弓の月

第26話 弓月の城

 森の中心の小高くなった場所にそれはひっそりと在った。苔生し植物の蔓が絡まる石垣で出来た朽ちた城壁跡である。

「 ここが弓月?」

「 あゝ 弓月の杜にある弓月の城だ 」

 クロチィーの問にサブが答える。木々に覆われた石垣に沿って進むとぽっかりと石垣が途切れた場所に行き着いた。かつては城門があった場所なのだろうが今は何も無い。そこから城壁内部に侵入して一番高くなった場所を目指す、ぐるりと城壁内を一周するかたちで崩れかけた足場を登っていき ようやくそこに着いた。そこも一本のねじ曲がった松の枯木以外は草ばかりが茂る何も無い場所だった。夜空には糸の様に細く儚い弓の月が浮かんでいる。そして中心には1匹の猫がいた。

「 メシュードのサブか 」

「 これは姫様 失礼をばご容赦下さい 」

 サブとカササギに倣ってクロチィーも三度笠を外し行儀よくその場にちょこんと座った。サブに姫様と呼ばれた猫は薄い茶色の下地に様々な色の奇妙な紋様がシンメトリーに配置された摩訶不思議な猫であった。

「 確か西東京に遣わしたメシュードもガシュードも全滅したと聞いておったが それから使えん何とかという草の伝達係ものぅ 」

 そう言ってカササギの方を隈取の入ったような目でちらと見る。

「 勘弁して下さいよ姫様 」

 カササギが俯き頭をぽりぽりする。

「 それで 二官も通さずわらわに何用じゃ このような狼藉 知れれば即刻首が落ちるぞ 」

「 姫様 弓月は知っているんでしょう あの猫が何をしようとしているのか そんでもってあっしらは端から捨て駒 別に捨て駒とされることに文句はござんせん だが その理由を教えてくれやせんか 」

「 アナクフィスィは10数年ほど前に弓月を訪れた事があるそうじゃ 当時弓月はアナクフィスィを迎え入れたかった じゃが奴は首を縦には振らなんだそうじゃ アナクフィスィは希望と絶望を同時にもたらす それが何なのかは誰にもわからん 」

「 じゃあ わかんねぇことの為に弟達もガシュードの連中も捨て駒にされたと 」

「 人間はこの世界の王となった 故に弓月は滅んだ それは邯鄲かんたんの夢じゃ そして今また人間はさらなる段階へと踏み進んでおる この星の全ての命を管理して新しい形へと創り変えようとしておる 自分等の思うままにな 我等猫族もまた然り 彼等の思うままに産まれ彼等の思うままに生き彼等の思うままに死ぬ 考えようによっては案外いいものなのかもしれん 安寧な人生を苦もなく約束されるのじゃからな 本来なら望むべきものなのかもしれん じゃがな 人間は世界の王であっても我等の神では無い じゃから情けない話ではあるが我等はアナクフィスィのもたらす希望にすがるのじゃ 」

「でも 絶望も もたらされやすぜ 」

「 だからすべてを奴の思惑通りに進めさせるわけにはいかんのじゃ 虫のいい話ではあるがな 我等が望むものはアナクフィスィがもたらすχάος ( 混沌 ) なのじゃ 」

「 早い話 ヤツがなんかデカイことやらかすのを利用して人間の支配する世界を混乱させてぇ でもアナキーにも人間にも思い通りにはさせたくねぇ っつうことですか 」

「 まぁ そうなるのお 」

「 そんな漁夫の利みてぇなもんが上手くいくんですか 」

「 利を得ようとは思っておらん 誰も得する者はおらんよ 人間もアナクも弓月もその他の命達も みんなで仲良く負債を抱え込みましょうという折衷案じゃ 」

「 でも アナキーが何するかわかんねぇんでしょ 」

「 わかっておる事もある 奴の活動が活発な地域がいくつかあってのお 貴様らが先日引っ掻き回した御前崎もその一つじゃ 」

「 やっぱ知ってたんすね 」

「 当たり前じゃ 」

「 それで?」

「 それらの地域には共通する物がある 」

「 それは何なんすか?」

「 原発 原子力発電所じゃ アナクフィスィはプロメテウスの火と呼んでおる 」

「 その なんちゃらの火を使って何かしようとしてるんすね?」

「 おそらくな 流石に奴の扱う人間の領域は我等にはよくわからん 」

「 じゃあ 西東京も 」

「 いや 彼処は別件じゃ 原発は無い じゃから奴をあまり自由にさせる訳にもいかずに捨て駒を投入せざるえなかった 恨みたくば妾を恨むがよい 」

「 でも姫様 メシュードを撤退させる伝達をしたあっしは姫様の密命で動いてると聞いてやしたぜ 」

「 本来ならあの地に向かうはガシュードのみじゃった じゃがそれでは西東京の多くの猫達が犠牲になる可能性がある じゃから妾が内密にメシュードとカササギ もとい メシュードとどこぞの役立たずを先に向かわせたのじゃ 逆に犠牲を増やしてしもうただけだがな すまぬな サブ 」

「 いえ 俺ら兄弟 メシュードとなったその日からこの命 弓月のもの どうぞご自由に御使い下せい 弟らの死が無意味なものじゃなかったと知れただけで十分でさぁ 」

「 それで その猫は何じゃ 弓月の猫では無いようじゃが 」

 弓月の姫がクロチィーを見る。

「 こいつはクロチィーって言って西東京の元家猫です アナキーと仲間の人間達との唯一の接触がある猫です 」

「 ほう それは興味深いのう 」

 と、その時。

「 姫様 侵入者が……って 貴様!メシュードのサブか 」

 突然、黒茶の7匹の猫達が音も無く現れて取り囲む。

「 待ちゃれハシバミ この者らは妾の密命にて動いておる妾の直属じゃ ただ報告に参っただけじゃ 」

「 しかし姫様…… わかりました そう言う事にしておきましょう 」

「 長旅で疲れておるであろう ゆるりと休ませてやるがよい クロチィーとやら 話は明日聞かせてもらうぞよ 」


「 サブ 何やってんだおまえ 死にたいのかよ いったいどこから入った 」

「 式猫の縄張りからだ 」

 クロチィーらはハシバミと呼ばれた猫に連れられ古城跡を離れる。

「 あいつらか よく通してくれたな サジとサナクのことは……なんだ……残念だ 」

「 よしてくれ メシュードが死ぬのなんて別に珍しくもねぇだろうに 」

「 …… 」

「 それで 俺らはどうなる 」

「 本来なら牢に繋ぐとこだが姫様がああ言っている以上咎は無い 好きにしろ まあそうは言っても左官省と右官省のニ官を交えての審問会は覚悟しておけ 」

「 げっ 俺 あの堅っ苦しいの苦手なんだよなぁ カササギ 任せた 」

「 あっ 兄ぃ そりゃずりぃっすよ 」

「 カササギ 大体おまえ 姫様の密命って何なんだよ そんなこと一言も聞いてねぇぞ 」

「 ンなこと言えるわけねぇでやんすよ あっしの首が飛んじまう 」

「 何だサブ 知らんのか こいつは本当に姫様直属の隠密だぞ 」

「 はぁぁぁぁぁっ てめぇ 」

「 いやいや 待って下せぃよ たまたま余ってる草があっししかいなかったんでいいようにこき使われてるだけなんすから 」

「 まぁ正直俺等も姫様に何かやらかされるわけにはいかんのでな カササギくらいが丁度いいと黙認しておるのだ 」

「 ちょい待った ハシバミ様 何すかそのカササギくらいが丁度いいって 」

「 ん? 言葉のまんまだ 何の役にも立ちそうにないカササギしか使えんなら流石に姫様もそうそう暴走は出来んだろう 貴様にも使い所があったんだ ありがたく思え 」

「 うわっ パワハラで訴えてやる 」

「 それでハシバミ アナキーの足取りは?」

「 アナキー?アナフィのことか いや まったく途絶えた 今 メシュードと草を使って探ってはおるのだがな だが関東の何処かに居ることだけは確かだ ところで何でアナキーなんだ?」

「 人間の女がそう呼んでたらしい このクロチィーが聞いている 」

「 ややっこしいなぁ じゃあ我々もアナキーに統一した方がよさそうだな で そいつは何だ?」

「 面倒くせぇなぁ どうせ審問会で説明しなきゃなんねぇんだろ そん時でいいだろ 」

「 お おう わかった 」

「 それより貴様ら ムツメのこと知ってたんだよな 」

「 当然だ 俺だってムツメ様の御父上にはメシュードの頃に散々世話になってる ムツメ様には……いや ちがうな あの裏切り者の女には陰ながら憧れてた口だ だがサブ あの女は今までにアナキーに近付こうとして行方不明になった草やメシュードを何人も始末して来たものと思われる 今回のガシュード投入も弓月の手の内を知るあの女が御前崎に滞在している事を確認の上に実行されたものなのだ おまえの気持ちも分かるが あれはもう俺等の知るムツメ様では無い 決して気を許すな 」

「 わかってる 」

 話しながら森の中を進んでいるうちに黒く口を開けた洞窟の前に到着する。クロチィーはずっと蚊帳の外でカササギの後ろにくっ付いているだけで妙に居心地が悪く借りてきた猫状態である。

「 今夜はここを使用しろ 飯は後で持ってこさせる 大人しくしてろよ 」

 弓月の杜の夜は静かに更けていく。




 Aποκάλυψις ϛ'……χάος ❴ ハオス ❵( ギリシャ語で混沌を意味する )

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る