第5話「巨星墜つ?」
「ケレス総裁。目標座標にワープアウト1分前です」
「うむ…」
ケンイチ・ケレスは重々しくうなずいた。
彼は目の前のスクリーンに目を向ける。そのスクリーンには今は何も映されておらず、闇のような暗さが広がっていた。
彼は背筋をピンとのばし、腕を組んでその真っ黒なスクリーンを凝視した。まるで親のかたきとでもいいたげな表情である。
「SC型渦状星雲三角座M33、真っ只中に出ます」
わずかに興奮を漂わせ、若い航宙士は声を張り上げた。
「ワープアウト!」
ワープ空間から抜け出る時の、あのかすかな違和感が艦のなかの者たちに感じられた。
その昔、地球の空を飛んでいた航空機がエアポケットと呼ばれる場所に陥った時に感じる、何ともいえぬ浮遊感覚に似ている。もちろんケンイチをはじめ、この船に乗り組んだ乗員たちは旧型の航空機など乗ったことはないはずだ。しかし、子供のころに博物館で見たことぐらいはあるだろう。
「総裁。スクリーンに映します」
若い航宙士はさらにそう言った。
とたんに暗かったスクリーンに光がほとばしった────そう表現するのがピッタリな眺めであった。
「なんとっ!」
そこは目を見張るほどの別天地だった。
宇宙空間では星は瞬かないものだ。だが、ここの星たちは様々な色に輝いている。
そして、永遠ともいうべききらめきを、圧倒的にケンイチたちに見せつけていた。この宙域一帯に何らかの物質が存在していて、真空である宇宙空間でも星を瞬かせて見せているのかもしれない。
(いずれにせよ、ここら一帯は充分調査してみる価値がありそうだ)
ケンイチは心でそう呟いた。
だが、彼がこれからの予定を考えようとしたそのとき────
────ヴィィィィ───ン!
けたたましく緊急アラームが鳴り響いた。
「何事だ!」
ケンイチの通りのよい声が轟く。
とたんに船の中枢であるここブリッジは、まるで蜂の巣をつついたような騒ぎに陥った。そんな彼らの顔を照らしだす赤色の点滅。
「総裁!」
壁際に設置してあるレーダーを覗いていた者が大声で叫ぶ。
「ゴードン星系の巡洋艦です!」
「なんだと!」
ケンイチが吠える。
「調査ではここはまだ手つかずの区域だったはずだぞ」
ケンイチは傍らに立つ一人の男に顔を向けた。厳しい目つきだ。
「どういうことだ?」
「確認はとりました。総裁」
その男は心なしか顔色が悪かった。ひょろりとした身体で、背は高いらしいのだがあまりにもガリガリにやせているため、同じ背丈のケンイチよりも低く見える。
「ゴードン星系のアルツール探検部隊に当方の意向を伝えたところ、そこは自分たちとしては踏み込むつもりはないとの回答でした。あちらの学術調査部門はこちらと同様中立を保っています。偽りではなかったはずです」
男は今にも卒倒しかねない様子だ。喋る声も震えている。
「では、これはどういうことだ!」
ケンイチはそう叫んでから、つりあげていた目尻をおろした。
「すまない……」
赤い点滅が彼の顔を照らしだす。
「きみに怒鳴ったところでどうなるものでもなかった。きみは自分の職務を果たしただけなのだからな……」
「総裁……」
男は頭をたれた。
と、まさにその時。
「ケンイチ・ケレス総裁はおられるかな」
突然、声が上がった。
「!」
ケンイチは振り返る。とたんに彼の顔に険しい表情が浮かんだ。
いつの間にか目前のスクリーンに男が映っていた。尊大な態度をいやみなくらい押し出したその人物は、ニタリと笑っている。まったく友好的な微笑ではない。
そいつは、肉のかたまりのようにでっぷりと太った身体を、これ見よがしに全身映させていた。
(何だ、この男は)
それを見たケンイチは、あからさまに嫌悪感丸出しの表情を浮かべた。
「うえ…スクリーンがくさる……」
あの若い航宙士が呟いた。幸いにもそれはスクリーンに映る人物には聞こえなかったようだが。
デブ男は上品な色合いのタートルネックのスーツを身につけていた。淡い銀色で、首のあたりと左肩に黒のラインが入っている。そして左胸には、円を星の形で縁取ったゴードン星系のシンボルマークが輝いていた。
タートルネックとはいうものの、肉で埋もれた首のためにまるでそうは見えない。
「私はゴードン帝国アスラ艦隊副官トップラス…いや、トップラス提督である」
デブ男は尊大に言い切った。
ゴードン星系の軍人が身につける軍服はすべて同じで、普通身分の確認というものは服装ではしない。軍人、民間問わず『顔』だけがすべて確認のための証明書であった。
服装などは軍人、民間の区別ができるだけのものであり、均一化されていて自由はまったくない。また勲章とかも授与される習慣はなく、完全な帝王絶対主義の帝国なのだ。
「私がケンイチ・ケレスだ」
ケンイチは一歩前に進むと、スクリーンに映るトップラスの紅くどんよりとした目を凝視した。
ゴードン星系の者たちはすべて紅い目と銀色の髪をしている────ということだ。
それは空間人たちがもたらした情報で知られていることであるが、おそらく『すべて』というのは少々誇張が入っていることであろう。
そんなことを考えながらケンイチは、トップラスの紅い目から、少なめで寂しくなっている頭に視線を移した。
「ほーお。貴様がそうか」
トップラスは身を乗り出すようにしてケンイチを眺めわたした。その様子にはあからさまなさげすみが含まれている。思わずケンイチは顔をしかめた。
「貴様のことは噂によく聞くぞ。我等の領域を散々荒し回っているそうではないか」
「なに?」
ケンイチの目が険しくなった。
「今回も領域を侵犯しているとの通報があったものでな。来てみればやはり、ということか」
「そ、そんな!」
やせてひょろりとした、あの男が声を上げた。
「それはまことのことですか? 私はあなた方の探検隊に確認を取って、この区域はまだゴードン星系の領域ではないと回答をもらったのですよ」
「それは本当か?」
トップラスはニヤニヤとイヤらしく笑いながら男の言い分を聞いていた。
「おまえは本当にアルツールと連絡を取ったのか?」
「私が嘘を言っているというのですか!」
「ふん…」
トップラスは鼻であしらった。それ以上彼との会話を続けるつもりはないらしい。
「とにかく……」
彼はふんぞりかえった。
「この区域は我等ゴードン帝国の領域だ。貴様らの行為は重大なる侵犯であるぞ。許されるものではない。我等の信条は『過ちは死を持ってつぐなうべし』というものなのでな。覚悟してもらおうか」
「なんと……」
やせた男は絶句した。すっかり真っ青な顔になって、すがるような目を傍らのケンイチへと向ける。
するとケンイチは、スクリーンからは見えない場所にある通信セクションの者に、さっと目配せをした。その者はそっと頷くと、悟られないように通信回線を開いた。
それを確認し、ケンイチはゆっくりと口を開いた。
「アスラ艦隊トップラス副官。いましばらく待ってくれ」
「トップラス提督だ!」
トップラスの目が険しくなった。声にも怒気が含まれている。
「これは失礼をした。トップラス提督どの。当方の手落ちでこのようなことになってしまい、まことに申し訳ない。それに対しては重々お詫びいたしたい。しかし、我らはゴードン星系の者ではない。そこのところわかっていただき、あなた方の法に照らし合わせるのだけは考えていただきたいのだが……」
「聞く耳はもたぬぞ」
トップラスはしごく満足そうにほくそえむと、心持ちあごをそらした。
「偉大なるゴードン帝国の帝王様をお守りするべく、その任をまかされているアスラ艦隊提督の、このトップラスを甘く見てもらっては困るのう」
彼はどんよりとした紅い目をギラギラとぎらつかせた。
「………」
ケンイチの額に脂汗がにじんだ。
彼らの船は戦いのための充分な武装などなされていなかった。ここで戦闘ということにでもなったらまったく勝ち目はなく、彼らは宇宙の塵と化してしまうだろう。
「!」
と、突然、ケンイチの表情が固まった。なぜならトップラスの右手がさっと上がったからだ。
トップラスはわずかに視線をずらし、誰かに向かい、かすかにうなずく。
(まさか…!)
大きく見開かれるケンイチの目。
だが、非情にも轟くトップラスの号令。
「撃て!」
ふりおろされる太い腕。
(サリナ!)
ケンイチはトップラスの醜く笑う顔を凝視しながら、心で愛する妻の顔を思い出していた。もちろん愛する娘の顔も────
(ノア────)
次の瞬間、トップラスの巡洋艦から発射されたレーザーが、無情にもケンイチたちの艦を射抜いた。
あっと言う間に消滅する艦。派手な爆発があるわけでもなく、まさに消えゆるがごとく跡形もなくなっていった。
そして、後にはただ蒼く深遠な宇宙が横たわるのみ────ケンイチたちも艦もこの世から消え去ってしまったのである。
(サリナ───)
「え……?」
ノアの母、ケンイチの妻であるサリナは愛する夫に呼ばれたような気がしてうしろを振り返った。
「………」
そこにはただ、応接間の静かな空間があるだけで、何も、そして誰もいない。
「ケンイチ……」
彼女は思わずそう呟いた。
────ピピピィ────
「!」
いきなりTV電話の呼び出し音が鳴り、彼女は文字通り飛び上がった。それでも急いで電話に出る。
「サリナさん」
相手はリョウゾウ・パリスであった。画面の彼は真っ青な顔をしている。
「………」
サリナの心がざわざわと真っ黒な不安で覆われはじめた。
「……残念な報告をしなければなりません」
リョウゾウはたえられないらしく、目線をわずかにそらした。
「………」
サリナは声が出せないでいた。食い入るようにリョウゾウの顔を見つめている。
「総裁が……ケンイチ・ケレス総裁が…お亡くなりになりました……」
「………」
意外にもサリナの表情に変化はない。まるでその言葉を予感していたような、そんな感じだ。
「主人は……」
だが、ゆっくりと喋りだした声は震えていた。それは彼女の内心の動揺を如実に物語っている。
「深宇宙探査の旅に……出たのですよね」
「はい…そうです…」
彼女の言葉に辛そうに答えるリョウゾウ。
「何年かは帰ってこれないと言って……あの人は旅立っていきました」
「は……い」
リョウゾウの声はだんだんと小さくなっていく。
「もう……地球には…ここには…二度と帰ってこないのです……ね」
「………」
とうとうリョウゾウは一言も喋れなくなってしまった。頭を垂れるだけでサリナの顔もまともに見れない。
「しばらくひとりにしてください」
彼女はそう言うと、前触れもなしに通信を切ってしまった。
「………」
暗くなった画面をじっと見つめるサリナ。
「ケンイチ……」
彼女はそう呟いたまま、いつまでも消えた画面を見つめつづけていた。
「なんですって?」
ノアの叫び声が響く。
「お父さんが死んだって…まさか…そんな…ほんとうなの?」
彼女はナオト・パレスに詰め寄った。訃報を持ってきた彼の両腕をつかみ、顔を凝視している。最近の彼女としては珍しいことだ。
「私も信じられなかった」
ナオトの顔は真っ青というよりも真っ白になっていた。もともと色白なのでまさに病人のようである。
「あの総裁が、まさかそんなことに……」
火星での調査も順調に進み、地球に帰る時が目前に迫ったという時のことだった。
ノアやシンゴ、タカオたちは、すっかりサヨやケイタたちと意気投合してしまい、とくにノアとサヨは最初の険悪な出会いが嘘のように打ち解けあっていた。
「地球に帰ってからも連絡してちょうだい」
「もちろんよ。あたしたち、もう親友よ」
そう言い合い、気分も上々という矢先の重大事件である。
「どうして……」
ノアは奈落のどん底へ突き落とされたような気分になった。
(お母さん……)
彼女は心で呟いた。
あまりほめられた性格とはいえない彼女ではあったが、そんなノアでも母のことは心配であるらしかった。
地球でひとり、母はいったい今どうしているだろうか────
「お母さんには……このことは……」
「リョウゾウ博士が伝えているはずだ」
「………」
ノアは下を向いてくちびるをかむ。
「ノア……」
ここは火星探検センターの一室。今はナオトとノアのふたりしかいない。シンゴたちには遠慮してもらい、ナオトはノアにケンイチの訃報を知らせたのだ。
だが、シンゴたちには彼女に話す以前に、彼はすでに教えておいた。そのほうが、ノアの支えになってくれるだろうからという、ナオトなりの配慮であったのだ。
「ナオト博士」
ノアは気丈にも涙を見せなかった。だが、顔面は蒼白である。
「父は……どこかに行っていたのですか」
ナオトは彼女の痛々しい姿を、身を切られる思いで見つめた。
「あなたは地球を出発する時、父に呼ばれたんですよね」
「そ、そうだが……」
なぜかナオトはどもる。
「いったいなんの話だったのですか」
「そ、それは……」
口ごもるナオト。
「教えてください!」
にじり寄るノア。
「そ、それは……もう隠す必要はないけれど…でも……」
「ナオト博士……」
充分近寄ってから、ノアはナオトをにらみつける。
「わ、わかったよ。言うよ」
慌ててナオトは喋りはじめた。
「総裁は、かねてより計画しておられた深宇宙探査の旅に出られたのだ」
「深宇宙探査?」
怪訝そうに眉をひそめるノア。
「そう。総裁はこの銀河系以外の星雲の調査をするために、以前から実行に移すための計画を進めておられたのだよ」
「なんですって?」
「…………」
ノアの驚いた顔を見て、ナオトは少し誇らしそうな表情を見せた。どうやら、まともに相手をしてもらえるのが嬉しくてしかたないらしい。しかしこの場合、そんなに手放しで喜んでいてはあまりにも不謹慎だと思うのだが。
「我らの銀河系はほとんど地球の管轄下に置かれている。そして、地球人が植民していった惑星とは別に、地球以外の住人がいる惑星もほとんど銀河連邦に加入してくれている。すでに探査する未踏の場所はこの銀河系にはないといってもいいくらいなんだ。といっても隣の星雲であるアンドロメダはゴードン星系の勢力下に置かれているので手出しは出来ないし……となると別の星雲に出向くしかない。それで総裁は深宇宙探査のプロジェクトを進めていたんだよ」
ナオトは力説するように拳を握っている。
「そう…だった…の」
反対に、ノアは心なしか肩を落とした。声にも力が入らないようだ。
「ノア…」
「出発すれば何年も帰ってこれなかったはずよね」
「そうだね」
「そうだね、じゃないわよっ!」
とたんにノアの怒鳴り声が上がった。
「ノア……」
ノアの顔にはなんともいえない表情が浮かんでいた。
悲しみとも悔しさとも憤りともいえない表情。それらすべてが入り交じっている複雑きわまりない表情だった。
「お母さんがかわいそうすぎるわ。だったらなんでお母さんも連れていかないのよ。仕事の邪魔になるから? そんなのってないよ。いつもいつもひとりぼっちだったのに。子供のあたしだっていない。夫だっていない。それなのにこれからはもう本当の独りぼっちになってしまう。あたしだっていつかは家を出ていくかもしれないのに。そしたらお母さんにはもう誰もいなくなってしまうのよ……」
「でもノア……」
「ナオト博士!」
何か言おうとするナオトをノアは鋭くさえぎった。
「いいかげんなことは言わないでね。他の誰かと再婚とかなんて」
彼女はナオトをにらみつける。
「お母さんは絶対に再婚なんてしないわよ。あの人はあたしとは違って、ものすごく古風な人なのよ。それが重大な離反であるとしても、精神的にも肉体的にも二度とお母さんはお父さん以外の人とは一緒にならないでしょうよ」
「………」
ナオトはもう何も言わなかった。
「お母さん……かわいそうなお母さん。さぞつらいでしょうね。待ってて、すぐに帰ってくるから。あたしだけでもすぐに……」
ノアはナオトから視線を外すと、空中に視線を泳がせた。それは、まるでそこに自分の母の姿が見えるとでもいいたげな仕種であった。
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