第30話 昔々

「 クロチィー 目ぇ合わせんじゃねぇぞ 」

 サブが足早に歩きながら正面を向いたままクロチィーに話す。

「 わ わかった 」

 クロチィーは後ろを気にしながら緊張気味にサブに返事をした。

「 しかし なんなんすか この猫ババアは 」

 サブとクロチィーとカササギの3匹の旅猫の後ろを1人の老婆がシルバーカーと呼ばれる手押し車を押しながら着いて来る。

「 これこれ 猫ちゃんたち そんなに早く歩かないでおくれよ あたしゃ年寄りだよ 」

「 なんか言ってやすぜ 兄ぃ 」

「 無視しろ無視 容赦無く無視だ 」

「 でもサブさん 僕たちこの格好だと人間に見つかんないんじゃなかったの 」

 クロチィーの言う "この格好" とは三度笠にマントの様な道中合羽の時代劇なんかで目にする渡世人スタイルである。最近では時代劇自体目にする事が少ないので "刀や侍が活躍するアニメなんかで目にする" と表現するほうがよいのであろうか。

「 見つかんねぇんじゃなくって意識の外側に出てるだけだ 意識して見たら普通に視えてるんだよ ただ普通はそんなこと意識なんかしてねぇからな だから好奇心が旺盛で何か見つけてやろうと目をギラつかせてる子供なんかにゃ普通に見えてんだよ こういう猫ババアは複雑で孤独な現代人間社会に疲弊して自ら線をこちら側に踏み越えて来るタイプだな 逆に人間側からはババアが希薄に視えてるんじゃねぇのか 」

「 なんかちょっと可哀想でやんすね 」

「 バカ やめねぇかカササギ そういう感情は伝わりやしぃんだよ 」

「 やっぱり 猫ちゃんたちはいい猫ちゃんたちね 」

「 あっちゃぁ 」

「 す すいやせん兄ぃ 」

「 あなたたち 弓月のお城から旅して来たんでしょ 」

 老婆の言葉にサブが固まる。

「 今夜はうちに泊まっていきなさい 美味しいネコ缶あるわよ 」


「 サブの兄ぃ なんでこのババアから弓月の名が出るんでやすか?」

「 知るかよ 」

「 もしかしてアナキーの人間の仲間なんてことは 」

「 わかんねぇ だからついて来たんだろ 」

 結局3人は老婆に言われるまま彼女の自宅まで来てしまった。ここは関東近郊の地方都市部で農村地域と商業地域の境い目といった所か、田畑と近代文化が混在しており生活環境は都会の気忙しさを感じずにゆったりしているようだ。

 老婆の家は密集地から少し外れた旧い木造の庭のある2階建ての民家であった。今はどうやら独り暮らしのようである。

 クロチィーらは足を雑巾で拭かれ居間へ上げられる。老婆はシルバーカーに積まれた買い物品を冷蔵庫などに仕舞い炊事場で料理を始めた、室内は綺麗に整理整頓がされており、以前は複数の子供達も生活していた形跡が見受けられる。見知ったはずの懐かしい人間の縄張りにクロチィーは居心地の悪さを感じずにはいられない。

 三度笠と道中合羽を外し しばらく居間の6畳敷の畳の上でゴロニャゴしてると老婆が食事の支度を終え戻って来た。

「 これをお食べ 」

 クロチィーらの前に新聞紙が敷かれ猫の餌が盛られた食器が水の入ったボールと一緒に置かれる、餌は何種類もあるようで3人で食べるには多過ぎな気もする。

 クロチィーは生唾を呑みサブをちらと見遣る。

「 大丈夫だろ とりあえずカササギ 舐めてみろ 」

「 んじゃお先に 頂きやす 」

「 舐めてみろってんだろ 何1人で食ってんだ でぇじょぶそうだな クロチィー 俺らも食うか 」

「 わぁぁぃ 頂きます 」

 クロチィーが人間の餌を食べるのは何時ぶりだろうか、あれからどれ位の時間が経過したのだろうか、それは遠く彼方の記憶のように思えた。

 老婆の食事は質素なものだった、茶碗に盛られたご飯にサバ缶を温めたおかずにタッパに入れられた沢庵にトマトとキャベツの千切りである。

「 こんな可愛いお客さんが来るならもっと贅沢なもの買っとけばよかったわ うなぎの蒲焼が安くなってたからちょっとだけ迷ったのよ 」

「 お婆ちゃん 何で僕たちが弓月って知ってるの?」

「 ブハッ! な な なんとクロチィー大胆にストレートなことを 」

突然 老婆に話し掛けるクロチィーにカササギが頬張った餌を吹き出した。

「 私が子供の頃にね 私のお爺ちゃんがよく話してくれたの 四国の奥深い御山の中に猫ちゃん達のお城があるってね 」

「 お婆ちゃんのお爺ちゃんから聞いたの?」

クロチィーは餌を食べながらマイペースに話し掛ける。

「 あ あ 兄ぃ クロチィーが人間と会話してやすぜ 」

「 いいから黙ってろカササギ 会話してんじゃねぇ なんとなく噛み合ってるだけだ 」

「 そのお城は弓月のお城って言うんですって そこにはとても可愛らしい猫ちゃんのお姫様がいてね 沢山の猫ちゃん達がそのお姫様にお仕えしているの 私のお爺ちゃんは若い頃四国で猟師をやっていてね ある日山の中で1匹の猫ちゃんが狼の群れに襲われている場面に出くわしたのよ お爺ちゃんは自分の危険も顧みず狼達と闘ったそうよ でも逆に狼達に追い詰められて足場を失い谷に転落しちゃったそうなの 次に気がついた時 そこは弓月のお城だったの お爺ちゃんが助けようとした猫ちゃんが実は弓月のお姫様だったのよ 」

「 うへぇぇ とんだ昔話が出て来やしたぜ兄ぃ 婆さんの爺さんだから100年くれぇ前の話っすね 」

「 もっと前だろう 江戸か明治の始め頃じゃねぇのか この国が外と戦争おっ始めてからは人間との交流は一切ねぇはずだ 」

「 お爺ちゃんは介抱してくれるお姫様のあまりにもの可愛らしさに恋しちゃったらしいわ 」

「 いやいや 人間が猫に恋って 」

「 弓月の結界の中だ 眩惑だな 爺さんには人の姿に視えただけだ そもそもあそこに城なんてねぇじゃねぇか あれは何百年も前の城跡だ 」

「 それでね 傷が治って帰らなくちゃいけなくなった時にお爺ちゃんは帰りたくないから自分も猫にしてくれってお姫様にお願いしたの そしたらお姫様は『 もう一度 此処に辿り着けたならその願い叶えましょう 』って言ってくれたの それからお爺ちゃんは来る日も来る日も弓月のお城を探しに山へ入ったそうよ だけど見つからなかった そうこうしてる内に親の勧める結婚話を断り切れなくなってね その後も家族には内緒でこっそり探してたらしいんだけど もし見つけたらどうする気だったのかしら 妻や子を捨てたのかしら でもね 私思うの お爺ちゃんは見つからないってわかっていて探し続けてたんじゃないのかなって ただ忘れてしまいたくなかったから この話は私とお爺ちゃんだけの秘密だったの 知ってるのは私だけ きっと自分が死んだら誰も知らない話になっちゃうから誰かに伝えておきたかったんでしょうね お爺ちゃんが弓月のお城から村に帰る時に渡世人姿の猫ちゃんが送ってくれたそうよ あなた達の姿を見てピンときたわ ついに見つけたってね ねぇ猫ちゃん もし私が弓月のお城に行ったらお爺ちゃんとの約束 叶えてくれるのかしら 私を猫にしてくれる?」

 じっと話を聞いていた一同は固唾を呑む、それは決して叶わぬ願い。

「 あらやだ 冗談よ猫ちゃん でも もしそうなったら楽しいだろうなって思っちゃう もう長くはないんだから楽しい事くらい考えてもいいでしょ 家のお庭にもよく猫ちゃん達が遊びに来るのよ 町内会は餌あげちゃダメだってうるさいけど自分の敷地で何しようが勝手でしょ 年寄りから楽しみ奪って何が楽しいのかしら 」

 それからも老婆は話し続けた、灯りを消し布団に入ってからも寝入るまで話し続けた。だが 彼女の話には祖父以外の家族の話は一切出て来ることは無かった。

 その夜、サブは1人家を抜け出す。


「 邪魔すんぜ 」

「 うわぁ どちらさんですか 」

 今夜は新月、この地域での猫の集会が空き地で行われている最中であった。

「 俺は旅猫のサブって者だ 弓月のメシュードに所属している 」

 集まっていた猫達がざわつく。

「 別に面倒事じゃねぇんで そんなに警戒しねぇでおくんなし 」

 1匹の年老いた猫が進み出る。

「 これはこれは 弓月の渡世猫様とは これは末代までの語り草となることでしょう それで この様な辺鄙な場所に何用にございますか 」

「 長老様ですか あっしはメシュードのサブと申します どうかお見知りおきを 」

「 いやいや 長老だなんて ただの死に損ないなだけですので 」

「 それで聞きてぇ事がありまして 」

「 はい 何でしょうか 」

「 ここいらでここ2~3年の間に半分白猫 半分黒猫の奇妙な猫は現れやせんでしたか アナクとかフィスィとか神父とか博士って呼ばれてるんすけどね 」

「 皆の者 何か知らんか 」

 年寄り猫の言葉に50匹程の集まった猫達は首を横に振る。

「 さいですか んじゃムツメっつうめっぽう色っぺぇサバトラのメス猫は 」

 こちらも反応は同じである。

「 わかりやんした この2匹 たいそう危険な猫にござんす もし来たら重々に警戒のほどを 東京では町一つ潰そうとしたくれぇの猫で犬や人間ですら思いのままだ あと はぐれ猫どもも使うんで見慣れねえ猫には注意しておくんなし 」

 猫達のざわつきが大きくなる。

「 それともう一つ ここから南に500mくれぇ先にある庭付きの古い民家を知ってると思うんだが 手押し車押す婆さんが独り暮らししてて 庭で餌もらってるヤツらもいるはずなんだが 」

「 そりゃチヒロ婆さんの家だね 」

 猫達の中から声が上がる。

「 そうか ありがとよ それで あの婆さんは昔 弓月にゃたいそう恩義のある血筋の人間なんだ 手前勝手な話ではあるんだが気に掛けてやっちゃくれめぇか 」

「 何だ そんなことならお安い御用さ 俺らもチヒロ婆さんにゃ世話になってんだし なぁみんな 」

 猫達から賛同の声が上がる。

「 ありがてぇ 恩に着るぜ 近所からは猫に餌やってんのうとまれてるみてぇだからなるべく目立たねぇように頼む 」

「 おう わかった あの婆さんのくれる餌美味いしな もらえなくなったら俺らも困るから気をつけて遊びに行くよ 」

「 皆の衆 よろしゅう御願げぇ致しやす 」

 サブは深々と頭を下げた。

 新月の夜は深々と更けていく。

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