第10話 花
花がいい
踏まれても枯れない花がいい
あの人は見つけてくれるだろうか
あの小さな可愛らしい鼻先を近づけてくれるだろうか
花がいい
丘の上に咲く花がいい
花弁を散らせて種子をつけ
また春の季節に逢いましょう
繰り返し
繰り返し
繰り返し
夢幻の逢瀬を咲かせましょう
花がいい
そうだ私は花がいい
「 クロチィー 」
「 う〜ん 」
「 う〜んじゃないよ 起きな 長老会がお呼びだよ また夢を見たのかい 」
「 うんう お花の匂いがしたの 」
「 そうかい そりゃよかったね 」
「 うん 」
クロチィーは寝ぼけ
「 アキとおジイ様は?」
「 結局ムチャクは昨日は戻ってこなかったからね アキはあの後帰ったよ おジイはさっき御迎えが来るまでぐうすか寝てたんだよ 」
昼日中に外を彷徨くのはクロチィーが家から出て来たあの日以来の事である。こんなに外の世界が眩しかった事に居心地の悪さを感じながらルチルの後を少し小さな歩幅で一生懸命付いていく。今、自分は外の世界に居るんだとクロチィーは初めて実感した、今、自分は何処まででも歩いて行ける空の下に居るんだと。
途中、何匹かの猫に遭遇する。チラと目を合わせプイと居なくなる猫もいれば「 クロチィー 頑張んなよ 」と声をかけてくる猫もいた、おそらく昨日の集会に参加した猫なのだろう、ルチルの話では集会への参加は長老会からの召集がなければ絶対では無いらしい、ただ地域で上手くやっていく為にはある程度の積極的な参加と貢献は必要とのことである。猫の社会も人間同様社会性と協調性は必要なのだ。中にははぐれ猫のように社会から完全にはみ出してしまう猫達もいるようだ。
ルチルと共に住宅の間の塀の上や細い隙間 側溝の下などを器用に抜けながら
「 ここが西東京六ヶ村長老会本部だよ 」
その神社はビルとビルの間に挟まれた朱色の鳥居を構える小さな稲荷神社であった。
ルチルが手水舎の水盤にひょいと跳び乗り水を飲んだのでクロチィーも真似して水を飲む、水は冷たく喉を潤した。そのまま人気の無い境内の裏手に回り隙間から社の縁の下に潜り込む。
縁の下の内部は小綺麗に整頓されており中央には四畳半の畳が敷かれ小さな座布団の上に長であるシロじい様を含めた6人の長老会の年寄り猫達が丸く座っていた。畳の両脇には昨日見た2匹の三毛猫の姿もある。
「 よう来たのうクロチィーよ 」
赤毛の長老の1人が柔らかな声を出す。
クロチィーは長老会の正面の畳の外側にルチルと一緒に腰を下ろす。
「 早速じゃが長老会の裁定を下す 」
「 クロチィーよ ヌシには家猫としての人生をまっとうしてもらうことと相成った 」
「 ノラの中には人に捨てられた者や虐待を受けた者 殺されかけた者など人間に恨みを抱く者らも多数おる その様な者らと鈴付きと呼ばれる人間に可愛がられておる家猫との間の確執やいざこざも絶えんのじゃ 」
「 そんな中 行方不明の友を探すクロチィーの存在は両者を刺激する劇薬になりかねんのじゃ 」
「 家猫として安寧な生涯を送ることが出来るのならそれに越した事は無い 例え子を生さずともな 」
「 何かと儘ならぬ世の中じゃ 行末を案じながらノラとして生きるのもまた苦行 」
「 若者としてその苦行を打ち払うのもまた然り 」
「 本来なら若者の可能性を檻に押し込めるなど我等の本意では無い 」
「 しかし我等 六ヶ村を束ねる者 優先するは個では無く群なのじゃ 」
「 許せよクロチィー 」
長老会の面々が代わる代わる語りかける。
「 じい様方 クロチィーには難しくって何言ってるか分かんないよ あたいも頭痛くなって来たじゃないか 」
ルチルの言う通りクロチィーにはさっぱり理解出来ない、だが元の生活に戻るのが自分にとっても周りにとっても最良の選択であると言っているのは理解出来る。クロチィー自身もそうなんだろうと思っている。
だから。
「 ありがとうございます 」
ルチルが寂しそうに横目でクロチィーを見遣った。
「 おう 終わったか 」
長老達に挨拶をして社を出るとムチャクが待っていた。ルチルは一瞬ムチャクを睨みつけて横を向く。
「 じゃあ行くか 」
ムチャクが素っ気なく告げる。
「 クロチィー 」
ルチルがクロチィーの鼻先に鼻を押し当てた、触れ合うひげがむずむずする。
「 いつでも逃げ出してくるんだよ あんたの人生はあんたが決めていいんだからね そん時はあたいが駆け落ちしてあげる 」
そう言い残すとルチルはその場を後にした。
「 クロチ 行くぞ 」
「 うん 」
ムチャクと無言で迷路のように住宅地の隙間を進んで行く。付いて行くのに精一杯でどの位の距離と時間を経たのかは分からないが何時しか見慣れた場所に立っていた、ここはクロチィーが2階の出窓から見下ろしていた家の前の道路に他ならない。見上げるとクロチィーの出窓が見えた。そして、振り向けば、そこにはおそらくスィスィアの窓が見えるはずだ。
「 クロチ これは長老会の決定だ 決定は絶対だ おまえはもはやこの六ヶ村でノラとして生きることは許されねぇ もしそうすれば追放される 恨むなら長老会に進言した俺を恨みな 」
「 うんう ムチャクは優しい 僕 知ってるもん 」
「 ンなわけあるか 待ってろ 今 家の人間を呼んでやる 」
ムチャクが門のインターホンへとジャンプする。
「 反応がねぇな 留守か?」
「 ムチャク 大丈夫だよ 抜けて来た隙間から一人で帰れるから 」
「 本当に大丈夫か?俺はクロチを無事に送り届ける義務がある 」
「 大丈夫だって 忙しいんでしょ 」
「 わかった じゃあ明日もう一度見に来る もしもの時はこの辺に隠れてろ 」
「 うん ちゃんと帰れるから 大丈夫だよ 明日あそこの出窓からお外見てるね 」
「 おう じゃあ達者でな クロチ 」
「 うん 」
そしてクロチィーは門の下をするりと潜り振り返らずに家の裏へと回る、ミニトマトのプランターの近くに以前クロチィーが抜け出た四角い穴が見えた。クロチィーはジャンプしてよじ登りどうにかこうにか穴に潜り込む、以前のクロチィーでは出来ない芸当だ、しかしこの辺の動きはアキからみっちり教わっている、今のクロチィーには何の躊躇いもない行動なのだ。穴から侵入した床下内部は以前と変わらず黒く広がっていた、目指すは天井から伸びる一本のパイプだ、以前はキッチン下の扉が開いていた状態なので上から光が射していたが今はそれは期待出来ない、しかし記憶を辿りながら歩みを進めると意外にも簡単にパイプへと行き着いてしまった。クロチィーは蛇腹のパイプを爪を立てよじ登る、隙間は以前同様に埋められておらず難なく上階へと通過する事が出来た。そのままの勢いで扉に内側から体当たりして押し開ける。
「 おかえりなさいクロチィー 」
そこには見知らぬ女性が立っていた。
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