宇宙探検DD7計画

谷兼天慈

第1話「いきなり地球滅亡ってか?」

「それじゃあ、お母さん」

 少女は母の前に立った。

 母はいつもの笑顔を娘に向けている。

「お母さん」

「なに、ノア?」

 娘の気づかうような声に、母は目の前に立つほっそりとした少女を見つめた。

「夕べのニュース…心配しなくてもいいわよ」

 少女は元気づけるように言う。

「あら。心配なんかしてないわ」

 母は娘の言葉に笑ってみせた。

 ノアもつられて微笑む。

「お父さんがどうにかしてくれるわよ」

「そうね」

 いっそう深い微笑みでこたえる少女の母。

 それを見て安心したノアは、足もとに置いていた荷物を持ち上げた。

 ───ふわり…

 彼女の茶色の髪が肩のところでやさしく揺れる。柔らかそうなそれは、今にもいい香りがしてきそうだ。

「それじゃ…」

 彼女は、ふたえのパッチリとした目を母に向けた。その瞳はキラキラぬれたように輝く黒色だった。

「もういくね」

 元気にそう言う娘。それにうなずく母。

「今度の休みは新しい故郷で逢うことになるかもね」

「………」

 ノアの言葉を耳にした母の表情は、心なしか心細げだった。今にも泣き出しそうな顏である。

「今日あたり帰ってくるわよ」

 ノアは元気づけるように言った。だが、母は首を振る。

「今は一番忙しい時なのよ。帰ってこれるはずがないわ」

「………」

 ノアにはもう返す言葉がなくなってしまった。

 そう、今は誰もかれも忙しいのだ。そうでなければ人類は滅んでしまうだろう。

 人々が恐れていたことが起きようとしていた。

(どうなってしまうのかしら。この地球は)

 ノアは、夕べ見たニュースを思い出していた。



「臨時ニュースをお送りします」

 立体映像のアナウンス嬢はそう言いながら微笑んだ。だが、その表情が心なしか強張っているのは気のせいではないだろう。

「かねてより様々な憶測が飛び交っている火星大接近について、この度、銀河連邦会談において正式な発表がなされました」

 いったん言葉を切ると彼女は続ける。

「そのことにつきまして、これより全世界の皆様へ、総統ケリー・フォレストより公式発表がございます」

 彼女の目線が一瞬泳ぐ。だが、ほどなく正面を見据えると口を開いた。

「では、連邦センターより中継をお願いします」

 変わって、画面はひとりの男を映し出した。

 年のころは30代半ば、端正な顔立ちで、むしろ女性のように美しい線の細そうな男だった。

 だが、なぜか人々を圧倒させる威厳が漂っている。

 見つめるノアとその母にとってはよく知った人物でもあった。

 地球の若き統治者ケリー・フォレストその人である。

「我が同胞である善良なる地球の人々よ」

 彼はゆっくりと喋りはじめた。

 その声は慇懃としていたが、人々の上に立つべき者の声音でもあった。

「大変残念なことに、連邦会談の発表によると、我々の身に危険が迫っていることは事実である」

 一瞬の沈黙。

「確かに火星は軌道をわずかに外れ、地球へ向かっている。その軌道を変えることは、恐らく今の科学でもってして無理だろうと思う」

 彼の顔は強張っていた。

 どうやら無表情を装っているつもりであるらしかったが、完全に失敗している。

「大変つらいことではあるが、我々はこの地球を捨てて新しい大地を求めなくてはならない」

 机上で握りしめられた両手を、彼はさらに強く握った。見るとかすかに震えている。

「恐らく、離れたくない者もいるだろう」

 わずかに目をふせる。

「地球と運命をともにしたい……その気持ちはわからないではない。だが、よく考えてみてほしい」

 彼は正面を見据え、必死に力説する。

「冷静になってよく聞いてほしい。全惑星の故郷でもあるこの地球なのだ。かつて地球人だった、あらゆる星系へと散らばっていった人々も、この事態を憂えているのだ」

 そう言いながら彼はきびしく鋭い視線を見せていた。だが───────

「もし地球が……」

 一転して彼の表情が柔和になる。

「我々のように人間であったなら……」

 それを聞いたノアがギョッとした。

「お…おじさまぁ。それはマズイんじゃないのぉ……」

 思わずつぶやく。

 しかし、今ここにいない彼には、そんな彼女のとがめるような声は聞こえない。

「もし地球が人間だったなら、きっとこう言うに違いない」

 総統ケリー・フォレストは、次の瞬間、耳をふさぎたくなるほど歯の浮くセリフを吐いた。

「どうか幸せに、そして自分の分も長く生きてほしいと────」

 彼の顔は大真面目である。

「あっちゃー、いっちゃったよ」

 ノアは顔をおおってしまった。

「我々政府は、すでに移住計画を着々と進めており、あとはあなた方が決心してくださるのを待つだけとなっている」

 ケリーはおもむろに立ち上がった。

「どうか、すべての同胞がこの移住計画に賛同し、つき従ってほしいと願う」

 彼は深々と頭を下げる。

「このケリー・フォレスト、この通りお願い申し上げる。どうか、移住船に乗りこんでほしい」

「おじさま……」

 ノアは顔をおおっていた手をはずし、神妙な表情でつぶやいた。そして、母を振り返る。

「お母さん、これは大変なことよ」

「そうね」

 母は自分の娘の顔を見つめて答えた。その瞳は微妙に揺れ動いている。

 どうやら彼女は、そう答えたものの、何が大変なのかよくわかっていないらしい。

 ケリーの大げさすぎる言動が大変なことなのか、それとも地球と火星が衝突してしまうことが大変なのか、そのどちらのことだろうといったところか。

「こうしちゃいられない」

 一方ノアはというと、食卓に並べられた残りの食事は平らげるわ、デザートの果物は食べるわ、ものすごい食欲だ。

 大変だと言っておきながら、いったいどういうつもりなのか。

「ふぅ────」

 彼女は満腹すると立ちあがった。

「さて、お腹もいっぱいになったことだし、今日は早く寝よう」

 彼女はぶつぶつつぶやくと母に顔を向けた。

「お母さん、おやすみなさい」

「おやすみ……」

 バタバタと部屋を出ていく娘を見守る母。

「自分の娘ながら、時々わからなくなるわ」

 母は頭を振った。

「いったい誰に似たんだろう」

 そして、ノアが出ていった扉をしばらくのあいだ見つめていた。


 一方ノアはというと────

(あのプライドの高いおじさまが頭を下げるなんて)

 ノアは頭を振り、目をつむった。

 彼女は、ベッドルームのふかふかの布団にもぐりこみ、さきほどのニュースのことを考えていた。

(でも、いつもの何倍もカッコよかったわよね……)

 彼女はパチリと目を開けた。

「だけど……」

 何か気になることでもあるのか彼女はつぶやいた。視線は天井を泳いでいる。

(あの大仰なセリフさえなけりゃなぁ)

 チラリと頭のすみでそう思う。

 彼女は多少なりとも興奮しているようで、すぐに眠りにつく様子はない。

「………」

 それでもなんとか目を閉じる。

 だが、彼女はものの数分とたたぬうちに深い眠りについてしまった。

 その寝顔は安らかで、明日にでも地球とともに死んでしまうかもしれない人間の寝顔には到底見えなかった。


「いってらっしゃい」

「!」

 ノアは我に返った。すっかり物思いにふけっていたらしい。

(お母さん)

 彼女は母を見つめた。母は気丈にも微笑んで彼女を送り出そうとしている。

(しっかりしろ、ノア)

ノアは頭を振る。そして元気よく答えた。

「いってきます!」

 母に背を向け、一歩を踏み出す。

 ───シュッ……

 小気味よい音を立てて、ドアは横へスライドした。

「………」

 ノアは思わず目を細めた。まぶしいくらいの陽射しが降り注いでいる。

 彼女はまた一歩、足を進めた。

 ───シュッ……

 ドアの閉まるかすかな音が、彼女の背後で聞こえた。

 ノアは手でひさしをつくり、空を見上げる。

「まぶし……」

 青空だった。雲ひとつない。

 彼女は目線を落とし、あたりを見まわした。

 ここは閑静な住宅街。流線型のドームのような家々が点々と建っている。

 青々とした木々も点在していて、家の白さとは対照的で鮮やかだ。

 道は流歩道と静止道が隣り合わせに伸びており、忙しそうな人たちは流歩道を走って、散歩している人たちは静止道をゆったりと歩いている。

 住宅街ではフリーダムカーは乗り入れ禁止であるから、地上数メートルを流れるように進む卵形の車はここでは見られない。

(ここはこんなに美しいのに────)

 地球はこんなに美しくなったというのに、どうして火星と衝突しなければならないのだろうか。

「はぁ─────」

 ノアは大きなため息をついた。



 西暦3000年。

 このころの地球は、まったく争いのない平和な惑星だった。

 他惑星の殖民が進んだおかげで、みな平等で貧しい者はなく、小さな対立はどこかであったものの全体的に凶悪な犯罪は何百年と発生したことがなかったのである。

 人間たちは平和を当たり前のことと感じ、日々を暮らしていた。

 それが、ふってわいたような今度の事件。

 世界は不条理でいっぱいだ。地球人たちがどんなにつつましく暮らしていても、自然は時としてその猛威をふるう。

 だが、ここで他惑星に殖民していった人たちの救いの手が伸びようとしていたことも忘れてはならない。

 他惑星に散らばっていった人々は、それぞれ独立した国家を営んでいた。

 彼らは何とかしてこの故郷である地球と火星に住む人々を救いたかったが、なにぶんにも時間が残されていなかった。

 そこで地球人と火星人の受け入れに全力を注ぐことにしたのである。



「ノア……」

 扉が閉まってからも、ノアの母はしばらくそこから動けずにいた。

 ────ピピピィ────

 その時、彼女の後ろでTV電話の呼び出し音が聞こえた。彼女は振り返った。

「サリナ」

 画面に映った顔を見て彼女の顔が輝く。

「ケンイチ」

 駆け寄るサリナ。

「今日は帰って来れるのね」

 彼女は飛びつかんばかりに電話へとたどり着き、そう言った。

「………」

 とたんに、画面に映る精悍な顔つきの男性の表情がくもる。

 それを見たサリナはわずかに顔を強張らせた。

「今日も……なの?」

「すまない」

 彼女はがっくりと肩を落とした。ほんのわずかだが、沈黙が流れる。

「忙しいのね」

 下を向いていたサリナが顔を上げた。その顔には満面の笑みが浮かんでいる。

「………」

 画面に映るケンイチの顔に怪訝そうな表情が浮かんだ。

「お仕事がんばってね」

 彼女は微笑んだまま言った。

「大変なのはわかるけれど、身体だけは気をつけて」

「サリナ……」

 ケンイチの声に一瞬ピクリと身体を震わせた彼女は、気丈にもさらに深い微笑みを見せた。

「大丈夫。ここであなたの帰りを待っているから」

「………」

ケンイチは探るように自分の妻を見ていたが、ゆっくりとうなずく。

「移住計画がすっかり整い次第、必ず迎えに来るから、気をしっかり持って待っててくれ」

「ええ……」

 サリナは弱々しくうなずいた。

 彼女は、画面から愛する夫の顔が消えてしまっても、じっと暗い画面を見つめ続けていた。


 サリナのように、自宅でひとり寂しい気持ちで夫を待つ女性は多いことだろう。

 なぜなら、この頃のすべての惑星上に住む20歳未満の少年少女は、等しく惑星の財産ということで、親元を離れ、政府の管理下に置かれていたからだ。

 極端に子供が少なくなってしまったせいである。

 政府がすべての子供に記号をつけ、彼らの管理をすることとなったのだ。

 未成年者は親の姓を名乗ることはできなかった。20歳の成人を迎えた時に、初めて彼らは姓を名乗ることが出来るのである。

 法律の上では未成年の結婚は許されないが、それは姓がないので届けができないからであって、どんどん子供をつくることは暗黙の了解で奨励されていた。

 そうしていても、なかなか子供が出来にくくなっているのが現状であった。

 惑星に暮らす子供たちにつけられる記号は、「AOA」や「HOH」などで名前の下につけられる。

 そして、空間人は「O」のかわりに「X」となる。

 さて、そこで「空間人」とはいったい何者であるのだろうか────地球にも植民地にも属さず、その生涯を宇宙船のみで生活する者たちのことをいう。

 遠くの惑星に渡っていった人々と、その故郷である地球の人々をつなぐ架け橋を担い、大宇宙をさすらうスペースマン────ほとんどひとつの惑星にとどまって生活するということがないために「空間に住む者」という意味をこめて「空間人」と呼ばれるようになったのである。



「あとかたずけしなくちゃ」

 ため息ひとつついて、サリナはゆっくりと動きだした。

 食卓の後片付けのためにキッチンへと移動する彼女。その顔は、すでにもとの温和でやさしそうな母の顔に戻っていた。

 しかしそれは、よく注意してみるとあきらめにも似た表情にも見える。

 そう、確かに彼女はすべてのことをあきらめていたのだ。

 サリナの夫でありノアの父でもあるケンイチ・ケレスは、銀河連邦宇宙探検センター地球本部の総裁であった。

 この37歳になる若き総裁は、今度の移住計画の陣頭の指揮を取っていた。

 そのために、今地球上で一番忙しいのは彼をおいてほかにいないだろう。

 しかし、なぜ宇宙探検センターが移住計画に関係しているのだろうか。本来なら星々を観察し、未知なる星域を探検する機関であるのだが。

 実はこれには理由があった。

 今から数年前のこと。火星の動きがおかしいことに初めて気づいたのが、この宇宙探検センターの研究員だったのだ。

 すぐさま彼らは火星の宇宙探検センターと連絡を取り、情報の交換を行った。

 そして、火星の軌道がわずかではあるが外れているのを確認したのである。

 その報告を受けたケンイチは、自分の親友でもある地球の総統に就任したばかりのケリー・フォレストにある提案をした。

 それがこの移住計画であったのだ。


「移住だって?」

「そうだ」

 若々しい総統に負けじと若々しい総裁が大きくうなずいて見せた。

金髪をさらりと肩に流したケリーは、切れ長で眼光の鋭い緑の目をおのれの親友ケンイチに向けた。若いが、すでに威厳をまとった厳しい顔つきである。

 それと対照的に、穏やかな表情を顔に浮かべ、どこか浮世離れした感じを漂わせたケンイチは友を見つめていた。娘と同じ闇のように黒い瞳であった。

「すでに準備にとりかかっている」

「なんだって!」

 ケリーは大声を上げた。

「私に相談もなく……」

 どういうことだといわんばかりにケンイチをにらみつける。

「そのようなことを勝手に……」

「すまない」

 間髪をいれず、ケンイチは謝った。しかし、誰が見てもそれは心から出た言葉ではないのがわかる。

「だが、私は総裁に就任する前から危惧してきたのだ」

 ケンイチは静かに喋り始めた。

「今まで多くの惑星を調査してきた。そして気づいたのだが、他の太陽系でも惑星同士の衝突がかなりの確立で起こっているのだ」

 渋々ながらもケリーはうなずく。

 そんな彼にケンイチもうなずき返すと、さらに言葉を続けた。

「我々の太陽系でそれが起こらないという保証はない。だから私は、もしそのようなことが起きた場合を想定して、短期間で速やかに移住が出来るようにと各宇宙探検センターと共同で計画を進めていたのだ」

「なんと!」

 ケリーは緑色の目を見開いた。

「無用の長物にもなりかねんものに力を注いでいたということか」

 彼の言葉には多少怒りがこめられていた。

「我々はあらゆることを想定しなければならない────」

 反対にケンイチの声は一切の感情を排除したように静かだ。

「ひとつの世界を統治するおまえは特にな」

「く……」

 ケリーは唇をぐっとかんだ。

 自尊心を傷つけられたとでもいわんばかりに、彼の頬は赤くなっている。

 だが、ケンイチはかまわず続ける。

「しかしおまえは忙しい身だ。だから私が代わりに動くのだ。もっと信頼してくれ」

「!」

 ケンイチのその言葉に、ケリーは相手の目を見つめた。

「ケンイチ……」

 ケンイチの瞳には親友を気づかう色が浮かんでいた。

「わかった」

 ケリーは決心するようにうなずいた。

「それではその移住計画の指揮をおまえが取ってくれ。私は各惑星政府と交渉をしよう」

「うむ」

 ケンイチはうなずいた。それを見てケリーはさらに言った。

「もし必要なら、軍を動かしてもいいぞ。これからは暴動も起きるかもしれんからな」

「そんな必要はない」

 それをあっさり断るケンイチ。

「軍には大事な仕事があるではないか」

「ゴードン星系か……」

「そうだ。この事態に乗じて、いつ中立地帯を侵すかわからぬからな」

「………」

 ケリーは振り返った。

 彼はガラス張りになった壁から見える外の風景に目をやる。

 数十階の高さから眺める都市の風景は素晴らしい。大昔の人々が憧れていただろうユートピアが広がっているのだ。

「なにもかも……」

 心ここにあらずといった緑の瞳を向けていたケリーがつぶやく。

 ケンイチも親友の視線を追って外に目を向けた。

「無くなってしまうんだな。なにもかも」

 ケリーの声は気が抜けたように弱々しい。

「………」

 ケンイチは何も言わない。ただ、悲しみの色を黒色の瞳に浮かべているだけだった。

「なにもかも……」

 平和を絵に描いたような風景─────

 そんな静かな情景を、ふたりの男はいつまでも見つめ続けていた。

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