第27話 希望

 虚月こげつの浮かぶ黒き空

 風もなく 千切れ雲さえ行き場を失いじっと佇む

 泡沫うたかたの夢の如きの古城跡

 荒れ地にたわむる猫二匹


「 えっとぉ 姫様 」

2匹の猫は草むらの中をぴょんぴょん跳ねながら会話する。

「 我が名はエルピス クロチィーは弓月の猫ではないのじゃ 姫様なんて呼ばずとも良いのじゃぞ 」

「 うん わかった じゃぁエルって呼んでもいい?」

「 構わぬぞ じゃがみなの前じゃと怒られるから気をつけるのじゃぞ 妾ももっと楽に喋れればよいのだが 生憎この喋り方しか知らんのじゃ 」

「 うん わかった でも僕 エルのこともっと難しそうな名前だと思っちゃってた 」

「 じゃろう 弓月なんていう歴史の亡霊には似つかわしく無い名前であろう ギリシャ語で希望を意味する言葉だそうじゃ 昔 母さまがアナクフィスィから教わった言葉であるらしい 」

「 アナキーから?」

「 そうじゃ きっと母さまはアナキーに恋しておったのであろう そしてその大切な言葉を自分の娘の名につけた いい迷惑じゃ でも気には入っておる 」

「 うん いい名前だと思うよ 」

「 クロチィーはアナキーに会ったのであろう どんな猫であった 」

「 うぅぅぅん わからない 僕にはわからない猫だった ごめんなさいエル 」

「 どうして謝る きっとそれが正解じゃ 誰にもわからない猫 それがアナクフィスィなんだと思うぞ 彼のことを救世主と呼ぶ猫もいるし悪魔と呼ぶ猫もいる 混沌の王と呼ぶ猫もいる クロチィーはわからないものが入っておる箱の蓋は開けちゃう派かのぅ?」

「 怖いから開けない でも 気になって開けたくなっちゃうかもしれないから怖くて箱が見えないとこに逃げちゃうと思う 」

「 そう来るかぁ クロチィーは一筋縄じゃいかない猫であるのぅ 妾は迷った挙げ句にやっぱり開けてしまうであろうな 」

「 エルは開けちゃうの 怖いのが出てきたらどうするの 」

「 食べてやる これでも妾も弓月の猫ぞ でも もしかしたら食べられてしまうかも知れんのぅ 」

「 えぇぇぇっ それでもエルは開けちゃうんだ 」

「 じゃろうな じゃがそれは中身を知りたいのではなく蓋を開けてみたいのじゃ 中身のわからない箱の蓋を開けてみたいだけなのじゃ 中身なぞどうでもよいし もたらされる結果などどうでもよい 中身のわからぬ箱の蓋を開ける事に意味があるだけ 愚かよのぅ クロチィーよ 弓月ではアナクフィスィを止める事はおそらく不可能であろう わからない猫アナクフィスィの蓋を開けてみたいだけなのじゃ 何をやろうが結果が変わる事は無いのであろう じゃがクロチィーは違う シシアを解放するという目的を持っておる その目的が思わぬ結果をもたらす可能性を秘めておる 我等弓月はクロチィーの目的に協力しようぞ それでもたらされる物が何であろうと構わん 妾はクロチィーと言う箱の蓋を開いてみたくなったのじゃ 」

「 うわっ 」

 エルピスはクロチィーに飛び掛かり組み付き押さえ込み噛み付いてくる、クロチィーも負けじと反撃してもつれ合い絡み合う。

「 クロチィー 約束してくれぬか 」

「 何?エル 」

「 もう一度 ここへ戻って来ると 」

「 わかった もう一度エルのところに戻って来る 」


サブとカササギはあてがわれた洞窟の中で待機していた。

「 クロチィー 大丈夫でやんすかねぇ?」

「 何がだ カササギ 」

 弓月に到着して3日目の夜である。先日は弓月の重臣達により開かれた審問会でここ迄の経緯の説明をする事になる、もちろんクロチィーも質問攻めに合うのだがクロチィーの何時もの感じの要領を得ない話に重臣達もきょとんとするばかりでタライ舟の小芥子と市松とのくだりなどはもはや混乱MAXであった。

「 だってあの姫様と2人きりなんすよ クロチィー マイペースだから 」

「 昨日も姫様はなんだかんだでクロチィーの話を楽しんでただろう 」

「 だからっすよ あの2人は最悪の組み合わせっすよ 一歩間違えば世界が終わっちまうかもしれやせんぜ 破壊力ならアナキーなんか目じゃねぇ 」

「 おまえ 相当な姫様アレルギーだな 」

 と、そこへドネリー( 元は舎人とねりと呼ばれる弓月の皇族に仕え護衛や雑用を執り行う職務に就く部署である )の隊長であるハシバミがやって来た。

「 おい サブ カササギ 貴様らの新たな任務が決まったぞ 」

「 ちょっと待てよハシバミ 俺はメシュード所属だぞ なんでドネリーのおまえが仕切るんだよ 」

「 姫様の勅命だ メシュードには俺から話は通しとく 」

「 ほら来た だから言ったっしょ兄ぃ 嫌な予感しかしねぇでやんす 」

「 黙れカササギ 本来なら貴様ら命令違反と不敬及び規律違反で水牢送りなんだぞ 」

ハシバミがカササギを睨みつける。

「 わぁってるよぉ で 勅命ってのは?」

やれやれと言った表情のサブがハシバミに話の続きを促した。

「 おまえらが連れて来たあのガキの猫を手伝ってやれ 」

「 ヘッ クロチィーの手伝いでやんすか それだけ?」

「 いやいやカササギ クロチィーの目的はアナキーのとこに行くことだぞ 難易度Sランクじゃねぇかよ 」

「 でもそれはシシアっていう友達の猫を解放してもらう為っしょ 弓月の目的とは大きく違うんじゃねぇんすか それとも何か裏があるんすか クロチィーの行動を利用してアナキーに近付いてブスリとか 」

「 そんな裏など無い 姫様はそれがアナキーのやろうとする事に辿り着く一番の近道と考えておられるだけだ 純粋に手伝ってやるだけでよい 弓月とは完全に別行動だ もちろん情報は共有してやる 貴様らには報告の義務は無い どうする 断るなら別の人選をするだけだ 貴様らより有能な猫はいくらでもいるからな ただその時は貴様らには予定通り水牢に行ってもらう 」

「 うわっ ブラック企業だ 」

「 わかった でも実際どうすりゃいい アナキーの足取りは完全に途絶えちまってんだろう 関東近郊ってだけじゃ 第一あそこは人間の目があり過ぎて自由に動き辛れぇんだよなぁ 」

「 新宿猫の愛衷人を頼って見るといい 」

「 新宿猫?エチュード?なんだそりゃ 」

「 名前は可愛いがバリバリの愚連の輩だ 新宿界隈を根城にしている 」

「 ヤクザ猫か?」

「 昔は関東一円を仕切っていたコクモン一家の成れの果てだ 」

「 聞いたことあんなぁ たしか黒い紋で黒紋とか獄門が訛ってコクモンになったとかいうあれか あれって確か……

「 そうだ 元は弓月だ 弓月が滅んでからは関係は無いんだがな 今は細々とヤクザ稼業で生き延びるのがやっとと言ったとこだろう それでも裏の世界には精通してるはずだ 弓月としてはあのような輩を頼る訳にはいかんが別行動の貴様らなら問題無い ただしあくまでも貴様らの独断だ 弓月は一切関与はしない 」

「 あいかわらず堅っ苦しいなぁ 」

「 仕方無いだろう 秩序を失えば我々とて下賤の輩となってしまう 例え亡霊でも誇りを失う訳にはいかんのだ 貴様らも弓月でありたいのなら誇りだけは失うな 」

「 へいへい 」

 そこへクロチィーがドネリーの猫達に連れられて戻って来た。4本の足には新しい朱色の文字が入った包帯が巻かれてある。

「 おう 戻ったか 」

「 クロチィー 姫様に変なこと吹き込まれたりそそのかされたりやしねかったかい 随分と長く時間が掛かったじゃねぇかい 」

「 うん 大丈夫 式猫さん達に包帯巻いてもらってたから 」

「 また式猫んとこに行っとったんかい ってその包帯 何か見たことねぇ術式が編み込まれてやすねぇ でぇじょぶっすか 」

「 おい ハシバミ 呪いとかじゃねぇだろうなぁ 」

「 知るかよ 姫様の命ならいくら式猫どもでもそんなことしないだろう 」

「 その姫様が何やらかすか一番怪しいんでやんしょ 」

「 まあそりゃそうだが…… 」

 カササギの言葉にハシバミは困惑の表情を浮かべる。

「 大丈夫 エル…… 姫様とはきっと帰って来るって約束したから 」




 Aποκάλυψις ζ'……ελπις ❴ エルピス ❵( ギリシャ語で希望を意味する

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