第2話「父と娘は冷戦中ってか?」

「ノア」

「え…?」

 ノアは振り返った。

「タカオか…」

ノアは『なーんだ』とでもいわんばかりの声を上げる。

彼女の目の前には、おかっぱ頭のおどけた表情をした少年が立っていた。

「休暇から帰ってきたんだね」

 彼は───タカオはさらにノアに近づくとそう言った。

「ええ、そうよ」

 ひとなつっこく微笑むノア。

 彼女たちが今いる場所はどうやら学校のようだった。そして、ノアは廊下を歩いているところだったのだ。

「あら?」

 すると彼女はキョロキョロとあたりを見まわした。

「いっつもツルでるシンゴがいないじゃないの」

「ああ。あいつなら調べものがあるからって、宇宙探検センターへ行ってるよ」

「ふぅ~ん」

 ノアは興味なさそうに口をとがらせた。

「それより、ノア」

 タカオは何か重大ニュースでも告げるように勿体つけて喋り出した。

「僕らが一番最初に船に乗るらしいよ」

「そりゃそうよ」

 それに対し、ノアはこともなげに言い捨てた。顔には『あたりまえだ』といわんばかりの表情を浮かべている。

「あたしたちは星の財産なんだもの。当然のことよ」

「うん…僕もそう思うんだけどさ」

 タカオの表情が曇る。

「シンゴのやつがね……」

「まぁ───たなのぉ?」

 ノアはうんざりといった顔をした。

「あいつは自分の立場ってもんを考えてないわねぇ」

「そう言うなよ。やつの気持ちもわからないではないんだ」

「まったく、どーもあいつって何考えてんのかわかんないわ」

「………」

 彼女のその言葉に、タカオは何も言おうとはしなかった。

 だが、明らかに『人のことは言えないぞ』という顔つきをしている。

 「それより…ね、タカオ」

 すると、とたんにノアは顔をニコニコさせた。何かいいことでも思いついたらしい。

「あたしたちも行ってみない?」

「え、どこへ?」

「決まってんじゃん! 宇宙探検センターによ」

 ノアはそう言うと、タカオの背中をバシンと思いきり叩いた。



 ノアは探検家の卵である。

 彼女は、いずれは父のあとを継いで立派な探検家になりたいと思っていた。

 だから、学校でもスペース・パイロット学と宇宙学を専攻していたのだ。宇宙学というのは、星の様子や惑星のことなど、宇宙に関するあらゆることを研究する学問である。

 この頃の学校は、3歳から20歳まで一貫していて、各々の才能を伸ばすことに重点を置いた教育になっていた。

 タカオやシンゴも彼女と同じ探検家志望であり、よき友人同士でもあった。

 そして、実習と銘打って、彼らはよく宇宙探検センターへも出入りをしていたのである。



「タカオ、はやくはやく」

 それからまもなくして、ノアとタカオはセンターの建物の中を歩いていた。

 ノアはズンズン廊下を進んでいき、タカオはそれに付き従う従者のように後ろを歩いていく。

 そのふたりが、あるドアの前で立ち止まった。『マーズ・セクション』という表札が出ている。

───ピィ───

 自動ドアが開き、ノアはさらにズカズカ部屋の奥に入っていった。

 その部屋には二人の男がいた。すると、そのうちの一人がいちはやく彼女に気がついた。

「ノア!」

 背の高い優しげな男だった。にこやかに笑いながら彼女を迎える。

「良く来てくれたね」

「お邪魔します、ナオト博士。それにリョウゾウ博士もお元気でしたか」

 ノアとタカオを迎えてくれた男はナオト博士といった。そして、もう一人の男はリョウゾウ博士といい、ノアの父と同年代の研究員だった。

 ナオトのほうは、リョウゾウよりもう少し若いようだ。ようやく30歳を過ぎたといったところか。

 精悍な顔立ちとは少々かけ離れた、柔和でおっとりとした女性的な雰囲気の男だ。

「今日はどうしたんだい?」

 ナオトは開けっぴろげにニコニコしながらノアに近づいてくる。

「そろそろ移民船に乗らなきゃならないんだろ?」

「シンゴが来てると思うんですけど……」

 ノアはなぜか一歩下がる。

「見ませんでしたか?」

「シンゴなら資料室にいたぞ」

 計器類をチェックしながらリョウゾウがぼそりとつぶやく。

「そうですか」

 ノアはリョウゾウに目を向けてうなずいた。

「ノア。行ってみよう」

 タカオが後ろから声をかける。

「うん」

 ノアはタカオにうなずいて見せてから、ナオトに頭を下げた。

「ありがとうございました」

 そして、頭を上げる。だが、彼女の視線は心持ち下向きだ。ナオトと目を合わせようとしない。

「それじゃ、あたしたちはこれで…失礼します」

 彼女のその態度は、誰が見てもナオトを避けているとしかいいようがない。

「え…もう行ってしまうのかい?」

 ナオトがひどく残念そうな顔をした。そして、彼女に近づこうと歩を進める。

 すると、そんなナオトから逃げるように、ノアは一歩後ろに下がる。

「あたっ…」

 とたんにタカオにぶつかった。

「なんだよ、ノア」

「ごめん」

 彼女はしかめっ面をした。

「とにかく、ありがとうございました!」

 彼女は急いでそう言うと、振り返ってその場を立ち去ろうとした。

「ノア!」

 そんな彼女の背中にナオトの声が。

「父上には逢っていかないのか?」

 だが、すでにノアは一目散に走り去っていた。

「ノア……」

 後に残されたナオトは、見るからにがっくりと肩を落としている。

「逃げられたな」

 同情のかけらもない調子で冷たくリョウゾウはつぶやく。そんな彼の目は相変わらず計器類に向けられたままだった。



「ナオト博士、なんか言ってたよ。よかったのか?」

「………」

 廊下を歩きながらタカオは声をかけたが、ノアはまったく答えようとしない。

「ふぅ…」

 タカオはため息をついた。そして黙り込む。

 ほどなくして、ふたりは資料室にたどりつき中に入ろうとした。すると、ドアがスライドして人が出てきた。

「シンゴ!」

 それはゆううつそうな顔をした少年だった。

「ああ…おまえたちか」

 彼はノアとタカオの声を聞くと顔を上げ、太くてキリリとした眉をさらに厳しくした。赤毛でくせっ毛の前髪がはらりと額にかかる。

「おまえの帰りが遅いから、こうやって迎えに来たんだゾ」

 シンゴの様子がどこか変だと感じたらしいタカオ。心配そうにそう言った。

「すまない。今帰るとこだったんだ」

 友の気持ちが通じたのか、シンゴは弱々しく微笑んで見せた。

 すると、そんなふたりを黙って見ていたノアが明るい声を上げた。

「さあさあ! 船に乗る準備しに帰らないと、みんな乗り遅れちゃうよ」

 とたんにシンゴは眉間にシワをよせた。

「おまえは気にならないのか」

「は?」

 彼の言葉の真意がわからず、ノアはほうけた顔をした。

「なんのことよ」

「僕たちだけが優遇されて、なんにも感じないのかってことだ」

 彼は吐き捨てるようにそう言った。

「そんなこと言ったって……」

 シンゴの剣幕に閉口するノア。

「おまえだって家族がいるだろう。もし間に合わなかったらって思わないのか?」

「えぇ────だぁってぇぇ……」

 ノアは頬を膨らませた。いかにも不満そうな顔だ。

「急激な移動のせいで、火星は大きな打撃を受けているんだぞ。かなりの死傷者が出ているらしい」

 シンゴが辛そうに言った。

「………」

 さすがのノアも神妙な顔を見せた。黙ったままシンゴを見つめている。すると───

「君の気持ちは私にもわかるぞ」

 彼らの後ろから落ちついた声が上がった。

「お父さん!」

「ケレス総裁!」

 彼らは振り返って叫んだ。

 そこには、すらりと背が高く、黒い瞳の男性が立っていた。両手を後ろで組み、その端整な顔になんの表情も浮かべずに飄々(ひょうひょう)としてたたずんでいる。

「シンゴGOG9」

「はっはいっ!」

 シンゴの声は明らかにうわずっている。かなりの驚きようだ。

「君の気持ちはよくわかる。だが、君たち若者は生き延びねばならない。いずれ父や母は必ず君たちより先にこの世を去るのだ。それが早くなるか遅くなるかの違いなのだ」

「………」

 シンゴの表情は不満そうだ。

 尊敬する総裁の言葉ではあったが、やはりシンゴはどうしても納得ができないようである。

 そんな彼の固い表情を、ケンイチはじっと見つめている。すると───

「君は優しい少年だね」

 驚くほど穏やかで優しそうな声だった。厳しい顔つきでシンゴを見つめていた目が、明らかに和らいでいる。

「お父さん……」

 ノアは驚いて自分の父を見つめた。

 なぜなら彼女は、かつてこのような父の声をきいたことがなかったのである。

 温和ではあるが捉えどころがなく、そうかといって決して優しいわけではない。常に他人には厳しい父であった。娘であるノアでさえ優しい言葉をかけてもらった記憶がないのだ。

「………」

 彼女は顔をほんのり赤くさせ、ぐっとくちびるをかんだ。かすかな嫉妬をシンゴに感じる。

 そんな娘の気持ちを知ってか知らずか、ケンイチは優しい目をシンゴに向けたまま言葉を続けた。

「悲観しなくても大丈夫だ。すべての人々を移住させる時間は充分ある」

 自信たっぷりのその口調に、ようやくシンゴも安心したようであった。彼の顔に、ぎこちないながらも笑顔が浮かぶ。

「………」

 ノアはシンゴのその顔を見て、なぜか胸の奥がチクリと痛むのを感じた。



 それからしばらくのち、三人は連れ立って外を歩いていた。センターを出て学校へと戻るためである。

 暖かい陽射しの中、そよぐ風に吹かれて、彼らは流歩道ではなく静止道をゆっくり歩いていた。

「よかったのかい?」

 タカオが気づかうように言った。

「なにがよ」

 ノアの顔はいかめしい。声にはあからさまに怒気が含まれている。

「なにがって……」

 タカオは困惑したような表情を見せた。

「ゆっくり総裁と話をしなくてもよかったのかってことだよ」

「あら。そんな必要ないわよ」

 ノアはこともなげに言い切った。

「父は忙しい身だし…ほら、あたしたちだって早く船に乗る用意をしなきゃならないでしょ」

「そんな冷たい言い方はやめろよ」

 シンゴが不機嫌そうに声を荒げた。

「なんですって?」

 シンゴの言葉にむっとするノア。口をへの字に曲げる。

 だが、シンゴはかまわず言い切った。

「ノア。おまえは冷たい人間だよ」

「あたしのどこが冷たいっていうのよ」

 はじかれたようにノアは怒鳴った。

 シンゴの言葉で頭に血がのぼってしまったようだ。ものすごい剣幕で、ゆでだこみたいに真っ赤になっている。

「前から思っていたんだが……」

 反対にシンゴはいたって冷静だ。彼はノアにまともに向き合うと、ゆっくり彼女に言い聞かせた。

「おまえはケレス総裁に対して態度が冷たいんだよ。とても親子には見えないんだ」

 彼としては総裁の気持ちを熟知しているのだといいたいのだろう。しかし、それがまたノアの心を逆撫でした。

「お父さんのほうが冷たいわよ!」

 ノアは叫ぶ。だが、シンゴは怒りで上気している彼女の顔をじっと見つめて言った。

「いや。僕にはノアのほうが冷たく接してると思うぞ」

「………」

 ノアは絶句したまま言葉が続かない。それ以上反論ができない。

(みとめたくない……けど……)

 確かにそうかもしれないと、心でシンゴの言葉にうなずくノア。

 ノアは父を心から尊敬していた。探検家として素晴らしい人だと思っていた。それは間違いようのない事実であった。

 そして、彼女はそんな人物を父に持てることを誇りに思ってもいたのだ。

 だが、そうであっても、彼女は父親としての優しさというものを彼からもらったことがなかったのだ。

 物心ついた時にはもうすでに父であるケンイチは雲の上のような偉大な人物で、本当にこんな素晴らしい人が自分の父なのであろうかと本気で思ったものである。

 だから、どうしてもぎこちない関係になってしまうのはどうしようもないことではあった。

 娘として振る舞えない自分がとてももどかしい。そして、父親らしく振る舞ってもらえないのがとても悲しい────

 もしかしたら、自分がかたくなな心を持っているために、父は心を開いてくれないのかもしれない、と────

「………」

 ノアはシンゴの真剣な目を見つめ返した。

 彼に対しての怒りがいつのまにか消えてしまっている。ノアはそんな心境の変化を不思議に感じ、本気で心配してくれているこの友人を改めて身近に感じていた。

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