第8話 西東京六ヶ村新月定例集会 其の弐 波紋

 気が付けばクロチィーはルチルに覆い被されて押さえ付けられていた。しかし、ルチルの身体は柔らかく温かく優しかった。

「 動くんじゃないよクロチィー 」

「 ごめんなさい 僕 」

 ルチルが耳にかぷりと噛み付いた、痛みに冷静さを完全に取り戻す。

 ざわめく猫達を睨みつけムチャクが口を開いた。

「 すまなかった このクロチィーも飼い主から手術と言う言葉を聞いて取り乱して逃げてきたらしいんだ まだ心の整理がついてない 許してやってくれ 」

「 おいムチャク 俺等がそんな器量の狭めぇこと言うと思うか その子は犠牲者だ 自分勝手な人間の犠牲のシンボルだ ルチルその子を離してやってくれ 」

 そうだ!そうだ!と周りから賛同の声が沸き上がった。

 ムチャクは眉をひそめる、これはよくない兆候である、猫達の中には人間達に異常な憎しみを抱いている者も少なくない、そんな猫達がスィスィアとクロチィーの一件を神輿に乗せ担ぎ上げようなんてしだすと厄介だ、犠牲のシンボルと言う言葉がぬらぬらとムチャクの不安に触手を伸ばす。やはりクロチィーをここに残すわけにはいかない。

「 スィスィアの情報が無い限りこれ以上は我々に出来る事は何も無い よってクロチィーの処遇は長老会の裁定に任せようと思うんだが意見のある者は発言しろ 」

「 おいおい 処遇も何も本人が逃げてきたんだ 猫同士助け合う それがここのルールだろう 」

「 いやいや 帰る場所があるなら帰らせるべきだろう 助け合いも糞も無いじゃないか ノラになったってお先真っ暗なんだしな 」

 両方の意見に そうだ!そうだ!と野次が飛び交う。

「 だから意見が分かれる事は分かってんだから長老会に任せようってんだよ 」

 ムチャクが苛立ち声を張り上げる。

「 そうカリカリしなさんなよ まだ肝心のクロチィーの意思を聞いてないじゃんか 」

 木の上の枝に寝そべったアキが飄々ひょうひょうと声を上げた。

「 おい アキ てめぇ何高いとこから口きいてんだ 長老会も来てんだぞ 弁えろ 」

《 アキだ アキが来てるぞ アキさんだ マジかよ カッコイイなぁ 》

 アキの出現に公園は異常に興奮した空気に包まれる。

「 ちッ クロチィー 立て 」

 ルチルに押さえられた後そのまま丸くなっていたクロチィーがムチャクに促されて二本足で立ち上がる。

「 クロチィー おまえはどうしたい 」

「 ぼ 僕は わからない だから決まったことに従うよ 」

「 クロチィーがそれでいいならいいんじゃない 」

 そう言ってアキが興味を無くしたように大きな欠伸をした。

「 ……他に文句あるヤツ 」

 ムチャクが睨みを利かす。さすがに一同はしんとなった。

「 ンじゃこの件は長老会に一任する クロチィーもう下がっていいぞ 」

「 おいでクロチィー 」

 クロチィーはルチルに伴われてようやくベンチの上から解放されてホッとひと息つくことが叶った。こんなに緊張したのは病院で注射を射たれた時以来である。

「 ねえルチル さっき僕二本足で立ち上がったよ 」

「 あゝ 今ここには結界が張られてあるからね 結界の中じゃあ人間みたいなことも出来るのさ ほら これ仕舞っときな 」

 そう言うとルチルはスィスィアの写った紙を器用に折り畳みクロチィーの腰の辺りにスッと挿し込んだ。

「 ポケットって言うんだよ 昔は懐って言ってたらしいけどね 結界の中で入れた物は人に見られてない時なら出し入れ出来るから覚えときな 」

「 わかった 」

 それからルチルと1番隅に移動して腰を下ろした。


「 それじゃあ2番目の議題だ 最近奇妙な黒白猫の噂が広まってるが具体的な目撃証言が1つも出て来ねぇ そんでもって今度は灰色一色の影みてぇな猫の噂話が広まり始めた

誰かが悪戯でやってるとしか思えねぇ 今ならまだ許してやる とっとと名乗り出ろ 」

 一同がざわ付きながら顔を見合わせる。

「 ムチャク 俺もその話は耳にしたがそんな悪戯して何の得があるんだ 面白くも何ともないじゃないか 」

「 そうだよな 作り話ならもっと気の利いた話出来るよな 例えば頭が3つあるとか足が10本あるとかな 」

「 それのどこが気が利いてんだよ 気持ち悪りぃよ 」

 どっと猫達から笑いが起こる。

「 おまえらマジメにやれよ 」

ムチャクが怖い顔で睨みを利かす。

「 なら俺が説明しよう 」

 ムチャクの傍らにどこからともなく突然灰色一色の左目に大きな傷を持つガッチリとした猫が現れた。

「 あンだてめぇ 」

 咄嗟に身構えようとするムチャクの首をその猫は瞬時に前足でベンチの上に踏みつけると同時に空いた前足で体ごと払い飛ばした。吹き飛ばされたムチャクは猫の群れへと頭からドシャンと突っ込んだ。

「 最近の若けぇヤツは口の利き方も知らねぇのかよ 」

 あまりにも唐突な出来事に誰もが言葉を失い表情を強張らせる。

 静寂の中、するりとしなやかに木の枝からアキが舞い降りベンチの前に進み出た。

「 やめときな せっかくの色男だ台無しになっちまうぜ 」

 傷のある猫のその言葉を無視してアキのシッポが逆毛立ち硬くピンと立ち上がる。

 ンミャァァァァァォッ!

 咆哮一番 アキが爪を立て灰色猫に躍りかかった。そのままベンチから転げ落ち2匹の猫は地面を上に下に土煙を上げぐるぐるともの凄いスピードで回転しながらもつれ合い毛が飛び散る。

 フゥゥゥゥゥッ!

 シャァァァァァァァァァッ!

 2匹は一旦離れ近距離で威嚇し合う。2匹のあまりの迫力に周りの猫達は退り息を呑むばかりだ。

「 ッ ンなろう アキ 下がってろ そいつは俺の相手だ 」

 2人の猫の一挙手一投足を見守る一同を掻き分け鼻と口から血を垂らしたムチャクが鬼の形相で進み出る。

「 やめんかたわけ カッ コホッ ゲフォ バァ コホッ カァァァッ ペッ ゲフォ グルガルグルグル ゥッ カッ コホッ コホッ ゲフォ 」

 1匹の年老いた白猫が2匹の三毛猫を伴い輪の中心に割って入ったはいいが何だか具合が悪そうだ。

「 大丈夫かい?おジイ 」

 ルチルが堪らず白猫に駆け寄り背中を擦る。2匹の三毛猫も水を持って来たり椅子を用意したりで大忙しだ。

「 ちょっと横になるかい?」

「 カハッ コホッ そんな ガッ ガッ こと ケフ コホッ じゃろう ゲフォ ゲフォ 」

「 何言ってるか分かんないよ おジイ もう黙んなよ 死んじまうよ 」

 完全に水を差された形になったムチャクとアキと傷のある猫の3匹は停止したまま居心地が悪そうだ。その時、猫の群の中から5匹の年寄り猫が現れた。

「 我ら西東京六ヶ村長老会である そこの猫

何故に斯様な狼藉を働く ここは我らの定例集会の場にあるぞ 」

 中央の毛足の長い茶猫が傷のある猫を眼光鋭く睨め付ける。

「 これはこれは長老会の御歴々 いやね 若けぇヤツらの教育をちょっとね 御無礼平に御容赦を あっしは旅猫のサブと申しまする

どうかお見知りおきを 」

 サブと名乗った傷のある猫が長老会の前に片膝を付く。

「 渡世猫とは珍しや 未だにそのような者がおるとはな ワシとて童子の頃にチラと見た程度じゃぞ で その旅猫が何用じゃ 」

「 ちと ある猫を追ってましてね そいつがここ西東京に居る可能性がありまして そんであっしも集会に参加させて頂きてぇんでやんすがね どうも手順を間違えたみてぇで勘弁して下せぇ 」

 長老会の面々が輪になってゴソゴソと話し合う、途中ムチャクも呼ばれて輪に加わった。

 アキは面白くなさそうにスルリと元の木の枝に駆け登る、アキの挙動にメス猫達がキャッと声を上げた。

 ルチルはおジイと呼ぶ白猫を連れクロチィーの所に戻って来た。

「 ワシを除け者にしおって コホッ 」

「 おジイ 興奮するとまた悪くなるよ で 旅猫って何なんだい?」

「 渡世猫とも呼ばれてのう まあ各地を転々とする縄張りを持たぬ旅から旅への風来坊じゃ ケポ 」

「 アキみたいなのとは違うのかい?」

「 あやつは単なる根無し草じゃろ 渡世猫は独自のネットワークを持っておる 昔は各地域間の伝達係的な事もやって重宝がられたりもしておった じゃが所詮はヤクザ者 嫌われ者に変わりないわ 」

「 また厄介なのが来たねえ あっ クロチィー この死にかけおジイがこの六ヶ村を治める長のシロ様だよ 挨拶しときな 」

「 はじめまして 僕クロチィーです 」

「 ふむふむ ゲホッ 黒 カッ コホッ コホッ

 でだな グッガァ グゥアヴァゥ じゃな 」

「 そろそろ葬式の準備しとかないとねえ 」


 ようやく5人の長老会とムチャクの話が終わりムチャクがベンチに上がる。

「 旅猫さんよ 不本意だが話だけは聞いてやる 上がって来な 」

「 おう すまねぇな さっきは悪かった若頭の兄ちゃん 」

 そう言うと旅猫のサブはベンチの上のムチャクの横にひょいと上がる。

「 ある猫を追っている 白黒の猫だ 」

「 例の黒白猫か 本当に居るのか?」

「 あゝ アナク博士或いはフィスィ神父と呼ばれてる 」

「 旅猫様に追われるその猫はいったい何をしでかしたんだ 」

「 何もしちゃいないさ 今からやるんだ 絶望とやらをな 」





 Aποκάλυψις βʹ……ανακούφιση ❴ アナクフィスィ ❵( ギリシャ語で救済 或いは救いを意味する )

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