第9話 『したいこと』
その声に、私はこう答える。
「だいじょうぶ! こわくないよ!」
そう言って柵の中にいる犬の頭を撫でる。
大きい犬だ。白……というか灰色というか、よく分からない色をしていて、立っている私の顔とほとんど同じ高さに頭がある。
柵の間から鼻面を出して、おとなしく私に撫でられている。
近づくにはかなり勇気のいる大きさと面構えだった。
しかしどうだろう、一度触れてしまえばなんということもない。
吠えもせず噛みつきもせず、ただじっとこちらに撫でられるばかりだ。
「ほら! ちっともこわくないから!」
その女の子に向けて手招きをする私。
触るまでに相当の時間をかけた自分を棚に上げて、女の子を急かす。
「ほんとに? ほんとに?」
そろりそろりと。おっかなびっくり。
一歩一歩、こちらに近づちてくる女の子。
「すごくいいこだよ!」
もう手を伸ばせば届く距離。
恐る恐る、そろそろと手を。
犬も分かっているのだろう。
私の時もそうだったが、ただ尻尾を振っているだけで顔も体も一切動かさない。
きっと、とても賢いに違いない。
「わぁー……!」
「ね? だいじょうぶでしょ?」
非常にゆっくりと触れた手。
その手触りに、というよりも触れたということ自体に驚いているように見える。
私もそうだったから。
「かわいいね!」
笑顔を向けてくる女の子。
即座に返す私。
「かわいいね!」
そうして二人で犬を撫でる。
やはりじっとしたままの犬。
手荒くしているつもりはないが、嫌がるそぶりもない。
ただ尻尾を揺らすだけ。
思ったよりゴワゴワした手触り。
けど、イヤじゃない。
後ろから聞こえてくるパパとママの話し声。
見れば、知らない人たちと話し込んでいる。
きっとこの子のご両親に違いない。
「ねえ……」
「うん」
女の子を見る。
こっくりと頷く女の子。
きっと同じことを考えているに違いない。
二人揃ってパパとママに尋ねる。
「あのね! このこといっしょにあそびたいの!」
犬を指す女の子。
「あのね! さくのなかにはいってもいい?」
柵の中を指す私。
大人達は顔を見合わせたあと、遊んでおいでと言って私達を柵の中に入れてくれた。
だというのに、犬はその場でおとなしく待っていた。私達を怖がらせないように。
だから今度は躊躇わずに近づけた。
「かわいいね!」
柵越しでは届かなかった、背中を撫でながら言う私。
「かわいいね!」
即座に返してくる女の子。
そういえば、名前もまだ聞いてなかった。
「あなた、おなまえは?」
改めて女の子を見る。
青い帽子、後ろで縛った髪。
あれ? どこかで見たような……
「あたし? あたしはねー――」
あたし……あたし?
私は……
☆★☆
「はっ?!」
目を覚ましたトモエ。
「ゆめ……?」
先ほどまでの光景。あれは……
「……なんだったっけ?」
もはや、淡雪のように融けていってしまった。
残ったのは手のひらの感触。
少しゴワついた、柔らかな……
「あれ?」
ふと気がつけば、手がヌイの頭に。
いつの間にかベッドに顎を乗せていたヌイ。
その頭を知らず知らずに撫でていた。
「すー……すー……」
何故か、ヌイはその格好のまま眠っている様子。
そっと手を離す。
「……」
じっと手のひらを見る。
この手に残る感触は、はたして夢か現か。
トモエには分からなかった。
眩しさが目に入る。
だいぶ傾きを増した日差し。
そこまで眠くもなかったはずだが、長めのお昼寝になってしまったらしい。
部屋を見まわす。
ヌイ、カラカル、ビスの三人。
シマウマとダチョウは……まだのようだ。
ヌイ同様、寝息を立てているカラカル。
違うのは寝相か。
およそ、油断という言葉を体現するがごとき格好を無残にも晒していた。
ビスは……起きているのか寝ているのか。
部屋の隅でいつものように、静かに佇んでいる。
軽く手を振ってみる。
「……」
ピコピコ、耳だけで返事。
あ、起きてた。というか、ビスは寝るのだろうか?
二人を起こさないよう、慎重にベッドから降りる。
抜き足差し足、そのまま『小屋』の外へ。
「くぁ……っ!」
欠伸と背伸びを同時に。
通り抜ける風が心地良い。
昼の熱波さえ凌げば、『さばんなちほー』は案外過ごしやすいのかもしれない。
「ひょっとして、なんだけど……」
クルッと振り返った先、やはり付いてきていたビスへ尋ねる。
「ビスって寝ないの?」
「ソウダネ……デモ、キミタチノ『ネムル』トハ、スコシチガウカタチデ、ヤスムコトハデキルヨ」
少し考えるようなしぐさで応えが。
「そっかー……」
ビスから視線を外すトモエ。
さざなみのように聞こえる草の音。
まるで心のざわめきのよう。
「……」
しばし無言で佇む二人。
ふと思い立ち、かばんを漁るトモエ。
ガサゴソ。
取り出したスケッチブックと色鉛筆。
「……」
カリカリ、シャッシャッ。
何も言わず、絵を描く。
ガリガリ、カリカリ。
一時して、
「……出来た」
出来上がった絵。
土煙をあげて疾走するダチョウ。
先に見た、迫り来る迫力をそのままに。
「……」
ペラリ。
カリカリ、シャッシャッ、ガリガリ。
続けざま、次の絵を。
「……よし」
シマウマの絵。
力強い走り。
颯爽と野を行く縞模様。
たちまちに書き上げる。
ペラリ。
「……次は……」
無心で描くトモエ。
見たこと、聞いたこと、感じたこと。
すべてを、刻み込む。
カリカリ、ガリガリ。
ただひたすらに。
「……」「……」「……」
無言の二人。いや、三……
聞こえるのは風の音。
それと、カリカリと鳴る筆音だけだった。
「……よし!」
一通り書き終えたか、頷くトモエ。
と、そこに、
「ほほー、流石ですねぇ!」
「うわあ!!」
ひょっこりと、背後から絵を覗くヌイが。
突然、耳元で聞こえた声に驚く。
「もー! びっくりさせないでよぅ!」
ぷりぷりと怒るトモエ。
描くことに集中しすぎたか? いや……
「ふふふー、ごめーんなさい♪」
謝っているような、いないような。
存分に稚気の込められた声色。
いたずらの成功に対してのそれ。
「あんまり一生懸命だったので……つい?」
「もー……はあ……」
ため息を一つ。
「ビスもわざと黙ってたでしょー?」
ジトッとビスを見やる。
「……」
はて? 何のことらや。
言葉は無くとも、雄弁に。
目を合わせようともしない。
少しだけ、嬉しそうに耳をピコピコ。
「まったく、もう! ……はあ」
二つめのため息。
目線を手元に落とす。
ペラリ。
書き上げた絵を見返すトモエ。
それを覗いて見るヌイ。
「どれどれ……あ!」
パタリ。
スケッチブックが閉じられてしまった。
「ふーんだ。見せたげないっ!」
プイッ、とそっぽを向かれる。
「えぇー、そんなー!」
予想していたよりも強い反応。
そこまで怒らせるつもりはなかった。
「あ、あのっ! すみません、つい出来心でというか、なんというか……」
オロオロと狼狽するヌイ。
「アワワ……」
同じくビス。
「つーん」
二人に背中を向けるトモエ。
どうしよう?
「ご、ごめんなさい。その……なにか、悩んでるのかなーって思ったので……」
気晴らしになれば、と。
「……くくっ」
トモエの肩が震える。
「あはははっ! やーい! 引っかかったー!」
笑いながら振り返る。
してやったり、といった顔。
「ふふーん、おかえしー!」
「ああっ! 騙されました!」
あっけにとられるヌイ。
「ええー、じゃあ見せて下さいよぅ!」
「ふふっ、だめー! おあずけだよー!」
キャッキャッとはしゃぎ、追いかけっこを始めた二人。
段々と遠ざかっていく。
「……」
それを、少しだけほっとしたような面持ちのビスが見送った。
☆★☆
「あははっ! あはっ、はあ……」
ドサリ、仰向けで大の字になるトモエ。
「トモエさん」
その横に、ヌイ。
ゆっくりと腰を降ろす。
チラリと『小屋』の方を見やると、まだビスはそこに。
「ヌイちゃんは、さ」
ポツリと零すような。
「なんでしょう?」
視線をトモエに戻す。
空を見上げたままに、問われる。
「寝てる時、夢って見ることある?」
「夢……ですか」
ザザザ、風が通り抜ける。
焼けていた地面もだいぶ冷えてきている。
散歩に出るには丁度良いぐらいだ。
一間置き、答える。
「ええ、見ますよ。そんなしょっちゅうじゃありませんが」
「どんな?」
「……恐い夢でも見ました?」
答える前に、問いかける。
「うーん……分かんない」
ただ、と。
「いやな夢じゃなかった……気がする」
寝たまま腕組み。難しそうな顔。
「そうですか……」
ザザザ、耳に当たる風が心地良い。
「夢は、そうですね……その時々ですが、いろんな夢ですね」
「みんなとたっぷり遊んだあとは、やっぱりみんなと遊ぶ夢だったりしますし、新しい『どうぐ』を見つけた時はそれを……何というか、こう、うまく使う夢を見ましたね」
訥々と。
「ああ、そういえば! お掃除してる夢だったんですけどね! なぜかどこを探しても『はたき』が見つからなくって、代わりにダチョウさんをですね――」
時に緩急を付けて、語る。
「あははっ! それでそれで?!」
朗らかに笑うトモエ。
しかし……
「……トモエさん」
会話の途切れ目に、ポツリと。
「もし良かったら、なんですけど……」
遠慮がちに。
「え? なに?」
明るく返すトモエ。
「話してみてくれませんか? その、ご不安なこと」
「っ!」
ギクリと。
図星か。
「あー……分かる?」
コクリと頷くヌイ。
「んー、あたしってそんな分かりやすいのかなぁ」
「ふふっ、なんとなくですよ。なんとなく」
それに、と。
「まだまだフレンズに成り立てですからね。不安なことだらけだって、全然変じゃないですよ?」
「……ありがとう」
そう言って、上半身を起こす。
「えーっとね……」
座ったままヌイに向き直る。
「ヌイちゃんは、あたしのこと『ヒト』だって言ってくれてるけど……」
「違うかも、と?」
「あ、いや、違うとまでは言わない、かな」
「ただ、あたしなんかが『ヒト』でいいのかなーって……」
俯きがちに。
「? 『ヒト』であることがご不安で?」
首を傾げるヌイ。
「いや、あー、うん。『ヒト』って、こんなのでいいのかなぁ?」
自身を見るトモエ。
「なんでか分かんないけど、絵は描けるし、遊び方も、文字も……」
「でも、なんだか自信なくて……」
「……」
「ごめんね? ヌイちゃんのいうこと、疑っちゃって」
申し訳なさそうに。
「……ふーむ」
考え込むヌイ。
「……怒った?」
「あ、いえいえ! そんなことで怒ったりしませんよ」
手を振って否定する。
「しかしそうなると……これは『としょかん』でハカセにお聞きしないことには……」
物憂げに。
「やっぱり、そうなるよねー……」
はあ、とため息。
「でも、トモエさん」
「うん」
「ご不安は、分かりました」
けど、と。
「自分が何なのか、なんて……知らなくても生きていけますよ? きっと」
ザザザ、風が吹き抜ける。
ザワザワと波打つ草原。
「そう、だよね」
くっと顔を上げて、言う。
「でも、知りたい。行ってみたい。ハカセのとこ」
はっきりと、目を見て。
「わがまま、かな?」
「……ふふっ、いいえ」
クスリと。
「したいことは、していいんです」
なんたって
「ここは『ジャパリパーク』ですからね!」
☆★☆
「オカエリ」
「はい、ただいま」
「ただいまです」
ピコピコ、どことなく嬉しそうに。
「あ、ビスにも聞いとこう」
かがみ込むトモエ。
「ナニカナ?」
「ねえねえ、あたしって『ヒト』?」
一寸、間が開く。
「……ソウダヨ!」
ピョンピョンと跳ねながら、必死に。
そうでなければ困る、と。
「まあ、でないとビスがお話してくれませんからねぇ」
「だよねー」
はあ、とため息が二つ。
「その……ごめんね? 疑うわけじゃないんだけど……」
「ひょっとしたら、ビスの勘違いかも、と……」
トモエに続けてヌイ。
「……」
項垂れるビス。
「ああ! ごめんごめん!」
案の定凹んだビスを慰める。
「ひょっとしたら、ですし、気に病むことありませんよ!」
そうして三人でワタワタしていると、
「おぅーい!!」
威勢の良い声が。
「あ! シマウマちゃん達だ!」
「あ、ほら! またアレをやりましょうよ! 『だるまさんがころんだ』!」
「いいね! やろうやろう! うん、そうしよう!」
ちょうど良いタイミング、とばかりに話を切り替える。
「……ソウダネ」
ポツリと零す一言は果たして、何に向けてのものだったのだろうか?
☆★☆
「だ~る~ま~――」
「タッチじゃ!!」
ポン、とダチョウに触れるシマウマ。
「うあ~っ!」
「っしゃあ! うちん勝ちじゃい!!」
高々と拳を掲げる。
「……」
今一歩、及ばなかったビス。
態度には現れていないが、その眉の寄り具合は……
「いやー、二人とも上手になったね!」
「ふふふ、ビスもうかうかしていられませんねぇ?」
『はずれ』ていたトモエとヌイが近づいて来ながら。
「ふふん、いつまでん負けっぱなしじゃおらんばい!」
ふんぞり返るシマウマ。
「む~……い~もん! 次は私が勝つから~!」
勝気を見せるダチョウ。
「さて……しかしもうすぐ日が暮れちゃいそうですし……」
空を見上げるヌイ。
赤に染まった空色。
日差しは最早、真横から。
太陽の反対側から、夜が迫りつつある。
「ほーじゃのう……そいじゃ、しまいにすっと?」
「え~! ずるい~! シマウマちゃん勝ち逃げ~!」
「わがまま言うな。また明日でん相手しちゃる」
即座に反対するダチョウ。
諫めるシマウマ。
「……あのね」
おずおずと切り出すトモエ。
「ん?」
「えーっと……その、明日、なんだけど……」
言いづらそうに。
「いや、その……明日から、というか……」
「ん~? どしたの~?」
「えと、ごめん。しばらくは一緒に遊べない、と思う」
ぺこりと頭を下げる。
「え~?! なんで~?!」
「……どしたと?」
驚くダチョウ、訝しむシマウマと、
「……」
口を挟まずにいるヌイ。
「……あのね、あたし『図書館』に行ってこようと思ってるの。そこでハカセにいろいろ聞いて見たくて……」
皆の視線を受けながら、言う。
「……ほうか」
「え~……そんな急に行かなくても~……」
不満そうなダチョウに対しシマウマが。
「急に、ち言うほどでんなかね。生まれたんが昨日んことなんじゃし、分からんことんだらけじゃろうて」
静かに頷きながら。
「ハカセん知恵ば借りんとどんこんならんのじゃろう?」
「うん」
はっきりと頷き返すトモエ。
「なら、しょんなか!」
「えぇ~……また、遊べるよね? 帰って来るよね?」
「んなもん、決まっとうよ! な!?」
不安げなダチョウを笑い飛ばすように。
「そげなんいらん心配じゃ!」
「うん! 大丈夫! 約束するよ!」
「ほれ、な?」
当然、といった顔。
「う~、約束だよ~!」
「うん!」
「そういや、道は分かるんか? 割とかかりよるぞ?」
疑問を投げかけるシマウマ。
「あ、それなら――」
「ボクガ、アンナイスルヨ」
言いかけたトモエに被せて、ビスが。
「えっ? でも……」
「『パーク』ノアンナイモ、ボクタチノシゴト、ダカラネ」
当然、といった顔。
「……だ、そうですよ?」
曖昧に微笑みながら、ヌイ。
「……いいの?」
屈んでビスと目線を合わせながら。
「モチロン、ダヨ」
大きく頷く。
「……じゃあ、お願いします」
ぺこり。
「マカセテ」
機嫌よさそうに、ピコピコ。
「あ~あ、ボスも行っちゃうんだ~……」
しょんぼりと項垂れるダチョウ。
「しょんなかしょんなか。一人で行かして迷子んなってん困るけんの」
それに、と。
「こいつらん居らん間に『あれ』ん練習ばしておっと、帰って来た時んたまがらしちゃれるけんの!」
ニシシと笑うシマウマ。
「うむむ~、それもそっか~」
渋々納得するダチョウ。
「じゃ~あ! ほかの子たちも誘って~、た~くさんでやろうよ~! そのほうが絶対楽しいよ~!」
「そうじゃの!」
キャッキャと、誰が誘えるかを話し合いだす二人。
「……ねえ、トモエさん」
「ん? なに?」
「もしお一人だったら、どうしてたんです?」
「あー……ほら、ビスが『地図』を見せてくれたじゃない? あれを書き写して、見ながら行けば大丈夫かなーって……」
ポリポリ。ヌイの問いに頬を搔きながら答えるトモエ。
「……そう、ですか……」
少し、不満そうに。
「あ、いや、ほら……あたし、体力無いし、きっとすごく時間かかっちゃうと思うから……」
それに、と。
「自分の事だし……自分でなんとかしたいの。甘えてばっかりじゃ、いられないよ」
少し、照れくさそうに。
「……その割に、ビスがついて行くって言っても断りませんでしたね?」
明らかに不満そうに。
「うぇ?! そ、そうだけど……」
何か、ヌイの態度がおかしい。
何かが気に障ったのだろうか?
「ヌ、ヌイちゃん?」
「つーん」
プイッと。カラカルのように。
「えぇ?! あの……ヌイ、ちゃん? ……怒ってる?」
「いいえ~、べっつにぃ~?」
「絶対怒ってるよねそれ?!」
しかし、カラカルほど分かりやすくはなく。
一体、何に怒っているのだろう?
「えと、ごめん! あたし変なこと言っちゃった?」
オタオタしながらも、とりあえず謝っておく。
「いいえ~、なーんにも?」
返ってくるのはふくれっ面。
「えぇえ~……?!」
困った。実に困った。
困惑しきったトモエ。
すると、
「ぷふふっ」
吹き出すヌイ。
「あはは! 引っかかりましたねー!」
「へ?」
キョトンとするトモエ。
「あはっ! おかえしのおかえしですー!」
「えぇ?! 今?!」
驚愕、よりもむしろ困惑がさらに深まる。
「え? ど、どうしたのヌイちゃん?!」
「んふふー、騙されちゃいましたねぇ?」
ニヤリ。いたずら成功、と言わんばかりに。
わざとらしい、と感じるほどに。
「おう! なんぞ賑やかじゃのう!」
横からシマウマが。
「えっ……それ、シマウマちゃんが言うんだ……」
「なんじゃと!」
「あはは~、シマウマちゃんいっつも騒がしいもんね~?」
「おまっ……誰んせいやと思っとかー!?」
「いやあ、どっちもどっちな気がする……」
「なんでじゃーい!!」
そして、いつも通りに。
「……」
ヌイ以外は。
☆★☆
ざわざわと雑音が耳につく。
「くぁっ……! ふぅー……」
よく寝た。
あくびと伸びでゴワついた体をほぐす。
「うみゅ……」
コシコシ。
目を擦って、あたりを見回す。
ここは……そうだ、イエイヌの……!
「アイツらは……!」
ぼやけた視界と頭が、一気にはっきりとした。
夕焼けで赤く染まった『へや』の中。
アタシだけがいる。いや、アタシしかいない。
意識がはっきりしたからか、さっきから耳に入っていた雑音の正体に気付いた。
「なんでじゃーい!!」
シマウマだ。それにダチョウと……トモエ。
『こや』の近くにはいたらしい。
ほっと胸をなで下ろす。
イエイヌの声は聞こえてこないが、きっといるだろう。
アイツはそういうヤツだから。
イエイヌ。不思議なヤツ。
ニヤけておちょくってきたかと思えば、急に真面目な顔して心配してきたり。
何のかんのと頼ってきたかと思えば「お任せを!」とか言って、逆に頼りになったり。
何というか……妙に感が鋭くて、異常に察しが良くて……
時々、全部見透かされてるんじゃないかって思うこともある。
言ってほしいことを、言ってほしい時に言ってくれる。
だから、話しててすごく楽になる。
アタシがすごく……すごく困っていた時だって……
アイツは、困ってる子を放っておけるようなヤツじゃない。
トモエを、まだ生まれたばっかりのヤツを放っておきはしない。
アイツはそういうヤツだから。
イエイヌ。アタシの一番の友達。
一番に、なってしまった友達。
「よっ……と」
立ち上がって外に出る。
昨日たっぷりと見回りしたつもりだけど、まだ安心は出来ない。
用心はし過ぎるくらいでちょうどいい。
油断はしない……出来ない。
もう二度とあんな思いはしたくない。
友達がいなくなるなんて、耐えられない。
せめてアタシの手の届く範囲では。
手が届かないところだったら?
……それは、諦める。
アタシは強くない。
いつでも、誰でも、守れるほどは。
だから精一杯、やれるだけのことをする。
後悔の、無いように。
☆★☆
「もうっ! うるさくて目が覚めちゃったじゃない!」
『小屋』から出てきたカラカルが、開口一番に。
「あ~、シマウマちゃんまた怒られた~」
「お前もじゃろがい!!」
ダン! と地団駄を踏むシマウマ。
「……てへへ~」
「あっ……お、おはよう……ん? おはよう?」
笑って誤魔化すダチョウと、どこかぎこちないトモエ。
「んー、起きたときの挨拶ですし『おはよう』でいいのでは?」
クスリと微笑むヌイ。
カラカルに向き直ってぺこりと頭を下げる。
「おはようございます、カラカルさん。すみません……ですがちょうど良い時間だったのでは?」
「……それもそうね」
二人揃って空を見上げる。
「……お気をつけて」
ポツリと。
「な、何のことよ?」
「ふふっ、さあ? 何でしょうね?」
サッと顔を向ければ、いつもの笑み。
お見通しですよ、と言わんばかり。
「……はあ」
ため息を一つ。
「ほんっと……まあいいわ。任せたわよ」
くるりと皆に背を向け、歩き出すカラカル。
「ん~? どこ行くの~?」
「ど、どこだっていいでしょっ?! アタシの勝手よ!」
背中にかけられた声に、背中越しに答える。
「……ああ」
ポンと手を打つシマウマ。
「せわしないやっちゃのう……ほれ! 今日はこのへんで寝るばい!」
ぐいっとダチョウを引っ張りつつ。
「ほんじゃ……またの、カラカル」
「え~? 別にいいけど~……」
腑に落ちない様子のダチョウ。
「またね~、カラカルちゃん!」
手をふりふり。
「……ふんっ!」
やはり背中越しに。
ただし手の代わりか、尻尾がゆらりゆらりと。
「あっ、あのっ! カラカルちゃん!」
焦った声のトモエ。
思わず足を止める。
「……なによ?」
顔だけ振り返るカラカル。
「え、えと……その…………ま、また明日……」
歯切れ悪く。
「……じゃ」
ポツリと、こぼすように一言だけ。
それ以上振り返ることなく、行ってしまった。
「あ……あ……」
呆然とするトモエ。
差し出した手が、虚空を掴む。
「へたれたのう」
「へたれましたねぇ」
「へたれたね~」
「……」
その様子を眺める四人。
「あ゛あ~……どうしよう……」
頭を抱えてへたり込むトモエ。
きちんと言い出せなかった。明日の事を。
絶対に反対されると思ったから。
恐くて、切り出せなかった。
「こぉーらっ! そげなんでどなんすっと?」
「うぃ?!」
バシン! といい音で背中を叩かれる。
「まさか、こんままあいつに黙ったまんま行きよるつもりか?」
「そっ……そんなことないよっ!」
バッ! と勢いよく立ち上がって。
「ちゃんと……言うもん……!」
シマウマの目を、正面から見据えて。
「……ほうか」
すっと横を向くシマウマ。
「なら、何で言い出せんかったとや?」
珍しく、ゆっくりとした口調で。
「うっ……そ、それは……」
「ぜ~ったいにいかん! ち言われる思うたんじゃろ?」
「……うん」
力無く頷くトモエ。
「ま、あんやつが素直に、『よし! 行ってこい!』やら言うわけないもんな?」
少し呆れたように肩を竦めて。
「……だよねー……」
「だがの」
ふぅっ、とため息。
「別にあいつが反対したけんいうて、お前んしたいことが変わるわけじゃなかろ?」
チラリと横目で。
「……うん」
「何で反対されるんが嫌なんじゃ?」
「な、なんでって……それは……」
真っ直ぐな詰問にたじろぐ。
「説得しきる自信が無いじゃったんじゃろうが」
断定する口調。
「あんまし強おはないけんの、お前」
「うぅ……」
走る速さも、体力も、ましてや戦う力なんて。
カラカルからしてみれば『図書館』までの旅など、危なっかしくて行かせる気にならないだろう。
そんなことは分かってる。
しかし、それでも……
「……何であいつが、あげん他んしぃの心配ばっかりしよるか分かると?」
暮れなずむ空。
「……たしか、サーバルさんって子が……」
「そうじゃ」
チラリと、今度はヌイの方を。
コクリと頷きを返すヌイ。
「もうずいぶん前んなるかの……サーバルんやつを見らんようなって……」
物憂げに。
「まーそりゃあもう、賑やかなやつじゃった。んでもってあっちやこっちや、しょっちゅうフラフラしよってのう」
懐かしむように。
「それ――むぐっ!」
何事かを言わんとしたダチョウの口を、ヌイがそっと塞いだ。
「……んで、なんぞ騒ぎを起こしよる。あいつも巻き込んでの」
何も聞こえなかったことにするシマウマ。
「よう似ちょった。見た目もじゃが……素直で無いん以外はの?」
茶目っ気混じりに。
「シマウマちゃんとも、仲よかった?」
「おうよ!」
ニカッと笑う。
が……
「……そげん調子での、ある日ぃからパタッと姿見らんごとなったつたい」
「そのうち顔みせるじゃろういうて、誰も気にとめとらんじゃったんじゃが……」
再び、物憂げに。
「カバ、ちいうやつがおっての? そんやつも一時、姿見らんようになってのう」
「一ヶ月……くらいじゃったかの、戻ってきよったんは」
凪いだ空間に、静かな声が響く。
「したらの、サーバルんやつは『かばん』いうやつと……なんじゃったか、『うみ』? やらなんやら……分からんがどっかに行ってしもうたち、言いよったんじゃ」
僅かに、震えた声。
「ほんまに気まぐれなやっちゃのう、て皆して言うたもんじゃ……」
「だぁーれも……そんまま帰ってこんなんか、思いもせなんで……」
クッと空を見上げる。
顔を、見られないように。
「……カラカルんやつはの、恐がっとるんじゃ。友達が、おらんようなるんを」
「そら、うちかて恐いし嫌じゃ。けんども……そんなもん、なるようにしかならん」
グシグシ、と顔を擦る。
「しゃーからあいつは、皆に強おになってほしいんじゃ……自分の知らん所で、セルリアンに食われてしまわんようにの」
くるりとこちらを見るシマウマ。
薄暗いなかでもその目元は、赤く見える。
「そう、だったんだ……」
「うちもの、探しん行こかち思うたこともあったけどの……やめた」
「もし帰ってこれなんだら……また、泣かせることんなるけんの」
ふぅっ、とため息。
「あいつかて、探しん行こうち思うたはずじゃて。でもの……」
「あいつは、選んだんじゃ……今、手元んおる連中をの……」
もし、自分が離れている間に何かあったら。
もし、戻ってきたとき、誰かがいなくなっていたら。
もしも、自分さえ居合わせたなら……そんな事態を防げるとしたら。
そのような想像が、カラカルを縛った。
「そんおかげでの、助かったやつもようけおる……こいつも、のっ!」
「うあ~っ!」
ガシィッ! と勢いよく頭を掴まれるダチョウ。
そのままグリグリと。
「うぁ~……やめてぇ~……」
「しゃーからの、あいつん言いよることも分かる。強おにならんば、生きてはいかれん」
「なんぼあいつが頑張って助けようとしよっと、間に合わなんだら……まに、あわなん、だら……」
フッと力を弱め、今度は優しく、慈しむように。
「……ほんまに、ありがとうの……」
包むように、抱き寄せる。
「あぅ~……く、苦しいよぅ~」
少しだけ、恥ずかしそうに身を捩るダチョウ。
「やっぱし最後にもの言うんは、自分の強さじゃ。そこはうちもカラカルとおんなし意見じゃて」
「でものう、トモエ」
そっとダチョウを離し、向き直る。
「誰かに反対されるんが嫌じゃちいいよっと、しまいにはなーんも出来んごとなってしまいよるぞ?」
「……うん」
「あいつはあんなんじゃが……分からず屋でんなか。よぉに話せば、分かってくれよったい!」
「……うんっ!」
はっきりと返事を返すトモエ。
「ありがとう、シマウマちゃん!」
「……へへっ」
照れくさいのか、鼻の下を擦るシマウマ。
「あ~、シマウマちゃん照れてる~」
「しゃーしい!!」
ダチョウの茶々に、怒声で応える。
「……まあ、どのみち明日のお話ですね」
カラカルの去って行った方を見ながらヌイが。
「きっとあちこち飛び回ってると思いますので、夜の間にはつかまらないでしょう」
「やっぱり、見回りに?」
つられて、同じ方向を見るトモエ。
先ほどまであった赤い景色は、青暗い闇に染まっていた。
「じゃろうなぁ……」
「昨日の今日、ですしね……」
二人が揃って頷く。
「夜はあの方の時間ですから、本調子で臨まれているかと」
「夜んあいつは速えからのー」
「そっかぁー……」
深く、頷き返すトモエ。
明日。
約束はしていないが、きっとカラカルは会いに来てくれるだろう。今朝のように。
「……次は、ちゃんと言うよ」
怒られるだろうか、叱られるだろうか。
でも、ちゃんと伝えよう。
あたしの、したいこと。
「えぇ~? ほんとかなぁ~?」
またしても茶々を入れてくるダチョウ。
「ほ、ほんとだもんっ!」
やはり、ムキになって返すトモエ。
「さぁて、どうだかのう? 明後日に延びるんとちがうか?」
「まあ、それはそれでいいんじゃないでしょうかね♪」
シマウマとヌイも、一緒になって。
「~っ! もうっ! みんなして!!」
ぶんぶんと腕を振り回して怒ってみても、
「かっかっかっ! ちーとん恐ぁないぞ!」
「ふふふっ、あははは!」
「や~いや~い、へたれ~!」
「むきーーっ!!」
かえって逆効果。
逃げ出す三人。
ヒートアップして追いかけるトモエ。
薄闇の中で、本日最後の『鬼ごっこ』が始まった。
「……」
やれやれ、と無い肩を竦めるビス。
「まぁてぇー!!」
必死で追いかけているものの、ひらりひらりと躱されて。
あの調子では長くはもつまい。
「……」
トコトコ、皆に背を向け一足先に『小屋』へと入る。
もう、心配はいらないだろうから。
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