第3話「これでいいのか、好転回?」

 それから、わずか数ヶ月という恐るべき短期間で、地球人と火星人はそれぞれの移住先へと移っていった。そのほとんどの移住先が太陽系外だった。

 すでにこの時代、遠くの星々へと渡るためのワープ航法が開発され、実用されてずいぶん経つ。

 人類はその技術を手にした時、新時代へと突入した。はるか200万光年の彼方までもひとっ飛びできるようになったのだ。

 そして、人々は住みなれた地球を後にし、愛する故郷の最後を今か今かと固唾を飲んで待ちつづけた。

 しかし、ここで誰もが予期していなかったことが起きたのだ。

 火星の軌道が再び大幅にずれ、ある軌道におさまったのである。

 火星は地球のかなり近くまで接近してきていた。

 なんと、太陽をはさんだ反対側に火星の位置が落ちつき、地球と同じ軌道をめぐるようになったのである。



「本当によかったわ。誰がこんなこと予想できたと思って?」

ノアは地球の大地を踏みしめ、満面に笑みを浮かべてそう言った。あれからずいぶん経ってからのことだ。

「火星も地球のように緑あふれる惑星になるかなぁ」

 タカオは空を見上げた。

 しかし火星を見ることはできない。常に太陽に隠れる状態になるので、地球上からは二度と肉眼で見ることはできないのだ。

「それはこれからの調査でだんだんとわかっていくわよ」

 ノアは脳天気に空を見ているタカオにそう言った。その声にはかすかな侮蔑がこめられていた。

「………」

 シンゴは思わず顔をしかめた。だが、賢明にも彼は何も言わなかった。

 タカオのほうはといえば、まったく気づかないようで、得意げに喋りつづける。

「そう言えば今度さ、宇宙探検センターから火星に調査団が派遣されるそうだよ」

「あら。そんなこと今ごろ知ったの?」

 せせら笑うノア。

「ノア」

 シンゴが押し殺した声で言った。どうやら我慢しきれなくなったらしい。

「おまえさぁ、もうちょっとその性格、なおしたほうがいいぞ」

「なんのことよ」

 ノアは憤慨して手を振り回した。まるで子供みたいだ。

「気づいてないのか?」

 シンゴは驚いたように目を見開いた。そんなシンゴをノアは怖い顔をしてにらんでいる。

「まいったな………」

 彼は困ったように頭をかいた。

「なになに? シンゴ、僕にもわかるように教えてよ」

「はぁ────」

 さらに、シンゴは自分の親友の無邪気さにあきれて、深いため息をついた。

「もういいよ。ノア…ごめん。今言ったことは忘れてくれ」

「……」

 ノアはしぶしぶうなずいた。

 それに比べ、タカオは不思議そうにふたりの顔を交互に見やっている。まったくのんきなものだ。

「それより、調査団のことだけど………」

 そして、シンゴは話題を変えた。

「僕たちも行ってみたいと思わないか?」

「あら、それいいわね」

 たちまちノアの顔がパッと輝いた。さっきまでのふくれっ面が嘘のようだ。

 シンゴは思わず吹き出しかけた。

(ま…こいつのこんなとこが憎めない理由なんだよな)

 彼は表情を崩しかけたが、キリリとくちびるに力を入れる。

「これからセンターへ行こう。そして、リョウゾウ博士やナオト博士にそれとなく口添えしてもらえるよう頼んでみないか?」

 シンゴはそう提案した。

「それはいい考えだわ」

「うん、行こう行こう」

 ふたりはすぐさま賛成する。

 そして、彼らはそのまま宇宙探検センターへと向かうことにした。

 ノアなど、意気揚々と胸を張って歩いている。まるで自分が言い出したとでもいわんばかりの態度だ。

 シンゴは苦笑しながら彼女の後ろを歩いた。

(かなわないな、こいつには)

 やれやれといったふうに頭を振る。彼はだんだん自分がノアの保護者になったような気がしてきた。


 三人がセンターへやって来てみると、リョウゾウとナオトが何事か熱心に話し合っていた。

 今日は何人かの研究員たちも忙しく立ち働いている。恐らく、今度の火星行きの準備などをしているのだろう。

 だが、ノアたちは勝手知ったるなんとやらで、どんどんふたりに近づいていった。

「やあ、ノア」

 やはり、いち早く彼らに気づいたのはナオトであった。すると、ノアの表情が一瞬のうちに固まる。

「今日は三人一緒だね」

 ニコニコしながら近寄ってくるナオト。またしてもノアは一歩下がった。

「いったい今日はどうしたんだ。うちは今忙しいんだぞ」

 リョウゾウのいらついた声が上がる。彼はデスクに地図のようなものを広げ、それを熱心に見つめながら顔も上げようとしない。

 それもそのはず。状況を考えれば無理もないことだ。誰もナオトのように悠長にかまえている者はここにはいない。

「今日はお願いがあってきたんです」

 しかし、シンゴはそんなリョウゾウの冷たさにも負けずに切り出した。

「おっと…」

 彼はノアとぶつかりそうになったので、身体を横にずらした。

「お願い?」

 ナオトの足が止まった。

「そうです。僕らも火星に連れていってもらえないかと思いまして…」

 そこまで言ってシンゴは口をつぐんだ。ナオトが驚いた顔でこちらを見ていたからだ。

「ほんとに言ってきやがった…」

 これはナオトの言った言葉ではない。

「え…なんですって?」

 ノアは驚いてリョウゾウを見た。

 さっきまで顔を上げようとしなかったリョウゾウが、ナオトと同様、驚いた顔をシンゴに向けている。

「驚いた!」

 するとナオトが感極まって叫んだ。

「ええっ!?」

 ノアたちはびっくりしてナオトを見つめる。

「君たちが火星に連れてってくれって、必ず言いにくるだろうって……」

「なんだって?」

 ナオトの言葉にシンゴが叫ぶ。

「誰がそんなことを…」

「私だよ」

「!」

 シンゴたちはハッとして後ろを振り返った。

「ケレス総裁!」

「お父さん!」

 そこにはピシリと背を伸ばし、両手を後ろで組んだ背の高いケンイチ・ケレス総裁が立っていた。相変わらず何を考えているのか、推し量りがたい表情である。

「私は嬉しく思うぞ。それでこそ本物の探検家だ。好奇心────これこそ我々にとって最も必要とされるものだからな」

 彼はかすかに微笑むとうなずいた。

「今回のような調査対象は、大いに我々探検家の好奇心をくすぐる」

 ケンイチはゆっくり歩き出した。

 ノアの横をすり抜け、ナオトを通りすぎてリョウゾウのそばまでやって来る。

 それから彼はさっと振り返り、子供たちの前に立つと、彼らの顔を順々に眺めわたした。

「君たちももうすぐ成人になる。そろそろ大人たちに混じって体験するもよかろう」

「やった!」

 タカオが握りこぶしを突き出した。とたんにケンイチの鋭い視線が飛ぶ。

「バカ」

 シンゴがポカリとタカオの頭を殴った。

「それが子供っぽいって言うんだよ」

「だってさー」

 タカオは頭をさすりさすりぶうたれた。

「それより……」

 するとノアが、そんなタカオたちのことなど気づいてないかのように、嬉しそうに言った。

「お父さんも火星に行くの?」

 彼女の瞳は期待で輝いている。

「一緒にお仕事するの、夢だったのよ」

「いや…私は行かない」

 だが、冷たく父は言い放つ。

「火星の調査団はマーズ・セクションの主任であるパリス博士に任せてある」

 彼はそう言うと、リョウゾウにうなずいてみせた。

「よろしく頼むぞ、博士」

「わかりました。ご期待にそえるようがんばります」

 リョウゾウは背筋を伸ばして答えた。

「え────────っ!」

 すると、とたんにノアの叫び声が上がる。

「そんなぁぁぁ───! おとーさんもいこぉぉよぉぉ───!」

 ギロリとにらむケンイチ。たちまちシュンとするノア。

「しかたないんだよ、ノア」

 見かねたナオトがふたりに割って入った。

「ケレス総裁は、それはそれはお忙しい身であられるんだ。しかし、火星に向かいたいお気持ちはやまやまなんだよ。本当に」

 彼はチラリとケンイチに視線を向けた。その視線を感じたのか、ケンイチはかすかにうなずく。

「私はもう行かねばならない」

 彼はそう言い、出て行こうとした。

「待って!」

 するとノアが必死な様子で叫んだ。

 ケンイチは立ち止まり、娘を振り返る。しばし、親子の視線と視線がぶつかり合った。

「お母さんに逢った?」

 それでも、おそるおそるノアは切り出す。彼女にしては殊勝な態度である。

「お母さん、とってもお父さんのこと心配してたよ」

 そういう彼女の声には、母を心配する気持ちがあふれていた。

「………」

 だが、相変わらずケンイチの顔は無表情であった。

 娘の言葉にもまったく動じることなく再び振り返り、立ち去ろうとする。

「お父さん!」

 ケンイチは立ち止まった。だが、背中を見せたままだ。

「これ以上何も話すことはない」

 そう冷たく言うと出ていってしまった。

「………」

 後に残されたノアは頭をたれ、床を凝視している。

「ノア……」

 ナオトが寄ってきて、彼女の肩に手を置いた。ノアの細い肩がピクリと動く。

「なんて言ってよいか……」

「なんにも言わなくていいわよっ!!」

 パンッと彼の手を振り払い、彼女は大声で叫んだ。

「みんな、だいっきらいっ!!」

 そして、その場を飛び出して行った。

「ノア!」

 タカオが慌てて彼女の後を追った。シンゴもその後を追おうとする。だが、それでもナオトとリョウゾウに会釈するのを忘れない。そんなところに彼の性格がよくあらわれていた。

「失礼します!」

 そう叫ぶと、急いでふたりの後を追った。

「………」

 ナオトはショックをあらわにして、ノアの出ていったドアを茫然と見つめている。

「やれやれ……」

 リョウゾウは深くため息をつくと、再びデスクに目を落とした。



 それから、ある日の研究室。外の風景が見渡せるガラス張りのこの部屋に、ノアたちは立っていた。

「ノアAOA7」

「タカオBOB3」

「シンゴGOG9」

 宇宙学科の教授がノアたちの名を呼んだ。

 三人の瞳は湖面のきらめきのように輝いていた。ガラスを通して太陽の光が差し込んでいるためだ。と、いっても、それだけではないことは歴然としていた。

「はいっ」

 三人は異口同音に答えた。堂々としていて、いかにも誇らしげだ。

「君たちもすでに承知のことと思うが、今回宇宙探検センターの研究チームは火星の調査に向かう」

 教授の言葉に三人はうなずいた。

 彼らのその様子を見て、教授は自らも重々しくうなずく。

「彼らは火星センターと共同で調査に携わることとなる。そこで………」

 彼は三人の顔を見渡した。

「そこで、総裁からの申し出により各学校から18歳以上の学生を実習ということで、研究チームとともに火星に送り出すこととなったのだ」

 ノアたちの口もとには微笑みが浮かんでいた。とても満足そうである。

「本校の宇宙学科では、君たちがその対象として選ばれた。日頃の学業を充分発揮してくれることだろう。健闘を祈る」

「はいっ。ありがとうございます」

 ノアたちは一斉に頭を下げた。

 そんな彼らに惜しみなく降り注ぐ陽光。若い彼らをまるで祝福しているようである。



「私も一緒に行ければいいんだが………」

 出発当日。スペースステーションでナオトが残念そうに言った。

 クリスタルで構築されたステーションは太陽の光があたり、まぶしいくらい輝いていた。ポートに着地している数多くの宇宙船たちは、そのほとんどがシャトル型である。

 中には、その昔、UFOと騒がれた円盤型のものや円筒型のものなど混じって停泊していたが、やはり主流はシャトル型だ。そのスリムな流線型が、どうやら人気の秘密であるようだ。

 リョウゾウ率いるセンターの研究チームと、ノアやシンゴ、タカオを含む各学校の学生たちはステーションの広い待合室にいた。

 今か今かと出発を心待ちにしている。

 そんな心ここにあらずといったノアの正面にナオトは立っていた。

「ケレス総裁に呼ばれていてね。あとで合流するよ」

「ふぅ~ん…」

 ノアは気のない返事をした。そんな彼女を見て、ナオトの目に明らかな落胆の色が浮かぶ。

「そうだ!」

 すると、彼は急に叫んだ。何か思いついたらしい。

「総裁に何か伝えることはないかな。きっと君のことが気になっていると思うよ」

 晴れやかな顔でそう言うナオトを、ノアはキッとにらみつけた。

「!」

 ギョッとなって身を引くナオト。

「まあまあ…」

 それを見ていたシンゴが、ほっておけなくなって口をはさんだ。

「ノア。もうちょっと博士の気持ちもくんでやれよ。博士はおまえのことを心配してくださってるんだぞ。そんな態度はないんじゃないか」

 ノアはプイッと横を向いてしまい、さっさと向こうのほうへ歩いて行ってしまった。ナオトはまたしてもガックリと肩を落としている。

「前々からなんとなく気づいてはいたけれど…どうやら私は嫌われているらしいね」

 ナオトは誰に言うともなしにそうつぶやいた。すると、シンゴはそれを聞き、ナオトに首を振ってみせた。

「ナオト博士。ノアは誰にでもああなんですよ。まだ子供なんです。気になさらないでください」

「ああ。そうだね」

 ナオトはシンゴに顔を向けると力なく微笑んだ。

「………」

 シンゴはナオトのそんな姿をじっと見つめた。

(まったく……)

 シンゴは心の中で舌打ちしていた。

 彼は正直言うとナオトを情けないと思っていた。

 三十も過ぎた立派な大人が、成人にも満たない小娘のご機嫌伺いなどして、この人にはプライドというものがないのだろうか、と。

 もちろん、彼はナオトの優秀な頭脳を高く評価していて、尊敬はしていた。研究に打ちこむナオトは、実際男の目から見てもほれぼれするほど凛々しいのである。

 だが、えてして学者肌の人間というものは、学問以外はさっぱりなもので、おそらくナオトもそのくちなのだろう。

(そのてん、ケレス総裁は素晴らしいよな)

 シンゴはクリスタルでできた透明の壁を通して青空を眺めた。まぶしそうに目を細める。

(頭脳はもちろんのこと、世論にも精通しているし、恋愛だって……)

 ケンイチ・ケレスとその妻サリナの熱愛物語は誰でも知っている有名な話である。

 ケンイチとサリナは同じ宇宙学科で学ぶ同級生同士だった。

 サリナは当時、学校内でも一二を争う美人ではあったが、さほど学問ができるという女性ではなかったらしい。その彼女が、黒い瞳と黒い髪を持つ、どことなく影のあるケンイチに一目で恋をしたのだ。

 見た目は無愛想で無表情なケンイチだったが、実はとても情熱家だった。それはあまり他人には知られていないことであったが、シンゴは耳にタコができるくらいノアに聞かされていたのだ。

 だから、ケンイチの隠されたその性格を知らない者には信じられない話だろう。そんな彼がサリナを愛さないはずがなかった。

 いつしかふたりは深く愛し合うようになり、サリナは成人を迎える前にノアを身ごもり、二十歳の成人を迎えると同時に出産、そして彼らは結婚へといたったのである。

(いつか………)

 シンゴは青い空を見つめて思う。

 まだ若々しく、成熟したとはいえない瞳を持つ彼にとって、ケンイチ・ケレスは探検家としても情熱家としても到達したい目標だった。

(いつか彼のようになりたい。そして彼のように燃えるような恋を……)

 普段は思慮もあり、実際の年齢よりもずいぶん大人びて見えるこの物静かな少年は、瞳をキラキラと輝かせ、自分の未来に大いなる希望を見いだしていた。今、彼の瞳に映る青空のように果てし無く─────



 そして────

 いまだ災害の傷痕も生々しい火星のスペース・ステーションに、未来の探検家たちは降り立った。

 すでに復興に向けて工事が進められてはいるが、一朝一夕とはいかないものである。

 惑星上には数多くのクリスタルドームが点在しており、有害な宇宙線から人々を守っていた。と、同時にそれは人間が呼吸できる大気を確保していたのだ。

 クリスタルドームは、ある程度の隕石の衝突にも耐えうる強度を持つ硬化クリスタルでできていた。だが、そのドームのいくつかは破損してしまっていた。

 数多くの尊い命が失われた。天災にはどうしてもついてくる悲劇である。

 そして、火星の赤い大地も、人間と同様傷ついて人々の目前に広がっていた。

 それらの痛々しい光景は、ステーションの展望台から眺める、地球からやって来た若者たちを少なからず戦慄させるのに充分であった。

「地球もこんなふうになったかもしれないんだね」

 ポツリとつぶやいたタカオの声は、押し殺したようなささやき声だった。

「タカオったらばっかじゃないのー。火星と地球がぶつかっちゃったら、なーんにもなくなっちゃうのよ」

 憎まれ口をたたくノアであったが、さすがに彼女の声も元気がなかった。

「………」 

 シンゴはというと、何を考えているのか押し黙ったままである。

 だが、荒涼としたその眺めを見つめる顔には、恐れとも怒りとも表現しがたい表情が浮かんでいた。

「やあ、やっときたな!」

 そんなとき、彼らに声をかける元気な声がした。いっせいに振り返るノアたち。

「アーネスト博士!」

 そこにはノアの父ケンイチと同年代の男性が立っていた。いかにも科学者といった感じで、メガネをきっちりとかけている。

「おじさまっ」

 その真面目そうな人物を見つけたノアの顔がパッと輝く。一気に走り寄る。

 すると、アーネストは両手を大きく広げて、ノアを待った。

「お久しぶりです!」

 飛びつくノア。しっかりと抱きとめるアーネスト。その様子は本物の親子のようである。

「大きくなったな。おてんばさん」

「もう、おじさまったら」

 珍しくしおらしいノアであった。

「ますますステキになられましたね。やさしいおじさま」

 ノアは彼から身体を離し、相手の顔をしげしげと見つめた。

「もう私も年だよ」

 アーネストは苦笑いをしてみせた。

「アーネスト・サラ博士」

 そこへリョウゾウがやって来た。

「お出迎えごくろうさまです」

 彼は手を差し出しながらそう言った。

「いやーお疲れさまでした。大変でしたね」

 アーネストは手を握り返した。それから不思議そうにあたりを見まわす。

「おや、パレス博士がいらっしゃらないみたいですが」

「ああ、ナオトくんは後で来るんですよ。何でもケレス総裁に呼ばれてましてね」

「ああ…そうでしたか……」

 アーネストは含みのある返事をしながら、向こうへ行ってしまったノアに複雑な視線を向けた。

「?」

 リョウゾウはいぶかしげな表情をした。

 しかし、何も聞き返すことができなかった。なぜならアーネストはすぐに表情をもとにもどすとにこやかにリョウゾウに話しかけてきたからだ。

「それでは、とりあえずセンターの方へ参りましょう」


 そして、火星に夜が来た。

「おばさまの料理なんて久しぶり」

 ノアはテーブルに並べられたご馳走を平らげて、しごく満足そうにニッコリした。

「あら、嬉しいわ」

 ノアの幸せそうな顔を見つめながら、金色に輝く髪をゆらしてうなずく美しい人。ほっそりとした白い手を口もとにあてている。

「主人と私だけでしょ。ノアちゃんのようにたくさん食べてくれる子供でもいてくれたらいいのだけれど……」

 そういうと彼女は涙ぐんで声をつまらせた。

「コーネア……」

 アーネストは、いたわるようにそっと妻の肩に手をやる。

 アーネストとその妻コーネア、そしてノアにシンゴ、タカオはテーブルについて食事をしていた。

 学生たちは何人かのグループに分けられ、センターの職員の自宅に泊まることになっていた。ノアたち三人は、火星センターの科学者であるアーネスト・サラの自宅へと泊まることとなったのだ。

「リィンはまだ見つからないんですよね」

 ノアは暗い表情でそう言った。

「リィンって…?」

 彼女の言葉に、タカオは隣に座っているシンゴに聞いた。それにささやくように答えるシンゴ。

「アーネスト博士の息子さんだよ」

「えっえ───────!?」

 タカオは素っ頓狂な声を張り上げ、そのままの大声でアーネストに聞いた。

「子供がいたんですかぁ?」

「ばっか……」

 シンゴは頭をかかえた。この脳天気野郎をどうにしかしてくれ────何のためにそっと耳打ちしたのか、このバカ野郎にはまるっきりわかっていないのだ。

「もうずいぶん前なんだがね、いなくなってしまったのは」

 しかし、アーネストはさほど気にする風でもなしに、タカオにうなずいてみせた。

「もし生きていれば、私たちには君たちくらいの息子がいるはずなんだ」

「ごめんなさい……」

 すると、消え入りそうな声でつぶやきながら、コーネアが立ちあがった。

「気分がすぐれないので、先に休ませてもらいます」

 彼女は居間を出ていってしまった。

「あいたっ!」

 シンゴはタカオの頭をげんこつで殴る。

「何すんだよっ」

 不服そうにシンゴを見やるタカオ。そこへノアの軽蔑混じりの声が────

「ほーんとタカオってデリカシーのかけらもないんだからっ」

「まったくだ」

 シンゴがうなずく。今度ばかりは彼女の意見に賛成しないわけにはいかない。

「すみません博士。こいつのために奥様に不快な思いをさせてしまって」

 シンゴはタカオをひじでこずきながら謝った。

「いや…いいんだよ」

 アーネストは、とんでもないと言いたげに首を振った。

「でも…僕たち、お宅に来るべきじゃなかったかもしれないですね。息子さんのことを思い出させてしまうから」

「そんなことはないよ。私のほうから言い出したことなんだからね、君たちをうちに迎えるっていうことは」

 アーネストは慌ててそう言った。

「それに…娘のことをよろしく頼むとケンイチに言われているのでね」

「え…」

 ノアはその言葉に頬を染めた。嬉しそうな表情だった。

「ふ、ふん」

 それでも、彼女の口からは相変わらず憎まれ口が飛び出す。

「まったくいくつになったと思ってるのよ。あたしはもう子供じゃないわ」

(素直じゃないやつだ…)

 それを見たシンゴは心の中でニヤついた。

「そ…それよりもおじさま。やっぱりリィンの消息はまだつかめないんですか?」

 きまりが悪くなったのか、ノアは慌てて話題を変える。

「ああ。今さらこんなこと言ってもしかたがないんだが……もうあれから十五年の月日が経ってしまったからなぁ。生きていればもう十九になるか…」

「確か天王星でしたよね…行方不明になったのは」

 ノアの言葉にアーネストは辛そうにうなずいた。

「そう。自分の名前もきちんと言えるし、迷子になるはずはないのだが・・・ちょっと目を離したすきにあの子はもう…どこにもいなかった…」

「でもヘンですよね」

 不思議そうにつぶやくシンゴ。

「そんなにしっかりとした子供が見つからないはずないのに……」

 アーネストがうなずく。

「そうなんだ。当時、みんながそう言っていたのだよ。もしかして誘拐ではないかと」

「でもそうじゃなかった……」

 ノアがポツリと言う。彼女の言葉に、シンゴはあごに手をやり、前方の空間を凝視した。

「そう。犯人らしき人物からのコンタクトはなかったっていうことだよな」

「そのリィンって子、かわいかったんじゃない?」

 突然タカオが言った。

「きっとさ、誰かが自分の子供にしちゃったんだよ」

「!」

 シンゴもノアもハッとして、いっせいにタカオを見つめた。

「な、なんだよ…」

 ふたりに見つめられてびっくりするタカオ。

「そう…そうよ!」

 ノアが叫ぶ。

「リィンっておばさま似でね。目なんかぱっちりしてて、肌なんかも白くて女の子みたいだったし、それになんといっても髪よ。白金のそりゃあキレイな髪だったもの」

「よく覚えてるな、おまえ」

 あきれてシンゴが言った。

「その頃、せいぜい三歳くらいだろーが」

「あたしの記憶力を甘く見ちゃいけないわよ」

 ノアはチッチとひとさし指をシンゴの目の前で振ってみせた。

「よく一緒に遊んでたんだから…」

「もし、そうなら…」

 アーネストの声に三人は振り返った。

「もしも自分の子供としてかわいがってくれてるなら…それならいいんだがね」

 そうはいっても彼の声は辛そうだ。

「おじさま…」

「博士…」

 彼らは何ともいいようのない表情を浮かべた。

「大丈夫だよ」

 アーネストは子供たちを安心させるように笑った。そして、ノアたちの心配そうな顔をゆっくりと眺め渡す。

「あの子は…リィンは絶対生きてるさ。私はそう信じている」

 彼は力強くそう言った。それは、自分自身に言い聞かせるかのような力強さだった。


「いいこと、ケン?」

「なんだよ、サヨ」

 くるくるよく動く瞳を好奇心いっぱいに見開いて、少年はあたりをうかがっている。

「お姉ちゃんでしょ!」

 とたんに怒鳴る少女。だが、恐い顔を向けられても少年はペロリと舌を出しただけで、それほどこたえてないらしい。

 しかし、再びにらみつけられると不承不承言った。

「なに、姉ちゃん」

「まったく…何、じゃないわよ。今日は特別に連れてきてあげたんだからね。おとなしくしてるのよ」

「わかってるよ。それに僕は姉ちゃんの了解じゃなくて、先生のお許しでここに来たんだからね。そんなにエバんないでよ」

 十歳くらいの男の子である。女の子のようにかわいらしい顔をしてるが、姉を見る瞳にはイタズラっぽさが見え隠れしている。

「もぉー今日から地球の学生さんたちが来るっていうのに、こぉーんなお荷物かかえちゃって…ちゃんとお世話できないじゃないの」

 ぶうぶう言いながら髪をかきあげる彼女は、美人とは言いがたいが、どこか魅力的な雰囲気のある少女だった。

「あんまりキョロキョロしないでよ。田舎者みたいでハズカシイでしょ」

 彼女は後ろからついてくる弟を気にしながらスタスタと歩いていた。だから、前から来る人物に気がつかないでいた。

「あっ」

 ケンが叫んだが遅かった。

────ドシン!

「いったぁーい」

 彼女はまともにぶつかって、しりもちをついてしまった。

「あー、すまなかったね」

「?」

 どこかボーッとして捉えどころのない声が頭の上から聞こえる───とサヨは思った。少し興味を覚えて顔を上げる。

「大丈夫かい?」

 そこには手を差し出して、にっこり微笑んでるナオトがいた。

(あら、いい男)

 サヨはナオトの手を取ると、いそいそと立ち上がった。

「ケガはなかったかな」

「大丈夫です。すみませんでした」

 サヨは顔を赤らめた。

 すると、そんな彼女を見て、弟のケンがニタニタと下卑た笑いを浮かべた。年のわりには妙に大人びた表情だ。

「もぉ、下品な笑いするんじゃないわよ」

 サヨは弟の頭をゴツンと小突いた。

「あいたぁ……」

 叩かれた頭をさすりながら、ケンは姉をにらみつける。

「やあ、かわいいね。君の弟さん?」

 ナオトは相変わらず気持ちのいい笑顔だ。

「ええ。そうなんですぅ」

 ねこなで声でサヨは答えた。それに対し、げんなりとした表情をするケン。もちろん姉には見つからないように。

「君はもしかしてセンターの職員かな?」

 ナオトはあたりを見まわした。

「地球から調査団が来てるはずなんだけど、どこにいるか知らない?」

「わっ…私、サヨです。サヨCOC6。もうすぐで成人です。センターの職員じゃないですけど、今日は地球の学生さんたちのお世話をすることになってます」

 彼女は勢いよくそう言った。そして、隣に立つ弟も紹介する。

「この子は私の弟でケンって言います。今日はセンターの見学に来たんです」

 ケンは軽く会釈をして見せた。多少ふてぶてしい態度だ。それを姉が横から小突く。

「へえ、そうなんだ。まだ成人式を迎えてないんだね。大人っぽくてとてもそうは見えないよ」

 ナオトはそう言うと、なおいっそうの微笑を浮かべた。それを見たサヨはさらポーッとしてしまう。

「サヨ、ケイタに言いつけるぞ」

 さっきのお返しとばかりに、ケンは姉の脇を小突いた。

「サ、ヨ、じゃあないでしょぉぉ……」

「いたたた…わかったよ、姉ちゃん」

 サヨは横から手を伸ばし、弟のお尻を思いっきりつねった。

「それにケイタは関係ないでしょ」

 彼女は、ケンの耳に口を寄せてヒソヒソと言った。しかし、ケンは眇めて姉を見やる。

「あの───」

 そんなとき、身体中の力が抜けてしまいそうな声がした。言わずと知れたナオトである。

「それで調査団の者たちは────」

「あ───────っ!」

 ナオトが言い終わらないうちに大きな声が響き渡った。

「ナオト博士じゃないですかー」

 その声にナオトやサヨ、ケンの三人はいっせいに振り返った。

「タカオくん!」

 そこには開けっぴろげな笑顔を見せたタカオが、手をふりふり立っていた。その後ろにはシンゴもいる。そして、ノアもムスッとした表情で立っていた。

「よかったぁ。ここに来てみたけれど、君たちがいないもんでどうしようかと思っていたんだよ」

 ナオトはホッとした表情を浮かべて、彼らに近寄っていった。

「まったく…子供じゃないんだから、どうしようかと思った、じゃないわよ」

 ひとりブツブツとつぶやくノア。それを横で聞いてヤレヤレと首を振るシンゴ。

「ノア、元気だったかい?」

 ナオトは嬉しそうにノアに微笑みかけた。こりない男である。

「なにバカなこと言ってんのよ。まだ一日しか経ってないじゃない」

 あくまでも辛らつな口調のノアだ。

「ちょっと、あなた」

 すると、そんなふたりのやり取りを見ていたサヨが、ツカツカとノアに近づいてきた。見ると目がつりあがっている。

「なによ、あんた」

 ノアは『なんだこの女』とばかりににらみつける。

「この人に、そんな冷たい言い方ってないんじゃないかしら。あなたたちをそれは心配していらしたのよ」

「あんたには関係ないでしょ」

 ムッとした顔でノアは言った。

「関係なくはありません!」

「!」

 サヨのあまりにも強い口調に、思わずびっくりするノア。

 ものすごい剣幕である。サヨの目はさらにつりあがっている。だが、そこはやはり気の強いノアだ。

「だいたい、なんなのよ!」

 ふくよかとは言いがたい胸を張って、ノアは尊大な態度に出た。

「名前くらい言ったらどうなの!」

 強気で言い放つ。だが、サヨも負けていない。

「それはそれは失礼いたしましたっ」

 いやみなくらいに丁寧な口調である。すずいとノアに寄る。サヨの方が少し背が高いぶん、ノアを見下ろすかっこうだ。

「私はサヨCOC6。火星大学の学生で、地球から来られた調査団の案内役を本日より仰せつかっております……」

 そこまで言うと、とたんに彼女の口調が変わった。

「これで自己紹介したわよっ、あなたはどうなのっ」

「私は地球探検センター付属学校の生徒で、ノアAOA7よ。どうぞよろしく……」

 ノアもそこまで慇懃(いんぎん)に言ったかと思うと、いきなり口調を変えた。

「お・ね・が・い・し・ま・すっ!」

 まるで踏みつけるような言い方だ。

「ええっ!」

 すると、今まで姉の後ろにいたケンがいきなり甲高い声を上げた。

「AOA7っていうんだ、おねえさんって」

 嬉しそうにそう言いながら進み出る。

「あんた、だれ?」

 ノアの表情が和んだ。それまでの顔つきとぜんぜん違う。

 それはまあ、そうであろう。今のケンには、さっきまで姉に見せていた生意気なところがまったく見られないからだ。

「僕、ケンだよ。ケンAOA7」

「へぇ、なんと!」

 すると、タカオがノアより先に声を上げた。

「ノアと登録番号が一緒だ。めっずらしー」

「そうかー。きみもAOA7なのね」

 ノアはニコニコしながらしゃがんだ。

「きみってかわいいねー」

 彼女はケンの顔を真正面から見つめ、嬉しそうに言う。

「年はいくつなのかなー?」

「十歳になったよ。今日はね-先生の許可もらってセンターに見学に来たんだ」

 彼もニコニコしながら答えた。

「サヨくんの弟なんだよ」

 そこへナオトが口をはさむ。だが、ノアはそれをまったく無視して言った。

「そうかー、見学に来たんだ。じゃあ、あたしたちと一緒に行動しない?」

「えっ、いいの?」

 ケンは嬉しそうに叫んだ。

「だっ…だめよ、だめ!」

 とたんにサヨは慌てて声を上げ、イヤそうな顔をする。

「あら、いいじゃないの」

 すると、ノアは驚いたような顔を見せた。すっかり打ち解けた表情である。さきほどまでの険悪なムードが嘘のように消え去っている。

「将来立派な探検家になるための勉強と思えばいいことよ」

「うんうん」

 ノアのその言葉に、ケンは満足そうにうなずいた。

「それじゃあ……」

 そこへ、すかさずナオトの声が───

「私がセンターの責任者に了解を取ってこよう」

 彼はそう言うと、その場から駆け出そうとした。珍しく機敏に行動しようとしている。

「ナオト博士!」

 と、そこにノアの声が───

「え……」

 ナオトの足がピタリと止まる。そして、ゆっくりと振り返る。

「なんだい、ノア」

 何を期待しているのか、彼の顔は嬉々としていた。

「必要ないわ」

 お約束の辛らつな言葉。またしてもナオトの期待は裏切られた。そして、彼女の残酷な言葉は続く。

「ったくもう…博士が行く必要はないわよ。それよりもリョウゾウ博士が待ってるんじゃないの?」

「そ…そうだね」

 ナオトはがっくりと肩を落とした。

「ノアの言うとおりだ。私はリョウゾウ博士のところに行かなくちゃ…」

 彼はそのままの格好でトボトボと歩き始めた。だが、すぐに足を止めると振り返る。

「だけど…どこに行けば逢えるのかな」

 しょんぼりとしたその姿は、見ていてとても痛々しい。

「ばっかねぇ」

 それなのに、ノアはあくまでも冷たい。

「そーゆーことは最初に受付で聞くもんよ。ったく…そこを左に曲がって最初のドアの部屋よ」

「わかった…」

 ナオトは力なくうなずくと、再び歩き始めた。

「さぁてっ!」

 肩を落とし、暗く歩いていくナオトとは反対に、ノアは楽しそうにひとつ手を叩いた。

「行きましょうか。これから楽しくなりそうね」

 そうして、ノアはケンに向かって派手なウインクをして見せた。

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