第3話 可哀想な猫

 クロチィーはスィスィアのバスケットの中でスィスィアと一緒に丸くなっていた。バスケットの中にはクロチィーの知らない毛足の長いフワフワの毛布が敷かれてありとても心地良く 何より重なり合った毛並みの良いスィスィアの身体の温かさが一層の眠気を誘う。スィスィアの身体からはなんだか甘くていい香りがする。

「 ねえシシア 」

「 何? クロチィー 」

「 本当に外の世界ってとこに行くの 」

「 うん 行きたいって思ってる 」

「 どうやって行くの?」

「 僕のお家からじゃ無理なんだ 外には出られない でもこのお家からなら外に出られるんだ 」

「 えっ そうなの?」

「 うん この4日間で色々調べたからね キッチンの下の扉を開けると管が通っててそこに隙間があるんだ その隙間を僕ならきっと通れる そこから床下に行けて外まで行けるはずなんだ 」

「 そうなの? でも 外に行ってどうするの?」

「 わからない 」

「 怖くないの?」

「 怖いよ 年老いた猫の話じゃ外には野良猫の他にも犬やわけのわからない危険な動物や危険な人間がたくさんいるらしいんだ 」

「 ならやめた方がいいよ 今のままなら怖くないよ 」

「 僕もこのままクロチィーと一緒なら今のままでもいいかもしれない でもね 飼い主が帰って来たら僕はお家に帰るんだ そしたらまた一人ぼっちになっちゃう 」

「 人間は? お家の人間はシシアをいじめるの?」

「 うんう 可愛がってくれるよ でも違うんだ 彼らにとって僕はペットなんだ だから僕を手術して僕から生きる意味を奪った 僕を可哀想な猫にした 僕は可哀想な猫じゃない

僕はスィスィアだ 」

「 知ってるよ シシアはシシアだもん だから怖い顔しないで 」

「 ごめんクロチィー 怒ってないよ ……クロチィーも一緒に来ない?」

「 えっ 僕もシシアと一緒に外の世界にいっちゃうの 」

「 ……冗談だよ クロチィーはこのお家で幸せに生きていける 僕に出来ないことが出来る クロチィーは凄いよ もうおねむになっちゃった 」

 そう言ってスィスィアはクロチィーの額に顔を擦りつけてきた、クロチィーもスィスィアに強くスリスリしながら眠りに堕ちていく。

 目が覚めるとそこにスィスィアは居なかった。


 この家はクロチィーの縄張りだ、知らない場所なんて1つも無い、大抵のドアなら一人で開けられる、トイレのドアだけは何度かジャンプして挑戦したがノブがツルツルして上手く回せなくって無理だったのだが。

 クロチィーは縄張りの中を隈なく見て回る、しかし何処にも居ない。

「 ミャウ 」

「 どうしたのクロチィー 」

 女性がしゃがみこんで見上げるクロチィーの真ん丸な目を覗き込む。

「 ミャウ 」

「 何よ おねだりなんて珍しいわねぇ 困った顔してどうしたのクロチィー お友達探してるの 」

「 ミャウ 」

「 お母さん スィスィアちゃん見なかった クロチィーが探してるみたいなんだけど 」

「 見てないわよ 今日は二人ともおとなしかったからねえ バスケットで寝てるんじゃないの 」

「 おいでクロチィー お友達を一緒に探しましょ 私 隠れん坊の鬼は得意なんだから 」

「 ミャウ 」





「 本当に申し訳ありません ウチの猫とも仲良くしていたので少しばかり油断していました まさか居なくなるなんて 私達の責任です 」

「 いえいえ あの子よく独りで開けられるはずのないドア開けたりしてましたから 佐藤さんのせいじゃないですよ そんなに責任を感じないで下さい 逆に申し訳ないです 私達がちゃんとペットホテルに預けておけばよかったのに 佐藤さんに甘えて頼んだりして 他の猫より気難しいとこがあるのはわかっていたはずなのに 本当にご迷惑おかけしました 」

「 娘が今張り紙とビラを作ってご近所を回っています 主人には昨日保険所に行ってきてもらいました 見つかるといいんですが 」

「 どうかお気になさらないで下さい あとは私らでやりますから あの子が勝手に出ていっただけですし 」




 最近のクロチィーは1日の大半をこの2階の出窓で過ごしていた。向かいの赤い屋根の家の1階の右の窓、そこからスィスィアはクロチィーを見ていたのだ。今はクロチィーがスィスィアの居ないその窓を見下ろしている、もしかしたらスィスィアがそこに居るのではないかという期待に胸を弾ませて。しかしその窓に金色の猫の姿は無い。あれからもう1ヶ月以上が経過していた、スィスィアは何処に行ってしまったのだろう、クロチィーの胸にはぽっかりと黒い穴が空いてしまったようだった。


「 最近クロチィー苛立ってるみたい 今日も爪立てられたわ 」

「 そろそろ手術した方がいいんじゃない 」

「 やっぱりそうなのかなぁ 犬のオスはしないと大変な印象あるけど 猫もそうなのかなぁ なんか可哀想な気がするのよね 」

「 家で飼っている以上仕方ないことよ 盛りがついてミャーミャーやられても困るでしょ

クロちゃんの為でもあるのよ 」

 クロチィーは若い女性と中年の女性の会話をフードボールの餌を食べながら聞いていた。人間の話してる内容はまったく分からないのだが特定のワードだけが耳に突き刺さる、それは手術と可哀想という2つのワードであった。かつて金色の美しい猫スィスィアは言っていた、手術をして生きる意味を奪われて可哀想な猫になると。2人はスィスィアの事を話してるんだろうか、それなら2人は間違えてる、だってスィスィアは可哀想な猫なんて名前じゃない、スィスィアの名前はスィスィアだ。もし2人がクロチィーの事を話してるんならそれも間違えてる、だってクロチィーの名前はクロチィーなんだから、決して可哀想な猫なんて名前じゃない。

「 あっ ちょっとクロチィー 何やってんのよ もう 」

 クロチィーはガシャンとフードボールをひっくり返し餌と水をばら撒いて一目散にその場から逃げ出す。2階に駆け上がり棚の下のクロチィーのスペースに潜り込み取り憑かれたように床にガリガリと前足の爪を立てながらフゥゥゥゥヴッと自分でも聞いたことのない唸り声を上げていた。

 スィスィアは今どこに居るのだろう、本当にキッチンの下の隙間から外の世界へと出て行ってしまったのだろうか、それなら今何をしているんだろうか、自由というものが何なのか知る事が出来たんだろうか。実はスィスィアは隠れん坊していて今でも何処かでクロチィーが見つけてくれるのを待っているんじゃないんだろうか、例えばキッチンの下の隙間の中でずっとクロチィーを待っているんじゃないんだろうか「 クロチィーも一緒に来ない?」あの時、スィスィアはどうしてあんなに悲しそうな顔をしたんだろう。


「 シシア どうしてないしょで僕を置いていっちゃったの 」

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