第13話 遁走

 ムチャクとサブはオトトの住処である古いアパートと隣の住宅の塀との間に出来た狭いがらくたの積み上げられたスペースを訪れていた。オトトはこの辺をかなり以前から縄張りにする白黒の猫で周囲とのトラブルも少なく比較的善良な猫であった。

「 ようムチャク 例の家猫はどうなった 」

 クロチィーの件でムチャクは2回ほどここを訪れていた。クロチィーが逃げ出した日に家の前で急に飛び出して車に轢かれそうになった若い黒猫をオトトは目撃していたのだ。

「 今日の火事知らねぇのかよオトト 」

「 火事は知ってるさ あんだけ大騒ぎしてたからな もしかしてあの家なのかい 」

「 おいおい 自分の縄張りだろうに 見に行けねぇほど悪いのかい 」

「 情けねぇ話だが今朝から調子が悪くてなぁ 昨日食った食い物があたったかねえ 」

「 そもそも具合悪いのに食い物はどうしてんだい 」

「 悪りぃ 本当は報告しなきゃなんねぇんだよな 実は二週間くらい前から人間にもらってんだ 」

「 ちょっと待ちな 具合悪いのはいつからだい 」

「 10日くらい前からかな 」

「 あのなぁオトト 毒入りの餌撒く人間がいるんだ 安全が確認出来るまで食っちゃダメだって定例会でいつも言ってんだろう 」

「 知ってるよ だけどな めっちゃ美味いんだよこの餌が それにくれる人間の女もいい人間そうだぞ 」

「 呆れちまうぜ で症状はどんなだ 」

「 気分悪くて吐いちまうんだ でも餌は毎日もらってるが吐くのは3日に一度くらいだぜ 」

「 どう思うサブさん 」

「 微妙だな 毒で殺そうと思うなら10日も生きちゃいないだろ ただ無関係にも思えねぇなぁ 」

「 ムチャクそちらのお強そうなお猫さんはどちらさんだい 」

「 サブさんっていう旅猫さんだ 」

「 ヘェ~旅猫さんかぁ よくわかんねぇけどまあヨロシク 」

「 で二三聞きてぇことがあんだがよ 」

「 へいへい 何でも聞いておくんなし 」

「 昨日ここいらで俺と同じような2匹の猫見なかったかい 」

「 旅猫さんとですか さあ見てませんねぇ 」

「 じゃあ最近はぐれ猫は見かけてねぇかい 」

「 それなら毎日見かけますぜ 」

「 本当かオトト どこでだ 」

「 何だよムチャクでかい声で だから餌くれる人間に付いてまわってんだよ 大抵2匹はいるかな あいつら気味悪くてさぁ オイラがここは俺様の縄張りだっつうても知らん顔しやがる こっちも具合悪いし人間いるし相手2匹だしさぁ 下手できねぇじゃん 」

「 マジかよ ンで その人間は次いつ来んだよ 」

「 わかんねぇよムチャク ただ今日まだだからこれから来るかもよ でも火事あったしなぁ 」

「 サブさん どうする 」

「 貴重な手掛かりだ 張ってみるか 」

 それから2人はオトトに別れを告げてオトトの住処の見える少し離れた屋根の上にひっそりと身を潜める。


 日没から3時間ほど経過したころにそれは訪れた。

「 来たぞ 」

 女性の出で立ちは軽装のウォーキングの途中といった感じでピンクのキャップに白のウインドブレーカーにスニーカー姿で背中のバッグパックを外し何やらごそごそし始めた、彼女の背後には2匹の痩せたキジシロとチャシロの猫がピタリと従っている。

「 オトトのバカ なんでまた餌もらって食べてんだよ 本当のバカなのか 」

「 シッ ムチャク あの2匹なんだか様子がおかしいぞ 普通じゃねぇ よほど用心しねぇと見つかるかもだ 」

 サブが小声でムチャクに伝える。ムチャクは気を引き締めそっと頷いた。

 オトトに餌をやり終えて女性は早歩きで移動を開始した。サブとムチャクは距離を取りつつ屋根伝いに慎重に後をつけて行く。

 行き着いた先は焼け焦げた火災現場だった。しかし女性は火災現場には見向きもせずに真向かいの2階建ての住宅に2匹の猫を伴って入っていった。

「 どういうことだ 」

「 あの家は?」

「 クロチィーの探してたスィスィアの飼われてた家だよ サブさん 」

 ウミャァぁぁぁぁっ!

 突然1匹の赤猫が屋根の峰を越えて宙空から飛び掛かって来た。

 フヴゥゥゥッ!

 サブが片手でこれを薙ぎ払う、猫は転がりながら屋根から落ちていった。

「 クソっ 囲まれた 」

 屋根伝いに四方から10匹ほどの猫達が集まって来た。

「 分が悪い ムチャク 撤退だ 」

「 わかった 」

 そう言うと同時に一気に2人は駆け出した、1番手薄と思われる屋根に跳び移る。

 ヒュン!

 ジャンプした空中で何かがムチャクの肩口を掠める。下方の道路にはクロスボウを構えた人間の男性が狙いを定めていた。

「 大丈夫か ムチャク 」

「 あゝ かすっただけだ 」

「 屋根はトラップだ地上から脱出するぞ 」

 そう言うなりサブは屋根から駆け下り道路を猛烈に走り出す、ムチャクも遅れずサブの後ろに付く。

 ヒュン!ヒュン!ヒュン!

 クロスボウの矢が風を切り襲いかかる。

 ザシ!ザシ!ザシ!とサブのジグザグに走る足下のアスファルトに矢が突き立っていく。

 ヴぁぁぁぁぁぅ!

 後方からは猫達の群れが猛追して来る。

「 走れ走れ走れ走れ! 」

 サブとムチャクは追っ手の猫達を引き連れ夜の住宅街の道路の曲がり角を直角にカーブして疾走する、前方に交差する交通量の多い一般道が見えた。

「 ムチャク 突っ切るぞ 」

「 おうよ まかせろ 」

 サブとムチャクはそのままの猛スピードで赤信号の交差点に突入した。容赦なく走り抜ける車の群れの中を無謀にも横断していく、紙一重のタイミングでタイヤ達に巻き込まれなかったのはまさに奇跡だ、後方でグシャっと何かが轢き潰される嫌な音が聞こえた。


「 なんとか振り切れたみてぇだな 」

「 たんま…… ハァもう心臓が…… ハァハァ破裂しそうだ ハァハァハァ 」

「 若けぇのに情けねぇなぁ 」

「 おっさんのくせに……何で…… ハァ 平気なんだよ 」

「 鍛え方が違うんだよ 若造とはな 」

 それからしばらく身を潜め息を整える。

「 ムチャク ここは何処だ?」

「 たぶん隣町の商店街だ 境界線を超えたみてぇだな 」

「 西東京から出ちまったか 出ても大丈夫なのか? 」

「 いや ここいらの猫とは昔から揉めてるはずだ ヤクザもんのシマだかんな でも様子がおかしいぞこいつらいつも警戒してるはずなのにまだ見つかってねぇってのはな 」

「 とにかく安全なとこに戻ろう 」

 それから慎重に移動して高い草むらになっている河川敷に辿り着いた。

「 やっぱおかしいな 1匹の猫とも出会わねぇなんて この辺ははぐれ猫どもの住処のはずなんだが 」

「 おいおい 敵地のど真ん中かよ 」

「 住宅地より目立たねぇだろう 住宅地は屋根から見張られたらアウトだかんな でだ サブさん 何なんだあれは 」

「 こっちが聞きてぇよ はぐれ猫だけならまだしも何で人間が襲ってくんだよ だが あれならウチの弟たちが殺られたのも納得はいくがな はぐれ猫で動き止められて人間の弓矢で仕留められたんだろう ムチャク傷は大丈夫か 」

「 傷はたいしたことねぇんだが何か痺れてんだよな 」

「 痺れ薬が仕込んであったか 毒かもしんねぇからこれ飲んどけ 毒消しだ 」

 サブが懐のポケットから見るからに怪し気な黒い丸薬を取り出しムチャクに渡す。

「 ゔげぇ 苦げぇ 」

「 良薬口に苦しさ 弓月の秘伝の解毒丸なんだぜ 」

「 あんがとよ でだ 普通に考えりゃ人間がはぐれ猫ども使ってるってことだよな 」

「 だよな はぐれ猫たちはあきらかに普通じゃなかった なんならの術 或いは薬物が用いられ操られた状態だ 」

「 ンなこと出来んのかよ 」

「 出来るさ 昔は幻術とか瞳術とか呪術とか呼ばれてたが 今では催眠術や洗脳術として医学科学的に解明されてる 薬物を用いれば効果覿面こうかてきめんさ 人間の得意分野だ 」

「 でも 人間が猫操って何すんだよ 」

「 知るかよ 猫の手でも借りてぇんじゃねぇのか とにかくあの家の人間が何かやってるのは確かだ それがアナフィとクロチィーにどう繋がってんのかは謎だがな 」

「 とにかく長老会に報告だな サブさんは報告とかは一切しのぇのかい 」

「 いや 明日 連絡係と接触があるはずだ 」

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