第19話 星の軌跡

 クロチィーはアキの縄張りの電波塔に登り暮れかかる滲んだ夕日を眺めていた。アキに助けられてスィスィアの家を脱出してからすでに10日程が経過している。ムチャクは騒動の後始末で何かと忙しいようでほとんど顔を合わせていない、「 今はまだ混乱してる 落ち着くまではここに隠れておいてくれ クロチのことはもう一度長老会で話し合うからそれまでは辛抱してくれ 」とだけ言われてある。クロチィーにはわからない、自分がどうしたらいいのかが、スィスィアはこの世界からクロチィーだけを残してぽっかりといなくなってしまった、もうその穴は二度と塞がる事は無い。

 ムチャクの話ではクロチィーの飼い主達は現在病院に入院というものをしているらしくまだ帰るべき場所は残されているらしい、スィスィアの飼い主が何故あんなことをしたのかは不明だがこれ以上クロチィーやクロチィーの飼い主達に危害を加えはしないのではとの判断である。

「 何考えてんのさ クロチィー 」

 クロチィーより一段高い所に寝そべっていたアキが上から声を掛けてきた。

「 ここは僕には何もない世界 」

「 どうして?」

「 シシアがいなくなったから 外の世界は僕にはもう何もない世界なの そしてもとの僕の世界にも戻れない だってもとの僕の世界はシシアを知らなかった世界だもん でも今の僕はシシアを知ってる そして両方の世界からシシアはいなくなっちゃった 外の世界と僕の世界にシシアっていう穴だけを残していなくなっちゃった 」

「 世界にシシアという空っぽの穴が開いたんじゃないよクロチィー クロチィーの中にシシアという空っぽの穴が開いただけだ 世界なんて何も変わらないさ シシアがいなくても 僕がいなくても クロチィーがいなくてもね 世界なんてずっと変わることなく何も無いままだ 変わってしまったのはクロチィーの内側だけだよ 」

「 僕のうちがわ?」

「 そうだよ クロチィーはシシアを失ってシシアという空っぽの穴をもらった その穴は決して埋まることはない だってシシアはもういないんだからね そしてシシアがいない以上その穴はずっとクロチィーの中にあり続ける そうやって色んな空っぽの穴を増やしながら僕たちは生きていくんだよ それが人生さ クロチィーはシシアを知らないまま もとのクロチィーの世界に居たかったって思ってる? 」

「 ……わからない 」

「 僕はシシアを知ってるクロチィーに出会えてよかったって思ってるよ それはルチルだってムチャクだって同じはずだ それはクロチィーがシシアに出会えたからに他ならない クロチィーとシシアとの出会いが世界を今の姿に変えているんだ それは何も無い世界の中ではほんの些細なことなのかも知れない でも僕たちはそれを奇跡と呼ぶんだ それはシシアが起こした小さな奇跡なんだ 」

「 シシアが起こした小さな奇跡 」

「 そう 星の導き シシアという星の生み出した軌跡だよ それは無意味なもののはずがないだろう それともクロチィーは無意味なものにしたいのかい?」

 アキの言う言葉のすべてを理解した訳では無い、だけどそれはクロチィーに大きく突き刺さった。クロチィーが否定しなければスィスィアは可哀想な猫になってしまう、アペルピスィアになってしまう、やっぱりそれは間違いだ。

「 アキ 僕 もう一度あの猫に合う そしてシシアをあんな姿のままでいさせるのをやめてもらう だってシシアは可哀想な猫でも アペルピスィアでもなくってシシアだから 」

 クロチィーは光の宿った強い眼差しでアキを見返した。

「 だってさ 」

 アキの声に電波塔の下の草むらから1匹の黒猫が飛び出した。

「 かないやせんねぇ こちとら隠密が生業なんすから気付かねぇふりして下せいや 商売上がったりっすよ 」

「 で 何か用? カササギ君 」

「 いやね 後始末のお手伝いも一段落したもんであっしらそろそろおいとましようと思いやしてね 」

「 僕は知らないよ 消えたきゃ勝手に消えなよ 」

「 それでその前にアキさんをスカウトにとね 」

「 やだよ 」

「 うわっ そんな冷てぇこと言わんで下せぇよ 今回メシュード2匹にガシュード3匹逝かれて困ってるんすから 弓月に来てくれやせんかアキさん アキさんなら大々歓迎っす 」

「 知らないよ それより話聞いてたんだろ 」

「 へい さすがメス猫殺しのアキさんと感心して聞いてやした 」

「 バカにしてるよね カササギ君 」

「 いやいや 滅相もない ロマンチストの弟子入りしたいっすよ マジで 」

「 ……で 黒白猫との接点は僕たちには無くなった あとはおたくら弓月だけだ 」

「 それで?」

「 クロチィーを連れて行ってやってくれ いいよねクロチィー?」

「 うん お願いしますカササギさん 」

「 困ったなぁ アキさんはついて来ねぇんすか 」

「 僕はここを離れられないじゃん そんなことしてる間にルチルが他の猫に取られたらどうすんだよ 」

「 いやいや そこは女の子第一なんすか?まあルチルの姐御はとびっきりなのはわかりやすが 」

「 どのみちアナキーはここを拠点にして何かしようとしてたんだ そんなに遠くに行ってないだろう すぐにお前らも戻って来ることになるさ その時はもちろん手を貸すよ 」

「 かないやせんねぇ わかりやした その代わりスカウトの件は保留っつう事で 」


「 すっとこどっこい クロチィーに何かあったら承知しないよ クロチィー 本当に1人で大丈夫かい?」

「 うん 」

 ルチルがカササギに文句を言いながらクロチィーの頭を痛いくらいぐりぐりする。深夜のひっそりとした西東京中央公園には5匹の猫達が居た。

 クロチィーは旅猫のサブとカササギに付いて行くことになったのだ。現状黒白猫アナクフィスィの手掛かりが途絶えた以上それを追う弓月の旅猫だけが唯一の頼みの綱である。アナクフィスィにもう一度合うと決めた以上もう後戻りは出来無い。そうしなければクロチィーの中にあるスィスィアのくれた穴が無意味な穴になってしまう、ぽっかり開いた穴はクロチィーにとって大切な穴だから。そうアキが教えてくれたから。

 ムチャクや長老会もこれには賛成してくれた、この前の一連の騒動の発端はやはりクロチィーと旅猫の出現にあるのは事実である。その両者が一緒に居なくなってくれるのだ、これほど好都合な事はない、もちろんムチャクや長老会は単に厄介払いがしたいわけではなく一旦西東京六ヶ村騒動を沈静化させるには最良の選択と判断したのだ。

「 サブさん よろしくお願いします 」

 ムチャクがサブに頭を下げる。

「 おう 任しとけ 別に危ない旅じゃねぇ 弓月に報告して今後の指示を仰ぐだけだ それにアナキーと実際に接触したクロチィーがいてくれた方が俺らも好都合だしな おそらくアキの読み通りアナキーはそう遠くに行っちゃいねぇ 必ず近いうちに動いてくる ムチャクも気を緩めるなよ 」

「 わかった クロチ ちゃんと帰ってくんだぞ 」

「 うん 帰って来る 」

「 クロチィー これを身に着けな 」

「 これなぁに? 」

「 旅装束だよ まあ結界みてぇなもんだな これを着てりゃあ目立たずに旅が出来るっつうあっしらの必須アイテムなんだ 」

 そう言ってカササギがクロチィーに三度笠と縦縞の道中合羽を渡す、クロチィーは受け取りサブとカササギの真似をしながら身に着けていく。

「 なんだいクロチィー 様になってるじゃないかい 」

 そう言いながらルチルが細かな所を優しく正してくれた。

「 そんじゃあ皆様方 名残惜しゅうござんすが あっしら これにて失礼仕つかまつりやす 御免なすって 」

 カササギの口上とともにサブとカササギは道中合羽をひるがえし前を向き進み出す、これに遅れずクロチィーも一瞬ルチルとムチャクに視線を交わし歩み出した。振り返ることは決して無い。

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