第7話「やっぱり愛ってすばらしい?」
ケリー・フォレスト総統の私邸は郊外にひっそりと建っている。ごく普通の住宅と同じで、まわりに広がる緑の樹木に映えた真っ白で簡素な建物だった。
さほど広くない庭があり、よく手入れがされてある。ケリーは独身のため、彼が留守の時には家には誰もいない。そのため、専属の庭師が庭の手入れをしており、室内はハウスキーパーが週に一度、掃除などの世話にきているのだ。といってもほとんど彼は家に帰るということはなく、月に一度、いや三ヵ月に一度帰ってくればよいほうだった。
「あまりよいもてなしは出来ぬがな。紅茶だけはよいものをそろえさせているから、まあ飲んでやってくれたまえ」
ケリーみずからいれた紅茶がノアとその母であるサリナの前に置かれた。香りのよい湯気がティーカップから立ちのぼっている。
「ありがとうございます」
サリナは小さい声で礼を言った。
「………」
横に座るノアは、チラリと自分の母の青ざめた顔に視線を走らせた。それから目の前の紅茶に目を落とす。
宝石のようにきれいな色合いである。その琥珀色の飲み物が入ったティーカップは本物の陶磁器だった。陶土を焼いてつくられるこれらの食器類は、この時代、もうどこの家庭にもなく、ごく限られた者しか所有が許されていない。
ノアの目に映るそのカップは、白が基調となったもので、様々な色合いと複雑な意匠の施された見るからに上等そうな逸品だった。それに上品でもある。
彼女はおそるおそる手をのばすと、口もとにもっていき、その極上の香りをたんのうした。
「君たちに来てもらったのは他でもない」
唐突にケリーは切り出した。
「どうしても見せたいものがあるのだ」
彼は言葉を切る。少し間をおき、目の前の母娘を眺め渡す。そして口を開いた。
「我が親友ケンイチ・ケレスの、君たち親子へのメッセージだ」
───ガチャン!
「きゃっ…」
ノアは思わずカップを落としそうになり、受け皿にカップを軽くぶつけてしまった。
「………」
ケリーはそんな彼女に同情のこもった目を向けた。
「といっても」
だが、何事もなかったようにそのまま続ける。
「このメッセージは、自分にもしものことが起きた場合、この私に見るようにと彼が残したものなのだ。だが、君たちにも見る権利がある…いや、ぜひ見てほしい」
「………」
相変わらずサリナは青い顔のまま、下を向いて自分の前に置かれた紅茶のカップを見つめていた。ケリーはそんな彼女に、限りなく優しい視線を向けながら声をかけた。
「サリナ……」
優しく───本当に優しく声をかける。
「………」
サリナはゆっくりと顔を上げた。
「ケリー……」
今にも泣きそうな表情だ。まるで幼い少女のようだと、ノアは思った。
すると、ケリーは安心させるようにうなずいてみせた。
「ホロメイルを映すぞ……」
ケリーが傍らのデスクのどこかを触ると、かすかな電子音とともに、丁度彼とサリナたちの間の空間に立体映像が現れた。
それはサリナの夫、ケリーの親友、そしてノアの父であるケンイチ・ケレスの精悍な姿であった。
「ケンイチ……」
サリナは両手で口をふさぎ、食い入るように愛しい夫の姿を見つめた。
「我が友ケリー・フォレストよ。このメイルを見ているということは、私はすでにこの世にいないということになる」
ホログラフィーのケンイチの口が動く。
「人間は誰でもいつかは死ぬのだ。だから私は死は恐れない。誰にでも訪れる死とは、神が人間に与えた最大の平等だと私は思う。たとえ、それが早くとも、永く生きた人間よりも不幸せだということはない。早く死ぬ者はそれなりの幸福を与えられているはずだと信じる。それを感じる心があるか、ないか、それがその人間の価値を決めるのだと私は思うのだ。ケリー、君は日々を幸福に、満ち足りた気持ちで暮らしているだろうか。最近では学生の頃と違って、酒を酌み交わし、夢を語り合うということは出来ずにいたから、君が何を考え何を想い日々を生きているか、私はただ想像するだけだ」
ケンイチの言葉は、ここでいったんとぎれた。だが、すぐに言葉はつづく。
「昔はよかったな。ケリー。私はこの通り、人付き合いが苦手で、社交性のある君とは正反対の人間だった。そんな私を励まし、勇気づけてくれたのは君だけだった。私は結局君に甘えていただけなのかもしれない。サリナのことにしても……」
自分の名前が出てきて、サリナはピクリと肩を震わせた。
「……本当は君は彼女のことを愛していたのだ。そうだろう?」
ノアは父のその言葉を聞き、ケリーの顔を盗み見た。
「………」
だが、彼の緑色の目には何の感情も浮かんではいなかった。
(でもそれがあやしい……)
そう、ノアは何となくケリーの気持ちがわかるような気がしていた。普段、表情がとても豊かで、思っていることがすぐ顔に出てしまう彼なのである。それが、こうまで徹底して無表情に徹するということじたいがおかしいことなのだ。
さらにケンイチの言葉は続く。
「……私はそのことに気がつかなかった。気づいていたら私は決して彼女とは一緒にならなかっただろう」
サリナはその言葉を聞くと、我慢しきれなくなったのか、ポロポロと涙を流し始めた。
「!」
ノアは、泣きだしてしまった母にびっくりする。
「あたし、ここにいないほうが……」
ノアが立ち上がりかけた。
「座って君も聞きなさい」
有無を言わさぬ声でケリーはピシリと言った。
「………」
ストンと座りなおすノア。そして自分の父の姿と、相変わらず無表情な顔をしたケリーとを交互に見つめる。
「………だが、あのころの自分だったらそうしただろうが、今の自分だったらきっと君の気持ちがわかってもサリナは渡さない。たとえ、そのことで君との友情が壊れてしまってもな」
それを聞いたサリナの目が大きく見開かれた。
「ケリー。人の心とは難しいものだな。これはある男が言ったことだが、そいつは愛する女が他の男に心を奪われたとしても自分の愛は変わらない、そしてもし自分に勝算がないとしても生涯操を通すと、そう言い切った」
「人類の風上にもおけない奴ね」
ノアがぽつりとそう呟いた。どこまでも救われないナオトである。
「私はそれを聞いた時、目からウロコが落ちたよ。ああ、ずっと自分の心の中に渦巻いていた言いようのない気持ちは、まさしくこれだったんだとな」
ケンイチの像が晴々とした顔を見せる。
「私は君とサリナのことを永い間疑ってきた。それは私の思い違いだったのだが、サリナをどうしても信じられなくて、ずっと彼女を苦しめてしまった。私は私を目覚めさせた男の言葉でようやくサリナを信じることができたのだ。そして、じっくり彼女と話をしてみようという気持ちにまでもなったのだ。しかし、今回のプロジェクトは変更するわけにはいかなかった。それでも、いい機会であるからこの旅で頭の中を整理し、私は生まれ変わって地球に帰って来ようと思ったよ。なるべく早く帰り、彼女と話し合おうと思ったのだ」
心持ちケンイチは顔をふせた。
「だが…残念なことにこのような事態に陥ってしまった。思い残すことといえば、やはりサリナのことだ。死は怖くないが、彼女に私の気持ちを伝えずに死ぬことは何よりも恐ろしい」
そしてケンイチはパッと顔を上げた。
「どうか、ケリー。まだ私を親友と思ってもらえるのなら、最後の願いを聞きとげてほしい。サリナに私の気持ちを伝えてくれ。どんなに彼女を愛していたか。どんなに彼女にすまないと思っていたか。私を許してほしい。私を嫌わないでほしい。そして願わくは、生涯私だけを愛し、誰のものにもならないでほしい……と。それを強制することは私には出来ないだろうが、それでもそう願わずにはいられない」
ホログラフィーだというのに、ケンイチの姿は本当に実在感があって、ノアは思わず感動してくるのを、涙が出てくるのをとめることができなかった。
「サリナ……」
ケンイチは熱っぽく続ける。
「愛している。愛している。愛している。どんなに言っても言い足りないくらいだ。たとえ二度と君をこの腕にいだくことができなくなっても、私はこの気持ちを魂になっても忘れない。いつかきっと、生まれ変わってでも君のもとに帰ってくる。愛している。サリナ。君を未来永劫愛すると、私はここに誓う……愛している……」
かすかな電子音とともにケンイチの映像はここで途切れた。
しばらく部屋は、恐ろしいくらいの静寂で満たされた。
「………」
ノアは目の前の冷めてしまった紅茶をじっと見つめていた。
サリナは放心したように、さきほどまでケンイチの姿があった空間を見つめているばかりだ。
「サリナ……」
その静寂を破ったのはケリーだった。
「!」
弾かれたように顔を上げ、優しく見つめるケリーへと視線を向けるサリナ。彼女の目はすでに乾いていた。
「サリナ……」
ケリーは優しい表情を浮かべたまま、ゆっくりサリナへと近づいていく。
「サリナ」
彼は座るサリナのもとにひざまずいた。そして彼女の両手を自分の手で包み込む。
「君はケンイチを愛しているよね。彼はどうやら、私が君に懸想していると思い込んでいたらしいが、私たちは昔からそんな仲ではなかった。そうだよね?」
ケリーは同意を求めるようにサリナを見つめた。
「ええ。あなたを好きだったことはあるけれど、それは愛とは違う。ケンイチにいだいた気持ちとあなたにいだいた気持ちはまったく別物だったわ」
「そう」
ケリーは満足げにうなずいた。彼のその表情は、サリナに対する気持ちがどういうものであるか、微塵も感じられない。
だが、ノアはそんな彼に違和感を感じていた。それは、まったく恋愛にうとい彼女でさえも何となく気づく、無表情の裏に隠されたケリーの深い愛情からくるものであった。
ケリーは続ける。
「君とケンイチは至上の愛で結ばれているのだ。たとえ誰が非難しようとも君は彼の愛を裏切ってはいけない」
「おじさま!」
とたんにノアが叫ぶ。
「でも…それは…だめよ! おじさまだってわかっているはずよ。私たち女は子供を成さなきゃならない。そうでなければ人類が滅亡してしまう……」
「ノア……」
ケリーの瞳に一瞬悲しみがよぎったようであった。
「法律で決められているわけではない。個人の自由なのだ。大昔同様、我々には人の生き方を束縛する権限はない」
「………」
ノアは自分の母の顔を見つめた。
「ケンイチだけが私の愛する人……」
そう呟く母はとても美しかった。そして誰よりも幸福そうに見えた。
「お母さん……」
その幸せそうな彼女をとてもノアには否定することができなかった。
(そう、これでいいのかもしれない)
ノアは心でそう呟いていた。
(お父さんの本当の姿が見れたことは、あたしにとっても幸せだわ。ちょっと幻滅かな、とも思ったけれど、何だか変よね。愛していると何度も言うお父さんが、とてもステキに見えた……)
ノアもまた、自分の母と同じように心が幸福に満たされていくのを、不思議な思いで感じていた。
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