額縁の猫 アペルピシア( απελπισια )

第11話 額の中の猫

「 おかえりなさい クロチィー 」

 見知らぬ女性はそう言うとキッチンの下の扉から転げ出たクロチィーの首の後ろを掴み麻の袋の中に押し込んだ。混乱したクロチィーは袋の中で暴れるがどうにも出来ない。

「 クロチィー この家の人間は今食中毒で入院中よ 」

 クロチィーはふと思い浮かぶ、この女性はスィスィアを膝に乗せていたスィスィアの飼い主の女性だ。

 コツコツと音を立て女性は歩き出した、廊下を歩く時にこんな音はしないはずだ、この女性は靴を履いたまま室内を歩いている、どうする事も出来ないと悟りクロチィーは既に袋の中で暴れる事を止めていた、体力は温存しておかないといざという時に動けない、アキに教わった事の一つである。今は状況を正しく見極める必要がある。

 クロチィーは袋に揺られながら聴覚に全神経を集中する、これもアキに教わった技術だ。袋の麻布に遮られてはいるが女性の息遣いまでしっかりと聴こえている。ガチャリと扉を開け足音が変わる、外に出たのだ、ガチャガチャギィと門を開けカツカツと34歩進んでガチャリと扉を開けた。スィスィアの家だ、間違いない、クロチィーは袋に詰め込められスィスィアの家に連れて来られたのだ、何の為に、一体この女性は何をしようとしているのだろうか、クロチィーの脳内でアラートが鳴り響く、これは危険だ、身に迫る危険だ。


 家の中に入り靴のまま室内を移動する、さすがにこの家の構造はわからないがどうやら階段を登っているようだ、カチャカチャと音がする、以前、スィスィアは2階には鍵が掛かっていて上がれなかったと言っていた、扉が開かれ室内に入ったようだ。

 乱暴に袋を逆さにされてクロチィーは袋からこぼれ落ちた。

 瞬間の判断力。アキが言っていた、瞬時の判断力が生死を分かつと、今こそその時だとクロチィーは察知する。

 袋からこぼれ落ちた宙空で身をよじり態勢を立て直す、床まで約1m、しなやかに前足から着地して後ろ足が接地した瞬間に方向を見定めてバネのようにロケットダッシュしなければならない、余裕などコンマも存在していないはずだ。

 予定通り前足から柔らかく着地した、後ろ足が床に着く前に方向を……

 しかしクロチィーは絶望した。

 室内には20匹ほどの猫がクロチィーを取り囲んでいた。


 クロチィーを取り囲んだ猫達は皆極度に痩せており片目が白く変色している者や前足がひん曲がった者、体毛が斑に抜け落ちた者なども見受けられる。皆一同に死んだ目でクロチィーを睨みつけて待ち構えていた。

「 やあクロチィー 会いたかったよ 」

 猫達の後ろにある赤い豪華なソファーから落ち着き払った声が聞こえた。

「 君に会える日を楽しみに待ち侘びていたんだよ 」

 そこには半分黒猫で半分白猫の黒白猫が座っていた。首から下にはすっぽりと人間のような衣服を纏ってある。その衣装は一般的に教会の神父などが身に纏う黒の司祭服のガウンのようなものであった。

「 そんなに身構えなくても大丈夫だ クロチィー 楽にしなさい 」

「 誰?」

「 私かね?私はアナクフィスィだ ここの飼い猫だよ 」

「 嘘だ ここの飼い猫はシシアだもん 」

「 嘘じゃないよ 私は嘘などつかんよ クロチィー ここの2階は昔から私の縄張りだよ まあ しばらく留守にしていたんだがね 」

「 シシアは他に猫がいるなんて言ってなかった 」

「 あゝ あの子は私の事は知らんよ 」

「 アナキー 私 準備してくるわね 」

「 あゝ 頼む 」

 クロチィーの背後の人間の女性が部屋を出て行く。

「 ……人間とお話し出来るの 」

「 あゝ あの人間の女は私の言うことならなんでも聞く もとは私の飼い主だったが 今は私が飼い主だ 」

「 この猫たちは?」

「 こいつらはこの近隣のはぐれ猫どもだよ

気にすることはない 今では単なる私の傀儡にすぎん 」

「 僕をどうするの 」

「 いやね 君と話がしたくてね 」

「 何のお話?」

「 決まってるだろう 可哀想な猫 スィスィアの話だよ 」

「 シシアは可哀想な猫なんかじゃない 」

 シャァァァァァァァァァァッ!

 低く牙を剥いたクロチィーを取り囲んだはぐれ猫達が一斉に飛び掛かり押さえ付けた。

「 やめなさい 」

 アナクフィスィの声にはぐれ猫達はクロチィーを離し元の位置に戻る。

 ガチャリと背後で扉が開き先程の女性が大きな金の額縁を抱え戻ってきた、女性はその額縁をアナクフィスィの座るソファーの背後に掛けて無言で部屋から出ていった。

 その額縁の中には……

「 ……シシア 」

「 帰って来た私が見つけてあげた時には既に手遅れだった こいつらはぐれ猫どもにいいようにおもちゃにされ続けた挙句に病気まで伝染されてね 片目は潰れ毛は抜け落ち生殖器には蛆が湧いていた 美しかったスィスィアは見る影も無く変わり果てていた ここに連れ戻して治療を施したが精神が元に戻る事は無かった ただクロチィーとだけうわ言のように言っていたよ 」

「 どうして…… 」

「 だから 解放してあげたんだよ 生きているという苦痛からね 」

「 どうして…… 」

「 可哀想な猫スィスィアは犠牲の象徴となった 命と言う名の無意味な苦痛の象徴だ だから額に飾る事にしたんだよ タイトルは可哀想な猫アペルピシア 」

「 やめろ シシアは可哀想な猫なんて名前じゃない シシアはシシアだ 」

「 私はね クロチィー 命という苦痛からすべてを解放したいんだ 命がなければ苦痛も生まれない みんなが石ころでいいじゃないか 」

「 シシアをあんな姿にするのはやめろ 」

「 間違えているんだよ何もかもがな 間違えは誰かが正さなければならない 」

「 シシアは…… 」

「 さあ始めよう この世界を絶望を満たす器とするのだ 」

 女性が両手にクロチィーが入れられていたのと同じ麻袋を二つ下げて部屋へ入って来た、袋の中では何かが動いていた。






 Aποκάλυψις γʹ……απελπισια ❴ アペルピシア ❵( ギリシャ語で絶望 或は希望が無い事を意味する )

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