第4話「感動の再会ってか?」

 意識が遠のくのを感じながら、彼は夢とも現実ともわからない世界を漂っていた。

(ここはどこだろう……)

 柔らかに輝く白に近い金髪が、まるで水の中で揺れ動くように空中を浮遊している。

 彼は何も無い空間に横たわって浮かんでいた。見ると少年のようだ。彼の目は閉じられていて、そのまつげは女のように長い。

(オレはいったいどうしてしまったのだ)

 彼はゆっくりと目を開ける。

(!)

 突然飛び込んでくる星々の渦。彼は宇宙空間を漂っていたのだ。

(そんなばかな!)

 そう。彼は宇宙服もつけずに真空の宇宙を漂っていたのだ。だがそんなはずはない。

「これは夢に違いない」

 彼はつぶやいた。だが、それは言葉にならなかった。

 そして彼の意識は急速に薄れていった。まるで宇宙の闇に吸い込まれていくように。



────バタバタバタ……

────ガヤガヤガヤ……

 にわかに火星宇宙探検センターが慌ただしくなった。

「なにかあったのかな」

 シンゴが少々おちつかなげにソワソワしだした。えてして探検家の卵は好奇心旺盛なのだ。

「そうね。ちょっと待ってて」

 するとサヨはその場を離れた。数メートル先の廊下を、向こうへ走り去ろうとしていた職員らしき人物をつかまえ何か問いかける。離れているためにノアたちには聞こえない。ややあってサヨは戻ってきた。

「遭難船があったらしいのよ。でも見つかったらしいわ。今、火星総合病院に運ばれたんですって」

「あら、それはよかったわね。なんて名前の船だったの?」

 ノアの質問にサヨは首を振った。

「そこまでは聞いてないわ」

「銀河号の偵察艇だよ」

「えっ?」

 みんなは一斉に振り返った。

「ケイタにいちゃん!」

 ケンが嬉しそうに叫んだ。

「やあ」

 そこには身体の細い、気弱そうな感じの少年が立っていた。

「どうして…?」

 サヨは困惑した表情でそう言った。

「誰なの。この人」

 またしても、ぶしつけな態度で聞くノア。

「僕はケイタDOD5」

 彼はいかにも弱々しく微笑んだ。

「サヨとは幼なじみで、同じ大学の学生なんだ」

 そしてノアに握手を求めてきた。

「…………」

 ノアは面倒臭そうにそれにこたえる。

「それより!」

 サヨが憤然として声を上げた。

「なんであんたがここにいるのよ!」

「君の手伝いにきたんだよ」

 それをさらりとかわすケイタ。案外と見かけ通りの人物ではないのかもしれない。

「そんなものいらないわ。大学側から私にと任されたのよ」

 サヨの顔にはプライドを傷つけられたとでもいいたげな表情が浮かんだ。

「そんなこと言ったって…僕も教授に言われたからきたんだけど…」

 ぼそぼそとケイタは呟いた。

 そんなふたりを呆気に取られて見つめるノアたち。ただ、ノアだけは非常に迷惑そうな顔をしている。

「あの…」

 そこへ、シンゴが割って入る。

「なに?」

「なんだい?」

 サヨとケイタは同時に彼に顔を向けた。それを、少々真面目すぎる感じの表情で受け止めるシンゴ。

「ケイタさんでしたよね」

 シンゴはケイタへと視線を向ける。

「ケイタでいいよ」

 にっこり笑いながら答えるケイタ。シンゴも思わずつられて微笑む。

「その…銀河号って、あの有名な…?」

「そう」

 ケイタはなぜか得意そうな声になって説明をしはじめた。

「大宇宙を渡り歩く空間人ゴルゴ・ドライデンが船長である宇宙船銀河号。空間人の中でも、この人ありとうたわれた百戦錬磨の英雄だよ。その彼の息子が操縦する偵察艇が遭難したっていうことだったんだ」

「そんな英雄の息子にしちゃ、遭難するなんて大マヌケだわね…」

 ノアは馬鹿にしたように呟いた。やはり一言多いやつである。それでも、さすがの彼女も囁くようにであったが。

「………」

 シンゴは顔をしかめた。他の誰も聞こえてはいなかったが、耳ざといシンゴだけはしっかりと聞いてしまっていたのだ。

 そんなノアとシンゴにも気づかずに、ケイタは続ける。

「センターのサーチ・セクションに船長自ら遭難届けを出したそうだ。すぐさま捜索隊が出動し、ほどなく見つかったらしい」

「船長の息子ってどんな人だろうね」

 タカオがポツリと言った。それに律儀に答えるケイタ。

「僕たちくらいの年齢らしいよ。あの豪胆と恐れられたドライデン船長が目に入れても痛くないというかわいがりようだってことだ」

「だからヨワッチイのね……」

 ボソリとノアが呟く。

「おい」

 シンゴが声を抑えながらノアの耳元で囁いた。

「それはあんまり言い過ぎだぞ」

「………」

 ノアはムっとして頬を膨らませる。シンゴは大きなため息をつくと、もうそれ以上何も言わなかった。と、そのとき。

「アーネスト博士!」

 職員のひとりである誰かが、彼らの脇を慌ただしく走りすぎようとしていた。ノアたちは彼の向かう先に目をやり、そこにアーネストの姿を見つけた。

「大変です! 奥様が倒れられて病院に運ばれました!」

「ええっ?」

 ノアが大声で叫ぶ。そして、急いでアーネストのそばへ走った。それを慌てて追うシンゴたち。

「火星総合病院です。お急ぎください」

 ノアたちが辿り着いた時、知らせにきた職員がそう言ったところだった。

「…………」

 アーネストはその職員をじっと見つめていた。彼は右手の指を眼鏡に持っていき、位置がずれたそれをかけなおす。かなり動揺しているらしく、心なしか指が震えている。

「わかった。ありがとう。知らせてくれて」

 だが、ほどなくして答えたその声は意外としっかりしていた。

「おじさま!」

 そこへノアが悲痛な声で叫ぶ。

「何してるの。はやく病院へ行かなきゃ」

「ああ。ノアか…」

「ああ…じゃないわよっ」

 ノアはぶんぶんと頭を振った。

「おばさまが心配じゃないのっ?」

「心配だよ…心配で狂いそうだ…」

 またたくまに彼の顔が青ざめていく。

「だが…いったいどうしたらいいんだ?」

 声も震えている。さきほどのしっかりとした声が嘘のようだ。

 そう。研究一筋のアーネストには仕事上の急変などには迅速に対処できたとしても、このような仕事以外の家庭内のことなどにはからっきしだったのだ。それらは今まで妻であるコーネアにまかせっきりだったからである。

(ナオト博士に通じるものがあるな)

 シンゴはアーネストのその様子を見て思った。

(やはりノアの父であるケレス総裁は素晴らしい人なんだ)

「とにかく」

 シンゴは自分の思っていることが表面に出ないように祈りながら口を開いた。

「ここでグズグズしていても奥様の容体はわからないのですから、博士は一刻もはやく病院へ行かれるべきですね」

「あ…ああ…そうか…」

 アーネストは小刻みにうなずく。

「私、おじさまについていくわ」

 ヨロヨロとした足取りで玄関へと向かいだした彼を、ノアは心配そうな目で見つめた。

「その方がいいかもしれないね」

 シンゴはうなずいた。

「僕たちはここで待ってるよ」

 そう言うシンゴにうなずくと、ノアは急いでアーネストの後を追った。

 そんな彼女を、シンゴたちは心配そうに見つめていた。



 火星総合病院は探検センターよりさほど離れてはいなかった。いかにも病院といった感じの真っ白で清潔そうな外観である。広い待合室には多くの人々が椅子に座り、自分の診察の順番を待っている。

 アーネストはそんな人々に紛れて、未だに青ざめた顔を床に向けたまま力なく座っていた。

「おじさま」

 そこへノアがやって来た。彼女は受付でアーネストの妻のことを聞いてきたのだ。

「おばさまの病室は十階ですって」

 彼女の声に彼は顔を上げた。憔悴しきっている様子だ。

「………」

 顔を上げただけで言葉もない。

「さあ。おじさま」

 彼女はかまわず、彼を立ち上がらせるとグイグイと引っ張って病棟へと連れていった。


 廊下はさすが病院だけあって、わかりやすくなっていた。といっても基本的な形式は大昔と変わりない。

(たいがいの病院なんてどこらへんに病棟があるかは何となくわかるもんよ)

 ノアは歩きながら心でそう思った。

(こうやって行き先が矢印で表示してあると馬鹿な人にもわかって親切だわね)

 ノアは床を見つめた。

 床には彼女の言うとおり、あちらの方には何々が、こちらの方には何々が、という風に線が引かれてあった。彼女らの歩いている天井からは案内表示のボードも垂れ下がって、この部屋はどんな部屋かということが一目瞭然でわかるようになっている。

(でも…)

 ノアは少々うんざり気味でため息をつく。

(わかりやすくていいかもしれないけれど、なんだかとても見苦しいわ)

 身も蓋もないことを思う奴である。

 病院で迷い子になるということは、よけいに病人を不安に落としこむことにもなりかねない。そういう配慮がしてあることも彼女にはわかっているはずだと思うのだが、やはりノアの考え方は人と多少ずれているのかもしれない。

 

 この時代の人々の意識は、科学が進んだことによっての体力低下をいかに無くすかということにある。病院内でも、よほどの重病人でないかぎり、すべての入院患者はおのれの足で院内を移動することになっていた。

 それでも初めて訪れる者にとって、複雑に入り組んだ院内で迷わぬようにするのは困難なことだ。そこで、要所に案内用モニターが設置してあり、音声で質問すればたちどころに自分のいる位置や行きたい場所を教えてくれるようになっていた。

 しかも、太陽系内標準語以外の言語でも応対するようになっている。銀河連邦に加入している星系語ならば、ほぼすべての言語に対して有効なのだ。


「ん?」

 そんな時、ノアの視線が何かをとらえた。

「どうしたんだ。ノア」

 立ち止まってしまった彼女に、意気消沈していたアーネストもさすがに変だと思ったらしく声をかける。

「え…ううん」

 彼女は我に返ると首を振った。

「ごめんなさい。なんでもないの」

「?」

 彼女はおもむろに歩きだした。

「さ、急ぎましょう。おじさま」

「あっああ…?」

 アーネストは彼女の立ち止まった病室の扉を何気なく一瞥した。

 そこには『ヨリFXF4』という名札がかかっていた。

(空間人か……)

 ちらりと彼はそう思っただけで、すぐにそんな名前は忘れてしまった。彼にとってはとにかくそれどころではなかったのである。


「そうか。それはよかった」

 探検センターのTV電話にノアから連絡が入った。

 ノアは、コーネアの容体はごく軽い心労であると電話に出たシンゴに伝えた。それを聞いた彼はホッと胸をなでおろす。

「タカオのせいよ」

「また、そんなことを…」

 ノアの辛辣な言葉に彼は顔をしかめた。シンゴの傍らにタカオがいると知っているくせに何か言わなくてはすまないらしい。

「えっ! なんで?」

 タカオは身を乗り出して叫ぶ。

 シンゴの表情がさらにしかめられた。それは、このノアにしてこのタカオありとでもいいたげなものだった。

「だいたいあんたのデリカシーのなさが、おばさまの神経をすり減らしたんじゃないの」

「ぶぅ…」

 タカオは不服そうに頬をふくらませた。

「それより…」

 すると、いきなりノアの表情が一変した。

「そこに───ケイタさんだっけ───いるかしら?」

「なんだい?」

 相変わらず弱々しい雰囲気をしたケイタが画面内に入ってきた。

「さっき言ってた銀河号の息子って、なんて名前かわかる?」

 彼女の口調はまるで昔からの友人に喋っている感じである。

「………」

 ケイタの横でサヨがなぜかムッとした表情を浮かべた。

「ああ」

 サヨとは違い、ケイタの方は一向に気にするふうでもなく、気前よく画面に映ったノアにニッコリして見せた。

「確かヨリっていう名だったよ」

「ヨリFXF4!」

 ノアが嬉しそうにそう言った。

「そうそう。よく知ってるね……あ…」

 彼は何かに気づいて目を見開いた。

「そうよ。私見つけちゃった。その銀河号の息子ってやつ」

「そうだった。その病院だったよね」

 ケイタがなるほどとうなずく。

「私、ちょっとそいつに逢ってみるわ」

「おい! ノア!」

 シンゴが慌てて叫んだが、すでに通信は一方的に切られていた。

「…ったくもう……」

 彼は頭をかかえている。

「僕らも行ってみない?」

 するとケイタがいきなりそう言った。

「ええっ?」

 シンゴにかぎらず、その場にいた者全員が叫ぶ。

「行ってみようよ」

 彼は、その風貌に似合わない好奇心の輝きを瞳に見せてみんなを見渡した。

「あら、おもしろそうじゃないの」

 さらにサヨが彼に賛成する。

「ね、シンゴ…あ…呼び捨てしちゃった」

 サヨが恥ずかしそうに両手で口を抑えた。

「いいよ。そんなこと。僕も君のことサヨって呼ぶから」

 シンゴはそんな彼女に頓着しない。

「ありがとう。だからね、シンゴ。空間人なんて探検家の卵の私たちにはまだ拝む機会ってないじゃない。あなたも端くれなら 見てみたいって思わない?」

「そ…そりゃあ…」

「でしょっ」

 心がぐらつきかけているシンゴに畳み込むようにサヨは言葉を続けた。

「行きましょうよ!」

「う……うん…」

 全面的に負けのシンゴであった。彼は心でため息をつく。

(ケレス総裁までの道のりはまだまだのようだな……)



 誰かの気配を感じる────

 彼は目を閉じたままそう思った。すでに意識はある。ただ、ひどくだるくて目を開けるのがとてもおっくうに感じているのだ。

 白い病室のベッドの上で彼は横たわっていた。病室には窓はない。四方を白い壁に囲まれたそこは、あまり広い空間ではなかった。ただ、一面の壁だけはスクリーンになっていて、病人の好みのまま様々な景色が映し出せるようになっていた。今は険しい山々が映し出されている。雪が頂上にのぞめ、見るからに冷え冷えとしたその風景は、今にも清涼な空気が室内に流れ込んできそうな錯覚を感じさせる。担当の医師か、看護婦の誰かの趣味なのだろう。その風景は地球の山岳地帯のどこかのようであった。

 ベッドの上で彼はわずかに身じろいだ。閉じられたまぶたの睫毛はまるで女の子のように長く、それが彫りの深い男の子らしい顔だちに優しそうな印象を与えている。髪はうすい色の金髪で肩まで伸びたフワフワのクセッ毛だ。目を開けたら恐らくかなりの美少年だろう。

「………」

 その彼のまぶたがゆっくりと開かれた。

「!」

 彼はかすかに驚いた。すぐそばでジッと彼を見つめる少女がいたからだ。

 好奇心丸出しで、かなりぶしつけな視線を向けるその少女は────言わずと知れたノアであった。だが、少年にとっては見知らぬ人間である。

 それでも、さほどに驚くでもなく、少年はノアと同じように自分を見つめるこの少女をじっと見つめた。

「君は誰?」

 姿に似合わず、案外と低く渋みのある声である。

「何でオレはこんなところに……」

 彼は上半身を起こしたが、ふらついた。

「あっ危ない。まだ横になっていた方がいいわよ」

 ノアは彼の身体に手をそえて再び横に寝かしつけた。

「………」

 彼はされるがままに横になった。それでも視線はノアに向けたままである。

「君はいったい誰なんだ」

 そしてもう一度聞く。

「えっとぉ、ごめんなさいね。扉が開いてたのよ…」

 彼女はベッドの横にあった椅子に座り、くちごもりながらそう言った。それはあまりに見え透いた嘘である。どうやらそれに彼は気づいたようだ。

「そう…でも見たところ看護婦さんというわけでもないみたいだね」

 彼の口調は非難めいたものではなかった。

「で、何でそんなにオレの顔を見つめているんだい?」

 彼の言葉に彼女は珍しくばつの悪い顔をした。

「勝手に入って悪かったと思うわ。でも私、空間人なんて初めてなんだもの。その気持ちはわかってほしいと思うのだけれど……」

 多少言い訳がましく聞こえるが、彼女としてはこれでも最大限に反省しているつもりらしい。しかしやはり一言多いのは彼女の彼女たるゆえんである。

「………」

 だが、彼はノアのそういった態度もそんなに気にはしていないようである。弱々しい笑顔を見せるとうなずいた。

(?)

 ノアは首をかしげた。なぜかその笑顔に見覚えがあるような気がしたのだ。

(何だろう…この懐かしい感じ……)

「オレはヨリ……ヨリFXF4だ」

 彼はノアに笑顔を向けたまま自己紹介をした。

「ねえ。あなた…ヨリって、あの銀河号の船長の息子さんなんでしょう?」

 ノアは身を乗り出している。

「そうだけど……」

「はぁ─────!」

 突然ノアは大きなため息をついた。

「?」

 ベッドに横になっているヨリはびっくりした顔を彼女に向けた。

「いいわよねえ。空間人って」

「………」

「私たちは地球の呪縛から逃れることはできないけど、あなたたち空間人は自由に宇宙を旅できるんだわ」

「君は地球人なんだ」

 ヨリは少し興味を示してそう言った。

「ええ。そうよ」

 ノアは親しげに微笑んだ。

「観光か何かでここに来てるのかい?」

「ううん」

 ノアは首を振った。そして心なしか胸を張る。

「私はね。探検家の卵なの。将来は地球探検センターの総裁になるつもりなのよ」

 さすがノアである。

 普通の者ならたとえ約束されていてもそんな大それたことは口にしないものだ。お見事としかいいようがない。

 ここにシンゴがいなくてよかったというべきか、それともやはりいたほうがよかったのか。いずれにせよ、ヨリは驚きを隠せないでいることは確かであるようだ。それが彼女の大見得のせいか、それとも別の何かの要因かは見ただけではわからないが。

「………」

 彼は彼女の言った『総裁になる』という言葉については何も言うつもりはないようだ。

「地球探検センターの総裁って、確かケレス総裁だよね」

「そうよ。私の父だわ」

「へえ……」

 彼は意外といった感じでノアを見つめた。

「そういえば君の名前を聞いてなかったね」

「ノアよ」

「え…?」

 なぜかヨリはひどく驚いた。さらに穴のあくほど彼女の顔を見つめる。だが、それに気づかないノアは誇らしげに続けた。

「私はノアAOA7というの」

「それじゃあ……君は……」

 さらに彼が何かを言いかけた時────

「息子よぉぉぉぉぉ─────!!」

 物凄い大声で、勢いよく病室に入ってくる者がいた。

───ガタン!

 ノアはびっくりして椅子から転げ落ちた。

 そこには、山のように逞しい体格をした男が立っていた。見るからに大宇宙を渡り歩くスペースマンといった風貌だ。黒々とした髭を生やし、ごつごつとした両手を伸ばして愛する息子を抱きしめようとしている。

「父さん!」

 思わずヨリはベッドから身体を起こした。それに答えて父は吠えるように叫ぶ。

「息子よぉぉ!」

 ノアの目の前でがっしりと抱擁する空間人の親子。

 なかなか感動的な場面である───が、しかしノアの目には果してそのように映っているのかどうか───

「似てない親子…」

 やはりである。まったく身もふたもない物言いだ。幸いにも、彼らはすっかり二人の世界に入ってしまっていて、彼女の失礼な言葉は聞こえていないようだったが。

「…………」

 ノアは椅子から転げ落ちた恰好のままでふたりを見つめた。

 かたや色白で淡い色の髪を持つ、見た目は麗しの美少年。そして、もういっぽうは乱暴で粗野で華麗という雰囲気のかけらもない宇宙の船乗り男────

(ヨリは母親似かしら?)

 そう彼女が思った時である。

「ばっかもん!」

 病室に轟く大声にノアはさらに驚いた。それはヨリの父の声であった。

「父さん……」

 ヨリは悲しそうに目を伏せている。

「どんなにワシが心配しておったか、お前にはわからんのか!」

 悔しそうにそう言う彼の言葉に、はやくもノアが興味を示しはじめた。

「父さん…」

 ヨリの咎めるような言い方に、彼の父は何かを感じた。息子の視線をたどり、傍らの床に座り込んでいるノアに気づく。

「誰だね。君は」

「あっ…はっ…す、すみません」

 慌てて彼女は立ち上がり、頭をかいた。

「私は通りすがりの者です。すぐ出ていきますので…ごめんなさいっ」

 ノアは未だ心に名残惜しい気持ちを残したまま、急いでその場を立ち去ろうとした。

「あっ待てよ!」

 そこへヨリの声が────

「君はノア…オレとよく遊んだノアだろ?」

「へ?」

 ヨリの言葉に思わず振り返るノア。その顔は呆気に取られた表情を浮かべている。

「オレだよ。オレ。覚えてないかなあ。えっと、昔の名前はなんだったか……」

 彼は傍らに立つ父に顔を向ける。

「リィンだ。お前は自分をそう呼んでいた」

 ヨリの父は苦々しげにそう言った。

「あん時はオレ、ちっちゃかったからな。本当の名前なんか忘れてしまってたぜ。でもお前の名前だけはよっく覚えてた。泣き虫で気の強いノア…俺の後ろをいつもチョロチョロついてまわってたお前の名だけはね」

「えっえぇぇぇぇぇ─────!?」

 ノアは今にも卒倒しかねないほど目をむいて叫んだ。ヨリを指さす彼女の指はふるふると震えている。

「うっそぉぉぉぉ──────!!」



「ワシが悪いのだ」

 ヨリの父、銀河号の船長ゴルゴ・ドライデンは語りはじめる。

 さきほどの顛末の後、シンゴたちが到着した。

 ノアと同じく好奇心からのこのこやって来た彼らも含めて、ヨリの病室で彼らは真面目な顔を船長に向けていた。それを静かに見つめるベッドの上のヨリ。心なしか青ざめている。

「捜索願いが出てたはずだと思うんだけど、なんで船長は届けなかったの?」

 ノアのその言葉に横に座っていたシンゴがまたもや顔をしかめた。彼は肘で彼女を突っ付いた。それをにらみつけるノア。

「なによぉ…」

「やめろよ」

 シンゴもノアをにらむ。

「あの時ワシは大切な仕事があったのだ」

 ゴルゴ船長はそんな非難めいた言葉にも怒る気はないらしい。真っ直ぐにノアの目を見つめながら喋っている。

「船長……」

 シンゴは呟く。彼は視線をノアからゴルゴへと向けなおした。

「遠くアンドロメダまで届ける情報があり、すぐにでも出発しなければならない状態だったのだ」

「でもそれなら天王星の探検センターにでも託せばよかったんじゃない?」

 船長はうなずいた。そしてヨリに視線を向けながら彼は言いにくそうに口ごもった。

「悪いこととは思っていたのだ。ただ、時を同じくしてワシは成人を迎えたばかりの息子を事故で亡くしたばかりだった。ヨリを見つけた時、ワシは息子が帰ってきたと思った。いや…思い込もうとしていた。それでつい届けもせずにそのまま仕事をいいことに連れていってしまったんだ」

「オレは小さいころのことはあんまりよく覚えてないんだ」

 ヨリはノアの顔をちらりと見る。

「もっともノアという女の子とよく遊んだという記憶だけは鮮明に覚えてたけどね」

 弱々しく微笑む彼にノアもつられて微笑んだ。

「今までオレは父ゴルゴの息子だとずっと信じてきた。ふたりの見た目があまり違いすぎるので、他人は変だと思っていたらしいが、オレはかけらも疑ったことはなかったんだ」

 ヨリは父に向かってそう言い切った。

「すまない。ヨリ…」

 ゴルゴは肩を落としてそう呟いた。その姿は豪胆と恐れられた船長とは思えない。それほどの落胆ぶりであった。

「何を言ってんだよ!」

 声を張り上げるヨリ。

「オレはね、父さん。よく打ち明けてくれたと思っているんだぜ」

 彼の言葉に顔を上げるゴルゴ。その顔には訝しそうな表情が浮かんでいる。

「たとえ本当の親子でなくても銀河号の船長ゴルゴ・ドライデンはオレの父だ」

 ヨリの声には誇りが満ち溢れている。

「オレにとっては、かけがえのない素晴らしい父なんだよ」

「ヨリ……」

 みるみるうちに輝いていく船長の顔。この上もない喜びであろう。

 そして、そんなふたりを見つめるノアたちの顔もとても嬉しそうであった。

 それから────

 相変わらずヨリの病室の壁には地球の山々の清涼な風景が映し出されている。一見、険しい山の頂上の万年雪が、病室の彼らに寒々とした気持ちを与えるようにも見えたが、そんなことはなく、みんな空間人の親子の熱いつながりを肌で感じていた。

「それでも……」

 そんな時、船長のつらそうな声が上がる。

「やはりお前は本当の親の元に帰ったほうがいい」

 ゴルゴ船長は心持ち声を落としてそう言った。

「でも、父さん!」

 ヨリが反論しようとすると、それを船長はさえぎった。

「お前の両親の気持ちも考えろ────とはワシにも言えることだ。ワシのわがままのせいで、彼らに永い間つらく苦しい思いをさせてしまった」

 ゴルゴは顔をゆがめた。

「……とにかく一度、逢ってみることだ」

 そう船長は言うと立ち上がり、みんなに背を向けた。それはもう何も言ってくれるなという彼の無言の意思表示だった。

「船長……」

 ノアやシンゴたちは、そんな彼をただ見つめることしかできずにいた。


 それからしばらくのち────

 ヨリは別の病室に立っていた。見おろすそこには、青ざめた顔をした美しい女性が目を閉じてベッドに横たわっている。

 彼女の金髪の輝きが心なしかにぶっているように見えるのは、気のせいではないだろう。その女性は、彼の本当の母であるコーネアであった。

「………」

 彼はじっと見つめている。

 自分の記憶の中から、幼いころに知っていたはずの母の面影を必死になって捜し出しているようだ。そして病室には二人のほかには誰もいなかった。

 少し前のこと───

「感動的な再会なのよ!」

 奇しくも同じ病院に入院していたヨリの母コーネアに彼が逢うことになった時、ノアが自分も立ち会いたいと言いだしたのだ。

「………」

 だが、ノアの力説に誰も耳をかすものはいなかった。みんな、彼女の不謹慎このうえない言葉に呆れているといったところだろう。

「……ちょっとくらいのぞかせてくれてもいいじゃない……」

「ノア!」

 シンゴが恐い顔をして怒った。

「むぅ────」

 シンゴの非難まじりの声に、さすがの彼女も頬を膨らませただけで、それ以上何も言い返さなかった。

 そんなこんなで、多少の問題はあったものの、めでたく母と子はふたりだけの再会とあいなったわけである。

「う…リィン……」

 コーネアのまぶたが震え、苦しそうに身じろぐ。

「か…かあさ…ん…」

 ヨリは思わずひざまずいた。伸ばされる手を取る。

「リィン…?」

 コーネアのまぶたが開いた。

「………」

 しばらく彼女の視線は焦点が合っていないかのように空をさまよい、顔は天井に向けられたままだった。

 その彼女の目が、かたわらの少年をとらえた。

「……?」

 心配そうにのぞきこむヨリ。しばしみつめあうふたり。

「リィン…なのね?」

 コーネアの青ざめた顔が一瞬にしてバラ色に変り、瞳がみるみるうちに潤みだした。

「そうだよ。母さん」

 ヨリは微笑んだ。それは確かに肉親に対する思いやりに満ちた微笑であった。

 たとえ本当に血がつながっていても、あまりに長いあいだ逢わずにいれば実感がわかないものである。それでもどこかで通じ合うものがあるはずだと人は言うだろうが、実際にはやはり育ての親とのつながりの方が確かになってしまう傾向が強いであろう。

 だが母親というものは、たとえ下に子供ができたとしても、長いあいだ消えてしまった我が子のことは決して忘れない。このコーネアのように面影を胸にだき、思いつづけて生きていくものなのだ。死んでしまった子供でさえもそうなるのに、ましてやどこかに生きているかもしれぬとあらば当たり前のことである。

 毎年毎年、わずかに残された我が子の映像をたよりに、今年のあの子はこんな顔、こんな声、というふうにそのことだけを想像して日々を生活してきた母─────

 他人は、もう生きているのか死んでいるのかわからぬ子供のことなど忘れたほうがいいとさとしたが、彼女は決して忘れようとはしなかった。必ずどこかで無事に生きていると信じて疑わなかったのである。

「リィン……」

 コーネアは握られた手をしっかりとにぎりかえした。そして自分の方へ引き寄せ、頬におしつける。

「母さん…」

 ヨリは戸惑ったようにくちごもる。

 すっかりコーネアはヨリを自分の我が子と認め、受け入れたようである。

 しかし、さすがにヨリのほうはつい最近事実を知ったばかりであったので、なかなかこの母になじむということができずにいるようだ。それほど彼は育ての親であるゴルゴを本当の父親であると信じきっていたからだ。

 だがそれも、きっとこれからの触れ合いで解消していくことであろう。

「母さん!」

 そんな予感がしたのか、それともやはり血のなせるわざなのか、ヨリはさらに力強く手を握り、無意識のうちにしっかりとした声で母を呼んでいたのである。


 ゴルゴ・ドライデン船長は人知れず火星から去っていた。

 ヨリにも誰にもどこへ行くとも告げずに、みんなが気づいたときには跡形もなく船ごと消え失せていたのだ。

「せめて、どこに行くかぐらい教えろよな」

 ヨリは悔しそうにそう呟いた。

「でも、もちろんコーネアおばさまのところに帰るんでしょう?」

 ノアは心配そうな顔をした。

 彼女はもう大好きなコーネアの悲しむ顔を見たくなかったのだ。それはもちろんヨリとて同じ気持ちなのであろう。

「心配すんなよ。もう母さんを悲しませることはない。ただ……」

「ただ……?」

 ノアは首をかしげた。

「ただ、オレは心底空間人になっちまってるんだよ。別の意味で悲しませちまうかもしれないな……」

 ヨリはため息をついた。

「………」

 ノアはそんな彼を怪訝そうな目で見つめていた。

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