第三部 猫が来たりて爪を研ぐ

新宿愚連

第32話 新宿猫

 新宿、戦後の復興期から栄え続けるこの国の欲望渦巻く大歓楽街である。そこは深夜でも行き交う人々の途絶える事はない。


 うあぁぁぁぉ!


 そんな新宿の路地裏で猫達が吼える。


「 なんだ おまえら 」

 グレーに渦巻きの模様の入ったアメリカンショートヘア種で顔全面を交差する大きなバツ印の傷跡のある猫が10匹程の野良猫を従え3匹の奇妙な出で立ちの猫らを取り囲む。


「 ここ新宿はエチュードのシマだ 痛い目に遭いたくなければとっとと失せろ 」

「 あっしら伊予国いよのくにから参りやした弓月の旅猫にござんす この度はコクモンの親分さんにちょっくら用件がごぜぇやして 」

 3匹の中の1匹の黒猫が前足の一本を前に差し出して口上を述べた。


「 あぁぁぁっ 弓月の旅猫だぁ なんだそりゃ へんてこりんな格好しやがって 知ってるか野郎ども 」

「 バッテンの兄貴 弓月の昔話 知らねぇんですか 人間との戦に敗れて滅んだ弓月の亡霊が今でも剥がされた姫君の生皮を探して彷徨ってるっつう 」

「 なんだそりゃ 三味線にでもされちまったか 」

「 それが何でもたいそう美しい毛皮らしくて 」

「 んじゃ こいつらの毛皮も高く売れるかもしれねぇなぁ 引っ剥がしとくか 」


「 おい 」

 黒猫の後ろに控えていた、こちらも目の上を通過する大きな傷のある灰色一色の猫が凄みの効いた声を出す。


「 何だ 」

「 いいからさっさとコクモンのとこに案内しろってんだろ アメ猫 バツ印を米印にされてぇのか 」

「 あっちゃぁ キレちゃった 」

 先程、口上を発した黒猫が困り顔をする。


「 バッテンの兄貴が米印になったら これが本当の米国産かよってね 超ウケる って ガボッ …… 」

 超ウケてた赤猫がバツ印に思いっきり張り倒された。


「 あったまきた 野郎ども こいつら3匹とも半殺しだ 」

「 えぇぇっ バツさん またかしらから怒られますよ それにあの人メッチャ強そうだし 暴力反対 やりたいならバツさんがサシでやられてきて下さいよ 」

 気絶した赤猫を介抱しながらキジトラ猫がバツ印に文句を垂れる。


「 あぁぁぁぁっ モンジ 何で俺がやられる前提の話になってんだよ 」


「 ちょいと おまえら 何やってんだい 」


 そこへ突然ビル伝いに1匹の白猫が舞い降りる、額には黒い不思議な紋様のあるメス猫だった。


「 あっ 頭 ちょうどよかった 巡回パトロール中に妙な猫見かけましてね 追いかけたら逆に誘い込まれたみたいで そしたらまたバツさんが暴走してアカスケさん張り倒しちゃって なんでも弓月の旅猫さんだとか 」

 モンジと呼ばれた猫が説明する。


「 弓月の…… 」


 頭と呼ばれたメス猫が3匹を見遣る。3匹の猫は頭に笠を被りマントのようなものを羽織った奇妙な出で立ちをしている。


「 それで弓月の旅猫さんとやらが何か新宿に用かい?」

「 あっしは弓月のメシュード サブにござんす こっちはカササギにクロチィー その額の紋 コクモン一家とお見受けいたしやす 」

 灰色猫が戦闘態勢を解き礼儀を正す。


「 確かに私はコクモンの娘だけど メシュードとは驚きだねぇ メシュードだのガシュードだの弓月だの年寄り連中の世迷い言夢物語と思っていたが本当に居たとはねぇ それで何なんだい まさか何百年前の裏切り者一族を始末しに来たのかい 猫は末代まで祟るって言うからねぇ 」

「 いやね 今のあっしらは弓月とは別行動なんでぇ 関東一円は不慣れなうえどうも人間が多すぎてよくねぇ んで猫の手が借りてぇと思いやしてね かつて関東一円を仕切っていたコクモン一家なら好都合だ 」

「 勘違いしないでおくれ 私らは今はしがない新宿猫さ 自分らが生きていくのに精一杯さぁね とにかく話は本部で聞こうか 」


 エチュード本部は新宿の地下にあった。新宿地下は戦後から継ぎ足し継ぎ足し増設され続け 今では地下迷宮と言われる程に複雑に入り組んでいる、初見では何処をどう歩いているのかさえわからない。そんな地下の打ち捨てられ今では人間達には使われていないルートがエチュードの猫達の巣窟となっていた。


 頭と呼ばれるメス猫はカゲフミと名乗った。

「 今 エチュードは私の叔父のジャカゲが束ねている 先代の私の父カゲシロは体を壊して昨年引退した 今は病床にある 」

「 じゃあ あんたが次期エチュード頭首っつうわけだ 」

 旅猫のサブが道行きカゲフミに問いかける。


「 どうだかね 世襲制なんて旧い因習今時分

 流行らないだろ 」

「 その旧い因習に縛られてるのが俺ら弓月の猫なんだがな 」

「 それで目的は?」

「 アナクフィスィと呼ばれる黒白猫を探してる 非常に危険な猫だ 」

「 そりゃ残念だったね 着いたよ 」

「 ……?」

 地下通路の行き当たりの大きな門が開かれる。


「 ようこそ 弓月の召人らよ まさか飛んで火に入るとは メシアス様への供物となるがいい 」

「 メシアスって……まさか 」

 身構えたサブらをざっと50匹程の猫が取り囲む。


「 まさか?元弓月のコクモンがアナク神父に降る筈が無い?甘いな 現実を見てみろ亡霊ども このような地下に追いやられてモグラの如き日々 今 我等に必要な物は理想やおとぎ話やプライドでは無い 現実だ 現実の救済だ メシアス様はそれを成し得る唯一の猫だ 」

 カゲフミの額の黒紋は綺麗に纏まっているが今、壇の上で語る猫の額の黒紋は大きく流れ身体全体に乱雑に拡がっている。


「 あんたがエチュードのコクモンジャカゲか 」

「 こいつ等を牢に叩き込んどけ 」



「 おい カササギ 」

「 ちょい待った 兄ぃ あっしは何も知りやせんぜ 」

「 ハシバミの野郎 嵌めやがったな 」

「 まぁハシバミ様がこの不穏な事態を知らねぇはずありやせんねぇ あの人 策士だからなぁ 」

「 でも 一気にアナキーに近づけたよ 」

「 クロチィーは前向きでやんすねぇ 」

「 まぁクロチィーの言う通りなんだが 捕まっちゃぁ話になんねぇぞ カササギ 地下にどれ位居たかわかるか 」

「 軽く400は居たでやんしょ まさに地下猫帝国っすよ 」


「 はぐれ猫合わせりゃ1000は居ますよ 」


 サブとカササギとクロチィーの3匹が地下の薄暗くジメついた牢の中で会話をしていると突然、檻の外から会話に加わる者がある。


「 おめぇは 」

「 モンジです 」

 それは外でサブらを取り囲んだ猫の1匹だった。


「 ドネリーの草として2年前から潜入してます 」

「 ちっ ハシバミ直属の隠密かよ で どうすんだよ 」

「 知りませんよ こんな事態聞いて無いんすから 自力らでどうにかして下さいよ 」

「 はぁぁぁぁっ 自力でどうにも出来ねぇから言ってんだろぅ 」

「 僕の任務はあくまでエチュードの内情を探る事でメシュードの手伝いをする事じゃないんです 任務の為なら仲間でも見殺しにする 知ってるでしょ 」

「 うわっ ひとでなし 」

「 うるさい おまえカササギだな これでもおまえの先輩だぞ だいたいカササギは僕の顔知ってるはずだろ 何回かハシバミ様の下で会ったぞ さっきおまえが僕に気付いてたらこんな事にならなかったんだからな 」

 一同が冷たい目でカササギを見遣る。


「 いやいやいや 特徴のないキジトラ猫さんのお顔なんて憶えてねぇでやんすよ もっとこうわかりやすい目印付けといて下せいよサブの兄ぃとかさっきのバツ印みたいな 」

「 目立たないから草として動けるんだろ このバカ で ですねえ 一応現状を伝えときます 現在エチュードはジャカゲが仕切っています アナフィが現れたのは2年前 当時の先代カゲシロはアナフィに懐疑的でしたがジャカゲを筆頭とする一部の猫達は狂信的に彼に取り込まれました 先代カゲシロが病に倒れてジャカゲが跡を継いでから一気にエチュード全体がアナフィに傾倒しました 」

「 もっと具体的には? 」

「 そこがよくわかりません 救済とか開放とか絶望とか希望とか それでも僕も何度か彼の教義を聞きましたが彼ならメシアスと成り得ると確信してしまう何かがあるのは事実です ここの猫らが熱狂するのもわかります 」

「 他所と一緒か それでここがアナキーの現在の拠点なのか?」

「 いえ ジャカゲと連絡を取っているのは確かなんですが掴めません 僕が近付いたのはカゲシロ派でしたから計算が大きく狂いました 」

「 カゲシロの病気ってのも臭いな 」

「 おそらく ジャカゲ派が裏にあると 」

「 さっきのカゲフミは?」

「 外周りに追いやられてます 父親同様アナフィとジャカゲには懐疑的ですから 僕もそのとばっちりで外周りです 」

「 じゃぁさっきの外の連中はカゲフミ派ってとこか 」

「 まぁ頭の親衛隊みたいなもんっすね 」

「 自分だってドジ踏んでんじゃん お姫様親衛隊のモンジ様 」

「 なんだとカササギ 」

「 やめねぇか おまえら とにかく突破口はカゲフミだな モンジ カゲフミに話がしたいと伝えてくれ 」

「 わかりました 」

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