1-11 安全確認

 ♥.


 「撃て!!」


 そう怒鳴る荒井にやむを得ず陽菜子は銃を構える。

 足は均一なリズムを保ちながら縦に震え、それにならうかのごとく手も銃を楽器のようにしてカタカタと音を立てている。挙げ句の果てには滲んだ涙で左目が霞み、照星すら見えない始末であった。無論、彼女はその照星が標的に狙いを付ける為取り付けられた物という事を知らなかったが。

 撃ちたくはない。撃てるはずがない――でも撃たなければ自分が撃たれる。

 非日常的な体験、身体が入れ替わるといった非現実的な現象、そして殺傷を非情に強要されている今。普通ならざるアブノーマルな経験の応酬おうしゅうであった。


 「撃たなくていい陽菜子ちゃん、私が止めさせてやる」


 桜も銃を荒井の頭部に向けたまま、横目で陽菜子を見るが彼女は一種のパニック状態にあったのだろう、そんな桜の呼びかけも届いていないといった様子であった。

 覚悟を決めるしかなかった。陽菜子は手を依然として震わせたまま引き金に指をかける。

 この僅か数センチの指の動きで私は元いた日常にいよいよ戻れなくなる。罪を背負って生きていくのだ。そう考えた途端、恐れが彼女の背中から抜けていき、心にまともな思考を放棄し我が儘に暴れる狂人の如き状況への無関心が生まれた。彼女の震えが少しだけ弱まったように見える。

 お母さん、お父さん――理沙ちゃん、ごめん。


 「陽菜子ちゃん!やめッ――」


 陽菜子は力を込めて引き金を引いた。銃口は手の震えで上下左右あちこちを向いたがそれでも銃は荒井を射界に収めたまま弾を射ちだした―――かのように思えた。

 

 銃声と比較すればいささかかわいらしく思えるカチッという音が室内に響いた。その銃声どころか反動が陽菜子の前腕を跳ね上げることも、遊底スライドが後退して薬莢を吐き出すことも無かった。

 陽菜子の手から銃が落ち、彼女も膝から崩れ落ちるようにして床に手をついた。それを見た荒井が緩やかに手を打ち合わせて拍手する。


 「合格だ」


 そしてジャックが床に落ちたP226を拾い上げ、弾倉マガジンリリース用のスイッチを押したが、弾倉が落ちて来ることはなかった。

 桜はそれを見て納得したのかため息をついてから自分の銃を下ろす。


 「そうだと確信していた。君は銃把グリップの底部だけは見せようとしなかったからな」


 ジャックが手品の種明かしをするかのように語り始める。


 「君が見ていたのは銃を手に取った時の重さにどういった反応を示すか、だろ?」


 荒井が頷く。陽菜子は引き金を引く前程ではないものの俯いたまま体を震わせていた。


 「一度でも拳銃を握った事がある者なら解ることだ。だがこの銃、弾が入っていませんがなんて言える状況でも無いからな。その一瞬の躊躇いの有無で判断する君の目も凄いが安全装置がかかってるのに引き金を引こうとするかしないかで判断するのは古典的クラシック過ぎるし演技で躱すのも簡単な訳だ。にしても、ここまでさせる必要は無かったと思うが」

 「そうだ、じゃあ次はお前の番だ」


 黒鎧こくがいの全員がそう発言した荒井に目を見開かせる。


 「お前の中身は本当に“ジャックドウ”か?」


 問われたジャックは短く嘆息してから、桜の手からP226を取った。


 「ジャック・・・お前!」


 ジャックは神憑かった速さをもって片手のみで荒井の頭部に向け銃を構えると刹那の躊躇さえなく引き金を引いた。銃声が室内に響き、銃口からは硝煙が昇った。


 「――これでジャックも本物であると信じれそうだな」


 荒井が言った。後ろで見ていた栗栖も驚愕の声をあげる。


 「す、すげえ・・・“モンク”の頭があの国民的アニメのおとっつぁんみてえになってるぜ・・・!」


 桜は先程までの重い雰囲気から一転して愉快なその比喩に吹き出した。

 ジャックの放った弾丸が荒井の頭頂部を掠め、血が膨らむようにして出ている。動揺のために偶然外したのではない。始めからそうなるよういたのだ。近距離であるうえに小銃ならまだしも、手だけで反動をコントロールする必要がある拳銃でここまで正確な射撃ができるのがジャックの極限まで磨かれた手腕を証明した。


 「まだ死にたくはないだろ?“修道僧モンク”だって神と対面するより地に足を着けて生きてたいだろうからな」

 「俺はいつでもいいぞ、この国の為ならな」

 「やはりジョークの解らない男だ、君は」


 ジャックが微笑む、その修道僧が知らない顔で。

 




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