第9話 『したいこと』


 その声に、私はこう答える。


「だいじょうぶ! こわくないよ!」


 そう言って柵の中にいる犬の頭を撫でる。


 大きい犬だ。白……というか灰色というか、よく分からない色をしていて、立っている私の顔とほとんど同じ高さに頭がある。

 柵の間から鼻面を出して、おとなしく私に撫でられている。


 近づくにはかなり勇気のいる大きさと面構えだった。

 しかしどうだろう、一度触れてしまえばなんということもない。

 吠えもせず噛みつきもせず、ただじっとこちらに撫でられるばかりだ。


「ほら! ちっともこわくないから!」


 その女の子に向けて手招きをする私。


 触るまでに相当の時間をかけた自分を棚に上げて、女の子を急かす。


「ほんとに? ほんとに?」


 そろりそろりと。おっかなびっくり。

 一歩一歩、こちらに近づちてくる女の子。


「すごくいいこだよ!」


 もう手を伸ばせば届く距離。

 恐る恐る、そろそろと手を。


 犬も分かっているのだろう。

 私の時もそうだったが、ただ尻尾を振っているだけで顔も体も一切動かさない。

 きっと、とても賢いに違いない。


「わぁー……!」


「ね? だいじょうぶでしょ?」


 非常にゆっくりと触れた手。

 その手触りに、というよりも触れたということ自体に驚いているように見える。

 私もそうだったから。


「かわいいね!」


 笑顔を向けてくる女の子。

 即座に返す私。


「かわいいね!」


 そうして二人で犬を撫でる。


 やはりじっとしたままの犬。

 手荒くしているつもりはないが、嫌がるそぶりもない。

 ただ尻尾を揺らすだけ。


 思ったよりゴワゴワした手触り。

 けど、イヤじゃない。


 後ろから聞こえてくるパパとママの話し声。

 見れば、知らない人たちと話し込んでいる。

 きっとこの子のご両親に違いない。


「ねえ……」


「うん」


 女の子を見る。

 こっくりと頷く女の子。

 きっと同じことを考えているに違いない。


 二人揃ってパパとママに尋ねる。


「あのね! このこといっしょにあそびたいの!」


 犬を指す女の子。


「あのね! さくのなかにはいってもいい?」


 柵の中を指す私。


 大人達は顔を見合わせたあと、遊んでおいでと言って私達を柵の中に入れてくれた。


 だというのに、犬はその場でおとなしく待っていた。私達を怖がらせないように。

 だから今度は躊躇わずに近づけた。


「かわいいね!」


 柵越しでは届かなかった、背中を撫でながら言う私。


「かわいいね!」


 即座に返してくる女の子。


 そういえば、名前もまだ聞いてなかった。


「あなた、おなまえは?」


 改めて女の子を見る。


 青い帽子、後ろで縛った髪。


 あれ? どこかで見たような……


「あたし? あたしはねー――」


 あたし……あたし?


 私は……






☆★☆






「はっ?!」


 目を覚ましたトモエ。


「ゆめ……?」


 先ほどまでの光景。あれは……


「……なんだったっけ?」


 もはや、淡雪のように融けていってしまった。

 

 残ったのは手のひらの感触。

 少しゴワついた、柔らかな……


「あれ?」


 ふと気がつけば、手がヌイの頭に。


 いつの間にかベッドに顎を乗せていたヌイ。

 その頭を知らず知らずに撫でていた。


「すー……すー……」


 何故か、ヌイはその格好のまま眠っている様子。

 そっと手を離す。


「……」


 じっと手のひらを見る。


 この手に残る感触は、はたして夢か現か。

 トモエには分からなかった。


 

 眩しさが目に入る。

 だいぶ傾きを増した日差し。

 

 そこまで眠くもなかったはずだが、長めのお昼寝になってしまったらしい。


 部屋を見まわす。


 ヌイ、カラカル、ビスの三人。

 シマウマとダチョウは……まだのようだ。


 ヌイ同様、寝息を立てているカラカル。

 違うのは寝相か。

 およそ、油断という言葉を体現するがごとき格好を無残にも晒していた。


 ビスは……起きているのか寝ているのか。

 部屋の隅でいつものように、静かに佇んでいる。


 軽く手を振ってみる。


「……」


 ピコピコ、耳だけで返事。


 あ、起きてた。というか、ビスは寝るのだろうか?


 二人を起こさないよう、慎重にベッドから降りる。

 抜き足差し足、そのまま『小屋』の外へ。



「くぁ……っ!」


 欠伸と背伸びを同時に。


 通り抜ける風が心地良い。

 昼の熱波さえ凌げば、『さばんなちほー』は案外過ごしやすいのかもしれない。


「ひょっとして、なんだけど……」


 クルッと振り返った先、やはり付いてきていたビスへ尋ねる。


「ビスって寝ないの?」


「ソウダネ……デモ、キミタチノ『ネムル』トハ、スコシチガウカタチデ、ヤスムコトハデキルヨ」


 少し考えるようなしぐさで応えが。


「そっかー……」


 ビスから視線を外すトモエ。

 

 さざなみのように聞こえる草の音。


 まるで心のざわめきのよう。


「……」


 しばし無言で佇む二人。


 ふと思い立ち、かばんを漁るトモエ。


 ガサゴソ。


 取り出したスケッチブックと色鉛筆。


「……」


 カリカリ、シャッシャッ。


 何も言わず、絵を描く。


 ガリガリ、カリカリ。


 一時して、


「……出来た」


 出来上がった絵。

 土煙をあげて疾走するダチョウ。


 先に見た、迫り来る迫力をそのままに。


「……」


 ペラリ。


 カリカリ、シャッシャッ、ガリガリ。


 続けざま、次の絵を。


「……よし」


 シマウマの絵。


 力強い走り。

 颯爽と野を行く縞模様。


 たちまちに書き上げる。


 ペラリ。


「……次は……」


 無心で描くトモエ。


 見たこと、聞いたこと、感じたこと。

 すべてを、刻み込む。


 カリカリ、ガリガリ。


 ただひたすらに。



「……」「……」「……」


 無言の二人。いや、三……


 聞こえるのは風の音。

 それと、カリカリと鳴る筆音だけだった。



「……よし!」


 一通り書き終えたか、頷くトモエ。


 と、そこに、


「ほほー、流石ですねぇ!」


「うわあ!!」


ひょっこりと、背後から絵を覗くヌイが。


 突然、耳元で聞こえた声に驚く。


「もー! びっくりさせないでよぅ!」


 ぷりぷりと怒るトモエ。


 描くことに集中しすぎたか? いや……


「ふふふー、ごめーんなさい♪」


 謝っているような、いないような。


 存分に稚気の込められた声色。

 いたずらの成功に対してのそれ。


「あんまり一生懸命だったので……つい?」


「もー……はあ……」


 ため息を一つ。


「ビスもわざと黙ってたでしょー?」


 ジトッとビスを見やる。


「……」


 はて? 何のことらや。

 言葉は無くとも、雄弁に。

 

 目を合わせようともしない。

 少しだけ、嬉しそうに耳をピコピコ。


「まったく、もう! ……はあ」


 二つめのため息。


 目線を手元に落とす。


 ペラリ。


 書き上げた絵を見返すトモエ。


 それを覗いて見るヌイ。


「どれどれ……あ!」


 パタリ。


 スケッチブックが閉じられてしまった。


「ふーんだ。見せたげないっ!」


 プイッ、とそっぽを向かれる。


「えぇー、そんなー!」


 予想していたよりも強い反応。


 そこまで怒らせるつもりはなかった。


「あ、あのっ! すみません、つい出来心でというか、なんというか……」


 オロオロと狼狽するヌイ。


「アワワ……」


 同じくビス。


「つーん」


 二人に背中を向けるトモエ。


 どうしよう?


「ご、ごめんなさい。その……なにか、悩んでるのかなーって思ったので……」


 気晴らしになれば、と。


「……くくっ」


 トモエの肩が震える。


「あはははっ! やーい! 引っかかったー!」


 笑いながら振り返る。

 してやったり、といった顔。


「ふふーん、おかえしー!」


「ああっ! 騙されました!」


 あっけにとられるヌイ。


「ええー、じゃあ見せて下さいよぅ!」


「ふふっ、だめー! おあずけだよー!」


 キャッキャッとはしゃぎ、追いかけっこを始めた二人。


 段々と遠ざかっていく。


「……」


 それを、少しだけほっとしたような面持ちのビスが見送った。



☆★☆



「あははっ! あはっ、はあ……」


 ドサリ、仰向けで大の字になるトモエ。


「トモエさん」


 その横に、ヌイ。


 ゆっくりと腰を降ろす。


 チラリと『小屋』の方を見やると、まだビスはそこに。


「ヌイちゃんは、さ」


 ポツリと零すような。


「なんでしょう?」


 視線をトモエに戻す。


 空を見上げたままに、問われる。


「寝てる時、夢って見ることある?」


「夢……ですか」


 ザザザ、風が通り抜ける。


 焼けていた地面もだいぶ冷えてきている。

 散歩に出るには丁度良いぐらいだ。


 一間置き、答える。


「ええ、見ますよ。そんなしょっちゅうじゃありませんが」


「どんな?」


「……恐い夢でも見ました?」


 答える前に、問いかける。


「うーん……分かんない」


 ただ、と。


「いやな夢じゃなかった……気がする」


 寝たまま腕組み。難しそうな顔。


「そうですか……」


 ザザザ、耳に当たる風が心地良い。


「夢は、そうですね……その時々ですが、いろんな夢ですね」

「みんなとたっぷり遊んだあとは、やっぱりみんなと遊ぶ夢だったりしますし、新しい『どうぐ』を見つけた時はそれを……何というか、こう、うまく使う夢を見ましたね」


 訥々と。


「ああ、そういえば! お掃除してる夢だったんですけどね! なぜかどこを探しても『はたき』が見つからなくって、代わりにダチョウさんをですね――」


 時に緩急を付けて、語る。


「あははっ! それでそれで?!」


 朗らかに笑うトモエ。


 しかし……



「……トモエさん」


 会話の途切れ目に、ポツリと。


「もし良かったら、なんですけど……」


 遠慮がちに。


「え? なに?」


 明るく返すトモエ。


「話してみてくれませんか? その、ご不安なこと」


「っ!」


 ギクリと。

 図星か。


「あー……分かる?」


 コクリと頷くヌイ。


「んー、あたしってそんな分かりやすいのかなぁ」


「ふふっ、なんとなくですよ。なんとなく」


 それに、と。


「まだまだフレンズに成り立てですからね。不安なことだらけだって、全然変じゃないですよ?」


「……ありがとう」


 そう言って、上半身を起こす。


「えーっとね……」


 座ったままヌイに向き直る。


「ヌイちゃんは、あたしのこと『ヒト』だって言ってくれてるけど……」


「違うかも、と?」


「あ、いや、違うとまでは言わない、かな」

「ただ、あたしなんかが『ヒト』でいいのかなーって……」


 俯きがちに。


「? 『ヒト』であることがご不安で?」


 首を傾げるヌイ。


「いや、あー、うん。『ヒト』って、こんなのでいいのかなぁ?」


 自身を見るトモエ。


「なんでか分かんないけど、絵は描けるし、遊び方も、文字も……」

「でも、なんだか自信なくて……」


「……」


「ごめんね? ヌイちゃんのいうこと、疑っちゃって」


 申し訳なさそうに。


「……ふーむ」


 考え込むヌイ。


「……怒った?」


「あ、いえいえ! そんなことで怒ったりしませんよ」


 手を振って否定する。


「しかしそうなると……これは『としょかん』でハカセにお聞きしないことには……」


 物憂げに。


「やっぱり、そうなるよねー……」


 はあ、とため息。


「でも、トモエさん」


「うん」


「ご不安は、分かりました」


 けど、と。


「自分が何なのか、なんて……知らなくても生きていけますよ? きっと」


 ザザザ、風が吹き抜ける。


 ザワザワと波打つ草原。


「そう、だよね」


 くっと顔を上げて、言う。


「でも、知りたい。行ってみたい。ハカセのとこ」


 はっきりと、目を見て。


「わがまま、かな?」


「……ふふっ、いいえ」


 クスリと。


「したいことは、していいんです」


 なんたって


「ここは『ジャパリパーク』ですからね!」



☆★☆



「オカエリ」


「はい、ただいま」


「ただいまです」


 ピコピコ、どことなく嬉しそうに。


「あ、ビスにも聞いとこう」


 かがみ込むトモエ。


「ナニカナ?」


「ねえねえ、あたしって『ヒト』?」


 一寸、間が開く。


「……ソウダヨ!」


 ピョンピョンと跳ねながら、必死に。


 そうでなければ困る、と。


「まあ、でないとビスがお話してくれませんからねぇ」


「だよねー」


 はあ、とため息が二つ。


「その……ごめんね? 疑うわけじゃないんだけど……」


「ひょっとしたら、ビスの勘違いかも、と……」


 トモエに続けてヌイ。


「……」


 項垂れるビス。


「ああ! ごめんごめん!」


 案の定凹んだビスを慰める。


「ひょっとしたら、ですし、気に病むことありませんよ!」



 そうして三人でワタワタしていると、


「おぅーい!!」


威勢の良い声が。


「あ! シマウマちゃん達だ!」


「あ、ほら! またアレをやりましょうよ! 『だるまさんがころんだ』!」


「いいね! やろうやろう! うん、そうしよう!」


 ちょうど良いタイミング、とばかりに話を切り替える。


「……ソウダネ」


 ポツリと零す一言は果たして、何に向けてのものだったのだろうか?





☆★☆





「だ~る~ま~――」


「タッチじゃ!!」


 ポン、とダチョウに触れるシマウマ。


「うあ~っ!」


「っしゃあ! うちん勝ちじゃい!!」


 高々と拳を掲げる。


「……」


 今一歩、及ばなかったビス。


 態度には現れていないが、その眉の寄り具合は……



「いやー、二人とも上手になったね!」


「ふふふ、ビスもうかうかしていられませんねぇ?」


 『はずれ』ていたトモエとヌイが近づいて来ながら。


「ふふん、いつまでん負けっぱなしじゃおらんばい!」


 ふんぞり返るシマウマ。


「む~……い~もん! 次は私が勝つから~!」


 勝気を見せるダチョウ。


「さて……しかしもうすぐ日が暮れちゃいそうですし……」


 空を見上げるヌイ。


 赤に染まった空色。

 日差しは最早、真横から。

 太陽の反対側から、夜が迫りつつある。


「ほーじゃのう……そいじゃ、しまいにすっと?」


「え~! ずるい~! シマウマちゃん勝ち逃げ~!」


「わがまま言うな。また明日でん相手しちゃる」


 即座に反対するダチョウ。


 諫めるシマウマ。



「……あのね」


 おずおずと切り出すトモエ。


「ん?」


「えーっと……その、明日、なんだけど……」


 言いづらそうに。


「いや、その……明日から、というか……」


「ん~? どしたの~?」


「えと、ごめん。しばらくは一緒に遊べない、と思う」


 ぺこりと頭を下げる。


「え~?! なんで~?!」


「……どしたと?」


 驚くダチョウ、訝しむシマウマと、


「……」


口を挟まずにいるヌイ。


「……あのね、あたし『図書館』に行ってこようと思ってるの。そこでハカセにいろいろ聞いて見たくて……」


 皆の視線を受けながら、言う。


「……ほうか」


「え~……そんな急に行かなくても~……」


 不満そうなダチョウに対しシマウマが。


「急に、ち言うほどでんなかね。生まれたんが昨日んことなんじゃし、分からんことんだらけじゃろうて」


 静かに頷きながら。


「ハカセん知恵ば借りんとどんこんならんのじゃろう?」


「うん」


 はっきりと頷き返すトモエ。


「なら、しょんなか!」


「えぇ~……また、遊べるよね? 帰って来るよね?」


「んなもん、決まっとうよ! な!?」


 不安げなダチョウを笑い飛ばすように。


「そげなんいらん心配じゃ!」


「うん! 大丈夫! 約束するよ!」


「ほれ、な?」


 当然、といった顔。


「う~、約束だよ~!」


「うん!」


「そういや、道は分かるんか? 割とかかりよるぞ?」


 疑問を投げかけるシマウマ。


「あ、それなら――」


「ボクガ、アンナイスルヨ」


 言いかけたトモエに被せて、ビスが。


「えっ? でも……」


「『パーク』ノアンナイモ、ボクタチノシゴト、ダカラネ」


 当然、といった顔。


「……だ、そうですよ?」


 曖昧に微笑みながら、ヌイ。


「……いいの?」


 屈んでビスと目線を合わせながら。


「モチロン、ダヨ」


 大きく頷く。


「……じゃあ、お願いします」


 ぺこり。


「マカセテ」


 機嫌よさそうに、ピコピコ。


「あ~あ、ボスも行っちゃうんだ~……」


 しょんぼりと項垂れるダチョウ。


「しょんなかしょんなか。一人で行かして迷子んなってん困るけんの」


 それに、と。


「こいつらん居らん間に『あれ』ん練習ばしておっと、帰って来た時んたまがらしちゃれるけんの!」


 ニシシと笑うシマウマ。


「うむむ~、それもそっか~」


 渋々納得するダチョウ。


「じゃ~あ! ほかの子たちも誘って~、た~くさんでやろうよ~! そのほうが絶対楽しいよ~!」


「そうじゃの!」


 キャッキャと、誰が誘えるかを話し合いだす二人。



「……ねえ、トモエさん」


「ん? なに?」


「もしお一人だったら、どうしてたんです?」


「あー……ほら、ビスが『地図』を見せてくれたじゃない? あれを書き写して、見ながら行けば大丈夫かなーって……」


 ポリポリ。ヌイの問いに頬を搔きながら答えるトモエ。


「……そう、ですか……」


 少し、不満そうに。


「あ、いや、ほら……あたし、体力無いし、きっとすごく時間かかっちゃうと思うから……」


 それに、と。


「自分の事だし……自分でなんとかしたいの。甘えてばっかりじゃ、いられないよ」


 少し、照れくさそうに。


「……その割に、ビスがついて行くって言っても断りませんでしたね?」


 明らかに不満そうに。


「うぇ?! そ、そうだけど……」


 何か、ヌイの態度がおかしい。

 何かが気に障ったのだろうか?


「ヌ、ヌイちゃん?」


「つーん」


 プイッと。カラカルのように。


「えぇ?! あの……ヌイ、ちゃん? ……怒ってる?」


「いいえ~、べっつにぃ~?」


「絶対怒ってるよねそれ?!」


 しかし、カラカルほど分かりやすくはなく。

 一体、何に怒っているのだろう?


「えと、ごめん! あたし変なこと言っちゃった?」


 オタオタしながらも、とりあえず謝っておく。


「いいえ~、なーんにも?」


 返ってくるのはふくれっ面。


「えぇえ~……?!」


 困った。実に困った。


 困惑しきったトモエ。


 すると、


「ぷふふっ」


吹き出すヌイ。


「あはは! 引っかかりましたねー!」


「へ?」


 キョトンとするトモエ。


「あはっ! おかえしのおかえしですー!」


「えぇ?! 今?!」


 驚愕、よりもむしろ困惑がさらに深まる。


「え? ど、どうしたのヌイちゃん?!」


「んふふー、騙されちゃいましたねぇ?」


 ニヤリ。いたずら成功、と言わんばかりに。


 わざとらしい、と感じるほどに。



「おう! なんぞ賑やかじゃのう!」


 横からシマウマが。


「えっ……それ、シマウマちゃんが言うんだ……」


「なんじゃと!」


「あはは~、シマウマちゃんいっつも騒がしいもんね~?」


「おまっ……誰んせいやと思っとかー!?」


「いやあ、どっちもどっちな気がする……」


「なんでじゃーい!!」



 そして、いつも通りに。


「……」


 ヌイ以外は。



☆★☆



 ざわざわと雑音が耳につく。


「くぁっ……! ふぅー……」


 よく寝た。

 あくびと伸びでゴワついた体をほぐす。


「うみゅ……」


 コシコシ。

 目を擦って、あたりを見回す。


 ここは……そうだ、イエイヌの……!


「アイツらは……!」


 ぼやけた視界と頭が、一気にはっきりとした。


 夕焼けで赤く染まった『へや』の中。

 アタシだけがいる。いや、アタシしかいない。


 意識がはっきりしたからか、さっきから耳に入っていた雑音の正体に気付いた。


「なんでじゃーい!!」


 シマウマだ。それにダチョウと……トモエ。


 『こや』の近くにはいたらしい。


 ほっと胸をなで下ろす。


 イエイヌの声は聞こえてこないが、きっといるだろう。

 アイツはそういうヤツだから。


 イエイヌ。不思議なヤツ。

 ニヤけておちょくってきたかと思えば、急に真面目な顔して心配してきたり。

 何のかんのと頼ってきたかと思えば「お任せを!」とか言って、逆に頼りになったり。


 何というか……妙に感が鋭くて、異常に察しが良くて……

 時々、全部見透かされてるんじゃないかって思うこともある。


 言ってほしいことを、言ってほしい時に言ってくれる。

 だから、話しててすごく楽になる。


 アタシがすごく……すごく困っていた時だって……


 アイツは、困ってる子を放っておけるようなヤツじゃない。

 トモエを、まだ生まれたばっかりのヤツを放っておきはしない。

 アイツはそういうヤツだから。


 イエイヌ。アタシの一番の友達。

 

 一番に、なってしまった友達。


「よっ……と」


 立ち上がって外に出る。


 昨日たっぷりと見回りしたつもりだけど、まだ安心は出来ない。

 用心はし過ぎるくらいでちょうどいい。

 油断はしない……出来ない。


 もう二度とあんな思いはしたくない。

 友達がいなくなるなんて、耐えられない。

 

 せめてアタシの手の届く範囲では。


 手が届かないところだったら?


 ……それは、諦める。


 アタシは強くない。

 いつでも、誰でも、守れるほどは。


 だから精一杯、やれるだけのことをする。

 後悔の、無いように。



☆★☆



「もうっ! うるさくて目が覚めちゃったじゃない!」


 『小屋』から出てきたカラカルが、開口一番に。


「あ~、シマウマちゃんまた怒られた~」


「お前もじゃろがい!!」


 ダン! と地団駄を踏むシマウマ。


「……てへへ~」


「あっ……お、おはよう……ん? おはよう?」


 笑って誤魔化すダチョウと、どこかぎこちないトモエ。


「んー、起きたときの挨拶ですし『おはよう』でいいのでは?」


 クスリと微笑むヌイ。

 カラカルに向き直ってぺこりと頭を下げる。


「おはようございます、カラカルさん。すみません……ですがちょうど良い時間だったのでは?」


「……それもそうね」


 二人揃って空を見上げる。


「……お気をつけて」


 ポツリと。


「な、何のことよ?」


「ふふっ、さあ? 何でしょうね?」


 サッと顔を向ければ、いつもの笑み。


 お見通しですよ、と言わんばかり。


「……はあ」


 ため息を一つ。


「ほんっと……まあいいわ。任せたわよ」


 くるりと皆に背を向け、歩き出すカラカル。


「ん~? どこ行くの~?」


「ど、どこだっていいでしょっ?! アタシの勝手よ!」


 背中にかけられた声に、背中越しに答える。


「……ああ」


 ポンと手を打つシマウマ。


「せわしないやっちゃのう……ほれ! 今日はこのへんで寝るばい!」


 ぐいっとダチョウを引っ張りつつ。


「ほんじゃ……またの、カラカル」


「え~? 別にいいけど~……」


 腑に落ちない様子のダチョウ。


「またね~、カラカルちゃん!」


 手をふりふり。


「……ふんっ!」


 やはり背中越しに。


 ただし手の代わりか、尻尾がゆらりゆらりと。


「あっ、あのっ! カラカルちゃん!」


 焦った声のトモエ。


 思わず足を止める。


「……なによ?」


 顔だけ振り返るカラカル。


「え、えと……その…………ま、また明日……」


 歯切れ悪く。


「……じゃ」


 ポツリと、こぼすように一言だけ。


 それ以上振り返ることなく、行ってしまった。



「あ……あ……」


 呆然とするトモエ。

 差し出した手が、虚空を掴む。



「へたれたのう」


「へたれましたねぇ」


「へたれたね~」


「……」


 その様子を眺める四人。


「あ゛あ~……どうしよう……」


 頭を抱えてへたり込むトモエ。


 きちんと言い出せなかった。明日の事を。

 絶対に反対されると思ったから。

 

 恐くて、切り出せなかった。



「こぉーらっ! そげなんでどなんすっと?」


「うぃ?!」


 バシン! といい音で背中を叩かれる。


「まさか、こんままあいつに黙ったまんま行きよるつもりか?」


「そっ……そんなことないよっ!」


 バッ! と勢いよく立ち上がって。


「ちゃんと……言うもん……!」


 シマウマの目を、正面から見据えて。


「……ほうか」


 すっと横を向くシマウマ。


「なら、何で言い出せんかったとや?」


 珍しく、ゆっくりとした口調で。


「うっ……そ、それは……」


「ぜ~ったいにいかん! ち言われる思うたんじゃろ?」


「……うん」


 力無く頷くトモエ。


「ま、あんやつが素直に、『よし! 行ってこい!』やら言うわけないもんな?」


 少し呆れたように肩を竦めて。


「……だよねー……」


「だがの」


 ふぅっ、とため息。


「別にあいつが反対したけんいうて、お前んしたいことが変わるわけじゃなかろ?」


 チラリと横目で。


「……うん」


「何で反対されるんが嫌なんじゃ?」


「な、なんでって……それは……」


 真っ直ぐな詰問にたじろぐ。


「説得しきる自信が無いじゃったんじゃろうが」


 断定する口調。


「あんまし強おはないけんの、お前」


「うぅ……」



 走る速さも、体力も、ましてや戦う力なんて。

 カラカルからしてみれば『図書館』までの旅など、危なっかしくて行かせる気にならないだろう。


 そんなことは分かってる。


 しかし、それでも……



「……何であいつが、あげん他んしぃの心配ばっかりしよるか分かると?」


 暮れなずむ空。


「……たしか、サーバルさんって子が……」


「そうじゃ」


 チラリと、今度はヌイの方を。


 コクリと頷きを返すヌイ。


「もうずいぶん前んなるかの……サーバルんやつを見らんようなって……」


 物憂げに。


「まーそりゃあもう、賑やかなやつじゃった。んでもってあっちやこっちや、しょっちゅうフラフラしよってのう」


 懐かしむように。


「それ――むぐっ!」


 何事かを言わんとしたダチョウの口を、ヌイがそっと塞いだ。


「……んで、なんぞ騒ぎを起こしよる。あいつも巻き込んでの」


 何も聞こえなかったことにするシマウマ。


「よう似ちょった。見た目もじゃが……素直で無いん以外はの?」


 茶目っ気混じりに。


「シマウマちゃんとも、仲よかった?」


「おうよ!」


 ニカッと笑う。


 が……


「……そげん調子での、ある日ぃからパタッと姿見らんごとなったつたい」

「そのうち顔みせるじゃろういうて、誰も気にとめとらんじゃったんじゃが……」


 再び、物憂げに。


「カバ、ちいうやつがおっての? そんやつも一時、姿見らんようになってのう」

「一ヶ月……くらいじゃったかの、戻ってきよったんは」


 凪いだ空間に、静かな声が響く。


「したらの、サーバルんやつは『かばん』いうやつと……なんじゃったか、『うみ』? やらなんやら……分からんがどっかに行ってしもうたち、言いよったんじゃ」


 僅かに、震えた声。


「ほんまに気まぐれなやっちゃのう、て皆して言うたもんじゃ……」

「だぁーれも……そんまま帰ってこんなんか、思いもせなんで……」


 クッと空を見上げる。

 顔を、見られないように。


「……カラカルんやつはの、恐がっとるんじゃ。友達が、おらんようなるんを」

「そら、うちかて恐いし嫌じゃ。けんども……そんなもん、なるようにしかならん」


 グシグシ、と顔を擦る。


「しゃーからあいつは、皆に強おになってほしいんじゃ……自分の知らん所で、セルリアンに食われてしまわんようにの」


 くるりとこちらを見るシマウマ。


 薄暗いなかでもその目元は、赤く見える。


「そう、だったんだ……」


「うちもの、探しん行こかち思うたこともあったけどの……やめた」

「もし帰ってこれなんだら……また、泣かせることんなるけんの」


 ふぅっ、とため息。


「あいつかて、探しん行こうち思うたはずじゃて。でもの……」

「あいつは、選んだんじゃ……今、手元んおる連中をの……」


 もし、自分が離れている間に何かあったら。

 もし、戻ってきたとき、誰かがいなくなっていたら。


 もしも、自分さえ居合わせたなら……そんな事態を防げるとしたら。


 そのような想像が、カラカルを縛った。


「そんおかげでの、助かったやつもようけおる……こいつも、のっ!」


「うあ~っ!」


 ガシィッ! と勢いよく頭を掴まれるダチョウ。

 そのままグリグリと。


「うぁ~……やめてぇ~……」


「しゃーからの、あいつん言いよることも分かる。強おにならんば、生きてはいかれん」

「なんぼあいつが頑張って助けようとしよっと、間に合わなんだら……まに、あわなん、だら……」


 フッと力を弱め、今度は優しく、慈しむように。


「……ほんまに、ありがとうの……」


 包むように、抱き寄せる。


「あぅ~……く、苦しいよぅ~」


 少しだけ、恥ずかしそうに身を捩るダチョウ。


「やっぱし最後にもの言うんは、自分の強さじゃ。そこはうちもカラカルとおんなし意見じゃて」

「でものう、トモエ」


 そっとダチョウを離し、向き直る。


「誰かに反対されるんが嫌じゃちいいよっと、しまいにはなーんも出来んごとなってしまいよるぞ?」


「……うん」


「あいつはあんなんじゃが……分からず屋でんなか。よぉに話せば、分かってくれよったい!」


「……うんっ!」


 はっきりと返事を返すトモエ。


「ありがとう、シマウマちゃん!」


「……へへっ」


 照れくさいのか、鼻の下を擦るシマウマ。


「あ~、シマウマちゃん照れてる~」


「しゃーしい!!」


 ダチョウの茶々に、怒声で応える。


「……まあ、どのみち明日のお話ですね」


 カラカルの去って行った方を見ながらヌイが。


「きっとあちこち飛び回ってると思いますので、夜の間にはつかまらないでしょう」


「やっぱり、見回りに?」


 つられて、同じ方向を見るトモエ。


 先ほどまであった赤い景色は、青暗い闇に染まっていた。


「じゃろうなぁ……」


「昨日の今日、ですしね……」


 二人が揃って頷く。


「夜はあの方の時間ですから、本調子で臨まれているかと」


「夜んあいつは速えからのー」


「そっかぁー……」


 深く、頷き返すトモエ。


 明日。


 約束はしていないが、きっとカラカルは会いに来てくれるだろう。今朝のように。


「……次は、ちゃんと言うよ」


 怒られるだろうか、叱られるだろうか。


 でも、ちゃんと伝えよう。


 あたしの、したいこと。



「えぇ~? ほんとかなぁ~?」


 またしても茶々を入れてくるダチョウ。


「ほ、ほんとだもんっ!」


 やはり、ムキになって返すトモエ。


「さぁて、どうだかのう? 明後日に延びるんとちがうか?」


「まあ、それはそれでいいんじゃないでしょうかね♪」


 シマウマとヌイも、一緒になって。


「~っ! もうっ! みんなして!!」


 ぶんぶんと腕を振り回して怒ってみても、


「かっかっかっ! ちーとん恐ぁないぞ!」


「ふふふっ、あははは!」


「や~いや~い、へたれ~!」


「むきーーっ!!」


かえって逆効果。


 逃げ出す三人。


 ヒートアップして追いかけるトモエ。


 薄闇の中で、本日最後の『鬼ごっこ』が始まった。



「……」


 やれやれ、と無い肩を竦めるビス。


「まぁてぇー!!」


 必死で追いかけているものの、ひらりひらりと躱されて。


 あの調子では長くはもつまい。


「……」


 トコトコ、皆に背を向け一足先に『小屋』へと入る。


 もう、心配はいらないだろうから。



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