第23話 御前崎心中

 2匹の猫が換気口の蓋を蹴破りマントのような道中合羽を翻し富士の湯の男湯の更衣室に降り立った。

 ヴミャぅぉっ!

「 ムツメの言う通り 本当に来やがった 」

「 親分 こいつらが弓月とかいう時代遅れの猫どもの殺し屋っすか 本当に時代遅れの格好してて笑え……

 目の上を通過する大きな傷のある灰色猫が三度笠を投げ捨てると同時に まだ喋り終えてない白猫にマントをたなびかせ電光石火のラリアットをぶちかます。嫌な音を立て首があらぬ方を向いた白猫が板張りの床にごとりと転がった。

「 悪りぃ 気が短けぇもんでな お喋りは手短に頼む 」

 高い場所に陣取ったミトラの前の7匹の人相の悪い猫達が無言でゴクリとツバを飲む。

「 殺し屋っつうのは伊達じゃねぇみてぇだな 野郎ども それでも用心すりゃなんてことねぇ 相手はたかだか猫2匹だ とっとと殺っちまうぞ 」

 うあぁぁぁぁぁぁぁぁぉ!

 気味の悪い鳴き声と共に一斉にドタドタと猫達がサブとカササギに襲いかかる。突っ込む猫にカササギが三度笠を投げつけひらりと身を躱し後ろへ回り込む、先頭の猫が一瞬怯んだ瞬間。

「 余所見すんな 」

 言葉を追い越して赤猫の鼻先が深く爪でえぐられた。

 フギャァァァッ!

「 毒爪だ 死にたくなきゃ早く処置しな 顔が腐っちまうぞ 」

 サブが恐ろしく狂悪な爪をギラつかせながら睨みつける。

 サブの言葉に鼻を押さえ床を転がり回っていた赤猫が一目散に室内から逃げ出した。

 黒猫カササギは猫らの間をマントをひらひらさせながらぴょんぴょんと跳ねネズミのように跳躍し撹乱する、その動きに気を持って行かれ逆にゆったりと睨みながら遠巻きに獲物を物色する灰色猫のサブに猫達は意識が集中しきれずにちりちりと精神が磨り減っていく、灰色猫の鋭い金色の目が自分をロックオンしているような気がしてならない ( 次はきっと俺の番だ ) 。

 にゃぅ!

 1匹の茶白猫が情けない声を上げ堪らずその場から立てた尻尾をくるりと内側に巻いて逃げ出した。この光景に他の猫らも我先にと富士の湯の更衣室から逃げ出していく。

「 ちっ ビビリやがって 情けねえ野郎達だぜ 」

 ミトラが番台の上からひらりと音も無く飛び降りた。

「 勘違いすんなよ 渡世者 ウチの腕利きはあらかたあの山イタチに不意打ち食らって殺られちまってんだ あんな奴ら端から勘定にゃ入れてねぇんだよ 」

 フィィィィィィッ!

 ミトラが爪を出し尻尾を立てて毛を逆立てる。

「 カササギ 下がってろ 俺が殺る 」

「 へい 」

 カササギがすっと下がると同時にサブがミトラに踊りかかった。サブよりも少し大柄なミトラの太い前足が爪を立てブンと振り下ろされる、これを紙一重に躱し肩口から懐に入りミトラを押し倒す マウントを取ろうとするサブにミトラはなんとか体制を立て直し組み付きもつれ合う。

 フギャッ!

 ぅあぁぁお!

 ガタガタガタと木造の室内が不穏な音を響き渡らせる。

 勝負は一瞬で決した。傷つきボロボロになったミトラが死にものぐるいの勢いで決闘の場から逃げ出した、逃がすものかとサブが追いかけ隣の浴場に追い詰める。

 シャァァァッ!

 サブのエコーの掛かった咆哮が浴場に響き渡る。

「 おやおや 好き勝手やらしてやったんだから役立たずじゃ困りますえ ミトラの親分さん 」

 突然の背後からの声にサブが振り返ると 、そこには仰向けになったカササギの上に覆い被さる赤い襦袢のような布を羽織った1匹のサバトラの妖艶なメス猫がいた。

「 あッ 兄ぃ すッ すまねぇ しびれ…て うご… 」

「 黒猫のお兄さん あんまり喋ると毒の回りが早くなりんすえ 」

「 ……ムツメ 」

「 サブ 8年前に親父様がお前ら兄弟を拾って来た時言ったでありんすえ 召人 ( メシュード ) など所詮呪われた外道畜生道 お天道様の下を真っ当に歩きたいならおやめなさいと 5年前にはあちきを連れて逃げておくんなましと なのにこのざま ちゃんちゃら可笑しゅうて笑えませんなぁ 」

 サブは後頭部からミトラに思いっきり殴り倒された。

「 すまねぇ ムツメ こん野郎 目ン玉ほじくり出して生皮引き剥がしてやる 」

 ミトラが倒れたサブの上に乗り容赦無く爪を振り下ろしていく。

「 あ 兄ぃ…… 」

 カササギが力を振り絞ってもがくもどうにも力が入らない。と、その時ミトラの首を何か白いものが横切る。

「 ゴボっ 」

 ミトラの瞳孔がまん丸に開き食い千切られた喉笛からシユゥシユゥと音を立て血と息が吹き出した。瞬間、上になったミトラを払い除けサブが隙の生じたムツメに突っ込み爪を振り上げる、ムツメは紙一重にこれを躱しふわりと後ろに飛び下がった。

「 ほんに忌々しいイタチはんどすえ 」

 言葉だけを残し ふっとその場からムツメの姿がかき消える。

「 イイズナ 嵌めやがったな 最初からこれが狙いか?」

「 人聞きの悪い ミトラの居場所が特定出来なくて困っていたのは事実だが 私は話し合ってくれと頼んだだけだ 殺し合えと頼んだ覚えは無い まあ私がそいつを殺すのは予定通りだがね 」

 全身純白の毛に覆われ口元を赤く血で染めたイイズナが高い所からサブに答える。

「 ちっ 言ってろよ カササギ 大丈夫か 」

「 すみやせん…… 」

「 いいから喋るな どっかに針が刺さってるはずだ 」

 サブがカササギの身体を調べ首筋から一本の3ⅽⅿ程の針を抜く。

「 ありゃりゃ 痺れがとれやした 」

 カササギがひょいと起き上がりトントン足を踏む。

「 バカ 動くな 毒が回ったら死んじまうんだぞ 」

「 あの女 毒など仕込んでおらんぞ さっきの貴様同様ハッタリだ 針一本で殺せるのにわざわざ毒など仕込むはずないだろ 」

「 おいイイズナ テメェずっと見てたんならも少し早く手ぇ貸せよ ムツメに逃げられちまったじゃねぇかよ 」

「 貴様にあの女 殺せたか?猫 」

「 なっ 何おぅ 」

「 あの女殺せたかと聞いているんだ 猫 」

「 う うるせぇ それが仕事だ 」

「 私には 男も女も どちらも互いに殺されたがっているようにしか見えなかったぞ 情死の介添などまっぴらだ 」

「 イタ公の大将さん そんくらいで勘弁して下せいや ウチの兄ぃ 意外にメンタル絹ごし豆腐なもんで 」


 5年前。

「 サブ 一緒に逃げて 」

 深々と雪の降り積もる皎皎こうこうと明るい月夜だった。

「 ダメだ 俺が逃げれば弟達が追わされることになる アイツらに兄弟殺しなんかさせるわけにはいかねぇ 」

「 なら 返り討ちにすればいい 」

「 ……ムツメ 」

「 二人で罪を背負い生き長らえる 何が悪いの 」

 ムツメは仲間を庇い深手を負い見捨てられ3ヶ月畜生どもに間嬲なぶり物にされる、サブが助け連れ帰った。いや、再び地獄へと連れ戻したのだ。

「 ムツメ すまねぇ 俺には出来ねぇ 」

「 ……そうでありんすか 」

 キュッキュッと雪を踏みしめ納屋から立ち去るムツメをサブは見捨てた。


 ムツメが現れた時、ミトラは既に戦意を消失していた、本来ならカササギを無視してムツメを最優先に始末するのがメシュードたるものである、なのにあの時サブは動けなかった。カササギを見捨てられなかった?いや違う、かつて情を交わしたムツメを殺れなかった?いや違う、ただ動けなっただけだ。猫に睨まれた鼠のように、足が竦んでただただ動けなかったのだ。


「 イイズナ これからどうするんだ 」

「 どうもこうも ボスは殺ったしメス猫も追い払った 私の役目はこれで終わりだ これでようやく山に帰れる 後は残った者らでなんとかするだろう 」

 サブ達一行は川に架かる鉄橋を越えていた、サブに答えるイイズナは純白の毛からいつの間にか再び茶褐色に戻っていた。

「 クロチィーは大丈夫なんだろうな? 」

「 あの坊主 私を見て時々ゴクリとツバを飲み込む どうも私を鼠か何かと勘違いしているようで気が気でない ちゃんと教育をしとけ 」

「 イイズナの大将 旨そうでやんすもんね クロチィーの気持ちわかるなぁ 」

カササギがイイズナにギロリと睨まれる。

「 イイズナには何だかんだで世話になっちまったな 正直 俺らだけじゃどうにも出来なかった 礼を言う 」

「 お互い様だ 」

「 先を急ぐ 戻り次第すぐに立つ 」

「 好きにしろ 猫 」

月明かりが鉄橋を渡る3匹を川面に映す。

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