間章:その鴉は砂塵の中に

Interlude-1


 ❀.


 中東、アルマクスタン共和国――その国は宗教テロリストとそれらに反抗する勢力、そしてそれを支援する米国やその友好国軍のオブザーバーとの戦闘で混沌の只中にあった。

 ニューヨークで2つの塔が崩れ去ってから世界をその渦に巻き込んだ対テロ戦争の続きの物語ネクスト・エピソード。陣地を奪われては取り返す泥沼のような戦況に最も辟易していたのはそこで戦う兵士達ではなく流れ弾――いや、流れ爆撃を食らっていつ家族と共に彼らの信じる神の元へ連れて行かれるか解らぬ罪無き一般市民であっただろう。普通の日本人なら赴く事のない、むしろ禁じられている為におおっぴらにその地に足を踏み入れる事ができぬような危険地帯に彼女はいた。


 「ったく・・・ここの埃っぽさは慣れねえな。ハナクソがすぐに黒くなっちまう」


 様々なギアで武装した男達の中に、白地のTシャツにカーキの弾帯チェストリグ、それと同じような色をしたカーゴパンツといった出で立ちの女性、黒木桜は顔をしかめながらボヤいた。ブラックマーケットで購入したコルト・コマンドーライフルのデッドコピーを携えながら。彼女の後ろで束ねられた赤茶色の髪はこびり付く砂埃で光沢を失っている。


 「全くだな。ここに来てからハナクソほじくる回数が増えたもんで鼻の穴がハナクソどころかボスグソをひり出せるくらいにデカくならねえか心配だぜ」


 彼女のやや斜め後方を歩く白人の男、ジェイクが南部の訛りがある下品な英語で応える。彼もまた桜と似たりよったりな格好をし、オリーブ色のTシャツの袖を盛り上がった肩の筋肉でそれ以上上がらぬという所までたくし上げ、大きな星の下にU.S. ARMYアメリカ陸軍と書かれたデザインのタトゥーを覗かせていた。


 「あいにく、私は育ちのクソ程良い大和撫子ってやつなんでな。人前じゃ鼻ん中の手入れもできねえのさ」

 「マジかよ!?ここに来る前は股開いて金稼いでる売春婦ホーだと思ってたぜ!」


 桜が肩越しに中指を立てると、ジェイクの如何にもレッドネック、といった笑い声が聴こえてくる。

 彼女達はアルマクスタンを始めとする中東諸国で暴虐の限りを尽くす宗教テロリストグループに対抗する組織、「暁の戦士」に義勇兵として参加していた。ここに集まった外国人義勇兵は皆、古巣で従事した対テロ作戦の続きとして、銃を握った事すら無かったが己を駆る正義感を誤魔化せなかった為、または興味本位―――様々な理由を持ってこの組織に接触したがその全てに共通するのは平和な母国で自分の居るべき場所を見失ってしまったということである。そして桜も、愛した母国の日本で居場所を無くしてしまったそんな戦士の一人であった。


 「ったく・・・退屈だぜパトロールなんてのは」

 「こんなもん慣れだよ、慣れ。陸軍アーミーに居た頃任務ときたらずっとこんな感じだったぜ」

 「そうかい。幸い私の古巣はコトを構えた事が無くてな。テロ屋を探して熱砂の上を歩く時間より隊舎でマスかいてる時間の方が多いって具合の組織なのさ。そしてそんな平和こそが私達のほまれなのさ」

 「JSDF自衛隊か・・・おっと、なんかヤな感じがするぜ」


 高い頻度で行われる爆撃で瓦礫の山と化した市街地でも人々の生活はあった。信仰する宗教の戒律で全身黒ずくめの女達、いつ空襲に遭うかも解らぬのにサッカーをして遊ぶ子供達、日陰に腰掛けて本を読む青年――それぞれがこんな国でも自分の人生を有益なものにしようとしていた。だがまるで人払いのおまじないをかけたかのように誰の姿も見えず、街は嫌な静けさに包まれれていた。

 桜は視線を感じ、古びた民家の窓を見やるとこちらを凝視する女と目が合ったが、女はそそくさと家の中に引っ込んでしまった。


 「敵が攻撃を仕掛けようとしてるのか?」

 「かもな。陸軍時代にもこんな気味の悪い雰囲気に出くわした事があったぜ。そしてそのしばらく後に奇襲に遭い、俺は部下を2人亡くした」

 「成程。オーライ、皆奇襲に警戒しよう。安全装置セーフティ掛けっぱのルーキーはいないだろうな?」

 

 男達は皆「もちろん!」と掛け声をあげ、たくましく鍛えられた腕をくうに掲げた。桜が小銃を構えて全身すると、男達もそれに続く。

 目線を銃口でなぞるように辺りを索敵スキャンする。だが敵らしき影はどこにも見当たらない。風で舞っていた砂埃は消え、地と同じような色のベージュの街並みだけが瞳の中に残る。それはまるで嵐の前の静けさと言わんとするかのように、不吉な何かを彼女に予感させた。


 「それっぽい奴どころか人っ子一人見当たらねえな・・・・・ん?アレは誰だ」


 およそ20メートル前方、戒律で女達が纏うそれとはまた違う黒いマントを羽織り、アフガンスカーフを顔を隠すようにして巻いた何者かがいつの間にか桜達の視界に現れた。その小柄な人物はスカーフの隙間から赤い右目とくすんだ灰色の左目を覗かせて陽炎かげろうの中に立ち、自らを禍々しく演出している。


 「ガキ・・・か?・・・ッ!―――」


 桜が塀の下に伏せたのと黒マントの中からAK47が飛び出したのはほぼ同時だった。銃声と共に仲間の一人がウッと呻き、被弾の衝撃で倒れた彼の血が埃っぽい地面に広がり始めた。


 「敵襲インカミングッ!」

 「畜生ォッ!レックスがやられた!」


 桜の後を追うようにジェイクも遮蔽物となる塀にスライディングした。彼のニーパッドが砂利と擦れ、ガガガと耳障りな音を鳴らす。


 「クソ野郎サナバビッチ!」


 桜達から道を挟んで向かい側の路地に身を隠した仲間が応戦し始めたが、身体の露出を最低限にしながらも銃に取り付けた光学サイトごと目を撃ち抜かれて絶命した。


 「もう2人もやられただと!?クソッタレが!これでも喰らいやがれ屁垂れのテロ屋めッ!!!」


 ジェイクはベストに取り付けたポーチから手榴弾グレネードを取り出し、後ろ向きに投げ付けた。しかしそれは地に落ちる前に爆発した。敵に一切のダメージを与える事もなく。で。


 「・・・ンだと?まさかグレネードを撃ち抜きやがったのか!?」


 戦闘は画面の中でのゲームとは訳が違う。ゲームなら神プレイとでも呼ばれるような曲芸でも実物の銃弾飛び交うキリング・ゾーンでそれを再現しようものなら始めに命を落とす事になると相場が決まっていた。だがはやってのけた。


 「オー・マイ・ファッキン・ゴッドってかジェイク。こいつはどこのスタローンだ?いや、それとも人間兵器メル・ギブソンか」

 「冗談タレてる場合じゃねえだろうが!?」

 「戦闘経験者コンバット・ベテランが慌てんなよ。私は特殊部隊出身だがあんたの方が何回も奴らと撃ち合ってんだろ?」

 「ああ、そうともさ!だがグレネードを撃ち抜くバケモノとヤり合った覚えはねえぜ!」


 応戦する仲間達はほんの僅かな時間の間に一人、また一人と倒れ、銃声は止みどこからか人間の争いなど気にも留めぬように鳥が呑気に鳴くのが聞こえた。男達の骸の周りにはまるで彼らの魂が身体から抜け出て天に昇ろうとするかのように砂塵がくゆっていた。


 「本部!本部!二個分隊程増援をくれ!!クソ装甲車にありったけのRPGやヘヴィー・マシンガンを乗っけてな!!!場所は巡回ルートの丁度真ん中ァ!!至急だ!至急!!さっさと来ねえとテメエのママとファックすんぞ!早くしろ!!クソがッ!!!」


 ジェイクが無線機にFワードたっぷりに怒鳴りつけ、返事も待たず地面に叩きつける。


 「助けが来る前に私達も殺されてるよ。8人分隊が残り2人だ。どうする・・・」

 「なんでお前はそう落ち着いてられんだ!?イカれてんのか!??」

 「中東こっちに来てからハシシをやり過ぎちゃってさ」


 桜はそう吐き捨て、咥えたしわくちゃのタバコに火を灯して小銃を降ろした。


 「何をするつもりだ・・・?」

 「私にはサムライの血が入ってんでな、近接戦闘なら負ける気がしねえのさ。んで、こいつが私のカタナだ」


 彼女はベルトに取り付けたホルスターから拳銃を取り出した。シグ・ザウエルP220。自衛隊で9mm拳銃の名でサイドアームとして使用されているそれは、彼女にとって性能やデザイン等を凌駕する程の愛着があるタイプのものだった。


 「――――いや、俺が先に出よう。こんなとこでレディー・ファーストなんて言うほど腐ってねえさ。俺がくたばったら後は逃げるなりバンザイ・アタックを仕掛けるなり好きにしてくれ」

 「ッ!―――待てジェイク!」


 言った時にはジェイクは遮蔽物から身を乗り出し、一瞬で標的に狙いを付けていた。行ける!――――ジェイクが小銃の引き金を引く指の動きは敵のものよりも早かった。


 「くたばれ!」


 激発。銃声。放たれた弾頭は敵の頭部めがけて直進、その頭蓋骨に穴を開けて敵を亡き者にするはず―――だった。

 

 「ッ!?」


 敵は体を少しだけ動かし、ひらりと銃弾をかわす。秒速およそ1kmの速度をもって自分を射抜こうとする銃弾がまるでけて見せた敵の挙動に呆気にとられ、ジェイクの追撃は遅れた。それが彼の命取りとなった。敵は二連射ダブルタップで彼の鎖骨付近と眉間に7.62mm弾を叩き込み、衝撃がジェイクの身体をのけ反らせる。絶命した彼は膝から崩れ落ち、ドサリと音を立てて倒れた。そしてその場には死の気配だけが残り、最後の一人を仕留める為にと敵の足音がゆっくりと近付いてきていた。

 桜は二者の決闘を見てはいなかったが、ジェイクの方が先に発砲したにも関わらず破れたのは恐らく照準されたあの一瞬の内に敵が弾道を予測し、回避した為だと当たりをつける。

 あの先制攻撃を外した時点で彼の敗北は確定していた。それに加えて戦闘の最中さなかにあっても放られた小型の手榴弾グレネードを撃ち抜く程の射撃術。それこそ神の力を借りているとしか思えぬ所業であった。

 桜はタバコを指で弾き飛ばすと、右手に拳銃。左手でスパイダルコ社製の折りたたみフォールディングナイフを取り出し、サムホールを中指で弾くようにして展開する。


 「ちゃんと弔ってやるさジェイク―――生き残れたらな」


 そう口火を切ると、彼女もまた人間離れした速さをもって敵の前に躍り出た。


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