TO HAPPY

はづき夏芽

第1話

 ここは樋川のマンションのリビング。シャワーの音が届いてる。

 時々、聴こえて来る鼻歌。よくよく耳を澄ませば、それは聞き慣れた自分がリリースしたアルバムの歌で。

 守山こと、守山智は革張りのソファに身を預けながら、瞳を閉じた。

 ガラッと浴室の扉が開く音と共に、鼻歌が先程より大きく聴こえる。

 歌っているのは、仕事の相方でもあり、人生の愛方でもある樋川尚である。

「守山ー、風呂空いたぞ」

 ジャージのズボンに上半身裸!タオルを肩に掛けるといった出で立ちで、樋川がリビングに入って来た。

「ん。もう少ししたら入るよ」

 閉じていた瞳を樋川に向ける。

 決してお世辞にも格好良いとは言い難い樋川だが、守山は風呂上がりの樋川を見るのが好きだった。

 桜色に染まった肌と、濡れた髪。

 決まって口ずさむ守山の歌。

 歌っている曲が守山の歌だというところに、愛を感じてしまう。

「そんなんしてると、寝ちまうぞ?」

 濡れた髪をわしゃわしゃと乱暴に拭きながら、樋川が守山の隣に腰を降ろした。石鹸の香りが鼻腔をくすぐる。

「尚、いい匂い」

 擦り寄ると、暑いと言いながら樋川が少し身体をずらした。

「…冷たいなぁ」

 ボソッと呟くと、何言ってんだと軽く頭を小突かれた。それでも、完全に離れない樋川にもう一度寄りかかる。ぷにぷにした感触が気持ちいい。

 そんな事言ったら、絶対うるせぇと怒られるから言わないけれど。

 守山は、ぽちゃっとしている樋川の体型を気に入っている。触れていて気持ちいいからなのだが、樋川は気にしているらしく、体型の事を口にすると怒る。

「尚、明日仕事何時?」

 ぴったりと身体を寄せ上目遣いに見上げると、髪を拭く手を止めた樋川と視線が交わる。

「んー…、午後からだったかな?」

 答えは曖昧で、そんな事で良いのかと思ってしまう。仕事の時間くらいは、ハッキリさせておかないと。遅刻は周囲の方々に迷惑だ。

「相変わらず、アバウトだなぁ。メモってないの?間違えたら、どうすんの?」

 少し睨みながら脇腹を突付く。

「大丈夫だよ、間違えないから」

 突付きに動じること無く、樋川は守山の手に自身の手を絡めてしまう。

 そうされる事が好きだと知っていてやっているのなら、ズルいと思う。

 基本的に守山は、スキンシップ大好き派だ。動物だろうが人だろうが、出来るだけ触れ合っていたいと思う。

 だから、樋川とのこういう時間はかなり心地好いのだ。

 樋川も守山も、お互いに仕事が忙しい。

 人気があるというのは、凄く有り難く良い事だけれど、疲れ切ってしまうと役に気持ちを乗せる事が大変だったりする。

 守山の場合は、こうして樋川と触れ合う事で充電している。

 もう若いとは言い難い年齢になってきたせいか、身体を求めると言うことはそうそうないけれど、意味なくくっ付くということはしょっちゅうある。

 大体は、守山が一方的に樋川にまとわり着いているのだけれど。

 暫く何をするでも無くジャレ合う。指を絡め、突付き合い、他愛もない話をして。

 二人にとって、そんな時間は宝物だ。

 ラジオだテレビだ、CDだと忙しい二人にとって、唯一のんびり出来るのは、こんな一緒にいる時間なのだ。

「尚、ずっとこうして居たいね」

 すっかり力を抜いている守山の頭を、ポムポムと叩きながらそうだな、と答える。

 後ろから抱き起こす様にして、守山の上体を起こす。

「守山、早く風呂入って来いよ。湯冷めるぞ」

 そろそろ休まないと明日に差し支えると判断した樋川は、腕の中のデカい猫の頭を叩き、風呂を促した。

 急に現実に引き戻す様なことを言われ、守山は渋々腰を上げる。

(…もっとくっ付いて居たかったのに。)

 守山の膨れた顔を見ない振りで、樋川も立ち上がった。

「先、ベッドに行ってるぞ」

 クシャっと頭を撫でて、樋川はベッドルームに消えていった。

 それを見送り、これなら一緒に風呂を済ませるんだった、と後悔しながら守山は浴室の扉を開いた。

 換気扇が回りっぱなしになっていたせいで、浴室は少し肌寒いくらいだった。

 素早く服を脱いでしまうと、シャワーのコックを捻る。すぐに熱い湯が出てきて、身体を包んでくれる。

 スポンジにソープを泡立てる。桃の香りがするそれは、守山のお気に入りの一つ。

 他にも、イチゴやらバラやら色々な香りのソープがある。

 樋川の家に良く泊まるようになってからは、ソープはお気に入りを買って置いてもらっている。

「ん〜、いい匂い」

 知らず笑みが零れる。

 守山の好きなソープを毎回揃えて置いてくれる、こういうさり気ない樋川の優しさは温かい。

 腕から始まって、肩、胸、腹、脚と順番に洗っていく。

 いつ、何をされても良いように、泊まりの日は殊更丁寧に身体を洗う。

「…明日、仕事だって言ってたからなぁ。多分、何も無く寝るんだろうな…」

 声に少し残念な色が混じる。毎日のように求められれば、それはそれでキツイけれど、余りに求められないのも、また淋しかったりして複雑だ。

 石鹸を綺麗に流してしまうと、今度は髪を濡らす。シャンプーも丁寧にして、ようやく浴槽に身を沈めた。湯加減は丁度いい。

「あ〜…、極楽」

 肩まで浸かって深く息をつく。気持ち良くてこのまま眠ってしまいそうだった。

 目を閉じると、軽く眠気が襲ってくる。

「このまま寝ちゃいたいかも…」

 そんな事は出来ないと分かっていながら、独り言を漏らす。

 一つ大きな伸びをして立ち上がる。

 早く出なければ、樋川もベッドで眠ってしまう。そっちの方が心配だ。折角一緒にいるのだから、少しはベタベタしたい。

「尚?」

 浴室から声を掛ける。「ん〜?」と寝室から気だるげな声が返ってきた事で、樋川が寝てないと分かる。

 しかし、声の調子からするとかなり眠気が襲って来ているらしい。

 素早く身体を拭き、パジャマ代わりのジャージを着る。髪は濡れたままだったが、乾かして部屋に行く頃には、樋川は完全に夢の中の住人だ。

「尚、寝た?」

 もぞもぞと隣に潜り込むと、少し樋川が身体をずらしスペースを作ってくれた。

 瞳は閉じられている。

 仕方なく、隣で抱きつく様に身体を寄せ瞳を閉じる。途端、「髪、ちゃんと拭いて来いよ」と言いながら樋川かま身体を起こした。

「んー、だって…尚先に寝ちゃうじゃん」

 ベタベタしたいのに…と、言外に伝えて毛布に包まったまま見上げると、樋川はベッドを降り側に置いてあったタオルを持って戻ってきた。

「ほら、こっち来い。風邪引いたらどうすんだ。一番移る確率高いの、俺なんだぞ」

 口では文句を言いながら、髪を拭く樋川の手は優しい。大事に大事に、まるで壊れ物を扱っているかのように拭いてくれる。

 黙ってされるがままになりながら、樋川の身体に腕を回す。

 ぎゅっと抱きつくと樋川の手が止まった。

「尚、今日は寝る…よね?」

 抱きついたまま小声で囁く。

 折角だし、抱いて欲しいと思うけれど、明日仕事が入っている樋川を考えると、守山から「しよう」とは言えない。

 こういう時、忙しい仕事が恨めしく思ってしまう。なかなか二人の休みが重なるなんて事は、無いからだ。

「…」

 守山の問いに樋川が黙り込む。

 聞かれているということは、守山自身は欲しいということだろう。

 しかし、明日自分には仕事がある。

 出来ればこのまま、眠気の波に身を委ねてしまいたい。

「あ、いや…別に、その…いいんだよ。寝る…よね、うん。寝よう」

 本当はそろそろ欲しいなぁなんて思っているのだけれど、そう伝えるのは流石に恥ずかしい。それに、明日オフの自分と違って、樋川は仕事が入っているのだ。我が儘は言えない。

 口走ってしまった事が恥ずかしくて、抱きついたまま動けない。動けば樋川に真っ赤になった顔を見られてしまう。

「…守山」

 そっと名前を呼ばれて視線を上げる。薄暗がりの中、樋川の優しい視線を感じる。

「我慢ばかりさせて悪いな」

 よしよしと子どもみたいに頭を撫でられる。触れている場所から、ほんわりと優しい気持ちが染みてくる。

 確かに我慢はしているけれど、樋川を想っての事だから苦しくない。

 平気だと伝える為に、笑顔を向ける。

 甘やかされている自分だから、こんな時くらいは樋川を大事にしたい。

「寝よう、尚」

 抱きついたまま、樋川ごと身体をベッドに横たえる。身体は足りない感じがするけど、心はこれ以上ない程に満たされている。

 幸せで顔が緩む。

「何だよ、気持ち悪いな。何笑ってんの?」

 腕の中でクスクス笑う守山の顔を、樋川が覗き込む。

 幸せそうに笑っている守山の顔は、樋川にも幸せを伝染させる力がある。

 こんなオッサン二人が、夜ベッドの中で抱き合ってニヤニヤしている様は、端から見ればおかしい事この上ないに違いない。だが、誰がなんと言っても、今自分たちは幸せに包まれているのだ。

「尚、オレたち変だろうね。でもオレ幸せ」

 樋川の胸に顔を埋めたまま、そっと守山が呟く。

「尚がいるから」

 傍にいるから。

「そうだな」

 優しく答えて、樋川は瞳を閉じた。

 この先ずっと、多分二人は一緒に生きて行くのだろう。仕事も。私生活も。

 そしていつか、友人たちに話せればいい。二人の甘い関係を。

 だって今は、同性愛に寛大な世の中になってきているのだから。

 今夜も、この腕に温かい温もりがある。

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