3.ルピナスは自分を持ちたい

第14話:生まれた理由

 自分と兄を産み落とし、兄を殺して逃げたという妖精は、壊れていた。

 そもそも聞かされていた情報が間違っていた。妖精は女性じゃないし、兄を殺したのは私に嘘を吹き込んだ人間たちだ。

 ――妖精を壊したのもその人間たちだ。


「……」

 床一面に鮮やかな赤の宝石が転がっている中、彼は狂ったように笑い続けていた。私たちを産み落とした日は、体感覚がぶり返すせいで一日中こうだ。

 ウイスキーを飲んでは吐いて、飲んでは吐いて。狂的に笑いだしたかと思えば頭を壁に打ち付けたり、指を切り落とそうとして発狂したり。

 だから彼は、自分と兄を祝う時には前日にプレゼントをくれる。

 出会えたばかりの時は、渡そうと用意していたものを当日になって自ら壊してしまった。それからというもの必ず前日に渡してくる。

 兄と一緒に『無理をしないで』と伝えるのに、彼は自分たちを愛してくれる。

「……父さん、好きだよ」

 この状態になった父にこちらの言葉が届いたことはないが、言い含めるようにして言う。

 父の返事は力尽きて眠ることだった。

「…………おやすみ、父さん」

 地獄の中にいた彼は、寝付くことさえ恐怖だ。

 時計の針はそろそろ12時を指す頃。父の中の地獄も、これで収まる。

「……」

 ぐちゃぐちゃになっていた左手が再生していく。職人の手なのに。誰よりもすごいものを作り出す指先なのに。彼は何とも思わず工具で切り刻んでいた。

「掃除するね」

 散らばった宝石を魔法でかき集めて皮袋に入れる。自分と兄の誕生日にすることは、父が眠るまでそばについていることだ。

「…………」

 壁掛けカレンダーに星マーク。父は毎年、カレンダーを買ってきてはこの日にマークをつけて、『お祝いするね』と笑う。あの世で働く兄にもプレゼントを贈る。

 だが、それが彼に地獄を味わわせるのなら、自分たちの誕生日だけこの世界から削り取ってあげたい。兄と私はいつもそう考えている。

「カル。……うん。落ち着いた。仕事あるから、頼むね」

 父を病院に勤める弟に任せ、ヨーロッパに飛ぶ。

 ホテルに泊まった翌日、先に待ち合わせ場所に来ていた女性が包みを差し出す。

「誕生日おめでとう、ルピナス」

「……あ、ありがとう……」

 フランスの魔術学校で出会った、ルピネという女の子。彼女は俺の生誕を毎年祝ってくれる。

 同じ名を持つ彼女が優しげに笑う。

「クッキーを焼いてみたんだ。お口に合うと良いのだが」

「いつも美味しいよ」

 乳製品が好きな俺に合わせて、バターやミルクで芳醇な味わいに仕立てたお菓子をくれるのが嬉しい。

「今日もあなたは鮮やかな手並みだった」

「……父さんたちには及ばないよ」

 今いるフランスの魔術学校は、芸術と魔術が融合した形で両方を学べる場所。一分野には俺たちレプラコーンが得意な工芸も存在する。

 だから、最初は生徒として。最近になって講師として、ヨーロッパあちこちに出張していた。

「レプラコーンの技術はみんな凄まじすぎて、素人の私には傍目でわからぬ」

 くすくすと笑う顔。クッキーを食べる俺の頰をウェットティッシュで拭ってくれる気配り。

「…………」

 今は雨を浴びた後だから体は男だが、本来の性別は女だ。女なのに、彼女に会うたび……

 思考を振り払ってルピネちゃんに向き直る。

「こっちだってルピネちゃんが魔法陣を描くところ、凄いと思うけどわけわからないよ。天才」

「ん……父にはまだまだ及ばない」

「お互い様か」

 俺たちの専門分野はそれぞれ違うが、彼女と会って話すのは楽しい。姿が俺でも私でも彼女は驚かず、いつも温かく接してくれる。

 彼女の父だという鬼とも会ったが、『娘とこれからも仲良くしてください』とお土産を渡されて拍子抜けした。

 今思えば、彼は俺の心根を見ていたのかもしれない。

 ルピネちゃんへの好意を自覚してから、俺は改めて彼に挨拶した。

「……女ですが、ルピネちゃんが好きになりました」

「適度な付き合いを心がけてください」

「え。それだけですか?」

 同性同士であることについて、何か思うところもないのだろうか……

「ルピネが何人の女性から本気の求婚をされていると思っているんですか?」

「確かにそうだけど」

「あなた個人について思うことは何もありません。決めるのはルピネだから。……ただ、他よりも好感を持っているところもあります」

「! そ、それは?」

 彼は笑って言った。

「俺を恐れず挨拶しにきた度胸」

 普通のお嬢さんに『鬼と対峙しろ』って、壮絶な無茶振りだよね。



 それから何年経っただろう。

 ある日、父が倒れたと聞いて、私は病室に飛び込んだ。

「……父さん」

「ルピィ」

 驚いた顔をして、それから笑う。

「ニューヨークから飛んでくるとは思わなかったな」

「別にいいでしょ。私のお金なんだから、家族のために使う」

「ありがと。ねえ、ルピィ」

「なに、父さん?」

「誕生日……別に、俺のそばに居なくてもいいんだよ」

「…………」

 彼が言い出したのはきっと、明々後日が私たちの誕生日だから。

 冷や水を浴びせられた気がした。

「気の合う友達に祝ってもらえばいい」

「なんで……?」

 朝から晩まで発狂し続けるあの日のことは覚えていないと思っていた。

「覚えてなくてもわかるさ。……昔から、その日が来るとそこらじゅうに宝石が散らばるからね。誰かついててもらうことの方が少なかった。ルピィが居てくれるの嬉しかったよ」

 やんわりと『一人で平気』と断ろうとする父に抱きつく。

「困った娘だなあ」

「ぜったいそばにいるもん……」

 父の余命は残り60年弱。

 天才たちが力尽くして計算し、治療を続けても、それが限界――

「父さんは私の父さんだもん」

「……そうだね」



 数年ほど時は流れて、数奇な運命に導かれた少女の教導役に任命されたルピネちゃん。その彼女を追いかけるように、日本は雪国の北海道にやってきた俺。

「ルピナスはスタイルがいいから、革靴が似合うな」

 リナリアの家で、彼女は俺の冬装備のコーディネートをしてくれていた。

「や、ルピネちゃん……いいって」

 俺は北海道に来る際、いつもの服にコート羽織って適当な靴をつっかけてきた。

 それでいいと思っていたら、ルピネちゃんが『コートの中身が夏服なんてダメだ』と言って……こんな状況。

「ルピネ、靴あった。今の姉ちゃんと俺の靴のサイズほぼ同じだし、この中から」

 なぜか弟も協力している。俺の着ていたコートが薄手だったこともあり、すでにコートを貸してくれていた。

「ありがとう、リーネア」

 リナリアは靴を用途に分けて何足か所持している。なんでも『足場に適した靴がないと動けない』と彼オリジナルの戦場ルールで用意しているらしい。

「……どことなくミリタリーなところがリーネアらしいな」

「軍の友達が前に誕生日プレゼントでくれた。そっちはつま先に鉄板入ってるから重い。軽いのは隣の灰色の方」

「なぜ鉄板が……?」

「足に重いものが落ちてきても怪我しづらいようにって」

 そこらは工事現場の安全靴と同じか。

「あと慣れたら蹴りの威力の後押しになる」

「お前、友達選んだほうがいいよ」

「姉ちゃんに言われたくないんだけど」

「ルピネちゃんはまともだよ」

「ルピネ以外は?」

「…………」

 この弟、澄んだ目ですごい豪速球投げてきやがるから心が痛いんですけど。

「よし。ズボンとシャツはこれでいいな」

 ルピネちゃんはルピネちゃんで、自分の家族がやらかしたときのために成人男性用の衣服を所持している。冬用のスーツの下とワイシャツを流用して俺に着せてくれた。

「おー……やっぱ姉ちゃん父さんに似てる」

「だろうね」

 雨を浴びれば生き写しだもの。

「格好いいな」

 ルピネちゃんがそう言ってくれるともじもじしてしまう。

 リナは出していたコートと服を片付け、ルピネちゃんに言う。

「外寒いから気をつけてな」

「ありがとう。姉君をお借りする」

「貸すどころか熨斗のしつけてそっちにやるよ」

「ふふ、もらってしまおうかな」

 あーもう、好き……

 玄関先で見送ってくれる弟に二人で手を振り、エレベーターに乗る。

「ルピネちゃん、今日はよろしく」

 今日のお出かけは魔術学府から依頼された正式調査。仕事ではあるものの、彼女と過ごせるのが嬉しい。

「こちらこそ。私はあまりこういうことをしたことがないから、良い経験をさせてもらえて光栄だ」

「あはは、真面目だなあ」

 彼女が降りるまで開くボタンを押す。

 ふとした瞬間、今でも自分が機械のパーツなんじゃないかと錯覚する。……それも、父を縛り付けるためだけに作られた機械の心臓として。

「……」

「ルピナス?」

「ルピネちゃん」

「なんだ?」


「俺がキミのこと本気で好きなんだって言ったらどう思う?」

 どうして出かける直前にこんなこと言っちゃうのかな、自分。

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