞりかえった。
「確かに新総裁のようだ。私の情報網でナオト・パレスの顔はわかっておるのでな。どうやら信じられるようだ」
彼は満足そうにうなずくと言葉を続けた。
「それではすぐにでもそちらに向かうことにするぞ。一応は捕虜の手当てをしておけよ。本星に連れていくまでに死なれては困るからのう。そうなったら貴公も後悔することになる。せいぜい気をつけるんだな」
そう言ってスクリーンからトップラスの姿が消えた。
「ふ……」
ガリーはほくそえむ。
「後悔するのはどちらかな…?」
暗くなったスクリーンを見つめる彼の目は氷のように冷たかった。
「しかし…」
ガリーが呆れたような声で言った。
「ここまでする必要が本当にあったのだろうか?」
「いっつ…いてて…」
手当てを受けるナオトが声を上げた。
「顔を見せるだけでトップラスも信じただろうに……」
「甘いですね」
ナオトは不敵にも笑ってみせる。
「歴戦のガリー元提督ともあろう方の言うべき言葉とも思えませんね」
ナオトは上半身裸になっていた。彼の身体を無数にミミズ腫れが走っている。それは誰が見てもムチでうたれたものであった。
「確かに、ただ縛られているだけの私でも、充分相手を信じ込ませることはできるでしょう……く……」
ナオトはまたもや痛そうに呻いた。
「す、すみません」
手当てをしていた若い男があやまった。どうやら包帯を少々きつくしめてしまったらしい。
「いえ…いいんですよ。お手数かけますね」
ナオトは彼を律儀にねぎらってから、さらに微笑みかけた。
「きょ…恐縮です…」
若者は白い顔をうっすらと染め、とめていた手を慌てて動かしはじめた。
「と……すみません。お話の途中に……つまりですね。私は完璧に、ゆるぎなく、相手に信じ込ませたかったのですよ。ああすれば、どんなに疑り深い人物も、あなたと私が裏で手を握っているとは思いません」
「なんと……」
ガリーは感服した。
「確かに中央にいたころは、そういう作戦というものもあったが、きみのような軍人でもない者がそこまで考えるとはな。軽い拷問でもなかなか一般人にはこたえるだろうに、よく耐えたものだ」
彼は感心したようにナオトの身体の傷を見つめる。
「私も軽く傷がつくくらいでやめようとしたのですが、この方はそれを許してくださらなかったのです」
そばで彼らを見守っていたホルダーが横から口をはさんだ。
「思いっきり痛めつけるようにとおっしゃられて……」
「なまはんかの傷ではだめです。それはあなた方ならおわかりだと思うのですが」
ナオトの顔はまだひどく傷ついていた。まぶたは腫れているし、くちびるは切れたままだ。すでに血はとまっていたが、傷口は痛々しいほど赤い。顔のことなので傷口を消毒するだけで、ほかには何もほどこしようがないのだ。
「しかし……」
ガリーは怪訝そうに言う。
「それでもそこまでやるとはな。どうも私には理解できん。いくら上の者の仇をうちたいといっても……」
「これは、これは……」
ガリーの言葉にナオトはうすく笑った。
「まったく、ゴードン帝国の方とも思えない言葉ですね。ガリー総督」
「………」
ガリーは黙り込んでしまった。極まり悪そうに手であごをなでている。
「あなただって皇帝の危機ともなれば、私くらいのことは喜んでしたでしょう?」
ナオトはまるで、いたずら小僧にさとすように喋っている。これではどちらが年上かわからない。
「でも、まあ……」
するとナオトは身体を起こした。見ると微笑んでいる。ガリーと同じく、気恥ずかしそうな表情だ。
「正直いいますと、私のこの行動も別に前総裁のためでもないのですがね」
彼はベッドのはしに座った。そして、かたわらに立つガリーへと視線を向けた。
さきほど彼の手当てをしていた若者はすでに退出していた。だからこの部屋にはナオトとガリー、そしてホルダーの三人しか今はいない。
「と、いうと?」
ガリーは少々好奇心にかられて聞いた。後ろに控えるホルダーもどうやら耳をそばだてているらしい。
「私はひとりの少女のために動いているのですよ」
ナオトはよどみなくそう言い切った。
「少女……?」
ガリーではなく、控えていたホルダーが呟いた。そして慌てて口をおさえた。
「それは……」
ガリーはまったくホルダーには頓着していないようだ。
「ケンイチ・ケレスの娘……ノアといったかな…あの娘のことか…」
ガリーの目が大きく見開かれる。ナオトを穴のあくほど見つめながら言葉を続けた。
「では、すべてはあの娘ひとりだけのために取った行動だというのか?」
「そうです」
ナオトは誇らしげにそう答えた。
「なんと……」
ガリーはすっかり驚いてしまい、言葉がつづかない。
「私は彼女のためだったらなんだってしますよ。組織だって思いどおりに使います。私には幸い、それをするだけの地位がありますからね」
「それはまた……究極の独裁だな」
ガリーは呆れてしまっている。
「それがなんだというんです」
ナオトは断言する。
「私は人を不幸にするわけではありません。やることはキチンとやります。その上で好きにさせてもらうのです。誰にも文句は言わせません。もっとも……」
ナオトは微笑んだ。それは、誰でも思わずつられてしまいそうなほど、屈託のないものであった。
「他人には決して知られないようにしますがね」
「君というやつは……」
ガリーはやっとひとこと呟いた。
「末恐ろしいやつだな……」
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