四、オシゴトなんだ……
アキが来るようになってしばらく経ち、はじめは非日常だった彼との時間が日常になった。
そんなある日、アキはいつものように音もなくベッドの縁に腰かけて私を見ていた。
「なに?」
「いや。なんつーか、元気になったなと思ってさ」
「そうね。最近は前ほどひどく落ち込んだりはしなくなったかな」
以前、私の心は常に死を意識していた。
仕事がうまくいかない。収入が増えない。周りの人は意地悪しか言わないし、思い通りになることなんか1つもない。そんな状況で私は半ばやけっぱちになっていて「もういつ死んでもいい」なんて言ったりしていたものだ。
だけど、今は違う。
アキという存在が私の世界に増えてからは、私の現実はガラッと変わった。
実際には現実はそんなに変わってはいない。
相変わらず仕事ではミスをして怒られるし、収入だって横ばい状態。周りの人が劇的に好意的になった、なんてこともないし、何もかも思い通りというには程遠い生活だ。
それでも。
週に何度か、数時間アキと会って話をする。
それだけでそんなことは全て帳消しになってしまう。
アキがいない朝を迎えては「アキは次、いつ来るんだろう」とか「アキにもう一度だけ会うまでは死ねないな」とか、そんなことを思うようになった。そうしてアキに会える日や時間を楽しみにしていると、自然と死が意識のうえにのぼることがなくなったのだ。
結果として以前のうつうつとしていた状態に比べたら私は格段に明るく元気になったと言えるだろう。
「へー。まー、健全な証拠だし、いーんじゃね?」
「ありがと」
アキはいつものようにあまり興味がないというそぶりだったが、少し何かを考えるように黙り込むといきなり唇を横に引いてにっと笑った。そしてその口から出した言葉で私を凍らせてしまった。
「んじゃ、俺はもうお役御免でいーな」
「え……?」
「死ぬ気のない人間のとこは居心地が悪ぃんだよ。だから、さ」
「え、嘘……」
「ホント。まぁ、もともとお前が元気になったら、というか生きる意欲が出てくるまでの約束だったしな」
「……、約束って、誰との?」
「カミサマ。平たく言うと俺の上司」
「神様……?」
「俺ら死神はさぁ。もうすぐ死ぬって奴の迎えに行くのがオシゴトなわけ」
「うん」
「まぁだいたいそっちがメインなんだけど、たまにすげー死にたいって思ってる奴のとこにも行くんだよな」
アキはいつものように淡々とした調子ではなく、少しだけ誇らしそうに言葉を紡いでいく。
「でさぁ。そういう、すげー死にてーって思ってる奴を、もともとの寿命まで生きてけるように支えてやるのもオシゴトなんだよ。まぁ、それでも死ぬ奴は死ぬんだけどさ。俺らが支えることでまた生きていこうって思える奴もいるんだよな。だからなるべく死にてーって思ってる奴を支えることになってんの。でもさぁ、実際、他のシゴトだってあるし、そいつを一生支えるのって無理じゃん? だから一応そいつが生きる意欲を取り戻すまでって期限が切ってあんだよ。で、お前は生きる意欲って奴がちょっとずつ出てきたからさ。もう俺はいらねーってこと」
「そ、んなことない! いらないなんて、そんな!」
「んー。でも近いうちにお前、俺のこと分かんなくなるぜ?」
「え?」
「分かんなくなるって言うか、俺が見えなくなるし声も聞こえなくなる。死から遠くなるんだから当たり前だろ?」
「そんな……」
「だから今日でお役御免な。だいじょーぶ! お前、ちゃんと生きていけるって!」
私は突然のことに頭が真っ白になってしまった。
アキは珍しくにこにこと良かった良かった、とか、さすが俺だな、とか言っているけれどそんなの全く頭に入ってこない。
「アキに、会いたくなったらどうしたらいいの……?」
私がそういうとアキの顔がふっと曇る。
「多分もう会えねーよ。もともと、俺らは担当制じゃねーんだ。人間が死ぬときに手が空いてる奴が迎えに行く。お前のとこに来たのも、あの時俺がたまたま手が空いてたからで……」
次も手が空いてるとは限らない、とアキは続けた。
「いやだ……」
「おい……」
「そんなの嫌だよ。もう会えなくなっちゃうなんて絶対、嫌……っ」
「あのなぁ……」
「何で? 何でそんなこと言うの?」
「仕方ねーだろ。それが俺のシゴトだっつーの」
「お仕事だったから、私に話しかけてくれたの?」
「そーだよ」
「今も……?」
アキはそれには答えず、ふいっと私から視線をはずす。お互い無言の時間なんて今までいくらでもあったけど、今この時ほど気まずいことはなかった。やがてこの気まずさに耐え切れなくなった私が口を開く。
「……、分かった。お仕事だもんね。邪魔してごめんね」
アキはそっぽを向いたまま、こちらを見もしない。
「今までありがとう、アキ」
私はいつの間にか泣いていた。
アキに会えなくなるのが嫌だった、悲しかった。
それ以上にアキが私のことを何とも思っていないんだと言うのが分かってそれも悲しかった。
でも、仕事とはいえ死にかけてうつうつとしていた私に付き合ってくれていたのも事実。それに対しては素直に感謝を言いたい。
「顔、洗ってくるね」
沈黙に耐えかねて私は洗面所に逃げた。そうしてベッドルームに戻ったときには、すでにアキの姿はなかった。
ホントにどっか行っちゃったんだ。
私はそのままベッドに突っ伏して涙を流した。
もうそれを慰めてくれる存在はいないんだと、かみしめながら。
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