第5話 2匹の猫 ムチャクとルチル
キィィィィィィィィィィィッ!
パァッ!パァッ!
「 ッくぅ あっぶねぇなあ 」
クロチィーが飛び出すと出合い頭に乗用車が急停車してヒステリックなクラクションをかき鳴らす。
「 クロチィー!」
後方から女性の取り乱した叫び声がした。
「 おい あんたんとこの猫か 危うく事故るとこだったんだぞ 」
「 あっ すみません 」
「 あっ すみませんじゃないんだよ ちゃんと謝れよ 」
「 はぁぁぁっ ここ住宅道ですよねぇ あなた 明らかに制限速度オーバーしてましたよねえ 危険運転で警察呼びますよ 」
「 なんだと 何なんだその態度は 」
「 うっさいなぁ お母さん 警察呼んで 」
「 はいはい えっと警察は110番よね あっ もしもし 逮捕して下さい 」
「 お お前ら 頭おかしいのか 」
後方で巻き起こる騒乱を他所にクロチィーは訳も分からぬ衝動だけに突き動かされていた、車が目の前に現れた時ですらパニクった状態にもかかわらず動きを止めることは無かった。ほとんど周りの物は目に入らずにただただ無我夢中に走り続ける、気が付くといつしか拓けたスペースへと躍り出ていた。
あれからどれくらいの時間が経過しているのだろう、クロチィーは今自身の置かれた状況を理解しかねている、だがここはクロチィーの縄張りじゃない所だけなのは確かだ。
ここはどうやら住宅地の区画内にあるこぢんまりとした地域公園のようである、子供の為の遊具類などはなく水飲み場と時計塔があり外周はつつじの花壇で覆われている、桜の木や金木犀の木などの大きな木もいくつか目に付く緑に覆われた公園だ。今はひっそりとして人っ気は無いようである。
クロチィーは公園の中央の時計塔の前にある変わった形のコンクリート製のベンチの下の狭いスペースに身を隠していた、自身で縄張りの外に出たのは覚えているのだが何故そうしたのかが分からない、何かが内側からとめどなく溢れ出て溢れ出してしまったのだ。ここがスィスィアの言った外の世界なんだろうか、もちろん縄張りである家から出たのだから外の世界に違いないのは分かるんだが元のイメージ自体を持っていなかったのだから思考がまったく伴わない、クロチィーにとってはここは何処に行っても行き止まる事の無い無限の回廊なのだ、行き止まりが無い以上終着地などあるはずも無い、なにより家の中とは違いスケール感が掴めなさすぎる。
「 おい 何だ お前 」
突然頭上からの声に跳び上がるほどビクリとする。
「 ひぃ!」
「 何だそりゃ 」
頭の上のベンチからスルリと一匹の猫が舞い降りた。
「 見たことねぇヤツだなあ どっから来た 」
「 ぼ 僕はクロチィー 」
「 あぁ 質問に答えろ どっから来たか聞いてんだよ 」
その猫はクロチィーよりも一回り大きなシャム猫だった。ライトブルーの瞳が恐ろしくクロチィーを貫く。
「 お家から 僕の縄張りから来たんだけど 」
「 縄張りだぁ お前みたいなヤツの縄張りなんか知らねぇなあ ナメてんのか 」
「 およしよムチャク まだ子供じゃないか 」
もう一匹の猫が続いて舞い降りる。
「 子供ってほどじゃねぇだろ 」
「 その子は鈴付きよ 匂いで分かるわ 人間の餌の匂いが染み付いてるもの 」
新たに登場したキジトラ猫はなんだかぷんといい香りがする。
「 お前 鈴付きなのか 」
「 鈴付きって何?」
シャム猫に問いかけられおそるおそるクロチィーは答える、2匹の自分より大きな猫に対面するなんて異常事態に足の震えが止まらない。
「 家猫ってことよ坊や お家の中で飼われてたんでしょ 昔は飼い猫は首に鈴を付けられてたの 最近じゃ家から外には出さない家猫が多いから首輪すらしないみたいだけど 」
「 そんじゃコイツ家から逃げてきたのか 」
「 逃げたか捨てられたかのどちらかでしょうね 」
2匹の猫はベンチの下のクロチィーの対面に腰を下ろしこちらを見遣る。
「 で どっちだ 小僧 」
「 えっとぉ シシアのとこに行きたいんだ 」
「 何言ってんだコイツ 」
「 ムチャクが怖い顔するからだよ ただでさえシャム猫は人相悪いんだから 坊や そのシシアって誰だい あんたの飼い主かい 」
「 えっとね シシアは金色の猫なの 外の世界に自由ってのを探しに行ったの だってシシアは可哀想な猫なんかじゃないから それで僕も可哀想な猫じゃなくってクロチィーだから だからシシアに逢いたいの …… 」
クロチィーは泣き出してしまった。
「 お おい わかるか ルチル 俺にはさっぱりわからんぞ これは哲学かなんかか 」
「 シシアってのが金色の猫ってのはわかったよ それでこの子がクロチィーだってね クロチィー 泣くんじゃないよ男の子だろう それでシシアって何者なんだい 」
「 シ シシアは向かいのお家が縄張りで 僕の縄張りのお家に預けられたの 」
「 クロチィーと同じ家猫なんだね それでシシアはどうしたどんだい 」
「 外の世界に行きたいって そしたら居なくなったの 」
「 要は逃げたんだね 家から そのシシアが居なくなったのはいつのことなんだい 」
「 1ヶ月くらい前 」
「 ムチャク あんた顔広いんだろ なんか知らないかい 」
「 1ヶ月くらい前に家から逃げた金色の猫かぁ 聞いたことねぇなぁ そのシシアはオスかメスかどっちだ? 」
「 オスとメスってなあに?」
「 おまえなあ 」
「 まあまあ ムチャク この子は人に飼われてたんだよ 初めて接した猫がそのシシアだったんだろう 発情前のまだ子供なんだからンなことわかんなくても仕方ないよ クロチィーあたいがメスでそっちのムチャクがオスだよ オンナとオトコって言うこともあるんだ シシアはあんたと同い年くらいかい 」
「 そうだと思う 」
「 それで 何が可哀想なんだい 」
「 手術をして生きる意味を奪われたって言ってた 病院で年老いた猫から可哀想な猫だって言われたんだ でもシシアはシシアだから可哀想な猫じゃないのに 」
2匹の猫、ムチャクとルチルの目つきが鋭くなった。
「 嫌な話になってきたねぇ シシアは手術を受けたんだね クロチィー あんたはどうなんだい 手術はまだなのかい 」
「 最近 何回かお家の人間が言ってたよ 」
「 そうかい それで逃げてきたんだね 」
「 わかんない 気がついたらここにいて だからシシアに逢いたいんだ …… 」
クロチィーはまた泣き出してしまった。
「 どうすんだい ムチャク 」
「おいおい 俺に聞くなよ まああれだ クロチィーとか言ったな 悪い事は言わねぇから自分の家に帰れ そこがおまえの縄張りなんだろ 俺が送ってってやる 」
「 ムチャク 話聞いてた? この子はおそらく手術されるんだよ 」
「 それでもだ コイツじゃ生きていけねぇ 綺麗な家猫として育ち過ぎだ 今更ノラに堕ちたとこで今の世の中一人で生き抜けるほど甘かねぇ 手術されてでも一生家猫として温かく自分の縄張りの中で生きてくのがコイツの1番の幸せだ シシアってヤツもココに現れてない以上おそらくもう…… コイツは運良くココに辿り着いたんだ 拾った命 無駄にするこたぁねぇだろう 」
「 そうだけどさぁ とりあえず集会で聞いてみようよ シシアのこと知ってる猫もいるかもだよ その後でもいいんじゃないかい おジイたち無視すんのもアレだろう 」
「 ジジイか アレなんかの役に立ったことあんのか まあいい じゃあそれまでルチルが面倒見ろよな 」
「 あんたもだよムチャク 」
「 なんでそうなんだよ 」
「 ならアキを頼るだげだけどいいのかい?」
「 ちッ わぁったよ おい ここじゃ目立ち過ぎる 泣いてねぇで着いて来い 」
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